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第9話 まさか愛する人のために

9-(6) 瞳を見せてくれないか

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 うとうとしている内に、僕は正装に着替えさせられていた。いっぱい重ね着しているのに、上着はとても軽くて涼しい。

「あいつの作った魔法陣を貼ってあるからな」

 とレオは言った。

「あいつ……?」

 レオはそれ以上説明せずに僕の頭をぽふぽふと撫でた。

「大事なお守りも首にかけてあるから」
「はい、ありがとうございます」

 ゴォン、ゴォン……と鐘の音が聞こえ始める。

「ほら、ちょうど昼の6時だ」

 レオに抱かれて連れてこられたのは、さっきと違って石造りの古そうな部屋だった。ジュリアンを先頭に、その後ろに付き従うカイル、フィル、それからレオに抱かれた僕、あと魔法省の魔導士さんが十人以上、ぞろぞろと部屋に入っていく。

 広い部屋の壁には、かなりの年代物っぽい大きなタペストリーが何枚も飾られているのが見えた。それぞれ、この国の歴史の一場面を描いたものだと思うけど、その中で僕に意味が分かったのはたった一枚だけだった。

 満月の下で魔法使いの男の子が二人、向かい合っている図柄のもの。一人は片手を高く掲げていて、そこから黒いもやみたいなものが出ている。もう一人は剣を掲げていて、その黒い靄を吸い込んでいる。いつかジュリアンが話してくれた双子の魔導士のお話だ。

 僕はレオに降ろしてもらって、タペストリーの近くに行って見上げた。

「ジュリアン様、あれ……ジュリアン様がお話してくれたこの国の名前にまつわるお話ですよね」
「ああ……」

 ジュリアンは僕を見る目を細めた。

「私の話したことは……覚えていてくれたのだな」
「はい、ジュリアン様のことは忘れないと約束しました」

 ジュリアンは小さく「リュカ」と呟いて、その後、少し困ったような顔をして僕の頭をぽふぽふと叩いた。
 リュカと呼んでくれても、大丈夫なのにな。

「レアンドル、ポーションを持ったか。転移陣を使った後はちゃんとリュ……ヨウスケに飲ませろよ」

 フィルがレオに確認している。

「もう無理せずリュカでもいいぞ。陽介本人がそれでいいって言ってるんだし」
「そ、そうか? では……リュカを頼むな」
「ああ、大丈夫だ。ポーションも着替えも非常食も魔石も全部この中に入っている」

 と、レオが腰に下げた赤い革のバッグをポンと叩いた。

 あ、あれはマジックバッグだ。
 と思ったけれど、ええと……それは誰に教えてもらったんだっけ……?

 レオが僕の手を引いて部屋の真ん中へ向かう。
 その石の床のところに直径1メートルくらいの小さな魔法陣の模様が掘ってあった。

「これ、王都にある転移陣なのに、ずいぶん小さいんですね」

 こんな広い部屋に設置するには、あまりにも小さすぎるように感じるけど。

「ああ、大量に人を送れるような転移陣は防衛上危ないからな。作れるのはこの大きさまでって、世界教会の基準で決まっているんだ」
「へぇ……どこの国もちゃんと基準を守っているんですか」
「ああ。世界教会の定めたルールを破ると、罰が下るからな」
「神様の罰ですか」
「いや、俺の罰だ」
「え?」

 驚く僕に、レオが歯を見せてニカッと笑う。

「俺が天罰の代りをするんだと。ルールを破る国が現れると、まずは世界教会に神からのお告げってのがあるらしい。つまり、教皇の婆さんの神託だな。それを受けて勇者が罰を下しに行くシステムになっているらしい」
「じゃぁレオが天罰の代りをするんですか? 勇者様って、やっぱりすごい大役なんですね」
「まぁ、俺の代では今のところ、神の罰を受けるような悪さをしたところは無いんだけどな」

 僕は首を傾げた。

「魔族の国が戦争を起こしたことは大丈夫なんですか?」
「ああ、それな」

 と、レオが僕に指先を突き付ける。

「日本人の感覚からすると、それって絶対おかしい気がするよな!」
「はい、おかしいです」
「でもさ、神様からのお告げがあるのは、あくまでもルール破りの時だけなんだと。国同士の争いには、よほどのことが無い限り神様は無関心らしい」
「え、そうなんですか……?」

 戦争するといっぱい人が死んでしまうのに?

