愛すべきマリア

志波 連

文字の大きさ
上 下
24 / 98

24

しおりを挟む
 そしてその夜、恙なく体が大きくなる祝福を終えたマリアは、ラングレー公爵夫人の指導で、少しずつマナーなどの授業を進めていった。
 まだ早いと訴える王妃の説得は国王に任せ、アラバス達は仮説の立証に忙しくしている。
 そんなある日のこと、マリアの授業を終えたラングレー公爵夫人がトーマスに会いに来た。

「ラングレー公爵夫人、この度は愚妹がお手数をおかけしております」

 執務室のソファーでお茶を出された公爵夫人が、優雅な手つきでカップを持った。

「いいえ、そんなことは無いの。それより、もしかすると彼女は天才かもしれないわ」

「え?」

 机についていたアラバスとアレンが同時に顔を上げた。

「どういうことです?」

 公爵夫人の横にアレンが座り、アラバスはトーマスと並んで座った。

「奇妙な事があったのよ。私が持ってきていた資料を覗き込んだマリアが、あっという間に解決策を出しちゃったの」

「どういうこと?」

 そう言ったのはアレンだ。

「ラングレー家の領地のことよ。前年に起きた鉄砲水で半壊した農地が、まだ手つかずだったでしょう? もういい加減にどうにかしなくちゃって思って、移動中もその資料を読んでいたの。荒れた農地を再開するための工事手順で迷っていいたのだけれど、マリアちゃんがその資料を見て、その場所で再開してもダメだと言ったのよ。しかもほぼ即答で」

「え? マリアちゃんが?」

「ええ、字は読めないはずなのに、その時にはなぜかスラスラと読めたの。口調はいつものマリアちゃんなのだけれど、喋りはじめた内容は完璧な改善策で、とても三歳児が知っているとは思えないような単語も使ってね。とても分かり易く丁寧に説明してくれたわ」

 アラバスがトーマスに王宮医を呼ぶように言った。
 すぐにやって来た王宮は、ラングレー公爵夫人の話を興味深く聞いた。

「どうやらマリア嬢は幼児退行ではなく多重人格障害かもしれませんなぁ。それも通常のケースとは違い、三歳児のマリアちゃんと十七歳のマリア嬢が同居している状態のようだ」

 ラングレー公爵夫人が目を丸くした。

「そんな事があるの?」

「非常にレアなケースですが、絶対に無いとは言い切れないです。もしかしたら、成長の祝福? その時のスリープラーニングが引き金になっているのかもしれません」

 しれっと自画自賛する王宮医に、トーマスがたたみ掛けるように言う。

「マリアは……マリアはなぜ三歳児になってしまったのでしょう」

 王宮医がひとつ頷いてから声を出した。

「もう一度、あらゆる文献を探ってみますが、私の知っている限りでお話しすると、あの事件の時に、マリア嬢の中で何かが壊れたのでしょう」

「壊れた?」

「ええ。有り体に申しますと、自分の生きてきた時間に絶望した、若しくはやり直せるならやり直したいと思ったのではないでしょうか」

「なるほど、だから三歳児なのか」

 そう言ったのはアラバスだった。

「マリアは母親が生きていた時に戻りたいと、心の底から願ったのかもしれないな。階段を転がり落ちながら、こんなことで死ぬなんて後悔しかないと思ったのではないだろうか」

 アラバスの言葉に、トーマスは唇を嚙んだ。

「だとすると……僕の責任だな」

「それは違うよ、トーマス。そんな顔をするな」

 アレンがトーマスに声を掛けた。

「あの時、入寮はしないと僕が言い張っていれば……すまん、マリア」

 ラングレー公爵夫人がゆっくりと扇を閉じた。

「トーマス君……あなたが行かなければマリアちゃんはもっと酷い目に遭っていたんじゃないかしら。もしかしたら殺されていたかもよ? 前妻の子供なんて邪魔だと考える愛人は少なくないわ。しかも葬儀から数週間で後妻に入ったのでしょう? 尚更よ」

 トーマスが悲痛な顔で夫人を見た。

「きっとあなたが学園に行っている間に、事故か病気か……いずれにしても無事ではなかったはずね。嫡男であるあなたは残す必要があるもの。でもその後に生まれた子供が男だったら、あなたの命も儚かったかも」

 アラバスが溜息を吐いた。

「どうして夫人はそう思われたのですか?」

「あら、だってあの二人は遊ぶのが忙しいでしょう? 留守の間に前妻の子供二人が結託したら困るもの。引き離して疎遠にしなくちゃ。それにどちらかを間引くにしたって、二人を引き離さないといろいろ面倒だわ。でもトーマス君が素直に家を出たでしょう? 残ったのは何もできないマリアちゃんだけ。放置していれば問題ないわ。まあ、あんな人たちでも、子供を殺すのは寝覚めが悪いでしょうしね」

