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第二章 俺とあきらの崩れる日常

2-(1) ざわめき

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 一限目と二限目の間の10分休みに、知らない男子生徒がクラスに走り込んできて、ぱしっと俺の机に手をついた。

「倉橋、ちょっといいか?」

 その勢いで落ちそうになったペンケースをつかんで、俺は彼を見返した。

「ちょっと?」
「久豆葉ちゃんのいないところで話がしたいんだけど」

 久豆葉というのはあきらの苗字だ。ちゃん呼びに少し驚いたが、俺は自分の机をこつんと指で示した。

「それならここで話せばいい」

 あきらと俺はクラスが違う。
 『あれ』の気配でもない限り、10分休みにまであきらがここに来ることはない。

「ああー、人がいっぱいいるところもちょっと」

 と、その男子生徒が内緒話でもするように周囲を見回した。
 彼が首を動かすのに合わせて、後頭部の高い位置で縛られた長髪がひょこひょこと揺れるのが見える。

「なぁ、それって校則違反じゃないのか?」
「え?」
「随分長いようだけど」
「ああ、これか」

 彼はシッポのような髪を指でつかむと、毛先をプラプラと揺らした。

「肩より長い髪は黒いゴムでまとめること。校則で決められているのはそれだけっしょ」
「そう、だったか……?」
「今はジェンダーの問題にうるさい時代だからさ。うちの学校は先進的な校風を売りにしていて、男子と女子で校則が違ったりしないんだよ。極端なことを言うと、指定のものなら女子がズボンを履いてもいいし、男子がスカートを履いてもいいんだ」
「それは、知らなかった……」
「まぁな、建前ではそうだけど実際にスカート男子が受け入れられるほどリベラルじゃないし」
「そうか。俺も差別するつもりは無いけど、びっくりしてじろじろ見ちゃうかもな」
「はは、正直だな。まぁ俺はファッションで髪を伸ばしているだけだけど。清潔で勉学の邪魔にならなければOKってこと」

 ニカッと快活に笑うと、彼は右手を差し出してきた。

「1年D組ミコガミレン、どうぞよろしく!」
「あ、ああ、よろしく」

 勢いに押されてその手を握る。

「ミコガミってのは珍しい苗字だな」
「よく言われる。こういう字を書くんだ」

 と、ミコガミはわざわざ生徒手帳を開いて見せてくる。
 そこには顔写真の横に『御子神蓮』と記されていた。

「子供の神様……いや、神様の子供か? 家は神社か何かなのか?」
「いんや、両親ともに運び屋だぜ!」

 御子神は顔の横で右手の親指をビシッと立てる。
 いちいち動作が大げさな男だ。

「運び屋?」

 俺が首を傾げると、彼はニッと唇を釣り上げた。

「別名、セールスドライバーともいう」
「ああ……」
「あれ? 面白くなかった? 久豆葉ちゃんはめっちゃ笑ったのに」
「お前、あきらの友達なのか?」
「そう、めっちゃくちゃ友達だぜ!」
「めっちゃくちゃ友達か」

 その言い方にくすっと笑ってしまう。
 あきらは天然の人たらしだ。御子神もタラされた人間のひとりということらしい。

「うーむ、意外や意外」

 御子神がまじまじと俺の顔を見てくる。

「え、何が?」
「久豆葉ちゃんったら何度遊びに誘っても、友哉と先約があるからーって毎度毎度断るからさ。倉橋友哉って男は、すげぇ独占欲の塊みたいなやつなのかと思っていたのに」
「俺が……?」

 独占欲であきらと一緒にいるわけではないのだが、『あれ』のことを知らない相手にはそう見えるのか。

「でも、話してみると意外にまともだ。ちょっと拍子抜け」
「はぁ、それはどうも」
「うん、やっぱ来てみて良かった。久豆葉ちゃんのことで話があるんだけど、どっかで……」

 その時、予鈴が鳴り響いた。

「あーっと、とりあえず次の10分休みにまた来る」
「じゃぁ、非常階段でどうだ?」
「OK! あ、それと俺のことはレンでもミコッチでも好きに呼んでくれ」
「ミコッチ……?」

