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第7話 刀鬼『蕨平諏訪守綱善』

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 まず動いたのは後衛だった。一斉に、金甲警備隊員がライフルから銃弾を蕨平に向けて放つ。轟く銃声とともに、呪礼弾頭の鉛玉が何十発と蕨平に襲いかかった。普通の人間なら、一瞬で肉塊と化す攻撃。怪異でもこれだけ打ち込まれれば相応の傷を負う。しかし、
「なんだ!?」
 引き金を引いた金甲警備隊員が思わず叫んだ。理解不能の状況が発生したからだ。
 音が響いた。それは銃弾が激突する音。乾いた破裂音。それはすなわち、コンクリートを砕いた音だった。
 銃弾は蕨平には当たらなかった。全てが、まるで蕨平を自ら避けるかのように横に上に下に逸れ、周りの道路や壁面に直撃したのである。
 コンクリートが弾け飛び、わずかな塵が舞う。
 しかし、ワケの分からない状況が起きたからといって動きを止めるわけにはいかない。そもそもこの怪異自体ワケが分からないの塊なのだ。
 金甲警備の攻撃に合わせ他の者たちも一斉に動いた。他の後衛、符術を使う者がその術を蕨平に放つ。蕨平の足下から青い光の帯が伸び、その体を襲った。
 様子見もクソも無い。字居あざい流の攻撃符術。光の帯はエネルギーの塊で触れたものを切断する。
「おやおや、危ない」
 しかし、蕨平はそれが伸びる前にかわしていた。異能を使ったわけではない単純な回避だ。しかし、その動きはまるで未来予知でもしたかのようで、攻撃が始まる前にはすでにその体は光の帯の発生源から回避を始めていた。
 達人の成せる極致の直感ということか。
 しかし、回避したということはそのために動きを一手使っているということだ。それは間違いなく隙だった。
 しかし、
「先に潰すとしましょうか」
 蕨平が言った瞬間だった。
 符術を放った術者、その胴から血しぶきが上がったのだ。
 攻撃の挙動は無かった。むしろ、まだ回避行動の重心移動が残っている状態。およそ攻撃に移れるはずの無い体勢だった。そもそも、蕨平から術者までは10m以上の距離がある。
 蕨平は攻撃が出来ない状態から攻撃が届くはずのない相手を斬ったのだ。
「なんだこいつは」
 怪異狩の一人が言う。それだけで、怪異狩は全員戦慄したのだ。この怪異がSSレートの評価通り、尋常の怪異ではないと。
「ふむ、なにかの術が張られていますね。間違いなく胴を別ったと思ったのに死んでいない。そもそも、斬れが甘い」
 これもまた、四島が張った結界の効果だった。結界内で人間に対して即死するだけの傷が発生する現象が起きた場合、それを強制的に停止させる術。銃弾は頭に直撃しても頭蓋骨の上で止まり、胴を両断する斬撃も腹を裂いたところまでになる。そういう風に『現象を修正する怪異』がこの結界内で起きる術。これによって、結界内で戦う人間はどんな攻撃を受けても即死することはない。
 そして、それと同時に遠隔から空間固定の術によって出血等の状況の進行も停止させる。
 四島はとにかく、この結界内で絶対に人死にが出ないように術を張ったのだ。
 これによって、怪異狩たちはとりあえず死ぬ心配はせずに済む。 
 これだけの怪異に対して死ぬ心配をせずに済む、というのは精神的に非常に大きなアドバンテージだった。
「紅葉、結局どういう怪異なんだこいつは」
「まだ、分からないそうです。今見たように遠隔で攻撃を飛ばす能力はあるみたいなんですが、どうもそれが本質とは思えない」
「確かにな。まぁ、結局さっぱり分からんクソ強い怪異として戦うしかないってことか」
「残念ながらそういうことです」
 今の一連の攻防から相手の能力の片鱗でも読み取れないかと怪異狩たちはしばし逡巡したが、現段階では謎と言う他ない。
 さっぱり情報のない相手など戦う上で最悪の相手であり、しかも危険度SSと来ているのだから冗談にしてもたちが悪い話だ。
 しかし、冗談にしてもたちが悪い状況で戦うことなど、怪異を相手にする怪異狩たちにとっては日常茶飯事だった。だから、動揺こそすれ心がくじけたものは一人も居ない。