 アレンは『間引く』という言葉を使った母親を妖怪を見るような目で見た。

「それが現実よ、アレン」

 息子の視線などものともせず、公爵夫人は口角を上げた。

「夫人の仰る通りだな。トーマス、お前はあの時正しい決断をしたんだ。そして俺たちに出会った。マリアちゃんのために、お前は死に物狂いで勉強し、見事に側近という立場を勝ち取った。何も間違ってはいないじゃないか」

「ありがとう……ございます」

 アラバスが萎れたトーマスの肩をポンポンと叩く。
 黙って聞いていた王宮医が口を開いた。

「その時のことですが、マリア嬢に何か変化はありましたか?」

 暫し考えた公爵夫人が徐に声を出す。

「なんて言うか……笑顔が違って見えたわ。いつもの天真爛漫なマリアちゃんの笑顔じゃなく、鍛え上げられたアルカイックスマイル? そんな感じね」

「なるほど……何かトリガーになるような出来事はありましたか?」

 数秒考えた後、公爵夫人が答える。

「特に思い当たらないわね……あなた何か気づいたことがあったかしら?」

 夫人が自分についている侍女に聞いた。

「あの日は……カーテシーの初歩練習で椅子を使いました。その時に、バランスを崩して」

 言いかけた侍女を追い越して、公爵夫人が声をあげた。

「ああ! こけたわね。椅子から転がり落ちたの。恥ずかしそうに照れていたけれど、その時はまだいつものマリアちゃんだったでしょう?」

「左様でございますね……では別の何かでしょうか。特には思い当たらないのですが」

「そうよね……」

 王宮医が何か思いついたようにポンと手を打った。

「もしかすると、十七歳のマリア嬢が三歳児のマリアちゃんを助けようと動いたのかもしれません。椅子から落ちるという感覚が、階段から落ちた痛みを思い起こさせたとしたら、自分の代わりに生きなおそうとしているこの子を助けなくちゃって思ったとしても不思議じゃない」

 アラバスの執務室に沈黙が流れた。
しおりを挟む
感想 89

あなたにおすすめの小説

ゼラニウムの花束をあなたに

ごろごろみかん。
恋愛
リリネリア・ブライシフィックは八歳のあの日に死んだ。死んだこととされたのだ。リリネリアであった彼女はあの絶望を忘れはしない。 じわじわと壊れていったリリネリアはある日、自身の元婚約者だった王太子レジナルド・リームヴと再会した。 レジナルドは少し前に隣国の王女を娶ったと聞く。だけどもうリリネリアには何も関係の無い話だ。何もかもがどうでもいい。リリネリアは何も期待していない。誰にも、何にも。 二人は知らない。 国王夫妻と公爵夫妻が、良かれと思ってしたことがリリネリアを追い詰めたことに。レジナルドを絶望させたことを、彼らは知らない。 彼らが偶然再会したのは運命のいたずらなのか、ただ単純に偶然なのか。だけどリリネリアは何一つ望んでいなかったし、レジナルドは何一つ知らなかった。ただそれだけなのである。 ※タイトル変更しました

【完結】失いかけた君にもう一度

暮田呉子
恋愛
偶然、振り払った手が婚約者の頬に当たってしまった。 叩くつもりはなかった。 しかし、謝ろうとした矢先、彼女は全てを捨てていなくなってしまった──。

前世軍医だった傷物令嬢は、幸せな花嫁を夢見る

花雨宮琵
恋愛
侯爵令嬢のローズは、10歳のある日、背中に刀傷を負い生死の境をさまよう。 その時に見た夢で、軍医として生き、結婚式の直前に婚約者を亡くした前世が蘇る。 何とか一命を取り留めたものの、ローズの背中には大きな傷が残った。 “傷物令嬢”として揶揄される中、ローズは早々に貴族女性として生きることを諦め、隣国の帝国医学校へ入学する。 背中の傷を理由に六回も婚約を破棄されるも、18歳で隣国の医師資格を取得。自立しようとした矢先に王命による7回目の婚約が結ばれ、帰国を余儀なくされる。 7人目となる婚約者は、弱冠25歳で東の将軍となった、ヴァンドゥール公爵家次男のフェルディナンだった。 長年行方不明の想い人がいるフェルディナンと、義務ではなく愛ある結婚を夢見るローズ。そんな二人は、期間限定の条件付き婚約関係を結ぶことに同意する。 守られるだけの存在でいたくない! と思うローズは、一人の医師として自立し、同時に、今世こそは愛する人と結ばれて幸せな家庭を築きたいと願うのであったが――。 この小説は、人生の理不尽さ・不条理さに傷つき悩みながらも、幸せを求めて奮闘する女性の物語です。 ※この作品は2年前に掲載していたものを大幅に改稿したものです。 (C)Elegance 2025 All Rights Reserved.無断転載・無断翻訳を固く禁じます。

