上 下
117 / 159

第116話 先見の明を持ちしモノ①

しおりを挟む
 いくら麗央の育ての母のような存在が関与している場とはいえ、公の場である。
 それにも関わらず、二人の距離は零に限りなく近い。
 今にも大人の口付けを交わしかねない甘い雰囲気が漂い、互いの姿を捉える瞳は愛する者しか映っていなかった。
 見つめ合う二人の唇が今にも触れ合わんばかりに近付いた瞬間だった。

「ふぉふぉふぉ。そうでしょうとも。男の子はみぃんな、だぁいすきですよ」

 不意に聞こえた不審な男の声に麗央は警戒感も露わにユリナを庇うように背後に隠した。
 それはユリナの肌を人目に晒したくないと考える独占欲に塗れたものと言えるだろう。

 例え、そうであったとしてもユリナは気にしない。
 彼女は麗央から向けられるものであれば、どのような視線であろうとも喜びを感じる厄介な性癖をさらに拗らせている。
 ましてやそこにを感じられたならば、普段のお姉さん風を吹かせる余裕などないのだ。
 恋する乙女の如く、かんばせを僅かに朱で染め上げ、おとなしく気満々でいた。

 実際には何者かは分からないが潜んでいることにとうに気付いており、「どうやって料理してやろうかしら?」などと物騒な考えを巡らせていたことをおくびにも出さない。

「誰ですか、あなたは?」

 大柄で均整に鍛え抜かれた体を持つ麗央は普段、相手に威圧感を与えないよう気遣った物言いをする。
 それは誰に教わった訳でもなく、見本となる周囲の大人を見習い、成長してきた証でもあった。
 その麗央が若干の怒りが混じった剣呑な空気を隠そうともしない。
 己の油断が招いた後悔の念がそうさせているとも言えた。

「なあに。自分はに怪しいモノじゃあ、ございあせんよ」

 男は全身黒尽くめである。
 頭から爪先まで纏った物が須らく、黒で統一されていた。
 頭に被った小洒落こじゃれた山高帽も黒ければ、身に纏うツータック仕様のパンツを含むスーツも闇のように黒い。

 肝心の男自体は対照的なほどに白いとしか、形容出来ない容姿をしている。
 肌が抜けるように白いのではない。
 病的な血の気を感じさせない青白さに近かった。
 麗央が百八十を軽く超え、ユリナですら百七十以上と高いのもあったが、男の身の丈は彼らの肩にも遠く及ばない。
 手足も短く、胴回りもふくよかで顔は酷く、浮腫むくんだかのように大きい。
 二人のプロポーションとあまりにも差があった。

 男が背広の懐に手を入れ、視線をさらに厳しくした麗央だったが取り出された紙を見て、態度をやや軟化させる。

「自分はこういうモノでございあすよ」
「なるほど……どうも」

 男が取り出したのは名刺である。
 ユリナよりもそこそこ日本の文化に慣れ親しむ機会が多かった麗央は使う機会こそ、なかったものの名刺を知っている。
 何の警戒心もなく、受け取ろうとしてユリナに袖を引かれた。

「レオ、危なくないの? 私のファトゥムにそっくりじゃない」
「あぁ。これは名刺だから」
「名刺? ではないの?」

 ユリナは物心がつき、大人になるまで『鏡合わせの世界』で暮らしていた。
 神々の運命ラグナロクを起こす因子の一つとされ、追放同然に親元から離されたとはいえ、全てにおいて優先される『お姫様』として育てられた。
 愛らしい見た目で誰からも愛される『お姫様』だったユリナは外見に反し、意外にも行動的だった為、勝手に城を抜け出すことも多々あった。
 それゆえ、『お姫様』でありながらも民の一般常識といった物にもそれなりに精通している。
 問題は彼女の育った地があまりにも特殊な為、世間の常識との剥離が尋常ではないことだ。

 残念ながら、ユリナの辞書に『名刺』という概念はなかったのである。
 同じようなサイズの魔道具を戦闘時に使用している。
 これが問題をさらにややこしくさせていた。
 ユリナが持つ魔道具――ファトゥム運命の銘を持つ特殊な金属製のカードは人を害することも出来れば、癒すことも出来る投擲型の武器だった。
 カード型の物を見て、ユリナが警戒心を強くするのは致し方ないことでもあったのだ。

蛭子ゑびすぽんぽこ丸……さん?」
「ゑびすでよろしいでございあすよ」
「えびす?」
「いいえ、ゑびすで。そこはお間違いなきよう」

 『ゑびす』と名乗った男は確かに信楽焼のタヌキの置物に似たずんぐりむっくりな体型をしており、目尻が大きく垂れ下がった顔の半分はあろうかという目もタヌキのように見えなくもない。
 いささかの可愛さの欠片も存在しないタヌキだったが……。
 それにしても『ぽんぽこ丸』とは随分と思い切った名前にしたものだと麗央は変なところに感心する。

