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第1部

第30話

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 翌朝、いちばんに目覚めたのはハイロである。同じベッドで眠るミュオンは、あいかわらず穏やかな寝息をたてていた。顔色に変化は見られず、苦しんでいるようすもないため、ハイロはベッドをすり抜け、となりの部屋へ移動した。

 亮介とキールはソファで夜を明かし、ノネコは床で丸くなっていた。迷惑をかけたと思い、「すまんな」と詫び、静かに外出する。朝靄あさもやのなか、やや遠くの川を目ざして歩き、岸辺きしべに到着すると衣服を脱いで裸身になり、水を浴びた。川の水温は低く、雄々しい肉体の熱を冷ますには、じゅうぶんだった。灰色大熊の発情期は初夏である。人型になってしまったハイロだが、繁殖に備えて体内では命のたねが生産され、日ごとにその量は増していく。春に恋の季節を迎える動物たちは、森のあちこちで求愛活動をおこなっていた。後始末を終えて丸太小屋にもどったハイロは、庭でうろうろする亮介の姿に目を留めた。


「あっ、ハイロさんだ! キール、キール、ハイロさん帰ってきたよ!!」

「おっさん、無事か!?」


 朝から声高な少年と1匹である。ハイロは後頭部をガシガシと掻き、門扉まで走り寄ってきた家族に、「よう」と、短くあいさつした。

「心配かけて悪かった」 

「ううん、それより動いて平気なの? 起きたらハイロさんだけいなくて、どこに行ったのかわからないし、びっくりしたよ」

「すまん」とあやまるハイロに、「まったくだぜ」とキールがツッコむ。

「どっか行くなら、置き手紙しろよな。文字くらい書けるだろ、おっさん」

「この手なら、書こうと思えば書けるだろうが……」

 自分の手のひらへ視線を落とすハイロに、亮介はパッと表情が明るくなる。

「僕が文字を教えてあげよっか?」

「リョースケは人間だから、おいらたちより得意そうだな」

(うん、書きものなら役に立てる。みんなが文字を書けるようになれば、なにかあったとき便利だよね!)

 ようやく、亮介の出番がきた。ハイロが人型になった今、文字を教える意味はある。ただでさえ無口な性格につき、手紙という間接的な情報交換やりとりのほうが、余計な気を使わずにすみそうだ。

「筆とか紙が必要になるけど、あるかなぁ」

「つくればいいンじゃね? 紙なら、木の皮を薄く削ったり、大きな葉っぱの裏とかイケると思うぜ」

「なるほど、いいね!」

「んじゃ、まずは筆に使えそうな木の枝を探すか。おいらも協力してやる」

「うん、ありがとう! それじゃあ、僕とキールで道具を集めてくるから、ハイロさんは部屋で休んでて。ぜったいに無理しないでね」

「……ああ、わかった。気をつけろよ」

「はぁい。いってきます!」

 ハイロは元気になったが、ミュオンは寝たきりのままである。亮介は、日々の出来事をつづろうと考えた。

(そうだ、僕も日記を書こう。その日の天気とか、食べたものとか、なんでも記録に残しておけば、ミュオンさんが目を覚ましたとき、いろんな報告ができる!)

 いつ目覚めるかわからないミュオンのために、思い出を共有する手段として、日記をつけることは有効的である。見知らぬ森で、精霊や半獣と暮らした証しを文字に刻む役目は、亮介が引き受けるべきだ。

 どこからか、ポッポポーと単調に鳴く声が聞こえた。亮介が空を見あげると、足もとを歩くキールが、「キジバトだな」とつぶやいた。雉鳩キジバトは、秋が繁殖期のピークだが、しようと思えば1年じゅう交尾ができる。木の枝葉に皿状の巣をつくり、雄と雌が交代で抱卵する。また、いちど巣立ちを迎えても、同じ巣にもどってくる習性があった。

 人間だけでなく動物たちも、慣れ親しんだ場所は、離れがたいものである──。


★つづく
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