 聞き覚えのある愛称だ。そういえば、あきらの話の中で何度もその名前を聞いたことがある。

「ああ! あんた、武勇伝いっぱいのミコッチか!」
「はー? なんだよそれぇ」
「あきらから色々聞いているよ」
「色々って何だよ」
「そりゃもうイロイロだ」

 相手が噂のミコッチだと分かって、俺の中の警戒心は一瞬で消え失せた。あきらの話すミコッチという人物には、裏表がぜんぜん無くて好感を持っていたのだ。

「うわー、イロイロが気になるけどもう行かねぇと!」

 御子神はくしゃっとした笑顔を見せると、軽く手を上げて、来た時と同じように走って教室を出て行った。




◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 次の10分休み、俺と御子神は非常階段の踊り場にいた。
 教室の移動でこの階段を使う生徒も時々いるが、わざわざ立ち止まって人の話を盗み聞こうとする者はいない。

 御子神は白いペンキの塗られた柵に寄り掛かって、おもむろに聞いてきた。

「倉橋は、久豆葉ちゃんの周りで違和感を覚えたことってないか?」
「違和感? 例えばどんな?」

 『あれ』に関係することだろうか?
 俺とあきらはいつも同じ日に学校を休むし、一緒に早退するし、数日前の昼休みの騒ぎも噂になっているだろうから、違和感というものには心当たりがありすぎる。

「うーん……久豆葉ちゃん本人は前から何も変わっていないようなんだけど、周りが少しずつ変になっているというか」
「変?」
「みんな久豆葉ちゃんを目で追ってるんだ」
「そりゃファンの女子生徒は……」
「違う。クラス全員なんだよ。女子だけじゃなくて、男子も、担任も」
「先生まで?」

 確かD組の担任は中年の男性教師だったはずだが。

「この前、ええと二週間くらい前のホームルームの時間だったんだけどさ。連絡事項をつらつら話していた先生が、急にぴたっと黙り込んだんだ。で、何だろうと思って顔を上げたら、久豆葉ちゃんがウトウトしちゃっているのが見えた」
「怒られたのか」
「ううん。先生はじーっと久豆葉ちゃんを見つめているだけで、怒るどころか注意もしなくてさ。何かおかしいと思って周りをきょろきょろしたら、先生だけじゃなくてクラス全員が居眠りする久豆葉ちゃんをじーっと見つめていて、まったく、1ミリも、動かないんだ」
「は……?」

 ぞわっと背筋が寒くなる。

「怖いだろ、ゾクッと来るだろ」

 俺は何と言っていいのか分からず、片手で口を押えた。

「それから俺はクラス内を注意深く観察するようになって、もっと気味の悪い事実に気付いてしまったんだよね、聞きたい? 聞きたいよね?」
「さっさと話せ」
「うわ、倉橋ノリ悪い」
「いいから続けろよ」
「はいはい、そんな顔しないで。でね、休み時間になると、うちのクラスはみーんなで久豆葉ちゃんの方を向いているんだ」
「だから?」
「だーかーらぁ、一人や二人じゃなくてクラス全員なの! 別に何かするわけじゃないけど、とにかく全員で久豆葉ちゃんのことを、じーっと目で追いかけている。久豆葉ちゃんは見られるのに慣れているからか、普段通りに俺のギャグで笑ったりしているんだけどさ。なんか……俺以外みんな久豆葉ちゃんに恋しちゃったみたいに、いや、恋っていうより信奉? 狂信? どういう言葉を使うのが正解か分からねぇけど、とにかく今のD組の雰囲気はすっげぇおかしいんだよ」

 信奉や狂信……。
 オカルト研究部の部室の外でずっと待ち続けていたファンも、そんな感じだった。
 俺はごくりとつばを飲み込んだ。

「あきらはモデルでもアイドルでもないのに、みんな熱狂しすぎだろ……」
「熱狂して騒いでいるならまだいいっしょ! あいつら教科書を広げていても、何人かで話をしていても、目だけはじーっと久豆葉ちゃんを追いかけているんだからさ。それってもう普通じゃないだろ。とにかく……」