 みな、考えるのはこのワケの分からん人生で最強クラスの怪異にいかに動くのが最適かということだけだ。
「四島の野郎はちゃんと割りに合う報酬を払ってくれんでしょうね。前払いと後払いなのよこの仕事」
「四島さんならいつもの無表情で注文した金額をちゃんと払ってくれますよその辺りは心配要らないのが四島さんです」
 そう言って怪異狩たちは改めて武器を構え直す。
 そんな彼ら彼女らに蕨平は穏やかな微笑をたたえながら言う。
「ほら、どうしました。早くおいでなさい。全員でかかれば、あるいはアタシを倒せるかもしれませんよ」
「完全に舐めてるわね」
 その蕨平の挑発を合図に前衛の怪異狩たちが動いた。紅葉を先頭にして波状攻撃をかける。
 その後ろから、符術が飛び、ライフルの弾丸が放たれた。
 超高密度の攻撃が蕨平に襲いかかる。およそ、人型サイズの怪異一体に対して行われるには過剰と言って良い攻撃。少なくとも、Aレートまでの怪異なら秒殺出来る布陣だ。
 知性のある怪異なら見ただけで死を想起する攻撃の応酬。
 しかし、蕨平はこの状況で静かにその口元を緩めた。
「甘いですね」
 すると同時に、まず蕨平に向かう銃弾その全てがさっきまでと同じように軌道を完全に逸らした。共に蕨平は足下を襲う黒い霧、周りに起きた花火のような閃光、それらの符術の発動範囲から舞うように脱出する。
 そして、完全に片足が離れ重心も偏ったその体勢の蕨平。またも攻撃など放たれるはずのない体勢。
「あぐっ!」
「くっ!!」
 しかし、攻撃は放たれた。
 紅葉、そしてもう一人の男の怪異狩に『飛ぶ斬撃』が襲いかかった。またも、刀は抜かれていない。蕨平は柄に手をかけているだけだ。
 紅葉はなんとか刀で受けたが、もう一人は脇腹を裂かれ血が噴き出した。持っている鉈を落としたところで空間固定術式が発動し怪異狩の男の周囲50cmの空間は完全に動きを停止する。
「さすがだお嬢さん。凌ぎましたか」
 蕨平は笑う。普通に見れば優しいその笑みはこの状況ではただただ禍々しいだけだ。
 しかし、どれだけ蕨平が得体の知れない攻撃をしようが、あらゆる攻撃を凌ごうが止まるわけにはいかない。止まっている場合ではない。なんとかして勝機を見いださなくてはならないのだ。
 空間停止で止まった男の横を矢が6本跳ねる。符術で空中に浮いた怪異狩が放った攻撃。文字通り地面で跳ね返り、空中で翻り、踊り狂いながら蕨平を襲う。しかし、それらは全て一瞬で両断され空中に散る。
 紅葉はその攻撃と攻撃のぶつかり合いにねじ込むように踏み込むが、
「くっ!」
 すんでで急停止し体をひねる。見えない、見えないが今紅葉は鼻先を蕨平の斬撃が通り抜けたのを確かに感じたのだ。そのまま進んでいれば頭に直撃を受け、空間停止で戦線離脱だった。
 しかし、それに怯まず紅葉はさらに距離を詰める。こちらの得物が刀一本である以上、どうしたって間合いに蕨平を入れなくてはならないのだ。
 なんとか、蕨平を斬らなくてはならない。
 紅葉は死線を全身に感じ、汗を吹き出しながらそれでも勝機を引き寄せようと蕨平に向かって走る。
 その後ろに他の怪異狩たちも続いていく。
 後衛の術が、ライフルが弾幕となって彼らを援護する。それはすべて蕨平の能力に、体裁きによって無力と化すがそれでも前衛の動きをわずかばかりは助けている。
 この場にいる全ての人間が一丸となって、このSSレート怪異『蕨平諏訪守綱善』に攻撃する瞬間を生み出そうとする。
「相変わらず、怪異狩というのは勇ましい人たちですね」
 紅葉は立ちまわり、そして極限まで研ぎ澄ませた勘で蕨平の攻撃を予測する。すんででかわし、刀身で受け、なんとか凌ぐ。しかし、蕨平には一向に近づけない。
 他の前衛もなんとか近づこうと試みるが、その武器に体に斬撃が襲いかかる。
 斬撃が飛ぶ、好きな場所を斬れるということはどこにいようが蕨平の攻撃圏内ということだ。近づこうが遠ざかろうが同じ事だ。
 そして、昨日の戦いで蕨平は十数人居た金甲警備隊員を全員一遍に斬って見せた。つまり、少なくとも一度に十数人に攻撃出来るということだ。
 しかし、今蕨平はどこにでも攻撃出来るのに紅葉を中心に攻撃していた。周りの怪異狩は武器や軽い斬撃を当てられ動きを制限されている。そして、紅葉には凌げるギリギリのような攻撃ばかりを行ってくる。
