恭介の受難と異世界の住人

み馬

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第325話〈輝かしい道徳心〉

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 去り際のランカの態度はぎこちなかったが、講義のため顔を合わせた時は、ニコッと自然に微笑ほほえんでくる。

「きょうの講義はマグナ先生のようですね。お互い、足がしびれてもがんばりましょう。」
「ああ、そうだな。」

 ランカのいうマグナとは、よわい70代の御年寄おとしよりで、高官を教育する指導者のひとりである。背丈せたけこそ低めだが、年齢のわりに足腰あしこし丈夫じょうぶで、たいてい講義は長引いた。正座をして話を聞く候補生の中には、体調が悪くなり退室する者が続出している。

(マグナ先生か……。あの人の話は長いからなぁ……)

 講義室の立て札にその名を見つけた恭介は、小さくため息を吐くと、壁際に積み重なっている座布団ざぶとんを敷いた。側近候補生だけによる、学問の日々は始まったばかりだ。席順に決まりはなく、やって来た生徒から適当な場所に座布団を敷いて腰をおろす。恭介は、造園が見える手摺てすり側に好んで座る。鮮やかな菫色すみれいろの花と、青空のコントラストが気に入っていた。まもなく、口髭くちひげが特徴的な〈マグナ=ダズマ=キーン〉が、生徒たちの隙間を通り抜けて、正面に立つ。

「おはよう、諸君。原初状態から出発し、早ひと月が経とうとしているが、そろそろ社会契約の相互性を理解できたかね。」

 マグナは、コホンと咳払せきばらいをすると、必ず最前列に座る優等生を指名した。
「ランカよ。答えてみよ。唯一の道徳的原理とは、すなわち、すべての人間がどのような権利をもたなければならぬのか。」
 名指なざしで問われたランカは、「はい」と返事をしたのち、迷うことなく自分の意見を述べた。正座の姿勢は崩さない。

「誰もが、世代の構成員であることを自覚した上で、諸原理の選択は公平であり、合意は、交渉の結果でなければなりません。すべての人がもつ権利とは、調和と進化の倫理則です。」

「よかろう。ではランカよ、なにゆえ権利の拡大を否定せぬ。」

「はい。それは、人間が共同体の中で自分の場を定めようと他人と競争するかぎり、同時に、倫理観も働くからです。個人の本能は、集団環境において調整をはかるように働くのだと思います。ただし、自己利害によるため、人間中心主義でもありますが、ぼくは、権利の範囲の拡張は、進化の道筋として起こりうる必然だと考えます。」

 堂々たる発言に、他の生徒からため息がれたが、ランカは主張の後半になると、後方へ、ちらッと視線を泳がせる動作どうさをした。

(……今、オレを見たのか?)

 目が合う前に正面へ向き直ったランカだが、恭介は、なんとなく気まずい空気を感じた。

(権利の拡張は必然か……。確かに、オレは私欲が働いて、内官では満足できなくなった。ジルヴァンにもっと近づきたくて、社会的地位をのぞんだようなモンだからな)

 急務な課題でありながら、必死で勉強したからこそ、手に入れた恭介の権利を、誰もとがめることはできない。しかし、個人を社会に調和させるために必要な前提条件は、第三者の理解である。

(……本当は、アミィやユスラにも、きちんと話しておくべきだった。レッドにもか。……今なら、ジルヴァンの気持ちが少しわかる気がするぜ。自己現実の獲得は、オレひとりの問題じゃなかったンだ)

 道徳心を高める講義において、恭介は、知り合った人々に対する尊重の念を忘れてはならないと、改めて認識した。

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