上 下
6 / 66

6  聴取 メイド 長谷部千代(57)

しおりを挟む
「すみませんね、お忙しいでしょうに。少しだけお時間をください」

 内容は穏やかだが、抑揚のない伊藤刑事の口調にメイドの千代は強張った笑みを浮かべた。
 緊張をほぐすように藤田が缶コーヒーを差し出す。

「早速ですが、お名前と年齢、こちらでの勤続年数と採用された経緯を教えてください」

「はい。名前は長谷部千代です。年齢は先月で五十七歳になりました。こちらでの勤続年数ですよね? えっと……四十の時だから十七年になります。主人が早くに亡くなり、乳飲み子を抱えた私は、子供を親に預けて働き始めました。それが二十歳の時ですから、もう随分前ですね。ご主人様とは当時やっていた私の店で知り合いました」

「勤め先ですか?」

「ええ、学歴も手に職もない私にできることは水商売だけでした。でも一生懸命頑張ってお金を貯めて、お店を持つことができたのです。それが三十五の時です。お店といっても食堂に毛が生えたような小料理屋で、そこの常連さんがご主人様です」

「なるほど」

「小さかった娘も十六になっていて、店を手伝ってくれるようになって四年目のことです。常連さんもついてお店も軌道に乗り始めたのですが……娘は……妻子持ちの男と家出を……頼る人が居なくて、どうしてい良いのか分からなくて……常連の斉藤様に相談したのです。斉藤様はとても熱心に探してくださって……警察から連絡があって駆け付けてみると、娘はその男と心中していました。私は生きる気力も無くなってしまって、お店を開ける気にもなれなくて。憐れに思ってくださったのでしょう。この屋敷で働かないかと誘ってくださったのです」

「それはお辛かったですね」

「そうですね。とても辛かったです。その頃のお屋敷には書生さん達もまだたくさんおられて賑やかでした。私は毎日十人分の食事を三食作っていました。それはもう必死で働きました。悲しむ暇も無いくらい体を動かしましたね」

「それが四十歳の時ですね?」

「ええ、そうです。ご主人様は私の作る料理を懐かしい味だと気に入って下さって……ずっと居て良いからと仰って……」

「ご出身はどちらですか?」

「私は東京です。でも両親が東北出身なので味付けが濃いみたいなのです。ご主人様も東北地方のご出身かもしれませんね」

「ご存じない?」

「ええ、知りません。ご主人様はご自分のことを話すのを嫌っておいででしたから」

「そうですか。ところで長谷部さん、昨日は何をしていましたか? 朝起きたところから教えてください」

「昨日? 昨日ですか……私は五時には起きます。すぐにボイラーに火を入れてお湯を沸かして、厨房に入ります。朝食は和食と洋食を交互にお出しするのですが、昨日は……ああ、そうだ。和食の日でしたね。魚を焼いて、卵を焼いて……まあそんな感じです。食器の片づけが終わったら、美奈さんの掃除を手伝ってから、昼食の用意をします。昼食はいつも簡単なものを準備しますが、昨日は確かうどんでしたね」

「それから?」

「ご主人様と奥様も食堂で、お昼だけは私たちと一緒に召し上がります。その片付けが終わったら食材の確認に倉庫に行って……どうだったかしら? 掃除を手伝ったような? すみません、昨日のことなのによく覚えていません。というより、ほぼ毎日同じことばかりしているので、それが昨日のことだったか一昨日のことだったか……」

「わかりますよ。習慣化するとそんな感じですよね」

 千代がホッした顔で、目の前に置かれた缶コーヒーを手に取った。

「もう年ですね。特別変ったことが無いと覚えていなくて。すみませんねぇ」

「いいえ、大丈夫ですよ。ではいつものように夕食を作って終わりってことですね?」

「はいそうですね。寝るのはいつも十時頃です」

「わかりました。ありがとうございました。ああ、それはこちらで処分しますので、置いておいてください」

 千代は半分残っている缶コーヒーをテーブルに戻し、藤田刑事に付き添われて部屋を出た。
 部屋に戻ってきた藤田が伊藤に言う。

「何と言うか……なかなかシブい人生を送ってきたみたいですねぇ」

 千代の残した缶コーヒーを新しいビニール袋に入れながら伊藤の顔を見る。

「今日はまだ良い方だ。もっと凄いのなんて山ほどいるぞ。しかしさすがに少し疲れたな……一応ウラはとっておいてくれ」

 伊藤がポケットから煙草を取り出した。
 テーブルに置いてある灰皿を伊藤の方に寄せてやりながら藤田が口を開いた。

「今日はここまでにしますか? 先ほどのメイドさんならもう寝る時間ですよ」

 伊藤が腕時計を見た。

「十時か。あと三人だったよな? ちゃっちゃと終わらせよう。次は執事を呼んでくれ」

 藤田が無言のまま頷いて部屋を出た。
 伊藤は煙草をもみ消して、換気のために窓を開けた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

とびきりのクズに一目惚れし人生が変わった俺のこと

未瑠
BL
端正な容姿と圧倒的なオーラをもつタクトに一目惚れしたミコト。ただタクトは金にも女にも男にもだらしがないクズだった。それでも惹かれてしまうタクトに唐突に「付き合おう」と言われたミコト。付き合い出してもタクトはクズのまま。そして付き合って初めての誕生日にミコトは冷たい言葉で振られてしまう。 それなのにどうして連絡してくるの……?

