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第1部
第27話
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※回想あり
月夜の泉水に泛ぶ人影は、水面にうつる自分の美貌に恋をして、浸った水のなかで生まれてくる分身に目かくしをした。
『わたしの心の青いよどみよ、わが子の誕生は、空と、地と、水に、祝福されている。うつろいやすい精神は、風の秘密をとらえ、高すぎる陽は、闇に証しを立てるためにある。……心の自然にそぐわぬ愛を、語ってはならない。……わが子よ、ミュオン・リヒテル・リノアースよ。見よ、立ち、行きなさい。どんな扉も理解してひらき、太陽ではなく、赤く燃える澳へと向かって飛翔するのだ。けっして終わることのない、いのちの種子は、恋する大地に花を咲かせ、いつまでも美しく在るだろう──』
わたしは知っている。自分の恋歌を、彼が見た栄光の世界を、そして、希望を探しにゆかねばならないことも。
長い悦びのあと、静まる血潮は熱情を忘却の渦へと巻きこんでいく。泉水に身をかがめた人影に、永遠の眠りがおとずれる。
禁ぜられた欲望と、臨終の絶望、ミュオンが生まれた日、泉水はオーロラのように光っていた。精霊が抱きあっていた幻影は、新しい世界に第二世代を落として消えていく。
生まれたての精霊を、月が見まもっていた。森は鎮まりかえっていたが、樹木の枝葉から胸をときめかせる動物が息をひそめている。
ああ、なんてうまそうな
白い肌、銀色の髪、虹色の羽
やわらかそうな、美しい肉体
ああ、骨まで食い尽くしたい
新鮮な獲物をまえに、反射運動を抑制して、およそつりあわぬ生命の細部に目を凝らす半獣属は、灰色大熊である。誕生したばかりの精霊は、すでに幼子の姿にまで成長していたが、泉水に浮かんだまま、両眼をあけない。放っておくと沈んでしまうと思った大熊(ハイロではない)は、小鳥が傷つかないように手加減をしながら肩をつかみ、ゆっくり精霊のからだを陸地へ引きあげた。
ああ、きれいだ
うまそうな肉だ
食べたい、食べたい
無防備な精霊を見おろし、食欲が増すばかりの大熊は、腹部を舌先で舐めまわすと、牙を立てた。股のあいだへ血が流れたミュオンは、うめき声を洩らした。味見ていどに軽く歯を当てたつもりが、出血量に驚いた大熊は、神聖な森の精霊に手をだした罪にさいなまれ、深く反省した。すぐさま薬草を見つけて傷口を手当てすると、泉水へ飛びこんだ。
あやまちを悔いて泉水に身を投じた大熊だが、先祖がえりという思わぬ現象が起きた。ミュオンの生みの親によって残された霊力を全身に浴びた結果である。急激な細胞変異に大熊の精神状態は不安定となるが、泉水の畔に幼子を残して立ち去るわけにもいかず、人型になってしまった半獣は、ミュオンを抱きあげて森の奥へ姿を消した。
亮介が暮らす丸太小屋の住人は、まさに、灰色大熊と水の精霊のふたりであったが、やがて、成熟した精霊は、罪滅ぼしのためそばにいる大熊と仲違いした。
水の精霊は、自ら分化して役割と責任を果たすと個体が変化して、名前だけが受け継がれていく。
つまり、ミュオンとハイロの縁は、遠い昔から結ばれていた。本来、精霊と半獣が寄り添って生きる必要はない。種族にとらわれず支えあって暮らした過去を知らない精霊と大熊の子孫は、現在、亮介たちの手によって、同じベッドの上に寝かされている。ふたりの出逢いは、必然なのかもしれない。
幾度も分化をくり返す水の精霊は、自分以外を愛するという希望を見いだすため、亮介に執着している可能性が高い。
★つづく
月夜の泉水に泛ぶ人影は、水面にうつる自分の美貌に恋をして、浸った水のなかで生まれてくる分身に目かくしをした。
『わたしの心の青いよどみよ、わが子の誕生は、空と、地と、水に、祝福されている。うつろいやすい精神は、風の秘密をとらえ、高すぎる陽は、闇に証しを立てるためにある。……心の自然にそぐわぬ愛を、語ってはならない。……わが子よ、ミュオン・リヒテル・リノアースよ。見よ、立ち、行きなさい。どんな扉も理解してひらき、太陽ではなく、赤く燃える澳へと向かって飛翔するのだ。けっして終わることのない、いのちの種子は、恋する大地に花を咲かせ、いつまでも美しく在るだろう──』
わたしは知っている。自分の恋歌を、彼が見た栄光の世界を、そして、希望を探しにゆかねばならないことも。
長い悦びのあと、静まる血潮は熱情を忘却の渦へと巻きこんでいく。泉水に身をかがめた人影に、永遠の眠りがおとずれる。
禁ぜられた欲望と、臨終の絶望、ミュオンが生まれた日、泉水はオーロラのように光っていた。精霊が抱きあっていた幻影は、新しい世界に第二世代を落として消えていく。
生まれたての精霊を、月が見まもっていた。森は鎮まりかえっていたが、樹木の枝葉から胸をときめかせる動物が息をひそめている。
ああ、なんてうまそうな
白い肌、銀色の髪、虹色の羽
やわらかそうな、美しい肉体
ああ、骨まで食い尽くしたい
新鮮な獲物をまえに、反射運動を抑制して、およそつりあわぬ生命の細部に目を凝らす半獣属は、灰色大熊である。誕生したばかりの精霊は、すでに幼子の姿にまで成長していたが、泉水に浮かんだまま、両眼をあけない。放っておくと沈んでしまうと思った大熊(ハイロではない)は、小鳥が傷つかないように手加減をしながら肩をつかみ、ゆっくり精霊のからだを陸地へ引きあげた。
ああ、きれいだ
うまそうな肉だ
食べたい、食べたい
無防備な精霊を見おろし、食欲が増すばかりの大熊は、腹部を舌先で舐めまわすと、牙を立てた。股のあいだへ血が流れたミュオンは、うめき声を洩らした。味見ていどに軽く歯を当てたつもりが、出血量に驚いた大熊は、神聖な森の精霊に手をだした罪にさいなまれ、深く反省した。すぐさま薬草を見つけて傷口を手当てすると、泉水へ飛びこんだ。
あやまちを悔いて泉水に身を投じた大熊だが、先祖がえりという思わぬ現象が起きた。ミュオンの生みの親によって残された霊力を全身に浴びた結果である。急激な細胞変異に大熊の精神状態は不安定となるが、泉水の畔に幼子を残して立ち去るわけにもいかず、人型になってしまった半獣は、ミュオンを抱きあげて森の奥へ姿を消した。
亮介が暮らす丸太小屋の住人は、まさに、灰色大熊と水の精霊のふたりであったが、やがて、成熟した精霊は、罪滅ぼしのためそばにいる大熊と仲違いした。
水の精霊は、自ら分化して役割と責任を果たすと個体が変化して、名前だけが受け継がれていく。
つまり、ミュオンとハイロの縁は、遠い昔から結ばれていた。本来、精霊と半獣が寄り添って生きる必要はない。種族にとらわれず支えあって暮らした過去を知らない精霊と大熊の子孫は、現在、亮介たちの手によって、同じベッドの上に寝かされている。ふたりの出逢いは、必然なのかもしれない。
幾度も分化をくり返す水の精霊は、自分以外を愛するという希望を見いだすため、亮介に執着している可能性が高い。
★つづく
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