 御子神が何か言いかけた時、予鈴が鳴った。
 俺の腕をぐいっとつかんで、御子神が顔を寄せてくる。

「とにかく、久豆葉ちゃんのまわりで何かが起こっている。倉橋もそういう何か・・を感じたからオカルト部に入ったんだろ」
「あ、まぁ……」

 オカルト研究部に入ったのは、単なる偶然だったのだが。

「俺には特別な能力は何も無いけど、クラスの連中とは違ってその何か・・の影響を受けていないみたいだ。だから、もしかしたら久豆葉ちゃんの力になれることがあるかも知れないと思って」
「どうしてあきらに直接言わないんだ?」
「言ったよ! クラスのみんなが異常なくらいお前を見ているって。でも、久豆葉ちゃんはぜんぜん深刻には思っていないみたいで」
「ああ、今までさんざん騒がれ過ぎて麻痺しているのかもな」
「でも、このまま放置しておくのは良くない気がするんだよ」
「確かに……」

 御子神は柵から手を離して姿勢を正すと、真剣な目で俺を見てきた。

「俺は久豆葉ちゃんが心配なんだ。倉橋もそうだろ?」

 俺はうなずき、御子神を見て微笑んだ。

「……ミコッチは、いいやつだな」

 実感を込めて言う。

「はっ、よせやい。おだてても何も出ないぜ!」

 御子神はおどけたように言って笑い声をあげた。
 その声があまりにカラッとしていて、俺もつられて笑ってしまった。

「なぁ御子神、明日の土曜日なんだけど」
「あれ、もうミコッチって呼んでくれないの?」
御子神・・・。明日予定がないなら俺達と一緒に一乃峰に登らないか」
「明日? 別にいいけど」
「俺とあきらと吉野部長で『道切り』っていうものを調べるつもりなんだ。まぁ素人のやることだから空振りの可能性もあるけど、もしかしたら今起こっている異変の手掛かりが何かつかめるかもしれない。ひとりでも味方がいれば心強い」
「りょーかい!」

 俺と御子神はリンリンの友達登録をした。俺のリンリンの登録者があきらと吉野に次いで三人目だと知って、御子神は微妙な顔をしていたが、スマートフォンの時間表示を見て急に慌て出した。

「やっべ、遅刻になる。すぐ戻ろう」

 小走りで階段を下りながら、御子神が話し続ける。

「そういや、あともうひとつ怖いことがあるんだけどさ」
「まだあるのか」
「この前から久豆葉ちゃんと倉橋、部室棟で昼飯食べるようになっただろ?」
「ああ、中庭よりずっと落ち着けるから」
「あー、じゃぁこれを知ったらもう落ち着けないかも」
「何だよ」
「昨日、購買にパン買いに行こうとして、俺見ちゃったんだ。お前らは部室のカーテンを閉めきっているから知らないだろうけど、今度こっそり外を見てみた方がいい。ぞーっとするから」
「え?」

 思わず足を止めてしまった俺を置いて、御子神は猛スピードで走って行ってしまった。


 おかげで俺だけ三限目に遅刻してしまったんだけれど、腹痛でトイレにこもっていたと言ったら、先生は笑って許してくれたのだった。




◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 悪魔召喚の魔法陣の上に虹色のレジャーシートを敷いて、まるでピクニックのようにそれぞれのお弁当を広げる。吉野は鼻歌まじりにティーバックを入れた三つの紙コップを並べ、ゆっくりお湯を注いでいく。

「魔法陣の上でお昼か。シュールっていう言葉は、こういう光景に使うものなのかも」

 俺の呟きを聞いて、あきらがぷっと笑う。

「『魔法陣の上でお昼』ってアニメのタイトルみたいだ」
「そうですねぇ、そのタイトルだとちょっと不思議でほっこり系のお話でしょうか。さ、お茶どうぞ」
「ありがとうございます」
「いただきます」