「そうそう、そんな顔になる気持ちは分かる。でもな、この世界の教会も神様も、別に平和を守るためにあるんじゃないんだ。世界のバランスを取るために存在しているんだと」
「世界の、バランス……?」

 僕がまた首を傾げていると、レオが耳元に口を近づけてきてこそっと言った。

「実は俺もいまだによく分からん」
「ええ、レオ?」

 レオはくくくっと笑っている。
 勇者がそんなことでいいんだろうか?

 まったく悪びれないレオを見ていて、僕はふと疑問に思った。
 そういえば、レオはたまに『皆殺し』とか怖いことを言うんだけれど……。

「あの……」
「ん?」
「あの、もしも、レオが悪いことをしたらどうなるんですか?」

 レオはぷっと小さく噴き出した。

「ああ、それ、思うよなぁ。俺みたいな気性の男が、すげぇ力を持っていて大丈夫かって」
「え、そこまでは」
「いいんだ。俺自身も考えたし。あっちの世界では、ヒーローとかの正義側が闇落ちするような創作物って意外に多かったしな。でも、こっちの世界でそれは起こり得ないそうだ」
「起こり得ない?」
「ああ、最後まで勇者を貫ける者しか勇者になれない……らしい。勇者になれる者は、どんなことがあっても闇落ちを回避できる幸運を持っている、らしい」
「らしい?」
「俺自身にそんな実感は無いんだが、教皇の婆さんがそんなことを言っていたんだ。勇者になったってことは、勇者の運命を持って生まれたってことだって」
「勇者の運命って、なんかカッコいい」
「だろ?」

 勇者が絶対に闇落ちしないっていうのは少し分かるような気がした。レオは口ではいろいろと乱暴なことを言うけど、本当はいつだって優しい人だから。

「あのー、準備はよろしいですか」

 僕達がいつまでも話しているので、並んでいた魔導士さんの一人が聞いてきた。

「おっと、悪い。すぐに頼む」

 ジュリアンとフィルが見守る中、二人で転移陣の真ん中に立つ。

「くれぐれも気を付けろよ」
「何かあれば、すぐこちらに知らせよ」
「おお、分かった」

 レオは返事して僕を抱き寄せた。

「陽介、くらくらするから俺につかまっていろ」
「はい」

 魔導士さん達が順番に近付いてきて、床に掘られた魔法陣にカチリ、カチリ、と魔石を嵌め込んでいく。
 ぽうっと床の模様が光り始め、眩しいくらいの光に包まれて何も見えなくなった。




「うわ、わ、わ、わ」

 ぐるぐる眩暈がして視点が定まらない。
 ただ、さっきより暗いところに来たのは分かった。
 でも壁が黒いのか窓の外が暗いのか、視界が回っていてよく分からない。

 聖職者っぽい数人の男女が見えた気がするけど、ううっだめだ、酔ったみたいでちゃんと見れない。

「陽介、しばらく目を閉じていた方がいい」
「は、はい……」

 僕は言われた通りに目を閉じて、レオにしがみついた。

 心配そうな若い男の人の声が聞こえる。

「転移酔いか。ポーションを用意しようか」
「いや、自分で持ってきたから」
「そうか。勇者殿は教皇様との面会希望だったな。案内しようか」
「大丈夫だ。少し休んでからゆっくり行くよ」
「では、我らも今は忙しい。先に退室させてもらってもいいか」
「ああ、悪かったな、忙しい時に」
「いや、かまわない。それでは」
「ああ」

 数人の足音が遠ざかっていく。
 こっち側の転移陣の部屋にも、いっぱい人が待っていたらしい。
 正常に転移できたか見守っていたのかな?
 それとも手続きしていない人が来たりしないか見張っていたのかな?

