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〘130〙エンオウ
しおりを挟む調理場で、黙々と食事の膳を片付ける男がいる。従業員のひとりで、焰惶という、ふしぎな響きの名前をしていた。本人いわく、異国の血が混ざった家系らしい。夜鷹坂イチの巨漢だが、動物好きで、一本の糸を引いたような細い目と、ぼそぼそと小声でしかしゃべらない性格につき、近寄りがたいというよりは、人畜無害といった雰囲気の男だった。
朝食を終えたハルチカが調理場にあらわれると、エンオウが食器を受けとり、洗い場に立つ。水道の蛇口をひねると、泡立てる前に、醤油のついた皿をひと舐めした。それを見たハルチカは、なんとも思わなかった。野良猫といっしょに残飯をあさる生活ならば、経験済みである。少しでも味のするものは、なんでもご馳走に変わる。誰かの食べ残しで空腹をしのぐ人間は、世上にあふれていた。
「エンオウ、これ、あげる。」
ハルチカは、数日前の利用客からもらった小さな砂糖菓子を差しだした。エンオウはいつも、じぶんの食事を残して、庭木にやってくる野鳥や、地面を行進中の蟻にお裾分けをする。最初は警戒していた動物たちも、エンオウに敵意のないことがわかると、向こうから近づいてくるようになった。
「……い、いいんですか?」
「うん、いいよ。三個あるから、ひとつあげる。」
「あ、じゃあ、そこ……に……、」
置いてくださいと、作業台を指で示す。手渡すつもりだったハルチカは、一瞬、変な顔をした。前髪の長いエンオウは、その糸のような細い目で、ハルチカの表情から心理を読み取る。
「すみません。いま、手が、ぬれているので……、」
ハルチカが持ってきた皿を洗い始めた直後につき、適切な判断である。上級男娼の指に汚れた手で触れるなど、エンオウには無理な話である。気がつかないハルチカのほうが、迂闊だった。云われたとおり作業台に置くと、帳場へ立ち寄った。ヒシクラは、名簿の表紙に短冊状の布片を貼りつけていた。ハルチカが脇からのぞき込むと、これは題簽だと説明した。
「……ふうん、」
「なんだその返事は。興味なさげだな。」
「……ごめん。疲れてて、」
「なにか栄養剤を注文するか?」
「だいじょうぶ。自然に治るから。」
「原因はアダシノさまか? ラギが枕席を中断させるほど、すさまじかったようだしな。自慢の尻穴は、出血してないだろうな。」
「う、うん(じまん?)。哥さんに確認してもらったから平気だよ。……それより、シノさまの雰囲気が、前より変わったような気がする、」
「どんなふうに、」
「……ダンナみたいな感じに、」
「タカムラ?」
「うん、なんとなくだけど……、」
「ふうん? おまえさんにしては、なかなかの着眼点だと云っておこう。」
「莫迦にしてる?」
「褒めことばだよ。……おまえ、そんな話をしに来たのか?」
「……え?」
むろん、そうではない。話の本筋を指摘されたハルチカは、急に耳まで赤くなり、ヒシクラに口止めを見抜かれた。
「ほほう、あれか。書院でおれにキ……、」
「うわーッ!? 云わないで!!」
ヒシクラに飛びつくと、ひらり、と題簽の布片が床へ落ちた。平常心でなかったとはいえ、ヒシクラに口唇を被せてしまったハルチカは、うしろめたさにとらわれた。アカラギは深刻に考えない性格だが、恥ずべき行為につき、誰にも知られたくないと思った。ヒシクラは、ハルチカの躰を坐布団のうえに引き倒すと、素早く口づけた。
「……うㇺッ!」
逞しい体躯を払い退ける腕力はない。口づけを拒む気力もない。ハルチカは、逆らえない理由ばかり考えた。
✓つづく
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