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第一部 ガーランド転生騒動

王子様はとことん王子様だった

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「何してるの? 二人とも」

 そこへ校舎の方から声がかけられた。見れば庭へ降りられる引き戸のところにアンドリューがいる。

「沙桐を探すのに時間がかかりそうだから、先に帰ってほしいとは聞いてたけ……」

 アンドリューはぎょっとしたように言葉を途中で切り、走ってくると灰色のジャケットを脱ぎだした。

「寒いでしょう、沙桐さん」

 次の瞬間、心臓が口から飛び出るかと思った。何事かと思った私の肩に、アンドリューはジャケットを掛けてくれたのだ。
 礼を言う言葉さえ、すぐに出て来ないほど動揺した。
 口を開け閉めしながら呆然とした後、猛烈に恥ずかしくなってうつむいてしまう。

(御礼、御礼言わないと……)

 でも、一瞬でもときめいた自分がとんでもないことをしでかしたように面目なくて、顔向けできないのだ。

「とりあえず校舎の中に」

 そんな私の背をやわらかく押して、アンドリューが校舎へ誘導してくれる。
 なんて王子様っぽい行動だろうか。
 憧れたシチュエーションに、私は更に申し訳ない気分になる。
 きっとお国で、貴族達と円滑な交流を持つためとか、将来のお妃様のためにと練習させられて身につけただろう気遣いを、自分に無駄遣いさせたことが、だ。

(そう、これは無駄遣いなのよ。だけど本当に完璧だわアンドリュー。きっと将来好きになるだろうお姫様か誰かも、ころっと行ってくれるはず。私が保証する!)

 口で言うのは恥ずかしいので、私は心の中でアンドリューを褒め称える。
 すると少しずつ心が落ち着いてきた。

「あの、ありがとうアンドリュー」

 ようやく絞り出すように言った私は、ちらっとアンドリューの様子をうかがう。
 彼はほっとしたように微笑んでいた。

「雨に濡れて寒いでしょう。そのまま今日は着てて。明日返してくれればいいから」

 優しい気遣いの言葉に、再び胸が高鳴りそうになる。
 しかし、それを見事にぶちこわしてくれる人物がいた。

「……師匠、寒かったんですか?」

「そういうものじゃないだろう?」

 ほけっと尋ねてくるエドに、私は脱力しながらもほっとする。
 正直なところ、エドに女扱いされたらそれはそれで怖い。うん、なんだかエドの調子になれてきたのか、このずれたところがエドの良いところのような気がしてきた。

 なんにせよ、今のはほんと助かった。
 うっかり転がってしまわずに済んだ。たまにはエドの恋愛音痴も役には立つ。

 心が落ち着いた私は、日も暮れてきたので帰ることにした。
 鞄を拾って中に件の手帳をねじ込んだところで、傘はあるのかとアンドリューに尋ねられた私は、ついうっかり無いと答えてしまった。

「あ、でもバス停まで遠くないし、バス停からも家は遠くないから」

 大丈夫だと言ったのだが、アンドリューは目を丸くした後で、どうあってもアンドリューの車で送ると言って譲らなかった。
 王子様としては、友達でもある女性を雨の中一人で帰すという選択肢は初めから想定外だったのだろう。

 根負けして乗ったのは、黒塗の国産高級車。
 運転席にいたのは日本人の運転手さんだ。お付きの人では地理に不案内だからと、現地で募集したそうな。
 髪の白くなった好々爺一歩手前の運転手さんは、アンドリュー達が女の子を同乗させるのが珍しかったのか、一瞬だけだが、目を見開いていた。
 それ以上は何も言わずに乗せてくれたが、私は恐縮する。
 もちろんアンドリューやエドの様子には変わりなく、エドは助手席に乗ると、すぐにアンドリューに報告していた。

「今日はとうとう沙桐殿が師匠と呼ぶことをお許し下さいまして」

「良かったねエド」

 いや、それは良くない……んだけど。
 同志のため、エドに騒がれたくないがために受け入れたが、私とっては嬉しい出来事ではないのだ。
 明日から、一層「師匠、師匠」とうるさくなるんだろうな。どうにか適当な課題を与えて遠ざけなくては。

 そうして、何度か固辞したものの結局家の前まで車をつけてもらった私は、御礼を言うなり家の中に飛び込んだ。
 小さいながらも住み慣れた我が家に入って、ほっと息をつく。
 とりあえず、雨の中送ってくれたのは有り難かった。
 濡れてしまっただろうシャツを着替えようと自分の部屋に行き、アンドリューが貸してくれたジャケットを脱ぐ。
 そこで壁の姿見が目に入り、私は硬直した。

「げ……」

 シャツの中に着ていた白のキャミソールまで濡れたせいか、下着の線が透けている。
 いつもならそれほど気にしないのだが、見られた相手が問題だった。

「うぉぉぉ、王子様のお目汚しをしてしまった……」

 苦悶の表情でうめいてしまう。
 いくら友達とはいえ、光輝を纏うような美少年に見られてうれしいものではない。お世辞にも色気のない私の服が透けたところで、苦笑いして顔を背けるしかないだろう。
 とにもかくにも、突然ジャケットを貸してくれた理由がようやくわかった。完璧なまでに、一般的な女性への配慮だった。

「勘違いしなくて良かった……」

 なにせ異世界語を学んでしまうミーハーなところがある自分だ。何かの拍子にころっと相手を好きになってしまいかねない。
 とはいえ、相手が王子様でも騎士であっても、自分が釣り合わないことぐらいは認識できているのだ。諦めるのは大変だろうから、最初から好きにならないのが一番だ。

「しかしほんと王子様だなー。エドが邪魔しなければ、もう少し女の子が寄ってきてもおかしくないのに」

 それこそ、あのキースのようにちやほやされていてもおかしくないはずだ。
 ……と思いながら少し湿ったジャケットをハンガーにかけ、コート掛けにひっかけた。

 持ち上げた瞬間、香ったのは自分のものではない匂い。
 男の人の匂いにどこか色気を感じた瞬間、私は顔が熱くなってジャケットを投げ出しそうになった。
 誰も見ていないのに恥ずかしさをごまかしたくてしかたなくなる。
 なぜ着ていた物一つでこんな色気があるんだと文句をつぶやき、そそくさとジャケットから離れた。

 そもそも濡れたジャケットなんて、湿った羊毛の匂いだけがするもんなのよ、少なくとも私はそうだったわよ。……って、夏用ジャケットだから羊毛じゃなかったかもしれない。
 だとしたら香ってもおかしくないわけで。

「う、うぅ……何この恥ずかしさ」

 がっくりとその場に手と膝をついてうなだれることしばし。
 夕飯に呼ばれるまで、私はそのままアンドリューのジャケットを視界に入れることすらできなくなったのだった。
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