 レオは僕の背中をポンポンと叩く。

「少し落ち着いてからポーションを飲もう。すぐだと吐いちゃうこともあるからな」
「わ、分かりました」

 ジェットコースターにむりやり乗せられたような眩暈は、まだ続いている。
 レオが僕を抱き上げて数歩進み、ベンチか何かにゆっくり座った。
 大きな手が背中をさすってくれるのに合わせて、僕は大きく深呼吸した。

「おや、これはこれは勇者殿」
「なんと、こんなところで会えるとは」

 急に男の人達の声が聞こえて、何人かの足音が近づいて来る。
 さっきまでいた聖職者の人達とは違うみたいだ。声の感じだと、年配者かな。

「レアンドル」

 低音の響きの良い声がレオを呼ぶ。

「ずいぶんと久しいな」

 堂々とした威厳のある声だ。

「なんだ、誰かと思ったらジュリアンの親父か」

 レオが面倒そうに答える。

 え? ええ? ジュリアンの親父?
 それって、王様だよね?
 ひょえ、ご挨拶しなくちゃ。
 でもどうしよう、僕、礼儀作法とか分かんないよ。

 僕が焦って身動みじろぎすると、レオが僕のまぶたの上に手を置いた。

「そのまま休んでいていいから」
「で、でも」

 慌てる僕の様子を見たからか、失笑するような声が聞こえる。

「ふむ、それが例の悪名高い愛玩奴隷か」
「悪名?」

 王様らしき人に僕のことを言われて、レオの声が険のあるものになる。

「ああ。例の、勇者をはじめ数々の男を虜にし、魔族の王子までもたぶらかしたという大淫魔であろう」
「なんだと!」

 レオの怒りで空気がビリッと震えた。
 ひいぃっと、何人かの大人の怯えた声が聞こえる。
 僕も同じように身をすくめたけど、王様らしき男の人は平気な様子で笑った。

「あくまでも噂だ、噂。本気にするな、レアンドル」
「身分ある大人が、軽々しく噂を口にするんじゃねぇ」
「その通りですよ。かの国の方々もレアンドルも、ここでは静かに、穏やかに、平和にふるまうこと。でないと、壁が破れてしまいますよ」

 凛とした響きの女の人の声がして、その場の空気ががらりと変わった。
 なんだか、急に改まった感じで、静かな緊張感が漂う。

「婆さん……」
「レアンドル、良く来ましたね。私に話があるのでしょう?」
「ああ、ちょっと聞きたいことがあったんだ」

 さっきから登場人物が増えていくのに、レオが目の上から手をどけてくれないので、どういう状況なのか僕にはいまいち把握できない。

「かの国の方々は会議の場にお戻りくださいな。さぁ、レアンドルは私と一緒に……」
「お、悪いな」

 レオが僕を抱いたまま立ち上がった。

「んじゃな。おっさん、たまにはジュリアンに会ってやれよ」

 レオがどこまでも気軽に挨拶をする。

「ま、待ってくれ」

 なぜか王様の声が僕達を引きとめた。

「そ、その子の顔を……瞳を、見せてくれないか……?」

 聞こえてきた言葉に首を傾げる。
 その子って、僕のこと?

「はあ? 何だってあんたなんかに……」
「レアンドル、見せておやりなさい」
「は? 婆さんまで、なんでだよ?」
「そうケチケチしなくても、ただ見せるだけで良いのですから」

 女の人に言われて、レオはしぶしぶというように僕のまぶたから手を外した。

 な、なんだろう? 
 僕、注目されているの?

 なぜかしんと静まり返った中で、僕はそっと目を開けてみた。

 目の前にジュリアンとよく似た銀髪の壮年男性が立っている。さすが王様というか、豪華な正装の上に分厚いマントまで付けているけど、想像とは違って頭の上に王冠は載っていなかった。
 その王様が、青い目でじっと僕の顔を見つめている。

 えー、なになに?
 なんで王様は僕に興味があるの?
 あ、もしかして淫魔とか呼ばれているから、それで興味津々なのかな?

