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第123話 備忘録CaseIX・小さな恋の物語
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「お兄様。何でいるの?」
兄に対しても容赦のないユリナでもさすがにそこまでの直球を投げかける訳にはいかなかった。
ユリナは喉まで出かかった言葉を無理矢理、押し戻すと僅かばかりに不満を溜めた顔で麗央が作ってくれたパンケーキを口に運ぶ。
不満の原因は庭先で優雅に惰眠を貪る銀色の毛玉の塊だった。
ユリナはそんな兄を恨みがましく胡乱な目で一瞥した。
「まぁ、仕方ないかしら」
「平和なのはいいことだよ」
「そうよね。私もそう思うわ」
向かいの席に腰掛ける麗央へ花笑みを絶やさず、先程まで氷を思わせる視線を向けていた人物と思えない変わりようである。
相変わらずユリナの瞳には麗央への強い愛情がハートのマークとして、現れている。
そうとしか思えないほどに麗央の前では恋する乙女を隠しきれないユリナだった。
「でも、いくら何でもあれはいけないと思わない?」
「ま、まあ。そうだね。動かないのはよくないね」
「そうでしょ? レオもそう思うでしょ。どうにか出来ないの?」
麗央は眉間に皺を寄せ、眉尻を下げた真剣な表情で考え込む。
そんな彼の様子にユリナもそれ以上、言葉を続けられなかった。
見かねた麗央が動こうとしない兄を何度か、トレーニングに誘ったものの色よい返事を貰っていない現場を目撃していたからだ。
イザークは一度、動かないと決めると梃子でも動かぬ頑固なところがある。
それに加えて、怠惰に過ごすことを学んでしまった。
ユリナにはその片棒を担いだ自覚があった。
イザークがこうなった原因にユリナは思いを馳せる。
思えば、イリスが一人で行動するようになったのが全ての発端になったことを……。
ユリナは瞬間移動を可能とする転移が行える世界でも希少な魔術師の一人である。
旅も転移すれば、事足りる。
同時にユリナはそれを味気ないものと捉えた。
旅をしている気分が全く味わえないのは彼女にとって、何よりも面白くなかったのだ。
その為、自らも開発に参与した幽霊列車を時折、利用していた。
光宗博士を経由し、永久パスが発行された。
利用しない手がなかった。
彼女と近しい立場にある者もこの恩恵を受けている。
イザークやイリスは当然として、ユリナの意を受け各地に赴く必要性があったゼノビアもである。
そうなれば、自ずと行動範囲が広がるのは自明の理とも言えた。
イリスは元々、流れのハンターとして日本全国を流離っていた経歴がある。
自らの足で各地を旅したイリスにとって、幽霊列車ほど便利な交通機関はなかった。
「いやぁ。便利でござるなぁ。極楽でござるよぉ」
イリスは今、車上の人である。
自宅があるK県から遠く離れた九州の地へと赴くべく、姉から貰ったパスを使い、幽霊列車を利用した。
建前は仕事の為だった。
彼女は世を乱す怪異を退治するYoTuberとして、兄のイザークと全国行脚の旅をしていたこともある。
WACAが発足し、原則としては管理される体制が本格的に始動した。
今までのように自由な狩りは許されなくなった。
その代わりとでも言うように監視者を伴った『迷宮』の探索が許可されたのである。
「あにさまは何で来なかったのでござろう」
車窓の風景に心を奪われながら、イリスは独り言つ。
「我は行かないのである」とぷいと横を向いた兄の態度は実に不自然なものだった。
まるで自分に気を遣ったとでも言わんばかりの態度だった。
「あの兄がでござるか!」とイリスも思わなくはない。
考えの足りない言動で周囲を振り回すことが多い兄だ。
「天気が変わらなければ、いいでござるなぁ」
それから暫くして、イリスの姿は九州北端のS県にあった。
N県S市で幽霊列車を降りた彼女はそこで見知った者と合流した。
「おう! 元気だったか?」
「元気でござるよ! 昨日も喋ったでござろ?」
「そ、そうなんだけどよ」
何とも決まりの悪そうなイリスと待ち合わせをした人物は伊佐名陸だった。