深川あやかし屋敷奇譚

笹目いく子
歴史・時代
第8回歴史·時代小説大賞特別賞受賞。コメディタッチのお江戸あやかしミステリー。連作短篇です。 大店の次男坊・仙一郎は怪異に目がない変人で、深川の屋敷にいわく因縁つきの「がらくた」を収集している。呪いも祟りも信じない女中のお凛は、仙一郎の酔狂にあきれながらも、あやしげな品々の謎の解明に今日も付き合わされ……。

冒険者ギルドの終わらせ方

しば
ファンタジー
迷宮都市アンセムを支配する最古の冒険者ギルドのひとつ『アイリス』。 そのギルドマスターが未帰還者となって三年、空席を埋めるために唯一の血縁者である息子に白羽の矢が立つ。 冒険者嫌いの新米ギルドマスターによる異世界経営奮闘記。 『業界未経験者歓迎! 幹部候補募集中! 貴方の頑張りを評価します! 賞与アリ! アットホームな職場です!』

【完結】王太子とその婚約者が相思相愛ならこうなる。~聖女には帰っていただきたい~

かのん
恋愛
 貴重な光の魔力を身に宿した公爵家令嬢エミリアは、王太子の婚約者となる。  幸せになると思われていた時、異世界から来た聖女少女レナによってエミリアは邪悪な存在と牢へと入れられてしまう。  これは、王太子と婚約者が相思相愛ならば、こうなるであろう物語。  7月18日のみ18時公開。7月19日から毎朝7時更新していきます。完結済ですので、安心してお読みください。長々とならないお話しとなっております。感想などお返事が中々できませんが、頂いた感想は全て読ませてもらっています。励みになります。いつも読んで下さる皆様ありがとうございます。

とある文官のひとりごと

きりか
BL
貧乏な弱小子爵家出身のノア・マキシム。 アシュリー王国の花形騎士団の文官として、日々頑張っているが、学生の頃からやたらと絡んでくるイケメン部隊長であるアベル・エメを大の苦手というか、天敵認定をしていた。しかし、ある日、父の借金が判明して…。 基本コメディで、少しだけシリアス? エチシーンところか、チュッどまりで申し訳ございません(土下座) ムーンライト様でも公開しております。

戦国九州三国志

谷鋭二
歴史・時代
戦国時代九州は、三つの勢力が覇権をかけて激しい争いを繰り返しました。南端の地薩摩(鹿児島)から興った鎌倉以来の名門島津氏、肥前(現在の長崎、佐賀)を基盤にした新興の龍造寺氏、そして島津同様鎌倉以来の名門で豊後(大分県)を中心とする大友家です。この物語ではこの三者の争いを主に大友家を中心に描いていきたいと思います。

甘雨ふりをり

麻田
BL
 全寮制男子高校に通う七海は、オメガだ。  彼は、卑下される第二の性を持って生まれたが、この高校に入学して恵まれたことがある。  それは、素晴らしい友人二人に出会えたこと。  サッカー部のエースである陽介、バスケ部次期キャプテンである秀一。  何もかもに恵まれた二人は、その力を少しだけ僕に分けてくれる。  発情期の投薬が合わず副作用がつらいと話してから、二人は代わる代わる僕の発情期の相手をしてくれる。  こんなボランティアもしてくれる優しい友人と過ごす毎日は穏やかで心地よかった。  しかし、ある日やってきた転校生が………  陽介、秀一、そして新たに出会うアルファ。  三人のアルファに出会い、七海はどのアルファを選ぶのか… ****  オメガバース ですが、独自設定もややあるかもしれません。総受けです。  王道学園内でひっそりと生きる七海がじんわりと恋する話です。  主人公はつらい思いもします。複数の攻めと関係も持ちますので、なんでも許せる方向けです。  少し前に書いた作品なので、ただでさえ拙い文がもっと拙いですが、何かの足しになれば幸いです。 ※※※全46話(予約投稿済み)

【完結】旦那の病弱な弟が屋敷に来てから俺の優先順位が変わった

丸田ザール
BL
タイトルのままです アーロ(受け)が自分の子供っぽさを周囲に指摘されて素直に直そうと頑張るけど上手くいかない話。 イーサン(攻め)は何時まで生きられるか分からない弟を優先してアーロ(受け)を蔑ろにし過ぎる話 【※上記はあくまで"あらすじ"です。】 後半になるにつれて受けが可哀想になっていきます。受けにも攻めにも非がありますが受けの味方はほぼ攻めしか居ないので可哀想なのは圧倒的受けです ※病弱な弟くんは誰か(男)カップリングになる事はありません 胸糞展開が長く続きますので、苦手な方は注意してください。ハピエンです ざまぁは書きません

処理中です...