 王様がまだ僕をじっと見ている。

「少し、笑ってみてもらえるか?」
「え、は、はい……」

 ぼくはちょっとひきつりつつ、笑顔を作った。

 王様の青い目は蔑むような感じでもないし、いやらしい感じでもなくて、いったい何を思って僕を見つめるのかさっぱり分からなかった。

 何だか偉い人に見つめられるのが気まずくて困っていると、女の人が王様と僕の間にすっと入ってきた。

「その目で見たのですから、もう良いでしょう。あなたとこの子はもう二度と会うことはありません。あなたの人生とこの子の人生は、今までも、そしてこれからもまったく関りの無いものなのですよ」

 この女の人、王様相手に上から物を言っている。
 偉い人なのかな?
 腰まである白い髪を後ろで緩く三つ編みにしている。
 その後姿だけだと、特に怖そうでもないけれど。

「よろしいですね?」

 彼女が言い聞かせるような口調で言うと、王様は小さくうなずいて、何も言わずにきびすを返して去っていった。お付きの人らしき男の人達が慌てたように追いかけていく。

 よく分からない緊張状態が終わってホッとしていると、その凛とした声の主がくるりと僕を振り返った。

 うお! すごい美人だ。
 し、しかも、み、耳が尖っているー!
 も、もしかしてエルフ?
 エルフなの?
 この世界に来て、やっとエルフに初遭遇なの?

「なんだったんだ、いったい?」

 レオが眉をしかめると、美人エルフはフフフと笑った。

「聞いた通りですよ。あの方とこの子の間には何の関りもありません」

 そりゃそうだ。
 王様と奴隷に関りなんてあるはずがないのに、なんで念を押すようなことを言ったんだろ?

「ふうん……。ま、いいや。久しぶりだな、婆さん」
「まぁ、相変わらずですね、あなたは。教皇様と呼びなさい、教皇様と」
「へぇへぇ。教皇様は本日も麗しくあらせられる……」

 と、レオがおどけた調子でウィンクする。

「き、教皇様!?」

 わわわ、またまた偉い人に会っちゃった。
 礼儀作法とかほんと分からないんだけどどうしよう。

「陽介、この婆さんに対して堅苦しくする必要はねぇぞ」
「え? 婆さん? こんなに若いのに?」

 僕が言うと、教皇様は嬉しそうにおほほと笑った。

「まぁ、若いなんて嬉しいこと」
「もう二百歳越えの若作り婆さんだぞ」
「ほんとにレアンドルは失礼だわ。エルフではまだ若い方なのに」

 教皇様がぷくっと頬を膨らませる。
 う、めちゃくちゃかわいい。
 ほんとに二百歳なの?

 美人エルフ、もとい教皇様は髪も肌も白くて、いかにも聖職者が着るようなゆったりした衣装を着ている。それは透けそうで透けない不思議な生地で出来ていた。白っぽいけれど、時々うっすらと紫がかった色にも見えて、幻想的できれいだった。

 僕はレオの腕から降ろしてもらって、教皇様に笑いかけた。

「あの、は、はじめまして。僕は陽介と言います。レ……勇者様の専属奴隷です」
「あら、レアンドルと違って、ちゃんと挨拶が出来るのですね、ヨースケ」

 教皇様は微笑んで、僕の体に手をかざした。暖かい光が降り注いでくると同時に、まだ少し残っていた酔いの気持ち悪さがスッと消えた。

 これは癒しの魔法だと分かったとたんに、また頭の奥で何かがちりちりし始める。

 いつも誰かが、同じように癒しの魔法をかけてくれていたような……。
 教皇様の手よりも大きくて、長く形の良い指をしていて、いつでも僕を守ってくれていた手……。
 あれは、誰の手だったのかな……?






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