壊れた心はそのままで ~騙したのは貴方?それとも私?~

志波 連
恋愛
バージル王国の公爵令嬢として、優しい両親と兄に慈しまれ美しい淑女に育ったリリア・サザーランドは、貴族女子学園を卒業してすぐに、ジェラルド・パーシモン侯爵令息と結婚した。 政略結婚ではあったものの、二人はお互いを信頼し愛を深めていった。 社交界でも仲睦まじい夫婦として有名だった二人は、マーガレットという娘も授かり、順風満帆な生活を送っていた。 ある日、学生時代の友人と旅行に行った先でリリアは夫が自分でない女性と、夫にそっくりな男の子、そして娘のマーガレットと仲よく食事をしている場面に遭遇する。 ショックを受けて立ち去るリリアと、追いすがるジェラルド。 一緒にいた子供は確かにジェラルドの子供だったが、これには深い事情があるようで……。 リリアの心をなんとか取り戻そうと友人に相談していた時、リリアがバルコニーから転落したという知らせが飛び込んだ。 ジェラルドとマーガレットは、リリアの心を取り戻す決心をする。 そして関係者が頭を寄せ合って、ある破天荒な計画を遂行するのだった。 王家までも巻き込んだその作戦とは……。 他サイトでも掲載中です。 コメントありがとうございます。 タグのコメディに反対意見が多かったので修正しました。 必ず完結させますので、よろしくお願いします。

バイバイ、旦那様。【本編完結済】

ちくわぶ(まるどらむぎ)
恋愛
妻シャノンが屋敷を出て行ったお話。 この作品はフィクションです。 作者独自の世界観です。ご了承ください。 7/31 お話の至らぬところを少し訂正させていただきました。 申し訳ありません。大筋に変更はありません。 8/1 追加話を公開させていただきます。 リクエストしてくださった皆様、ありがとうございます。 調子に乗って書いてしまいました。 この後もちょこちょこ追加話を公開予定です。 甘いです(個人比)。嫌いな方はお避け下さい。 ※この作品は小説家になろうさんでも公開しています。

ひとりぼっち令嬢は正しく生きたい~婚約者様、その罪悪感は不要です~

参谷しのぶ
恋愛
十七歳の伯爵令嬢アイシアと、公爵令息で王女の護衛官でもある十九歳のランダルが婚約したのは三年前。月に一度のお茶会は婚約時に交わされた約束事だが、ランダルはエイドリアナ王女の護衛という仕事が忙しいらしく、ドタキャンや遅刻や途中退席は数知れず。先代国王の娘であるエイドリアナ王女は、現国王夫妻から虐げられているらしい。 二人が久しぶりにまともに顔を合わせたお茶会で、ランダルの口から出た言葉は「誰よりも大切なエイドリアナ王女の、十七歳のデビュタントのために君の宝石を貸してほしい」で──。 アイシアはじっとランダル様を見つめる。 「忘れていらっしゃるようなので申し上げますけれど」 「何だ?」 「私も、エイドリアナ王女殿下と同じ十七歳なんです」 「は?」 「ですから、私もデビュタントなんです。フォレット伯爵家のジュエリーセットをお貸しすることは構わないにしても、大舞踏会でランダル様がエスコートしてくださらないと私、ひとりぼっちなんですけど」 婚約者にデビュタントのエスコートをしてもらえないという辛すぎる現実。 傷ついたアイシアは『ランダルと婚約した理由』を思い出した。三年前に両親と弟がいっぺんに亡くなり唯一の相続人となった自分が、国中の『ろくでなし』からロックオンされたことを。領民のことを思えばランダルが一番マシだったことを。 「婚約者として正しく扱ってほしいなんて、欲張りになっていた自分が恥ずかしい!」 初心に返ったアイシアは、立派にひとりぼっちのデビュタントを乗り切ろうと心に誓う。それどころか、エイドリアナ王女のデビュタントを成功させるため、全力でランダルを支援し始めて──。 (あれ? ランダル様が罪悪感に駆られているように見えるのは、私の気のせいよね?) ★小説家になろう様にも投稿しました★

挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました

結城芙由奈@12/27電子書籍配信中
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】 今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。 「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」 そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。 そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。 けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。 その真意を知った時、私は―。 ※暫く鬱展開が続きます ※他サイトでも投稿中

【完結】365日後の花言葉

Ringo
恋愛
許せなかった。 幼い頃からの婚約者でもあり、誰よりも大好きで愛していたあなただからこそ。 あなたの裏切りを知った翌朝、私の元に届いたのはゼラニウムの花束。 “ごめんなさい” 言い訳もせず、拒絶し続ける私の元に通い続けるあなたの愛情を、私はもう一度信じてもいいの? ※勢いよく本編完結しまして、番外編ではイチャイチャするふたりのその後をお届けします。

処理中です...