伊佐名家の末っ子であり、かつて『九十九島の大迷宮』でイリスとコンビを組んだ相手でもある。
短い間の共闘に過ぎなかったが生来の真っ直ぐな性質が似ていたからか、二人は意気投合した。
それ以来、SNSを介し毎日のように連絡を取り合っている。
年齢が近いだけではなく、末っ子という共通点も息が合う理由の一つだった。
イリスが九州に向かったのは新たに出現したダンジョン『川古の大楠公園の迷宮』を探索するのが、主目的だ。
S県T市にある同公園は川古のクスと呼ばれる天然記念物に指定された楠の巨樹が有名である。
九州有数のパワースポットとして知られていた。
この巨樹の有する大きなマナがどうやら邪な心を持つモノに狙われたらしい。
公園は川古のクスを中心に発生した自然フィールド型のダンジョンとなった。
一度入れば、二度と出ることの出来ない呪われた空間が形成された。
このダンジョンを世界に現出させたモノがあまり大きな力を有していなかったのは不幸中の幸いと言うべきか。
現在まで犠牲者は出ていない。
「それじゃ、行くでござるか」
「おうともよ!」
かくして恋愛のれの字も知らない十五歳のイリスと少しばかり、異性を意識するお年頃である十四歳のテラは『川古の大楠公園の迷宮』へと向かったのである。
テラは甘やかされ、育った末っ子だった。
姉二人があまりに個性的だったのも影響し、思春期に入ると順当に反抗期を迎えた彼は一端の不良ムーブを始めたがそれも長くは続かなかった。
上には上がいると否が応でも知ったテラは生まれ変わったように大きく、変貌した。
いい意味で変わった。
姉のせいか、異性を好意的に捉えられなかったテラが初めて、異性を意識した。
それがイリスだった。
恋を知ったテラはさらに変わった。
イリスは十五歳になるまで過酷な半生を歩んできた。
同じ末っ子とはいえ、テラとは正反対と言っていい歩みである。
しかし、今の彼女は義兄と姉に甘やかされ、変質を余儀なくされた。
これもいい意味での変質である。
頑なだったイリスの心も今や柔軟な少女と変わらないと言っていい。
だがイリスは未だ恋を知らない。
イリスとテラ。
二人の小さな恋の物語を告げる始まりの鐘はまだ、鳴っていない。
兄に対しても容赦のないユリナでもさすがにそこまでの直球を投げかける訳にはいかなかった。
ユリナは喉まで出かかった言葉を無理矢理、押し戻すと僅かばかりに不満を溜めた顔で麗央が作ってくれたパンケーキを口に運ぶ。
不満の原因は庭先で優雅に惰眠を貪る銀色の毛玉の塊だった。
ユリナはそんな兄を恨みがましく胡乱な目で一瞥した。
「まぁ、仕方ないかしら」
「平和なのはいいことだよ」
「そうよね。私もそう思うわ」
向かいの席に腰掛ける麗央へ花笑みを絶やさず、先程まで氷を思わせる視線を向けていた人物と思えない変わりようである。
相変わらずユリナの瞳には麗央への強い愛情がハートのマークとして、現れている。
そうとしか思えないほどに麗央の前では恋する乙女を隠しきれないユリナだった。
「でも、いくら何でもあれはいけないと思わない?」
「ま、まあ。そうだね。動かないのはよくないね」
「そうでしょ? レオもそう思うでしょ。どうにか出来ないの?」
麗央は眉間に皺を寄せ、眉尻を下げた真剣な表情で考え込む。
そんな彼の様子にユリナもそれ以上、言葉を続けられなかった。
見かねた麗央が動こうとしない兄を何度か、トレーニングに誘ったものの色よい返事を貰っていない現場を目撃していたからだ。
イザークは一度、動かないと決めると梃子でも動かぬ頑固なところがある。
それに加えて、怠惰に過ごすことを学んでしまった。
ユリナにはその片棒を担いだ自覚があった。
イザークがこうなった原因にユリナは思いを馳せる。
思えば、イリスが一人で行動するようになったのが全ての発端になったことを……。
ユリナは瞬間移動を可能とする転移が行える世界でも希少な魔術師の一人である。
旅も転移すれば、事足りる。
同時にユリナはそれを味気ないものと捉えた。
旅をしている気分が全く味わえないのは彼女にとって、何よりも面白くなかったのだ。
その為、自らも開発に参与した幽霊列車を時折、利用していた。
光宗博士を経由し、永久パスが発行された。
