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第6話 戦いを前に

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「紅葉さん、差し入れです」
 そう言って四島はコーヒーを差し出した。缶コーヒーだ。ザ・差し入れといった感じだった。しかし、そのパッケージはデザインが違った。今大流行しているアニメキャラがプリントされていた。
 紅葉はそれを若干いぶかしげに受け取った。四島の抱えたエコバッグの中にはこのデザインの缶が溢れかえっていたからだ。
「ああ、ありがとうございます」
「飲み終わったら缶は回収させてもらえませんかね。集めてるもんで。いや、気持ち悪かったら良いんですけど」
「いや、別に構いませんけど。この状況下でなに浮ついたこと言ってるんですか。死ぬか生きるかの戦いが始まるんですよこれから」
「全20種で今8種類集めたんです。ここに居る人全員に配れば楽に集まりますからね。このチャンスを逃す手はありません」
「緊張感を持ってください」
「余裕は大事ですよ」
 四島はいつも通りの無表情でそんな馬鹿馬鹿しいことを言うのだった。どこまで本気なのかは良く分からない。しかし、紅葉は四島のデスクの上にこのアニメキャラのメモ帳が置いてあるのを見たし、たびたびこのアニメのグッズの懸賞応募券が付いているスナック菓子を買っているのを見ていた。密かに結構はまっているらしかった。
 そしてどうも、四島はこの買ってきたコーヒーを関係者に配って回っているようだ。人員サポートの一環だ。ほとんど現場監督といえる四島のある意味大事な仕事のひとつなのだろう。
 まぁ、本人がこの缶を集めたいだけなのかもしれないが。
 まぁ、紅葉にはどうでも良いことだったが。
 時刻は8時を回っていた。
 場所は変わらず千石橋。バリケードによる封鎖も相変わらずで、怪異狩並びに金甲警備の隊員たちが戦闘態勢で待機しているのも相変わらずだ。
 夜も深まってきたがまだ蕨平は現れていなかった。
 いつ現れるのかは分からない。次の瞬間に現れてもなんら不思議はない。しかし、あと何時間も現れない可能性もあった。
 日が落ちて一時間以上が経過したが、その間現場は常に臨戦態勢だった。
 怪異狩たちはおのおのの武器を構え、金甲警備は隊列を組みながらライフルを下げている。
 布陣は割と単純だった。怪異のステータスを下げる結界が張られたこの千石橋で近接武器主体の怪異狩が前衛。金甲警備を含めた遠距離武器の使い手が後衛。総勢40人弱だ。数は揃っていないこともないと言えるだろう。
 どちらにせよこの配置で行く意外に無いのだ。少なくとも今晩は。
「もう少し特殊な結界を張れれば人員の動きも変化をつけられたんですけどね。今回はわたししか張れる人間が居なかったので非常にオーソドックスなものになってしまいました」
「これぐらいあれば十分でしょう。あとはみなさんの力量次第って話です。そもそも、どんな布陣になったとしても結局私は最前線でしょう」
「まぁ、そうなります。蕨平と真っ正面からやり合える可能性があるとすれば紅葉さんだけですからね」
「はぁあ。どうして、他のやり手の人は来ないんですかね。他の地域から呼べなかったんですか?」
「全員仕事があったり、どこかに出ていたりで都合が付きませんでした。有能な人はどこでも引く手数多ですからね」
「そうですか。分かりましたよ。やれば良いんでしょう、やれば」
「すいません、お願いします」
 明らかに紅葉が一番大変な位置だったが文句を言っても最早どうしようもない。とにかくやるしかないのだった。
「おい、俺は本当に後衛で良いのか」
「当たり前でしょう。あなたが前に出てどうするんですか」
 そう言ったのは陽毬だった。陽毬は『白峰の霊鏡』本体なので、当然蕨平との接触が起きない後衛だった。そこから、即席で創った符術をひたすらかますという役回りだった。危険の少ない堅実なポジション、もといギリギリ役割があるといえる程度の補助的なポジションだった。陽毬はとにかく、蕨平から遠ざけなくてはならないのだ。
