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第 72 話
しおりを挟むルークシード家は、物事を楽観的に考える傾向にある。だからこそ、ゼニスは早くから自由な生き方を選択できた。
オルグロスト共和国にたどり着いてから4日目の朝、ついに兵力による戦闘が開始された。これまでの経験と国内情勢を鑑みて、反乱軍に加担したゼニスは、数十人の傭兵等と共に、北の荒れ地に向かった。あまり政治的な事柄は考えず、目の前の敵対する兵士に剣を振りおろすことが、ゼニスの生業である。当然ながら命のやりとりをするため、常に真剣勝負だった。風が強く土烟で視界が悪い中、ギィンッ、ガキィンッと、互いの武器が衝突する鈍い音が鳴り響く。
錆びた鉄と血のにおいは風に乗り、遠く離れたシリルの元まで届いた。異変に気づいた護衛獣ふたりは、すぐさま経路の迂回を進言する。だが、世間の物事に興味津々で思考が幼いシリルは、あろうことか、護衛獣を置き去りにして走りだす。草木を掻き分けて大きな岩を飛び越えると、樹々のあいだをすり抜けてゆく。シリルの脚力に追いつけない護衛獣は、その姿を見失い、大慌てした。
「シリル様! シリル様ーっ!?」
「シリル様ーっ!!」
「いや、待て! 落ちつこう。獣王子の目的は山合いの村落だ。先に向かっているだけかも知れん。ひとりはこのまま進み、ひとりは村落で待機してはどうだろう。」
「よし、わかった! ならば、わたしがシリル様を追うため前進しよう。おまえは予定どおり村落に向かってくれ。ただし、丸1日経過しても戻らなければ、おまえがシリル様を捜すんだ。いいな?」
「わかった。そうしよう。気をつけてな。」
「ああ。このにおい、あきらかに人間共が小競り合っている。シリル様に危険がおよぶ前に、なんとしても見つけねばならん。」
「その心配は無用かも知れんぞ。まだ若いとはいえ、獣王の血を引くだけある。われらとは運動能力が比べものにならん。とはいえ単独行動はよろしくない。」
「ああ。では、行ってくる。」
「必ずシリル様と戻ってこいよ。」
護衛獣は二手に分かれて進み、ひとりはシリルのあとを追った。すでに森を抜けて、荒れ地へたどり着いたシリルは、鎧兜を重装備した兵士と、防具をせずに武器を振りかざす人間が交戦する現場を目撃した。地面には血だらけになって倒れる者がいる。
「……なんなの、これ。」
人間同士が切り合う場面を初めて見たシリルは茫然としたが、弓矢が流れてきて、咄嗟に躱した。
「わわっ、なに? なに?」
強い風によって地表の砂や土が空気中に舞いあがり、視野が遮られた瞬間、大きな人影がシリル目がけて近づくと、武器を振りあげた。ガキィーンッと、ひときわ耳障りな金属音が鳴り響くと、バッサリ胴体を切断された兵士がシリルの足許に転がった。風が吹きつけて視界がひらけると、紺色の髪をした傭兵が、剣を手にして立っていた。
「ねぇ、あなたは誰? みんな、ここで何をしてるの?」
シリルがそう訊ねると、ゼニスは周囲を警戒しつつ、「去れ」とだけ短い言葉を発する。悠長に会話をしている状況ではないが、シリルは足許で息絶えた兵士を見おろすと、その場にしゃがみ込んだ。
「このひと、死んじゃったよ。どうしてみんな、切り合ってるの?」
のんびり問われたゼニスは無意識に顔をしかめたが、こちらのようすに気づいた兵士を視野に捉えると、すぐさま前方に剣をかまえた。シリルを背後にして立ち、武器で打ち合っていると、さらに4人の兵士が駆けつけてくる。ゼニスは5人の敵に囲まれたが、その表情は落ちついていた。だが、戦場を知らないシリルは「卑怯だぞっ!」と叫び、ゼニスの前に飛びだしてしまう。すると、兵士のひとりがシリルを槍で突き刺す動作を見せた。ゼニスは瞬時に脇をすり抜け、剣で槍を叩き落としたが、べつの兵士が飛び道具を仕掛けてくる。
「わぁっ、な、なにこれ!?」
シリルの手首に巻きついた鎖を、ゼニスの剣が一刀両断する。完全に足手まといとなるシリルだが、ゼニスの行動は素速く正確につき、ひとりで5人を相手にする能力は備わっていた。物理的な攻撃を得意とするゼニスだが、己の身体を呈する自己犠牲の判断も持ち合わせている。そのため、シリルの後方から6人目の兵士が接近してくると、剣で応戦するより先に足が動いた。
ザシュッという、生身を切る音とゼニスの血しぶきを見たシリルは「このぉっ!」と怒りの表情を浮かべ、本来の姿へと変形させた鋭い爪で、兵士の咽喉を引き裂いた。わずか数十秒ほどで6人の兵士を倒したシリルは、深傷を負って横たわるゼニスに駆け寄り、迷わず口唇を重ねた。回復を早める効果がある唾液を呑ませるが、それは獣人同士に限っての応急処置につき、ゼニスの傷口から流れる血は止まらなかった。
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