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第8部
第142話
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※ひとつの真理(追憶と憶測)
静かな森に、オギャーッという赤子の泣き声が響いた。月夜の湖畔で誕生した生命は、人間と水の精霊の血を受け継ぐ男児である。雄性にして身ごもった精霊は、交わった人間との子を股のあいだから生んでみせたが、多くの霊力が赤子の成長に必要とされ、精霊を象っていた要素は、すべて新しい生命体へ移行した。愛しあったふたりは、わが子の誕生とひきかえに、その瞬間におとずれる別れを予想できなかったわけではない。なにもかも承知の上で、からだをつなげた。
まぶたを閉じて眠りにつく精霊を見まもる人間は、悲しみを堪え、消滅してゆく肉体を抱きしめた。
「さようなら、ミュオン・リヒテル・リノアース……。愛しいわが子よ、この奇蹟の泉水に近づくことなかれ。おまえの生きる場所は、春の大地、夏の草原、秋の山野、冬の夜、ぬくめる屋根の下にある。……たとえわずかであろうと、人間の血が流れるかぎり、精霊のように消えることはないだろう」
人間の男は、腕のなかで音もなく消え去ったミューオンとの再会を信じてうたがわず、赤子に〈光〉と名付け、森の片隅で大事に育てた。リヒトが8歳になるころ、どこで知りあったのか半獣属の友だちができた。まさかの肉食獣につき、最初は驚いた人間も、わが子を害する気配がないうちは、自由な交流を容認した。
「リヒト。訊いてもいいか」
「なあに、父さん」
「おまえ、どうやって大神と仲良くなったんだ」
「なにもしてないよ。池のそばで、向こうから寄ってきたんだ」
「リヒト、あの池には近づくなと教えたはずだ。忘れたか」
「ご、ごめんなさい……」
男は食事をする手をとめ、正面にすわるわが子の顔を見据えた。リヒトの面差しは父親似で、中性的な容姿の精霊らしさは、外的要素にあらわれていない。だが、凛々しい大神をしたがえる能力は、人間の域を越えていた。10歳を過ぎたころ、リヒトはオオカミと共に姿を消し、父親をずいぶん悩ませた。
「リヒト、どこにいる。なぜ、帰ってこない。……まさか、大神に絆されたか」
ある日を境目に、男はわが子を見失い、リヒトの名を呼ぶ声はジェミャの耳に届いてきた。だが、地の精霊はふたりに関与せず、人間の男が息絶えたあと、森の動物たちの食糧となる光景を、ただ傍観した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
『フッ、われには関係ないこと。どうであれ、結果は同じ。男が愛した精霊も希望の光も、わが美しい土地の下で眠っている。深きまったき精霊の名において、未来永劫、ほうむられた希みは泉水にあつまる。……めざめよ、軽やかに。森をあげて祝福しよう』
キールは、シギの歌声とジェミャの踊りに目的を忘れそうになったが、ハッと、大熊のほうへ視線を向けた。愉快な雰囲気のせいで、クマもキツネも戦意が低下している。ぼんやりとした顔で、長いため息を吐いた。
「あ、兄者、なんだかオレサマ、疲れやした……」
「そうだな。なにかしたわけではないが、げんなりした」
2匹は、丸太小屋に背を向けて歩きだす。キールは「あっ、待ちやがれ!」と追いかけたが、バサッと翼をひろげたシギに行く手を阻まれた。
「キーシッシッ。イタチよ、いつから地の精霊と仲良くなったのじゃ。あれは気随中の気随。おいそれと味方につかぬぞ」
「べつに、仲良くなんかしてねーよ。おいらがひとりじゃないって言ったのは、水気のことだ」
隊列を去る前、キールはミュオンに霊力を託されていた。
★つづく
静かな森に、オギャーッという赤子の泣き声が響いた。月夜の湖畔で誕生した生命は、人間と水の精霊の血を受け継ぐ男児である。雄性にして身ごもった精霊は、交わった人間との子を股のあいだから生んでみせたが、多くの霊力が赤子の成長に必要とされ、精霊を象っていた要素は、すべて新しい生命体へ移行した。愛しあったふたりは、わが子の誕生とひきかえに、その瞬間におとずれる別れを予想できなかったわけではない。なにもかも承知の上で、からだをつなげた。
まぶたを閉じて眠りにつく精霊を見まもる人間は、悲しみを堪え、消滅してゆく肉体を抱きしめた。
「さようなら、ミュオン・リヒテル・リノアース……。愛しいわが子よ、この奇蹟の泉水に近づくことなかれ。おまえの生きる場所は、春の大地、夏の草原、秋の山野、冬の夜、ぬくめる屋根の下にある。……たとえわずかであろうと、人間の血が流れるかぎり、精霊のように消えることはないだろう」
人間の男は、腕のなかで音もなく消え去ったミューオンとの再会を信じてうたがわず、赤子に〈光〉と名付け、森の片隅で大事に育てた。リヒトが8歳になるころ、どこで知りあったのか半獣属の友だちができた。まさかの肉食獣につき、最初は驚いた人間も、わが子を害する気配がないうちは、自由な交流を容認した。
「リヒト。訊いてもいいか」
「なあに、父さん」
「おまえ、どうやって大神と仲良くなったんだ」
「なにもしてないよ。池のそばで、向こうから寄ってきたんだ」
「リヒト、あの池には近づくなと教えたはずだ。忘れたか」
「ご、ごめんなさい……」
男は食事をする手をとめ、正面にすわるわが子の顔を見据えた。リヒトの面差しは父親似で、中性的な容姿の精霊らしさは、外的要素にあらわれていない。だが、凛々しい大神をしたがえる能力は、人間の域を越えていた。10歳を過ぎたころ、リヒトはオオカミと共に姿を消し、父親をずいぶん悩ませた。
「リヒト、どこにいる。なぜ、帰ってこない。……まさか、大神に絆されたか」
ある日を境目に、男はわが子を見失い、リヒトの名を呼ぶ声はジェミャの耳に届いてきた。だが、地の精霊はふたりに関与せず、人間の男が息絶えたあと、森の動物たちの食糧となる光景を、ただ傍観した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
『フッ、われには関係ないこと。どうであれ、結果は同じ。男が愛した精霊も希望の光も、わが美しい土地の下で眠っている。深きまったき精霊の名において、未来永劫、ほうむられた希みは泉水にあつまる。……めざめよ、軽やかに。森をあげて祝福しよう』
キールは、シギの歌声とジェミャの踊りに目的を忘れそうになったが、ハッと、大熊のほうへ視線を向けた。愉快な雰囲気のせいで、クマもキツネも戦意が低下している。ぼんやりとした顔で、長いため息を吐いた。
「あ、兄者、なんだかオレサマ、疲れやした……」
「そうだな。なにかしたわけではないが、げんなりした」
2匹は、丸太小屋に背を向けて歩きだす。キールは「あっ、待ちやがれ!」と追いかけたが、バサッと翼をひろげたシギに行く手を阻まれた。
「キーシッシッ。イタチよ、いつから地の精霊と仲良くなったのじゃ。あれは気随中の気随。おいそれと味方につかぬぞ」
「べつに、仲良くなんかしてねーよ。おいらがひとりじゃないって言ったのは、水気のことだ」
隊列を去る前、キールはミュオンに霊力を託されていた。
★つづく
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