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〘131〙防衛本能
しおりを挟む危機に直面したり、痛みを予感させる出来事をまえに、葛藤しない人間はいない。たいていの場合、その瞬間を想像して、防衛反応がはたらく。湧きでてくる欲求や感情は、願望や恐怖心といった類型に形成され、排除するためには己の気持ちを外側に隔離するか、抵抗して打ち消す手法が必要である。
「ハルチカ、いつまでラギを待たせておくつもりだ? おれは、あいつの代わりには、なれないぜ……。」
ヒシクラの接吻を受け、思考回路が迷走するハルチカは、ことばの意味がわからず、部屋にもどってからも釈然としなかった。哥の名前がでたことや、代用という文句が悩ましい。ハルチカは、アカラギの代わりを求めたつもりはない。そんなことは、誰にもできない。追いかけたくても、哥の背中は、あまりにも遠すぎた。今から全力疾走しても、きっと間に合わない。そう思って、向こうから歩み寄ってくることを期待した。実際、アカラギは何度も立ちどまり、ふり返っている。だからこそ、決定的な距離感が目に見えていた。
「これ以上、どうしろって云うの? おれは、なんでこんな……、どんなにがんばっても、哥さんに追いつけるわけないよ……、」
キリコのように経験豊富でもなければ、ヒョウエのように明るく元気な性格でもない。モモコみたいな自然な色気もない。サイキチのように汗みず流して動きまわるわけでも、エンオウのように寡黙で力持ちでもない。すべては環境のちがいによって生じた個性であり、ハルチカの長所といえば、適応性と忍耐があるだけだった。それさえも、路上生活をしのぐために必然的に身に備わった能力であり、望んで手に入れた特徴ではない。
「ほしいだけじゃ、だめなんだ……。そんなの、わかってるよ。努力しなきゃ、認めてもらえない。だから、おれは、夜鷹坂で上級男娼になったんだ。あとは、なにが足りないの? 誰か、教えて……。おれは、なにをすればいいの……、うまくやってても行き詰まるのは、なんで……? 失敗ばかりで、おれだけ、なにも成長してないみたいだ……、」
やって当然、できて当たり前、どのような立場でも、他人の評価はつきまとう。たとえ一部の声が肯定的であっても、好きな男に認めてもらえない不安感は、ハルチカの心を悩ませた。おちこんでは奮起して、前進したかと思えば足踏みでしかない。いつもすっきりしない現状と結果に、ハルチカの躰は疲れやすくなっていた。
夕刻になり、外出先からもどってきたアカラギは、帳場のヒシクラに名簿をちらつかされた。
「今夜だが、名前を入れておいたぞ。」
「誰の、」
「おまえさんのだよ。ハルチカを最後に抱いたのはいつだ? そろそろ、恋人の時間が必要な頃合だと思ってな。余計なお世話だろうが、これも仕事のうちだと思えばいい。あいつを抱いてやれ。」
ヒシクラは、タカムラより厄介な相手である。カリヤに負けないほどの達筆で、アカラギの横にハルチカの名前が記されていた。まだ指名料は未納につき、アカラギは黙って財布から紙幣を抜き取ると、帳場の方卓へ置いた。
ハルチカは、金銭を支払ってまでアカラギに抱いてほしいとは思わず、タカムラの指示で性教育を継続していた期間のほうが心身ともに充実していた。「これっきりにしないで」と云われ、「個人的に付き合ってやる」と応じたアカラギとしても、第三者のお膳立ては不可欠であり、ヒシクラに体裁を整えられた今、ハルチカと向き合う時間をつくるべきだと判断した。自己嫌悪に陥りやすいハルチカの心境を、悪化させてはならない。
事務的な作業でハルチカと向き合う機会が多いヒシクラは、青年の限界を察して、好きな男との交流の場を用意した。
✓つづく
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