勇者の姉、召喚

奏多

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3章 王太子の策謀

夜中のちょっとした騒動~アルヴィン~

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 その夜、アルヴィンはまだ暗いうちに目を覚ましてしまった。
  なんだか喉が渇く。
  寝台脇のテーブルにおいていた水差しから、コップに水を注ぐ。一気に飲み込んでほっと息をついた。

  窓辺近くに置かれた青い水が淡く輝く時計は、三巡時を指している。それほど長く眠ったわけではない。が、なんだか目が冴えていた。
  少しその辺を歩くかと着替え、廊下に出た。

  様子を見ておこうとイオリの部屋へ行く。そっと部屋の中を覗いて、今日の当番になった近衛騎士と女官に声をかけてみた。

 「何か変わったことは?」

  すると、なぜか二人は泣きそうな顔で振り返る。
  一体なんなんだ?
  戸惑う間にも彼らはアルヴィンの下へ駆け寄り、囁き声で訴えてきた。

 「殿下、もしかしてイオリ様は気が触れてしまわれたのでしょうか?」

 「……は?」

 「御就寝されてしばらくの間は静かだったのですが、間もなく呪文のようなものを唱えられはじめて」

 「呪文?」

 「勇者様の故郷には、なんか特別な呪術でも伝わっているのかも……」

 「しばらく続いては途切れて、また再開して。普通の魔術と違っていくら待っても何も起きないし、余計に不安で。とにかくお聞きになってみてください」

  女官に促されて、アルヴィンはそっと寝室の扉に近寄る。

 「……………」
 
 かすかな声だが、確かに何かを言っている。でも魔術という感じではない。さてどうするべきか。
  ほんの少し考えて、アルヴィンは寝室の扉をノックする。ぴたっと妙な呟きは止まった。

 「入るぞ」

  そう声をかけたが、何の応答もない。
  首をかしげながら寝室に踏み込んだ。今度は相手が起きているとわかっているので、変なためらいはない。
  しかし寝台を覗いてみれば、イオリは頭から上掛けをかぶって顔を隠していた。

 「何をしてるんだ?」

  尋ねるが返事はない。
  でも起きているのは確かなので、一応言っておく。

 「お前が長時間何ごとか呟いてるせいで、女官達が怖がっている。怪しげな呪術で呪い殺されるとか、気が触れたとか言われないうちにやめるように」

  そう宣告してきびすをかえそうとしたとき、がばっとイオリが起き上がった。

 「呪術とか気が触れたとかってどういうこと!?」

 「なんだ起きてたのか」

  寝たフリについて遠まわしに嫌味を言うと、イオリはむっとした顔で言い返してくる。

 「あんたも兄ちゃんに似て、イヤミな奴ね……。あれはわたしの世界では標準的な、眠れない時の暗示みたいなものよ」

 「なんだそれは?」

 「この世界にはないの? 眠れない時に数かぞえるの。ひつじが一匹、ひつじが二匹って」

 「変に考え事をしてたら、余計眠れなくなるんじゃないのか?」

  ごくごく普通に思ったことを述べると、イオリは「うっ」と言葉に詰まって黙り込んでしまう。
  アルヴィンはため息をつき、扉近くで様子を伺っているはずの二人を振り返った。

 「俺が代わる。しばらく休んで来い」

  手を振って見せると、二人はほっとしたような表情で一礼して顔をひっこめた。すぐに扉が開閉する音が続く。
  それに反応してか、イオリの肩から力抜けたような気がした。

 「まさか、今日になって急に人の気配が気になったっていうのか?」

  話しかけながら、アルヴィンは近くの椅子にかけられたガウンを手に取る。
  寝巻き姿で寒そうに見えた肩にかけてやると、どうしてかイオリは驚き、恥ずかしそうに「ありがと」と言ってくる。
  そしてため息まじりに白状してきた。

 「昨日は妙に眠たくて。事件の後で話し合いをしている間も、意識がなくなりそうだったから」

 「今日は眠くないのか」

 「あんまり。眠たいって気はするけど、目が冴えてきて」

 「なら、せっかく女官がいるんだから、傍に呼んで話しでもさせたら良かっただろ」

  一人で悩むことはないと言ったのだが、イオリの声が沈む。

 「そしてわたしの一番傍にいて、わたしのこと庇って死んでも責任がとれない」

  小さくしたランプの明かりの中、彼女の少しうつむいた顔は陰影が増し、いつもより大人びて見える。なんだかそれが妙に、アルヴィンの勘に障る。

 「俺だって、自分のために死んだやつに対して責任なんてとれないさ」

  思わず口に出していた。

 「でも守られる側の人間に、守る側は責任をとってほしいわけじゃない。そもそも今ここに敵が現われて、俺がお前のことをかばって死んだらどうする気だ?」

 「だって、アルヴィンは強いでしょ?」

  いつもと違う気弱な声に、苛立つ。

 「人数が多ければ俺だって負ける」

 「じゃあ、わたしのこと置いて逃げて」

 「できるかこのバカ!」

  思わず怒鳴ると、イオリは目を見開いてアルヴィンを見上げたまま動かなくなる。口を引き結んで何かに耐えているような表情に、アルヴィンは「しまった」と後悔した。

  これは泣く。きっと泣く。
  だが、どうしていいかわからない。

  そして思い出したのが、叱られた時に抱き締めてくれた母の思い出だった。アルヴィンはイオリに手を差し伸べる。
  怒られると思ったのかイオリがかすかに身を縮めたが、気にせず腕の中に抱き込んだ。
  子供のように小さな肩とやわらかな腕の感触に、弱い生き物を苛めてしまったような罪悪感に苛まれる。

 「怒鳴って悪かった。でもこれだけはわかって欲しい。俺はお前を置いて逃げたりしない。命に代えても守ってみせる」

  逃げたりなんてできない。

 「ユーキに守るって、約束したんだ」

  ユーキの名前に安心したのだろうか。ふっとイオリの体が緊張を解いてよりかかってくる。

 「俺だけじゃない。女官も兵たちもお前を見捨てたりしない。主のために死ぬ可能性がある事を、皆承知の上で城に仕えてるんだ。でもそれ以上に、みんなユーキを哀しませたくないんだ」

 「悠樹は勇者だからってわけじゃなくて、みんなに好かれてるんだね」

  ぽつりとイオリがつぶやく。
  アルヴィンは「いいやつだからな」と返した。

 「わかったら寝ろ。充分睡眠がとれなかったせいで万が一の場合にお前が逃げ遅れたら、俺たちはユーキに顔向けできなくなる」

  背中を軽く叩いてイオリを離すと、なぜか彼女は不安そうな表情になった。
  それを見た瞬間、アルヴィンは心の中に妙な焦りを感じる。手を離さなければよかったような。しかしもう一度手を伸ばすのは気恥ずかしい。
  だからイオリがいつもの調子で文句を言ってくれた時には、正直ほっとした。

 「そんな簡単に眠れるなら、今苦労してないってば」

 「よし、なら俺が秘蔵の薬をわけてやる」

 「睡眠薬?」

 「いいからちょっと待ってろ」

  部屋を出るとあの女官と近衛がすぐそこにいたので、自分が席を開けている間、また待機してるように言いつける。
  そしてアルヴィンは自室へと急いで戻った。


  一人になった部屋の中でイオリは今更ながらに赤面していた。

 「アルヴィンたら、なんつー殺し文句をあっさりと……」

  けれどその口元には、消えない笑みが浮かんでいた。
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