「陽毬さん。あなたもどうぞ、コーヒーです。缶は後で回収しても良いですかね。いや、気持ち悪かったら良いんですけど」
「別に構わねぇよ。サンキューだぜ。お、このアニメ俺ハマってるんだよ」
 そう言って陽毬は四島から受け取った缶コーヒーをごくごくと飲んだ。「うまいうまい」などと漏らしていた。緊張感がどうとかの疑問は別に抱かないらしい単純な陽毬である。
 陽毬は缶コーヒーを飲みながら話す。
「ていうか、いつになったら出るんだ。だんだんダレてきたぜ」
「ダレないでください。次の瞬間に出るかもしれないんですから」
「でも、ただ待つだけってのも辛いもんだろ。常に戦闘態勢で気を張ってれば疲れてもくるし」
 陽毬の言うことは緊張感に欠けてはいたが、やはり的は得ていた。
 現場の極限状態、これがあとどれだけ続くかも分からないのだ。記録によれば、蕨平の出現時間は『夜』である事意外に目立った法則性は見つかっておらず、日が落ちた瞬間に現れるかも知れないし夜明け寸前に現れるかも知れないのだった。
 見習いの陽毬だからこんなに早く集中力が切れたものの、ベテランとて時間の問題だ。
 いかに経験豊かな怪異狩といえど、一晩丸々緊張感を維持する必要のある仕事を経験しているものなど中々居はしない。そんな仕事はよほどのものだ。
 かくいう紅葉でもそんな経験は無かった。
「確かに、この状態が長く続けば勝手に疲労は蓄積されますね。夜のどこかで出るし、場所も指定出来るようなものだからうまくいくとタカをくくってましたが。正確な時刻を予測出来ないというのは中々厄介ですね」
 四島が陽毬の言葉に付け加えた。四島も若干気がかりであるらしい。疲労はじわじわと蓄積するのだ。というか、これは今日だけでは無い。白峰の霊鏡が出現する明日もだ。あと一日、この体勢で戦わなくてはならないのだ。保たない、ということはないだろうが、終盤は必ず疲れが戦いに影響してくるだろう。
「なんとかして人員を増やして、ローテーションで待機出来るようにしたいですね。やはり、怪異狩の人数を増やすしかないでしょう。あと、金甲警備の方にも協力していただけないか聞いてみるとしましょうか」 
 やり方を考える必要があるのだろう。それは現場監督の役割だった。
 怪異との戦いとなると状況は千差万別で、その場合その場合に合わせてやり方を合わせていくしかないのだ。四島にしろ紅葉にしろ怪異を相手に仕事をするものの定めである。
「しかし、だぜ」
 陽毬はぐるりと千石橋の上を眺める。
「こんだけ居ても勝てないもんなのか本当に」
 陽毬の純粋な感想だった。前衛に20人弱、後衛に20人弱。どちらの怪異狩も手練れと言えるものが何人か居る。金甲警備とて、場数こそ怪異狩に及ばないながらも装備は一級品だ。呪礼弾頭を装備した対怪異ライフルは儀式済みのものや年月を経た武器でしか攻撃できない怪異に通用する唯一の近代兵器である。加えて、四島が張った橋全体を覆う結界。いくつかの結界を重ねがけしてあり、主な効果は中に居る怪異の存在そのものを阻害するというものだ。存在することを阻害された怪異は消滅しないためにその怪異としての力の何割かを抵抗することに割かざるを得なくなる。そのために全体的な能力が落ちるのだった。
「まぁ、Sレート以上の怪異に対する布陣としては十分なものですね」
 四島としては現状考えられる中でも最善だと思っている体制だった。少なくとも迎え撃てるだろうとは思いたかった。紅葉が最前線とはいえ、バックアップは十分だ。援護すれば戦いは随分楽になるはずだった。
「あのおっさん怪異はさ。そもそもなんの能力の怪異なんだ? 遠くまで斬れるとか、そういう話なのか?」
 陽毬の素朴な疑問。怪異狩見習いの陽毬でも抱く疑問だ。怪異は理から外れたモノ。それらは必ずなにかが異常であり、そして何が異常であるかはそれぞれだ。そして、それこそが怪異固有の能力となる。
 当然蕨平にも怪異たる固有の能力があるはずなのだ。
