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第1部

第23話

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 裏庭で用を足す(小便をする)ハイロは、微かな地面の振動を感じとり、神経を研ぎ澄ませた。なにかが、地中深くでうねっている。森に生息する肉食動物の多くは夜行性につき、昼間は活発に行動しない。もし出歩くとしても、気まぐれな狩りはせず、むやみに草食動物を襲ったりしなかった。現在、半獣属の頭数は減少しつつあり、大神オオカミのような絶滅が危惧きぐされる種族もいた。

 ハイロは腰紐をほどいて半裸になると、樽の貯水量を確認し、ニッシュのタオルでからだをいた。生活用水として使う湧水を運ぶ仕事はキールの担当であり、腕力のない亮介は、菜園の世話をするのが日課となっている(害虫と遭遇するたび、ギャーギャー騒がしいが、それも見慣れた光景となりつつあった)。


「これはまた、なんたること。おぬしのその姿、先祖がえりしておるではないか」

 
 バサッと、大熊の近くへ着地した大鳥オオトリシギは、人型の正体をあっさり見ぬき、「キシシッ」と喉をふるわせた。

「いやはや、なんとも立派な肉づきよ。どれ、少しばかり味見をさせてみなされ」

 カチカチとくちばしを鳴らすシギに、ハイロは「洒落しゃれにならん」と返し、えりを合わせ、腰紐を結んだ。ミュオンが用意した衣服は、なぜか和風だった。淡いムラサキの生地に、波のような、炎のゆらめきのような模様がぼかしてある。

「食事にありつけないのか」

 ハイロの問いに、シギは「ふぅむ」と、答えあぐねた。渡り鳥の主食となる植物は、森じゅうに芽吹めぶいている。だが、繁殖期のシギは、小動物のような高たんぱく質な獲物をって食べる必要があった。

「わしとて、無用な殺生せっしょうは避けたいのじゃが、森にきた目的は種の維持ゆえ、良質な栄養を摂取せねばならん」

 渡り鳥のシギが長い距離を移動してくる理由は、繁殖のためである。シギは半獣属だが、メスは、ほとんどことばを発しない。同じ種族でも、進化の過程にある境界線を越えてゆくものと、自ずと引き下がる祖先がいた。

 さらに、大鳥は長寿ちょうじゅの種族であり、シギのように老いた成鳥でも、体力などが極端に低下するわけではない。

 動物性のかてをほしがるシギがしびれを切らせ、亮介に襲いかかる場面を思い浮かべたハイロは、しかたなく貴重な干し肉を差しだした。バクッと食いつくシギは、満足げに「キーシッシッ」と笑い声をたてた。

「話のわかる人間は、たおれても、さぞや、おいしかろう、うまかろう。わしは、おぬしのような中途半端な半獣に出逢であったことがないのう。なんたる、不可思議よ!」

 大空へと一気に飛翔するシギは、いつもの調子で歌を口遊くちずさむ。

 
 めくるめく輝きのなか
 生まれてきたしるしに
 思い出の少年は
 血をそそ

 それはすぐそばに
 とつぜん、気づく

 運命を一変させる
 いのちの熱気
 
 もうひとりの自分が
 くらやみにいて
 おし黙る


 大鳥の歌は、ハイロの頭を悩ませた。シギの歌唱内容は、世界の未来を祝福するものが多いが、亮介の存在を知ってから、不穏な響きが含まれるようになっている。春は、森の至る場所で生命の息吹いぶきが溢れる季節だが、現存種の消滅も並行して進んでいた。

 先祖がえりを経験した大熊は、亮介といっしょに森で暮らすべきなのか、ひろい意味で気がかりだった。


「ハイロさーん!」


 なにもはかり知れない8歳の子どもが、笑顔で駆けてくる。あとから、ミュオンとキール、ノネコもついてきた。ハイロは、ささやかで平穏な暮らしぶりが、少しでも長くつづけばいいと、そう思った。


★つづく
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