利用しない手がなかった。
彼女と近しい立場にある者もこの恩恵を受けている。
イザークやイリスは当然として、ユリナの意を受け各地に赴く必要性があったゼノビアもである。
そうなれば、自ずと行動範囲が広がるのは自明の理とも言えた。
イリスは元々、流れのハンターとして日本全国を流離っていた経歴がある。
自らの足で各地を旅したイリスにとって、幽霊列車ほど便利な交通機関はなかった。
「いやぁ。便利でござるなぁ。極楽でござるよぉ」
イリスは今、車上の人である。
自宅があるK県から遠く離れた九州の地へと赴くべく、姉から貰ったパスを使い、幽霊列車を利用した。
建前は仕事の為だった。
彼女は世を乱す怪異を退治するYoTuberとして、兄のイザークと全国行脚の旅をしていたこともある。
WACAが発足し、原則としては管理される体制が本格的に始動した。
今までのように自由な狩りは許されなくなった。
その代わりとでも言うように監視者を伴った『迷宮』の探索が許可されたのである。
「あにさまは何で来なかったのでござろう」
車窓の風景に心を奪われながら、イリスは独り言つ。
「我は行かないのである」とぷいと横を向いた兄の態度は実に不自然なものだった。
まるで自分に気を遣ったとでも言わんばかりの態度だった。
「あの兄がでござるか!」とイリスも思わなくはない。
考えの足りない言動で周囲を振り回すことが多い兄だ。
「天気が変わらなければ、いいでござるなぁ」
それから暫くして、イリスの姿は九州北端のS県にあった。
N県S市で幽霊列車を降りた彼女はそこで見知った者と合流した。
「おう! 元気だったか?」
「元気でござるよ! 昨日も喋ったでござろ?」
「そ、そうなんだけどよ」
何とも決まりの悪そうなイリスと待ち合わせをした人物は伊佐名陸だった。
伊佐名家の末っ子であり、かつて『九十九島の大迷宮』でイリスとコンビを組んだ相手でもある。
短い間の共闘に過ぎなかったが生来の真っ直ぐな性質が似ていたからか、二人は意気投合した。
それ以来、SNSを介し毎日のように連絡を取り合っている。
年齢が近いだけではなく、末っ子という共通点も息が合う理由の一つだった。
イリスが九州に向かったのは新たに出現したダンジョン『川古の大楠公園の迷宮』を探索するのが、主目的だ。
S県T市にある同公園は川古のクスと呼ばれる天然記念物に指定された楠の巨樹が有名である。
九州有数のパワースポットとして知られていた。
この巨樹の有する大きなマナがどうやら邪な心を持つモノに狙われたらしい。
公園は川古のクスを中心に発生した自然フィールド型のダンジョンとなった。
一度入れば、二度と出ることの出来ない呪われた空間が形成された。
このダンジョンを世界に現出させたモノがあまり大きな力を有していなかったのは不幸中の幸いと言うべきか。
現在まで犠牲者は出ていない。
「それじゃ、行くでござるか」
「おうともよ!」
かくして恋愛のれの字も知らない十五歳のイリスと少しばかり、異性を意識するお年頃である十四歳のテラは『川古の大楠公園の迷宮』へと向かったのである。
テラは甘やかされ、育った末っ子だった。
姉二人があまりに個性的だったのも影響し、思春期に入ると順当に反抗期を迎えた彼は一端の不良ムーブを始めたがそれも長くは続かなかった。
上には上がいると否が応でも知ったテラは生まれ変わったように大きく、変貌した。
いい意味で変わった。
姉のせいか、異性を好意的に捉えられなかったテラが初めて、異性を意識した。
それがイリスだった。
恋を知ったテラはさらに変わった。
イリスは十五歳になるまで過酷な半生を歩んできた。
同じ末っ子とはいえ、テラとは正反対と言っていい歩みである。
しかし、今の彼女は義兄と姉に甘やかされ、変質を余儀なくされた。
これもいい意味での変質である。
頑なだったイリスの心も今や柔軟な少女と変わらないと言っていい。
だがイリスは未だ恋を知らない。
イリスとテラ。
二人の小さな恋の物語を告げる始まりの鐘はまだ、鳴っていない。
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