「昨日の話を聞く限りでは、斬撃を遠くまで飛ばすといったところでしょうかね。記録にも蕨平の被害状況は結構記されてるんですが、能力そのものに関してはあまり多くは無いんです。最後が昭和初期なので分析そのものが進まなかったというのが大きいんでしょうが」
 四島は自分なりの考えを述べた。
「まぁ、確かに遠目に見てただけだけど、いっぺんに届くはずの無いところにいる人たちを全員斬ってたな。恐ろしい光景だったがよ、あれが能力ってことか」
「でしょうね。少なくともそれが能力を発動した結果起きた現象のはずです」
 昨日、取り囲んだ金甲警備全てを一瞬で全員斬ったあの現象。それこそが蕨平の能力だということだった。
 遠くのものにまで斬撃を加えられる能力。それが蕨平の異能。
 少なくとも現状では四島にはそうとしか思えなかった。
「どうでしょうか。きっとそれだけじゃない」
 紅葉がぽつりと言った。
「やつは、刀を抜かなかったんですよ。一度も抜かなかった。ただ、柄に手をかけていただけです。なのに斬撃は発生し、刃圏の遙か外に居た人々が斬られた」
「つまり....どういうことになるんですかね」
「眼にも止まらない速度で刀を抜けるってことなのか? なんか達人的な雰囲気出してたしな」
 陽毬は見習いといえど戦闘に関するセンスは十分持ち合わせているのだろう。陽毬の言う通りだ。紅葉は昨日相対して確信していた。蕨平は怪異になる前、確実に達人と呼ばれる領域に踏み込んでいた剣士だったのだ。それも、尋常で無く深い領域まで。あれほどの剣気と呼ぶほか無い何かを濃密に放ってる存在を紅葉は見たことが無かった。
「それで刀身が伸びるとかなんですかね。目にも止まらない早さで、刀身の伸びる刀を抜いた。それなら、あの現象の説明もつく。そうなると怪異としての核はあの刀ということなんでしょうか」
「核? それを潰したらあいつ消えるのか?」
「ええ、一応討伐でも蕨平を退けることは出来ます。出現記録74回の中で1回だけしかないケースですが」
「マジかよ。そんなに強いってことか」
「どのみち能力が分かった方が格段に戦いやすくなるのは間違いないんです。もっと分析を進めてもらわなくてはなりません」
 蕨平という怪異そのものの解析は研究機関に依頼して全速力で進めて貰っているところだった。見た目や起こした現象、残った呪痕のパターンなどから怪異の性質や効果的な対処法などを導き出すことは出来る。現代の怪異研究は進んでいるのだ。ものの数日で結果が出ることもある。しかし、毎日出現するのだから、本当に今日にでも欲しいところなのだったがそこは限界があるのだった。
 こんな風に現場で予想を立てながら、なるべく早く情報を貰えるように期待するしか無いのだった。
「目にも止まらない早さで....? いえ、あれはまるで.....」
 その時だった。
 カチリ、と音がした。


「ああ、出ましたね。今度は橋ですか」


 橋の全ての人間の視線が、一瞬にして声の元へと集まった。
 居るはずのないモノ。刀を差した壮年の侍。服には昨日の戦いで受けた返り血が少し斑点を残していた。そのたたずまいはどこまでも無駄がなく、同時に穏やかだった。
 千石橋の外灯に照らされたその姿は完全に現実離れしていた。あり得ざるものだ。道理の外側にあるものだ。
 ようやく、現れたのだった。怪異『蕨平諏訪守綱善』が。
 瞬間、四島が手元のスイッチを押す。同時にジリリリリリ、と警報が千石橋に鳴り響いた。四島が事前に皆に伝えていた、蕨平出現を知らせるための警報だ。橋の上の人間は元より、橋のたもとの人々、そして通信で関係各所にも情報が伝わるようになっている。
「出ました! 怪異出現! 怪異出現!」
 組合員の誰かが叫んでいた。心なしか橋のたもと、バリケードの向こう側も騒がしくなったような感じがした。
 怪異狩組合の関係者たちは戦闘に巻き込まれないようにその場から離れた。
 全ての怪異狩、そして金甲警備の隊員たちは臨戦態勢へと入った。皆、蕨平を中心として布陣を敷く。後衛の遠距離武器のものは前衛に射線が重ならないよう、そして蕨平を狙えるように配置につく。そして、前衛のものたちはそれぞれの槍だの斧だの刀だのを構え、このSSレート怪異の前に歩み出る。その最前線、蕨平の真ん前に戸木紅葉は居た。
