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第20話 備忘録CaseII・魔女
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男――揖斐勇は体に奇妙な違和感を抱きながら、目を覚ました。
二十五歳というまだ若さに溢れた年齢である。
スポーツマンとしてそれなりに鍛え上げた体をなぜか、異常に重たく感じていた。
勇はふと視線を下ろし、その違和感の正体に気が付いた。
自分の物にしては小さく見えるその手は泥で汚れており、皺だらけだった。
「なんだ、これ? どうなっているんだ」
絞り出すように出た声は、しわがれているものの女性のものである。
おかしい。
全てがおかしい。
勇の心臓が早鐘を打つように激しく、冷や汗が背を伝っていく。
勇にはこの状況を冷静に捉えるだけの度胸と知恵がある。
どうなっているのか、昨晩の出来事を思い出すことにした。
どうにもならない母親に育てられた勇は、その母親からも捨てられ、養護施設で育った。
勇にとって、幸運だったのは天性の才と言うべき、秀でた知性と身体能力……そして、母親譲りの美貌だった。
本人の努力もあり、人生の成功者と言うべき社会的な地位に就いた。
誰もが羨むエリートの道を歩む青年。
傍目にはそう見えていた勇だが、彼の中でただ明るい道を歩くだけの人生はどうにも我慢出来ないものだった。
その心の中でやがて、鎌首をもたげたのが殺人衝動である。
もっとも憎むべき魔女は既にこの世にいない。
自分が手を下す前に母親は既に天国に旅立っていた。
末期癌に侵されていた母親は年齢よりも老け、かつての若々しく男を惑わす美貌の女ではなくなっていた。
己が捨てた子に引き取られ、「ありがとう」と心の底から礼を言う心の弱い者になっていた。
復讐すべき相手を目の前にしながら勇は、結局復讐することが出来ず、母親が安らかな旅路を送れるようにと祈り、見送った。
残ったのは激しく燃え上がるような殺人衝動だけだった。
母親のように汚らわしき魔女を十二人退治したのだ、と勇は誇ることが出来ない蛮勇を心の中で叫ぶ。
そして、その日も十三人目の魔女を探そうと夜の町に出たところ、勇は『あの歌』を聴いてしまったのだ。
「夢か? 嫌な夢だ。趣味の悪い悪夢だな」
勇が独り言つ。
聞いている者など誰もいない。
粗末な庵のような建物で暮らしている女性の夢を見ているのだろうと勇は、見当を付けていた。
満たされない暮らしぶりをしているとしか思えない屋内の荒れようにしわがれた声と荒れ果てたがさがさの手。
勇は思わず、悪態をつきたくなるのを我慢し、どっこらしょと重い腰を上げた。
「…………」
視線を上げるとその少女と目が合った。
おさげにしている髪は栗色で瞳の色は深い海のような濃い青の少女だ。
色白だがそばかすだらけの顔は鼻筋が通っており、奥目である。
着ている服もいささか、時代がかった物で海外ドラマの時代劇で見かけたことがある物によく似ていると勇は気付いた。
自分が見ている夢は日本ではないらしいと知った勇だがさすがにどう動けばいいのか、分からない。
「メアリーがいたわ! 魔女が戻ってきたわ!」
先に動いたのは少女の方だった。
金切り声を上げ、大きな声で叫んだのだ。
がやがやと騒ぐ大勢の人間の気配と飛び交う怒号に激しい靴音。
勇はまずいことに巻き込まれたのだと悟ったものの夢に過ぎないとどこか、楽観視していた。
庵の扉を乱暴に開け、入ってきた男が自分に向け、拳を振り上げるのを他人事のように感じながら、激しい衝撃と痛みとともに勇の意識は再び、闇の底に沈んでいった。
二十五歳というまだ若さに溢れた年齢である。
スポーツマンとしてそれなりに鍛え上げた体をなぜか、異常に重たく感じていた。
勇はふと視線を下ろし、その違和感の正体に気が付いた。
自分の物にしては小さく見えるその手は泥で汚れており、皺だらけだった。
「なんだ、これ? どうなっているんだ」
絞り出すように出た声は、しわがれているものの女性のものである。
おかしい。
全てがおかしい。
勇の心臓が早鐘を打つように激しく、冷や汗が背を伝っていく。
勇にはこの状況を冷静に捉えるだけの度胸と知恵がある。
どうなっているのか、昨晩の出来事を思い出すことにした。
どうにもならない母親に育てられた勇は、その母親からも捨てられ、養護施設で育った。
勇にとって、幸運だったのは天性の才と言うべき、秀でた知性と身体能力……そして、母親譲りの美貌だった。
本人の努力もあり、人生の成功者と言うべき社会的な地位に就いた。
誰もが羨むエリートの道を歩む青年。
傍目にはそう見えていた勇だが、彼の中でただ明るい道を歩くだけの人生はどうにも我慢出来ないものだった。
その心の中でやがて、鎌首をもたげたのが殺人衝動である。
もっとも憎むべき魔女は既にこの世にいない。
自分が手を下す前に母親は既に天国に旅立っていた。
末期癌に侵されていた母親は年齢よりも老け、かつての若々しく男を惑わす美貌の女ではなくなっていた。
己が捨てた子に引き取られ、「ありがとう」と心の底から礼を言う心の弱い者になっていた。
復讐すべき相手を目の前にしながら勇は、結局復讐することが出来ず、母親が安らかな旅路を送れるようにと祈り、見送った。
残ったのは激しく燃え上がるような殺人衝動だけだった。
母親のように汚らわしき魔女を十二人退治したのだ、と勇は誇ることが出来ない蛮勇を心の中で叫ぶ。
そして、その日も十三人目の魔女を探そうと夜の町に出たところ、勇は『あの歌』を聴いてしまったのだ。
「夢か? 嫌な夢だ。趣味の悪い悪夢だな」
勇が独り言つ。
聞いている者など誰もいない。
粗末な庵のような建物で暮らしている女性の夢を見ているのだろうと勇は、見当を付けていた。
満たされない暮らしぶりをしているとしか思えない屋内の荒れようにしわがれた声と荒れ果てたがさがさの手。
勇は思わず、悪態をつきたくなるのを我慢し、どっこらしょと重い腰を上げた。
「…………」
視線を上げるとその少女と目が合った。
おさげにしている髪は栗色で瞳の色は深い海のような濃い青の少女だ。
色白だがそばかすだらけの顔は鼻筋が通っており、奥目である。
着ている服もいささか、時代がかった物で海外ドラマの時代劇で見かけたことがある物によく似ていると勇は気付いた。
自分が見ている夢は日本ではないらしいと知った勇だがさすがにどう動けばいいのか、分からない。
「メアリーがいたわ! 魔女が戻ってきたわ!」
先に動いたのは少女の方だった。
金切り声を上げ、大きな声で叫んだのだ。
がやがやと騒ぐ大勢の人間の気配と飛び交う怒号に激しい靴音。
勇はまずいことに巻き込まれたのだと悟ったものの夢に過ぎないとどこか、楽観視していた。
庵の扉を乱暴に開け、入ってきた男が自分に向け、拳を振り上げるのを他人事のように感じながら、激しい衝撃と痛みとともに勇の意識は再び、闇の底に沈んでいった。
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