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〘71〙百戦錬磨
しおりを挟むまず、ハルチカを悩ませたものは、初対面である人間の異常な性欲である。これは一種の呪いなのではないかと思えた。枕席に侍る利用客は、男娼の生命を喰いつめる亡者であり、きわめて特異な連中で、恐怖すら感じた。
ところが、その異常なる性欲に戦慄するばかりではない現象が起きる。どんな体位であれ、刹那に触感する快楽は、ハルチカの生命活動に刺激をあたえた。たとえ不適切な肉体関係であろうと、アカラギの手ほどきを受けたハルチカは、人間の欲望は、ことごとく等しいもので、絶えずわきでてくるものだと気がついた。
自分自身に意味が問われるハルチカは、想像力をもって、異常なる性欲とつきあうことにした。さいわい、夜鷹坂では健康面や衛生管理を徹底しており、利用客にも定期的に診断書の提出を求めている。壺の間での性交渉は合法につき、大胆にふるまうことができた。
トキツカサの屋敷で、出張奉仕をやり遂げたハルチカは、欄間を透かして見える隣室の天井に目を留め、坐して待つアカラギの名前を心のなかで何度も呼んだ。
哥さん、哥さん、
終わったよ……
おれ、やったよ……
これで、いいんだよね?
ハルチカは、木の香に満ちた風呂場を借りて躰を洗うと、濡髪に赤珊瑚のかんざしを挿して、臙脂の小紋に着がえた。裏山の竹林が、ざわざわと風にゆれて音が鳴る。時刻は昼すぎくらいだが、屋敷全体は薄暗く、妙に鎮まり返っていた。
「お疲れでしょう? 少し、お息みになりますか。」
突然の声に驚いてふり向くと、風呂場まで案内してくれた老婦人が立っていた。髪は染めつけたかのような白銀で、皺のある首筋や指を見るかぎり、トキツカサ氏の祖母ではないかと思われた。ハルチカは「だいじょうぶです、」と応じて老婦人から目を逸らすと、アカラギのもとへ向かった。家人の寝床を横目に、廊下を通ってゆく。客間へたどりつく手前で、見知った顔と鉢合わせ、「あ、あなたは!?」と驚愕した。
「やあ、ハルくん。こんにちは、」
「アダシノさまが、どうしてここに……、」
化野は夜鷹坂の馴染み客で、ハルチカを指名することもあった。トキツカサの屋敷で遭遇するとは夢にも思わない人物につき、「なぜ? どうして?」と、あからさまに動揺した。濡髪から、カツンッと、かんざしが落下すると、ハルチカの指をかすめてアダシノが先に拾い、「どうぞ。」と差しだす。
「あ、ありがとう……ございます……、」
「すまない。そんなに驚かせてしまったかな。私の本名は、朱鷺士紫野という。ここは、私の生家であり、叔父の屋敷でもある。」
「シノ……さま……? おじ……?」
アダシノは、ハルチカの頬に指を添えると、襖をあける音がして、誰かが近くにいることを承知で告げた。
「叔父はトキツカサ財閥の会長で、私の従兄弟にあたります。夜鷹坂という娼館を、彼に紹介したのも、この私なのです。とくに、上級男娼を推薦しておきました。……さまざまな事業に関与してきましたが、花町は、たいへん興味深い場所でしたからね。」
ハルチカは、アダシノの背後に歩み寄るアカラギに向かって、説明を求めた。財閥との癒着は、夜鷹坂の経済成長を支援させる目的がある。トキツカサは、銀行や商社を傘下にもつ財閥につき、アカラギは、多額の投資を確約させたうえで、ハルチカを差しだした。商売に政治的手法はつきもので、勝算が見込めない取引は持ちださないにかぎる。
✓つづく
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