月冴ゆる離宮

第三部

栄光の約束⑴

　暗闇くらやみで、誰かが笑っている。獲物を切り裂き、血を制した兵士は、なかなか腰をあげない。気の狂った娘たちと鼻唄はなうたを歌い、長い夜が明けてゆく。皮膚ひふの色がちがう人間が折り重なる戦場に、冷たい雨が降る。兵士の偉大な仕事をひやかすように、地上のいたるところに動乱の雨が降っていた。


「……兄さん」

　野蛮やばんな部隊が去った後、ひとりの少年が立ちあがる。生せいから死へと旅立った人間の多くは、愛を信じて生きていた。天の恵みに感謝して、息絶える瞬間まで悲しい夢を見ていたにちがいない。その愛した土にとけた肉体から流れる血は、曙あけの訪れと同じ赤いかがやきを放つ。咽むせび泣く少年の肩に、よく似た顔の男が手を添えた。戦火は尽きることのない悲劇である。だが、圧倒的な武力をもって、悪事に加担した者を殲滅せんめつすることは可能だ。

「……兄さん、どうして人は、誰かのものに手をだすのだろう。……どうして、無理やり自分のものにしたがるのだろう。……なんで、他人の不幸を笑うのだろう」

　10代半なかばのリヤンムスカは、早くに両親を亡くしていたが、それはクオンも同じである。ふたりは異母兄弟であり、父親が愛した３人目の女性が母代わりとなってくれた。しかし、その女性は今、屍しかばねとなって横たわっている。途春トシュン大陸に存在する24の小国は、ことあるごとに近隣諸国と衝突し、やがて、領地の奪い合いへと激化していった。広大な土地を治める名君があらわれない限り、途春大陸は惨劇の舞台でしかない。

「……兄さん」

　義弟おとうとの悲痛な声に、クオンムスカは何も云わず沈黙を保っていた。唇を固く結び、冬の太陽を無言で見つめていた。絶望とは何か、希望とはなにか、幸福とは何か、なんの罪もない人間が生命いのちを奪われる因果いんがを、深刻に考えた。精神状態が不安定なリヤンは、自身の価値観を見失っていたが、生来せいらいの能力を高く評価しているクオンは、最大限に思考をめぐらせた。リヤンは幼い頃から負けず嫌いで、理想に敏感で、頭の回転が速い。将来は大物おおものになるだろうと期待していたが、まずは現実問題の解決を迫られた。

　略奪が横行おうこうする背景のひとつは、地方権力の弱体化が要因である。また、各人が個々の欲求を優先し、無秩序な破壊行動にでる理由は様々であり、欠点のない人間は存在しない。

　人間の精神は、個人を軽々しく傷つけても、そう簡単に崩壊しないようできているらしい。政治権力を正しく理解しない者が、思うがままに侵略をくり返しては、平和な時代はやってこないだろう。

　最大多数の幸福を目ざしてこそ、社会の改良は正当視されるのだ。


✓つづく