上 下
79 / 159

第79話 ヨルムンガンド

しおりを挟む
 K県M半島。
 その東部にかつて浦賀ドックと呼ばれていた乾ドックがある。
 旧世紀の時代、旧日本帝国海軍の駆逐艦建造で名を馳せた歴史的遺物だ。
 同地はかつての旧跡として、密かな観光名所になっていたがそれも昔の話となる。

 新世紀に入り、世界各地に怪異が出現し、その存在が公のものとなったことで人類は新たな脅威に晒された。
 そうなるといつしか、その存在すらも忘れられた場所、それが浦賀ドックだった。
 現在はその名をコードネーム、Uドックと呼ばれている。
 管轄するのは日本の政府機関だが、実際に運用・管理しているのは環太平洋機構Pacific Rim Organizationであり、欧州連邦共和国Federal Republic of Europeも出資している曰く付きのドックである。

 そのUドックは現在、活気に満ち溢れていた。
 建設機材の鳴らす金属音がそこかしこから、聞こえてくる。
 奇妙なのはドックの中を行きかう人影が、全くないことだ。
 全てが機械化オートメーションされており、作業しているのは自律型の工業ドローンである。
 忙しなく、働き続ける彼らによって、ドックに眠る巨大な黒い影は着々とその威容を整えていた。

 黒い影の正体は環太平洋機構が主導し、技術の粋を集めて建造されている最新鋭の軍船だった。
 環太平洋機構は灰色の幽霊グレイゴーストと愛称を付け、欧州連邦共和国は発起人たる常世の女王の名にちなみ、死者の船ナグルファルと呼んでいた。
 冥府の女王たる女神が集めた死者の爪で造られ、この世の終わりを告げる存在として知られるお世辞にも縁起が良いとは言えない二つ名である。

 船影は軽く、見積もっても三百メートルを超えていた。
 巨大ではあるが軍船としてはそれほど、大きいとは言えない部類に入る。
 しかし、この船が潜水艦であることを考えれば、やはり巨大と言わざるを得ない。

 艦首部分は長く、すらりとした細身で流線形の船体に闇を纏ったような黒の塗装が施されており、どことなく攻撃性を秘めた見た目は鮫や鯱を思わせる。
 船体の両弦から、張り出すはしけに似た補助船体にはまるで彩りを加えるような純白の美しい翼が広がっていた。
 艀には各々二基の推進装置が備え付けられているが、スクリュープロペラの類は見当たらない。
 この推進機には海中の電流と磁場により発生するローレンツ力を推進力として、利用する電磁推進と呼ばれる方式が採用されているのだ。

 船体後方艦橋が配置されており、その前方には三連装の主砲が二基、設置されている。
 艦橋と主砲の下部にあたる箇所には格納庫も存在しており、ハッチからは射出装置の備えられたカタパルトデッキが伸びていた。
 この潜水艦が単なる潜水艦ではない『潜水空母』であることを示唆していた。

 コードネームはグレイゴーストともナグルファルとも呼ばれる潜水母艦と言うべきこの船の本当の名は『ヨルムンガンド』である。
 奇しくもユリナヘルの兄にあたるイェレミアスヨルムンガンドと同じ名を持っているが偶然ではない。
 なぜなら、建造しているドックと同じく、このヨルムンガンド号も全てがオートメーションされているからだ。
 無人での航行をも可能にする秘密は船を管理するバイオコンピュータ『ヨルムンガンド』にある。

 このバイオコンピュータには人格を移植したオペレーションシステムが搭載されている。
 これは建前の話であり、実際には人格どころではなく、本当に『ヨルムンガンド』の魂を宿した生体CPUと言っても過言ではない代物だった。

 なぜ、秘密裏に建造されている『潜水空母』に『ヨルムンガンド』の魂を移植したバイオコンピュータが積まれているのか?
 それを語るにはユリナの境遇と彼女の兄イェレミアスヨルムンガンドについて、語る必要があった。
 彼らの祖父は神々アース神族の王であり、祖母は魔女の女王である。
 生まれる前から、強大な力を持ってこの世に誕生することが運命づけられていたとも言える。
 ユリナにとって、不運だったのは強すぎる力に耐えられる体を持たず、生まれたことだった。
 その為、生まれながらにして体が耐えきれず、自壊したのだ。