「本当に突然出るな」
「ええ、この前もそうでしたね。情緒もくそもありません」
 怪異狩の一人の言葉に紅葉は答えた。蕨平の出現には前触れも気配もないにも無い。紅葉たちが会話していたところ、その数m先に唐突に現れたのだった。
「おやおや。今度は随分準備が良いんですね。こんなにたくさんの方にお出迎えいただけるなんて。これは困った」
 蕨平は微笑みながら言った。そこに恐れは無かった。別段慢心も無かった。悪意も敵意も無く、静かな高揚だけが見て取れた。とても、最悪クラスの怪物とは思えない。
 そして、この場において脅威を感じさせないというその事実こそが何よりも異常だった。
「ですが、また会えて嬉しいですよお嬢さん。あの場で戦う意思を喪失せずに、また私の前に立ってくれるとは」
 この場で蕨平に武器を構える全ての人間が極限の緊張状態だった。
 目の前の侍がどれだけの怪物かなどということは、情報として知っている。間違いなく彼ら彼女らが出会った中で最強の怪異であり、全霊で挑んでも決して無傷では済まない、最悪の場合死に至る、そういう相手。
 皆が戦闘開始の合図を待つ。誰かが出すわけではない。こればかりは全員がお互いの、そして蕨平の呼吸を読み、その瞬間が訪れた時に始まるのだから。
「怪異となり、死の無くなったこの身でもやはり斬り合いに勝る楽しみはありませんからね。そして、みなさん十分にアタシと戦う気が満ち満ちているようだ。ああ、良い。実に奮い立つ」
 蕨平は実に楽しそうだった。この、全ての人間が命をかけて立っているこの状況が楽しくて楽しくて仕方がないようだった。それこそが存在意義だと言わんばかりだった。
 そんな蕨平に紅葉は問うた。
「お前の目的はなんだ。なんのために『白峰の霊鏡』を求める」
 少しでも、『蕨平諏訪守綱善』という怪異の情報を引き出すための目的だった。正直、こんな化け物とは会話すらしたくなかった紅葉だったが聞いたのだ。相手が意思疎通を図れる以上、『会話』をもって相手のことを知ろうというのは最も適当な手段なのだから。
 それは聞いて、蕨平は「ふふ」と短く笑った。実に静かに。
「それは今は教えられませんよお嬢さん。アタシは信用出来る相手にしかアタシのことは話しませんからね。もっと刀を交えて、斬り合って、血を流し合って、相手のことを知ってからじゃないと。相手が信用できるって分かってからじゃあないと」
 穏やかな口ぶりだったが中身はまともでは無かった。蕨平は刃をぶつけ合い、相手の肉を裂き、血を浴びることによって相手を理解出来ると言っていた。
 この怪異、この刀鬼にとっては刀による殺し合いこそがなによりのコミュニケーションであるらしかった。
「ケッ。なんだよ。見た目は普通の人間でもやっぱりまるっきりイカれてやがるじゃねぇか」
 そう言ったのは陽毬だった。あまりの言いようについ思っていたことが口を吐いたといった感じだ。当たり前だ。誰でもそう思う。この怪異は人間の見た目をしていてもやはり怪物だ。
 そんな陽毬の罵倒にも蕨平は涼しい顔だった。
「まぁ、やはりそうなんでしょうね。アタシはまともじゃないんでしょう。どう考えても狂っているんでしょう。アタシとしては普通のことを普通に言ってるつもりですがね。ですがまぁ、どうでも良いことですよ。アタシがまともだろうがあなた方がまともだろうが。アタシが狂ってようがこの浮世が狂ってようがどうでも良い。アタシがやることは変わりない。アタシがあなた方と斬り合う事は変わらない。それだけ確かなら十分だ」
 蕨平にとってはそれが一番信じる理屈なのか。その表情に迷いはない。穏やかな笑みがあるだけだ。
「さぁ、お話ばっかりしてても始まりませんからね。始めましょうか」
 そして、蕨平はその手を腰の刀にかけた。
「鐘薪一刀流、参る」
 その一言が戦いの火蓋を切った。
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