世界の終わりで君と恋をしたい～あやかし夫婦の奇妙な事件簿～

第125話 備忘録CaseIX・ぽっちゃり姉ともこもふ兄②

「リーナは偶に容赦ないよね」
「そう？　そんなことないと思うけど」

　灰色のボロ雑巾にしか見えない物体は薄汚れた元もこもこ生物である。
　元の毛色は銀なのが薄汚れ、灰色にしか見えない。
　ましてや、それが原初の恐怖プライマル・フィアである魔獣フェンリルだと気付く者などいないだろう。

　イザークはユリナが展開した絶対領域アブソリューターベライヒにあっさりと囚われた。
　彼はそこで血の涙を流し、血反吐を吐きながら耐えた。
　短期間集中ダイエットという名の地獄のブートキャンプである。

　麗央をとことん甘やかす。
　妹のイリスも過保護に近い接し方をする。
　そんなユリナは家族や近しい者に対し、厳しく接することが出来ない意外と優しい『歌姫』なのかと問われれば、否と言う他ない。
　彼女の優しさは与えられるべきものに等しく、与えられているだけである。
　そうではないものにとことん苛烈。
　それが『歌姫』だった。

　イザークはそれでもまだ実兄であるだけ、考慮されていると言うべきだろう。
　ユリナが絶対領域アブソリューターベライヒを活用したのも肉親だから、酌量したものだ。
　短期間での減量で出来るだけ負荷がかからないように『夢の世界』での体験をそのまま反映させた。

　絶対領域アブソリューターベライヒが展開された『夢の世界』では『歌姫』が絶対者である。
　ユリナが望むように全てが叶えられる世界だった。
　肉体の頑強さと戦闘力の高さでは世界屈指の実力者フェンリルであろうとも絶対領域アブソリューターベライヒにかかってしまえば、形無しなのだ。

「お兄様は丸々と太って、何の力もないか弱いポメラニアン。さぁ、お兄様。逃げないと食べられてしまうわよ？」
「な、なんのである！？」

　イザークが『夢の世界』で目覚めた時、取り戻した力を全て失っているだけでなく、脆弱なポメラニアンとなっている己に気付いた時には既に追われている最中だった。
　次から次へと現れる捕食者の前に生きた心地がせず、これまでにないほどに走った。
　走って走って、走り抜いた。
　そうしなければ、食べられてしまうのだ。

「それは嫌なのである」

　だから、ひたすらにイザークは走った。
　肉体を保つ為の食事は必要最低限になっていたこともあり、彼の体は引き締まっていく。

　文字通り、地獄のブートキャンプである。
　少しでも気を抜けば、食べられてしまう。
　生き抜くには動かねばならなかった。

　そして、ボロ雑巾が出来上がった。
　イザークはその代わりにあれほどだらしない体型となっていたのが嘘のように引き締まった筋肉質の肉体を取り戻した。

「ソレ、洗っておいてね？」
「ソレって……あ。待ってよ、リーナ」

　実の兄の処・理・を亡霊に一任し、そそくさと邸内へ戻ったユリナを慌てて追いかける麗央にも置いて行かれた雑・巾・は夢から覚めてもまだ夢現のようだった。