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第32話 抱かれたい歌姫

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 そして、その日の夜のことである。
 麗央に悲劇が訪れる……。

 ユリナと麗央は就寝前にある程度の余裕をもって、入浴を済ませている。
 二人揃ってお風呂に入るという選択肢が選ばれることはあまりない。
 麗央もさすがに生き地獄を味わうだけと思い知っているからだ。

 その為、一緒にお風呂へ入る場合、なぜか水着の着用が義務付けられていた。
 その状態でも麗央にとって、常に理性と戦わねばならない過酷な時間であるのは変わらない。
 水着を着ているとはいえ、事あるごとに体を密着させユリナが甘えてくる。
 無自覚で迫って来る相手ほど、恐ろしいものはなかった。
 ユリナを相手に自制しているだけで無駄に疲れると麗央は身をもって学習したのである。

 そして、麗央が一番風呂に入るのが暗黙の了解ルールである。
 理由を聞かれたユリナは「妻は三歩後ろを歩く方がいいんだって。夫を立てるいい奥さんぽいでしょ?」と慌てて、誤魔化す。
 麗央は何となく、察していた。

 長い付き合いである。
 ユリナが極度の猫舌なのを知らない麗央ではない。
 麗央が温いと感じるお茶であっても氷を入れて、ふぅふぅとよく冷ましてからでないと飲めないほどに酷い。
 肌の方も弱いらしく、麗央が温いと感じる温度でさえ、彼女にとって苦痛なものらしい。
 麗央に入ってもらうことで少しでも温度が下がり、入りやすくなったお風呂にゆっくりと浸かりたい。
 それがユリナの魂胆であることを……。

 ただ、麗央は知らない。
 麗央が浸かっていたお湯でユリナが「あぁん。麗央に包まれているみたいで幸せぇ♪」とだらしない顔で長風呂をしているとは……。



 この日も入浴を先に済ませた麗央はこれまた、就寝前のルーチンワークと言うべき、適量のミネラルウォーターを飲みながら、ぼんやりとテレビを見ていた。

 偶然、『歌姫』リリーのことが取り上げられている。
 若い世代を中心に多大な影響を及ぼし、世界進出も夢物語ではないリリーについて、パネラーが議論するバラエティー番組だった。
 新たな希望となりうる存在が日本から、発信してくれることを好意的に受け止めようとする肯定派と因果関係については不明とされている意識不明者事件との関連性や歌に含まれたメッセージの危険性を指摘する否定派が、白熱した議論を繰り広げている。

(こんなに意見が食い違っていても話し合いが出来るのは人間のいいところだよなぁ)

 人間は面白い生き物だと麗央は改めて、感じている。
 麗央の母親は普通の人間だったので彼は半人半妖とも半神とも言うべき、不安定な存在だった。
 それでも善き師と親に恵まれたこともあり曲がることなく、弱き人々を守ろうとする正しい心を持って育った。

 そんな麗央も体が成熟してくるに従い、過酷な決断を迫られることになる。
 今後、人として生きるのか、それともあやかしとして生きるのか。
 一度、選択してしまえば、二度と後戻りは出来ない究極の選択だったが、彼は迷わずあやかしであることを選んだ。

 人間が好きでこの世界を愛している麗央だったが、人として生きることを選ばなかった。
 純血のあやかしであるユリナとともに同じ世界を見て、同じ時を刻むことを望んだのである。
 だから、否定派のパネラーが、ユリナをあしざまに悪く言うのを見ると怒りよりも彼女の心が理解されていない悲しみの方が強かった。

(みんな、リーナのことを知らないから、しようがないよなぁ。でも、彼女がみんなに見られるのも嫌だしなぁ)

 男女の機微に疎く、心はいつまでも少年のようだった麗央も唯一、その世界の『歌姫』を独占出来る立場にあることで独占欲らしきものが遅まきながら芽生えたらしい。
 誰も知らないユリナの顔を知っている。
 「そう丁度、そんな顔をしていて」と麗央は他人事のように思った。
 お風呂上がりのユリナが丁度、出てきたので偶然、見つめ合うように視線が交錯したのだ。

 まだ、水分の抜けきれていないプラチナ色の髪が瑞々しい肌に張り付き、ほんのりと上気した肌と相まって、何とも艶めかしい。
 髪を下ろしていることもあり、普段の少女らしさが抜けているせいか、幾分大人びて見えた。

「ねぇねぇ。今夜から、抱いて欲しいんだけど」

 無造作にバスタオルを巻いただけというしどけない姿でユリナが放った衝撃的な一言に「ぶはっ」と危うく、口に含んでいたミネラルウォーターを吐き出しそうになり、盛大に咽る麗央だった。
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