 一方、ユリナは名刺が危ない物ではないとどうやら認識したものの男の名乗った『ゑびす』という名に引っかかりを感じていた。
 全国同時配信ライブで歌った際、屋敷を急襲した『タカマガハラ』の特殊部隊。
 その『タカマガハラ』は現在、かつての管理者の娘にあたる月読ツクヨミが総帥代理として、統括している。
 しかし、それ以前に総帥として、矢面に立っていた人物がいる。

 その名が『ヱビス』だったことをユリナは思い出し、小首を傾げた。
 『ヱビス』は総帥の地位を辞して以来、表舞台を去っていたからだ。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

姫と竜

ぎんげつ
恋愛
【アーレスと呼ばれる世界のお話】 輿入れの旅の中、賊に襲われひとり残った姫君は、荒野の遺跡の中で、少年に会った。 歌姫エイシャと護り竜シェイファラルの、旅の始まりから終わりまでの物語。 ※小説家になろうからの転載です。

淫らな蜜に狂わされ

歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。 全体的に性的表現・性行為あり。 他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。 全3話完結済みです。

友情結婚してみたら溺愛されてる件

鳴宮鶉子
恋愛
幼馴染で元カレの彼と友情結婚したら、溺愛されてる?

幼妻は、白い結婚を解消して国王陛下に溺愛される。

秋月乃衣
恋愛
旧題:幼妻の白い結婚 13歳のエリーゼは、侯爵家嫡男のアランの元へ嫁ぐが、幼いエリーゼに夫は見向きもせずに初夜すら愛人と過ごす。 歩み寄りは一切なく月日が流れ、夫婦仲は冷え切ったまま、相変わらず夫は愛人に夢中だった。 そしてエリーゼは大人へと成長していく。 ※近いうちに婚約期間の様子や、結婚後の事も書く予定です。 小説家になろう様にも掲載しています。

【完結】僕はヤンデレ彼女を愛してやまない。

小鳥鳥子
恋愛
「あたしに任せて!!」 お決まりの台詞とともに、絡んできたヤンキー達へと突撃する彼女。 その両手には愛用している二本の包丁が光る。 彼女――『雪野莉子(ゆきのりこ)』は、(普通の)高校二年生である。 ちょっと人見知りで、長い黒髪ときれいな瞳を持っている小柄な女の子だ。 ただし……僕への愛が深すぎるヤンデレなのである。 「ダメだから、その包丁しまって!!」 彼女の細い腰に飛び付き、その突撃を必死に抑え込む。 僕――『雨宮陸(あまみやりく)』はヤンデレ彼女の暴走を抑えるため、今日もまた奮闘するのである。 彼女の愛に応えるがために。 ◆◆◆ ※ヒロインがヤンデレですが、ドロドロはほとんどありません。(むしろ、デレデレ?) ※本編はラブ深め&コメディ強めのラブコメで、番外編(過去編や別キャラ視点編等)はセンチメンタルなことが多いです。 ※シンプル設定で、基本サラっと読むことのできる物語です。 ※第5回ほっこり・じんわり大賞にエントリーしております。 ※一話2000~4000字程。 ※2022.08.19に約11万字で完結。 ※小説家になろう様にも投稿しています。(外部リンク参照) ※表紙のアイコン絵は、なのどん様(@_xoxo_sss_)に描いて頂いたヤンデレ彼女な莉子ちゃん。

エリート警察官の溺愛は甘く切ない

日下奈緒
恋愛
親が警察官の紗良は、30歳にもなって独身なんてと親に責められる。 両親の勧めで、警察官とお見合いする事になったのだが、それは跡継ぎを産んで欲しいという、政略結婚で⁉

【完結】うっかり異世界召喚されましたが騎士様が過保護すぎます!

雨宮羽那
恋愛
 いきなり神子様と呼ばれるようになってしまった女子高生×過保護気味な騎士のラブストーリー。 ◇◇◇◇  私、立花葵(たちばなあおい)は普通の高校二年生。  元気よく始業式に向かっていたはずなのに、うっかり神様とぶつかってしまったらしく、異世界へ飛ばされてしまいました!  気がつくと神殿にいた私を『神子様』と呼んで出迎えてくれたのは、爽やかなイケメン騎士様!?  元の世界に戻れるまで騎士様が守ってくれることになったけど……。この騎士様、過保護すぎます!  だけどこの騎士様、何やら秘密があるようで――。 ◇◇◇◇ ※過去に同名タイトルで途中まで連載していましたが、連載再開にあたり設定に大幅変更があったため、加筆どころか書き直してます。 ※アルファポリス先行公開。 ※表紙はAIにより作成したものです。

後宮の棘

香月みまり
キャラ文芸
蔑ろにされ婚期をのがした25歳皇女がついに輿入り!相手は敵国の禁軍将軍。冷めた姫vs堅物男のチグハグな夫婦は帝国内の騒乱に巻き込まれていく。 ☆完結しました☆ スピンオフ「孤児が皇后陛下と呼ばれるまで」の進捗と合わせて番外編を不定期に公開していきます。 第13回ファンタジー大賞特別賞受賞! ありがとうございました!!

処理中です...