 三人だけの部室の中は、ほんわかとして平和そのものだ。
 その分、御子神の言ったことが気にかかり、俺は閉められたカーテンをじっと見つめてしまった。もとは白かったと思われるカーテンは、今じゃ年季の入ったベージュ色にくすんでいる。

「どうしたの、友哉」
「ん、ちょっとな」

 俺はレジャーシートから降りて靴を履き、恐る恐る窓に近づいて古びたカーテンをつまんだ。
 数センチだけ斜めに持ち上げてみたが、遠くに渡り廊下が見えるだけで変わったものは見えない。だが、ふと視線を下に落としてみて、はっと息を呑んだ。
 指から力が抜けて、はらりとカーテンが戻る。

「なにー? なんかあった?」

 あきらが立ち上がり、こちらへ来ようとする。

「あ、あきらは見ない方がいい」
「なんだよそれ」

 あきらは無頓着にばっとカーテンをめくり、ぎょっとしたようにぱっと手を離した。

「なにあれ」

 揺れるカーテンを前に、あきらが後退りする。

「どうしたんですか? 二人とも変な顔をして」

 吉野が不思議そうな顔で立ち上がろうとするのを、俺は手で制した。

「いや……部室棟の前にいっぱい人が集まっていて」
「ああ、いつもの久豆葉君のファンですか?」
「いやあれは、ファン……なのか……?」

 疑問形になってしまったのは、部室棟の前に集まっている人達が異様な目をしてこちらを見上げていたからだ。

 例えばアイドルの出待ちのように、華やいだ雰囲気のファンがキャピキャピと興奮状態で集まっているのなら、苦笑するだけで済んだはずだけれど……。

 今、そこに集まっている何十人もの人たちは、一様にうつろな目をこちらに向けたまま、何も言わずにぼうっと立っていたのだ。

 しかも、おそらくこれは今日だけのことじゃない。昨日、御子神が目撃しているし、きっと俺達がオカ研に入ってからのここ数日、あの人達は昼休みの度に部室棟の前に立っていたのだ……。

「ファンというか、なんというか、まるであきらをあがめる狂信者みたいだ……」

 俺の声を聞いて、あきらはいきなりカーテンを全開にして、ガラガラと窓を開け放つ。
 その瞬間、まるで催眠術が解けたかのように、下の集団がきゃーきゃーと騒ぎ出した。

「あきらくーん」
「あきら君、笑って―」
「あきら君、こっち見てー」

 あきらを呼ぶ甲高い声が響き渡る。

 あきらは大きく息を吸うと、窓の外へ向かって叫んだ。

「みんな! 教室に戻って! こんなところにいないで、自分のお昼ご飯を食べてよ!」

 歓声がぴたりとやんで、辺りがシンと静まり返る。

「きゅうけい……?」
「そうね、お昼をたべないと……」
「あきら君がそう言うなら……」
「そうね、戻らないと……」

 あの時と同じようにさわさわと囁きが広がっていく。

「さぁ、すぐに戻って! こんなところで立ってないで!」

 あきらが悲鳴のように叫ぶと、窓の下の集団がのろのろと後ろを向き始め、ゆっくりゆっくり教室棟の方へ戻って行く。

 集団の後ろ姿を睨む様に見つめていたあきらは、音を立てて窓を閉め、乱暴にカーテンを閉めた。

「あきら……」

 ぎゅっとカーテンをつかんだまま、あきらは下を向いている。

「俺は、こんなこと望んでいないのに……」

 吐き出すように言ったその声が少し震えている。

「友哉……俺のこと怖くなった? 気味悪いと思う……?」

 あきらの声は悲痛だ。

「そんなわけないだろ! あきらは何も悪くない。十年間一緒にいた俺が保証してやる。あきらは正真正銘、普通の高校生だよ。おかしいのはあいつらだ」

 あきらはやっと顔を上げた。
 半べそをかいた、子供みたいな表情で、助けを求めるように俺を見ていた。

「友哉、俺のこと嫌いにならないでね」




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