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第31回[生ずる情念]
しおりを挟む車掌に切符を提示して無人の駅舎へおり立つ礼慈郎は、手帳に記した番地を確かめたあと、汽車を見送る飛英をふり向いた。
「この近くに寺院がある。集落へ行くまえに寄るとしよう。」
「はい、わかりました。」
手荷物のない飛英は、礼慈郎より身軽につき、体力に余裕があった。半日ほど汽車に揺られていたが、長旅の疲れは感じられない。基礎から躰のつくりが異なる礼慈郎も、しっかりとした足取りで歩きだす。本日の宿屋は、集落の空き家ですませるつもりだった。田舎へ行けば行くほど、宿泊施設は見つかりにくい。いっそ、野宿でもかまわないと考える軍人だが、飛英がそばにいるかぎり、そういうわけにもいかない。今回の旅で、どこまで青年の謎を解明できるか、礼慈郎は静かに眉をひそめた。
長閑な田園風景のなかを徒歩で移動する飛英は、ふしぎな気持ちになった。厄介者として嫌われてきた過去を思いだすたび、悲しくて涙がこぼれたが、礼慈郎と出逢い、身請され、狩谷家で不自由なく生活を送り、現在は両親が眠る場所を探すため、士官学校を休んでまで協力する軍人の姿は、心強く、ありがたい存在でしかない。この恩をどうすれば返せるのか、いくら考えても手段が見つからず、頭を悩ませた。
「わたしにできることは、何もないのでしょうか……、」
それは小さな声だったが、耳に届いた礼慈郎は、あぜ道の途中で立ちどまると、飛英の腕を引き寄せて口唇をかさねた。左手に提げていた旅行鞄を手放し、両腕を使って飛英の肩を抱きしめる。
「れ、礼慈郎さん?」
「おまえは、おれの愛人だという自信がないのか。」
「じ、自信など、ありません……。」
「ならば自覚しろ。今夜、その身に刻んでやる。」
礼慈郎は主人という立場につき、性的な営みをもつことで、愛人の不安を取りのぞくことができる。肉体関係におよぶ頃合を考えてはいたが、旅の最中で実行する決意を固めた。はっきり閨事を宣言された飛英は、はやくも心臓がドキドキと高鳴った。耳まで赤くなり、恥じらう表情をみせる飛英だが、礼慈郎は内心、英理の存在を危惧した。
もし、性行為の最中に別人格となってしまった場合、快楽を優先して夢中になるはずだ。誰であろうと、初夜を邪魔されたくない礼慈郎は、少なからず、織原飛英という人間を大事に思う気持ちがあった。ストリップ劇場で額縁ショーを披露する姿は、今でも脳裏に焼きついている。不覚にも、英という芸者に見とれてしまった礼慈郎は、その身を手に入れたいと思った。薔薇の花束を贈る紳士よりも貪欲な感情が芽生えた結果、迷うことなく飛英を身請した。なぜ、これほどまで心を動かされたのか、そのこたえを見つけるためにも、ふたりきりで過ごす時間(厳密には性交すること)は重要な意味があった。
こじんまりとした寺院では、境内を通りかかった住職に声をかけ、適当に話をつけた礼慈郎は、飛英と墓地を見てまわった。墓石本体の表面に故人の名前を必ずしも彫る必要はないため、なかには名前のない墓石も立っている。だが、県境にあたるこの地域は、飛英を家から追いだした人間が住む土地に近いため、見知った名前を目にする機会が増えてくるだろうと思われた。しかし、すべての墓石を確認した飛英の表情は暗い。ここにも、両親は眠っていなかった。紫紺の眼をもつ青年の出自は、礼慈郎が思うよりずっと、闇が深い。そう簡単に真実へたどりつくことはできない。
✓つづく
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