 このままでは物心をつく前にユリナは生涯を終える可能性が高いと判断された。
 そこで考えられたのが魔槍グングニルを使った強制的な融合手術だった。
 妹を救うべく、迷わず命を差し出したヨルムンガンドのお陰で何者にも倒されない強靭な肉体を手に入れたユリナだが、長らくその体の中には二つの魂が存在したままだったのだ。

 ユリナは不安定な状況に終止符を打つべく、兄のを用意し、実行に移した。
 グングニルを模して作られたユグドラシルを用い、ヨルムンガンドの魂を新たな肉体へといざなった。
 かくして誕生したのが技術の粋を集めた最新鋭の『潜水空母ヨルムンガンド号だった。
 深海に潜む黒き大蛇が鋼鉄の体を纏い、再誕した。

 来るべき日に備え、秘密裏に建造されたこの船に隠された秘密はまだまだあるのだが、それはまた別の話である。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

陛下から一年以内に世継ぎが生まれなければ王子と離縁するように言い渡されました

夢見 歩
恋愛
「そなたが1年以内に懐妊しない場合、 そなたとサミュエルは離縁をし サミュエルは新しい妃を迎えて 世継ぎを作ることとする。」 陛下が夫に出すという条件を 事前に聞かされた事により わたくしの心は粉々に砕けました。 わたくしを愛していないあなたに対して わたくしが出来ることは〇〇だけです…

セレナの居場所 ~下賜された側妃~

緑谷めい
恋愛
 後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

私が死ねば楽になれるのでしょう?~愛妻家の後悔~

希猫 ゆうみ
恋愛
伯爵令嬢オリヴィアは伯爵令息ダーフィトと婚約中。 しかし結婚準備中オリヴィアは熱病に罹り冷酷にも婚約破棄されてしまう。 それを知った幼馴染の伯爵令息リカードがオリヴィアへの愛を伝えるが…  【 ⚠ 】 ・前半は夫婦の闘病記です。合わない方は自衛のほどお願いいたします。 ・架空の猛毒です。作中の症状は抗生物質の発明以前に猛威を奮った複数の症例を参考にしています。尚、R15はこの為です。

王子妃だった記憶はもう消えました。

cyaru
恋愛
記憶を失った第二王子妃シルヴェーヌ。シルヴェーヌに寄り添う騎士クロヴィス。 元々は王太子であるセレスタンの婚約者だったにも関わらず、嫁いだのは第二王子ディオンの元だった。 実家の公爵家にも疎まれ、夫となった第二王子ディオンには愛する人がいる。 記憶が戻っても自分に居場所はあるのだろうかと悩むシルヴェーヌだった。 記憶を取り戻そうと動き始めたシルヴェーヌを支えるものと、邪魔するものが居る。 記憶が戻った時、それは、それまでの日常が崩れる時だった。 ★1話目の文末に時間的流れの追記をしました(7月26日) ●ゆっくりめの更新です(ちょっと本業とダブルヘッダーなので) ●ルビ多め。鬱陶しく感じる方もいるかも知れませんがご了承ください。  敢えて常用漢字などの読み方を変えている部分もあります。 ●作中の通貨単位はケラ。1ケラ=1円くらいの感じです。 ♡注意事項~この話を読む前に~♡ ※異世界の創作話です。時代設定、史実に基づいた話ではありません。リアルな世界の常識と混同されないようお願いします。 ※心拍数や血圧の上昇、高血糖、アドレナリンの過剰分泌に責任はおえません。 ※外道な作者の妄想で作られたガチなフィクションの上、ご都合主義です。 ※架空のお話です。現実世界の話ではありません。登場人物、場所全て架空です。 ※価値観や言葉使いなど現実世界とは異なります(似てるモノ、同じものもあります) ※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。

娼館で元夫と再会しました

無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。 しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。 連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。 「シーク様…」 どうして貴方がここに? 元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!

処理中です...