 つまり、
「遊んでいますね」
 紅葉は蕨平を睨む。
 対する蕨平は相変わらず優しい笑みを浮かべている。紅葉を苛立たせる笑みだ。
「いや、遊んじゃいませんよ。ただ本気じゃないってだけです。アタシの攻撃を受けられるヒトなんて久々なもんでね」
「ふざけた事を.....!」
 しかし、紅葉もはっきり分かっている。
 ここまでの戦いで理解したのだ。
 蕨平の強さは圧倒的だ。
 ここまで、ここにいる全ての戦闘要員は自分の持てる技術の全てを発揮して蕨平に攻撃している。
 それらはちゃんとかみ合い、集合体となって蕨平にぶつかっているのだ。しかし、蕨平はそれをたった一人で涼しい顔でいなしている。しかもまだ本気ですら無い。
 飛ぶ斬撃、未来予知じみた戦況の読み、これだけの人数を相手にして一切乱れない精神。
 達人どころか魔人と言っても良いほどの剣豪だ。
 分かるのだ、蕨平と自分たちの力量の差が。
 そしてなにより、蕨平がその気になればこの場の人間全員が一瞬で戦闘不能にさせられるということが。
 昨日の金甲警備隊員たちにしたように、全員が一遍に一刀両断されればそれで終わりだ。
 そもそも、蕨平が本気になればこんな風に攻撃の合間に距離を縮めることさえ許されないだろう。
 一瞬で紅葉も戦闘不能になる。
 戦力差は歴然だった。
「まったく、ひどい仕事です」
 しかし、紅葉の刀身に揺らぎは無い。深く息を吐き、呼吸を整え、再び蕨平に向かう。
 それは、他の怪異狩たちも同じだった。
「ほう、まだ負けを認めませんか。アタシに勝つことは出来ないと、あなたほどの実力者なら分かると思いますが」
「残念ながら勝てないくらいで逃げて良い仕事じゃないんですよ。怪異は災害です。放っておいたらどんどん人が死ぬ。勝てないならせめて負けない道を探さなくてはならない。負けないことも不可能ならなるべく最良の負け方を探さなくてはならない。それが、怪異狩という仕事なもんですからね」
「なるほど、皆さん立派な方ということですか」
 蕨平の表情は笑顔のまま。
 紅葉はそれがなにより虫唾が走ることだった。
 蕨平は笑っているが笑っているだけだ。なにを聞いても笑っているだけだ。
 それはどんな話を聞いても何を見ても変わらない笑顔を浮かべ続ける。そんなものは結局のところなんの表情も浮かべていないのと同じだ。
 四島の無表情の方がまだ表情があると紅葉は思った。
 蕨平という男は正真正銘、殺し合い意外に興味が無いのだと分かった。
 そんなやつに立派などと言われても怒りが湧くだけなのだ。
 紅葉は全力で蕨平を睨み付けた。視線だけでも蕨平に突き刺さるようにと。
「それから、お前は間違っていますよ。私たちはお前に勝てないなどとは思っていない」
 紅葉は刀身を下ろす。脇に構える。これが、紅葉の剣術の最も基本の型だった。
「倒せない怪異なんて、この世には存在しませんからね」
 そして、紅葉は思い切り踏み込んだ。蕨平との距離3m。符術で強化された肉体ならそれこそ、瞬きする間もなく詰められる距離。
 一刀のもとに蕨平を両断出来る距離。
 しかし、
「良い闘気ですよ、皆さん」
 ずさり、と。周囲に一斉に音が広がった。紅葉には何が起きたか理解出来た。しかし、止まる訳にはいかない。それでも、相手に突っ込まなくてはならない。しかし、出来なかった。手元の刀、それに刀身は無かった。そこにあったのは柄だけ、刀身が折れた柄だけだった。
 遅れて、カチャンと音を立て、紅葉の右後方に刀身が落ちた。
 紅葉は攻撃を受けた。しかし、武器が折られてしまったのだ。もう、蕨平を斬ることさえ出来なかった。
 そして、紅葉は後ろを見る。そこには、各々腹や胸から血を流した姿勢のまま空間停止している怪異狩たちの姿があった。
 残っているのは宙に浮いているものや、かなり離れた距離に居る後衛が数人のみだ。
 まとめて全員やられてしまった。
「しかし、及びませんよ」
 蕨平は相変わらず、優しい笑みを浮かべていた。
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