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第8部

第143話

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 はぐれた亮介を見つけにノネコが隊列を離れたさい、キールは『こちらへ』というミュオンに木陰へ呼びだされた。ハイロやコリスの視界から隠れる場所へ移動したキールは、「なんだよ、どうした?」と、ミュオンの顔をのぞきこんだ。地面に坐りこんでいたミュオンは、キールが首をのばしてきた流れを利用し、ごく自然に、黒い鼻先へ口唇くちびるを当てた。チュッと軽く音を立てるだけの、わずかな接触だが、それでもミュオンの残りの霊力は、ほんの少しだけキールの皮下組織をつたい、体内へ流れこんだ。

「ミ、ミュオン?」

『さあ、これで今のあなたには水気をあやつる力があります。その身に危険が迫ったとき、わたしの霊力を使いなさい。かならずや、助けとなるでしょう』

「なにやってんだ、もったいねーな。ただでさえ、残ってる霊力は少ないんだろ? それをおいらに譲るなんて、ばかだな」

『わたしからの餞別せんべつです。素直に受けとりなさい』

「……ったく、無茶しやがる。やい、ミュオン。おいらは、ハイロのおっさんが羨ましく思うぞ。先祖がえりとはいえ人型になれるし、強くて正しくて、誰よりもたのもしいから、おいらよりずっと必要な存在だろ。弱っちいリョースケにとってもな」

『キール? なにを言っているのですか。あなたこそ、わたしたちを支えてきた一員ではありませんか。とても感謝しています』

「……そりゃ、そうかも知んねーけど。……でもよ、おいらじゃだめだろ」

『なにがです?』

「ミュオンとおっさんは、お似合いだぜ。おいらなんかじゃ、ミュオンを抱くこともできねーからな」

『え? そうですか? 抱けるでしょう。ほら、こちらへきなさい』

 鈍感なミュオンは、渋々と近づくキールを両腕で包みこみ、やさしく抱擁した。キールの愛情を受けとり損ねたミュオンだが、ハイロがいるかぎり、イタチの想いは成就しない。キールは、気持ちを自覚する前に失恋していた。その胸の痛みさえ、ミュオン自身の包容力で癒やしてゆく。

「……おいら、みんな好きだぞ。ほんとうに、楽しかった。ありがとな、ミュオン。……あんたには、ハイロのおっさんがついてるから、だいじょうぶだ。安心して子どもを産めよ。……いきなり消えたりして、おっさんを悲しませるなよ」

『キール、あなたは……』

「へへっ、なんかすっきりした。おいら、こんな晴れ晴れした気分になったのは、初めてだ」

 キールを抱きしめるミュオンの姿は、ハイロの位置から見えていた。ふたりの会話も、それとなく聞こえていたが、ハイロは気づかないふりをして目を逸らした。水の精霊の将来を独占する結果となった今、ハイロの責任は大きい。親しい仲間(キール)との別れは寂しくも感じたが、いちばんに考えるべきはミュオンとの今後である。

「おれは、おまえを分化させやしない。……断じて、奪わせるものか」

 ハイロは、いざとなれば自らの体内に吸収したミュオンの霊力を、口移しで無理やり返すつもりでいた。それによって人型にもどれなくても、ミュオンさえ無事なら構わないと思った。なにより、子づくりのあいだ、からだの深いところまで交接することができたハイロは、性的な快楽にもたされている。二度と愛しあえなくても、ミュオンがきらう半獣属の姿でしか寄り添えなくても、記憶を失われるよりはマシだった。

「そうだ。おれは愛しあうとは言ってない(第1部/第24話参照)。最初から、おまえのためだけにった。……それでいい。贅沢な話だ」

 れた泉水に涙をこぼし、恋人を失望させるわけにはいかない。灰色大熊の決心は、ミュオンの白く甘い肌に触れるたび、静かに燃えていた。


★つづく
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