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第14話 もう終わりにしよう

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 凪は、雨の中、道端を這いずり回りながら暴れていたところを見つかったそうだ。
 「ない、見つからない」という言葉を、ずっと吐きながら。

 当然その身体からは際限なく虫が湧き出てきて、アスファルトの溝にぼとぼとと落ちていったらしい。
 それについて話している時、警官は嫌悪感を抑え込むのに必死な様子を見せていたし、はやく厄介払いをしたかったようだ。僕に対する態度も冷淡だった。
 僕は何度も彼らに頭を下げて、持ってきた鎮静剤を彼女に投与して、車に載せた。
 そして、そのまま病院へ向かった。
 山崎もついてきていたが、もはや問題にはならないだろう。凪は、きっと気付かない。

 ドクターは、凪のレントゲンを僕に見せながら、ため息を隠そうともしなかった。

「そろそろ本当に、貴方の負担を考えたら、ねぇ」

 その提案。以前までは、怒ってはねつけていた。
 だけど、今は。



 凪は、一晩病院で預かってもらうことになった。
 僕は、ついてきた山崎を伴って、凪の部屋に戻る。
 そこはひどく荒らされていた。ハンガーラックは引き倒され、棚の衣類はぐちゃぐちゃになっていて、捲られて床に落ちているシーツには、考えたくもないシミがついていて、至るところに甲虫の潰れた死骸が落ちている。
 それは連なって、玄関まで伸びている。
 ひどいものだった。本当に、本当に。

 外の闇。
 そこから光が漏れている。今日も、どこかで何かが起きている。
 救急車のサイレンだろうか。あかりも付けていない部屋に、赤い光が明滅しながら入り込んでくる。
 僕たちは佇み、そのサブリミナルのような洗礼を受け続ける。
 そのひかりは、僕の中の理性を、疲労と一緒に流していって、本当に考えていることだけをむき出しにする。
 無防備に。はじらいも、ためらいもなく。

「……先輩」
「昨日、シーツ洗ったんだよ。おまけにスチームもかけた。気持ちよく、眠ってもらおうと思って」

 僕は、落ちていたシーツを掴んで丸めて、投げつけた。

「それが、このザマだ。このザマだ……ふざけるな、ふざけるなよあいつ、僕がどれだけ、どれだけお前をっ」
「先輩っ、もうやめて」

 山崎が、叫ぶ僕に駆け寄って、後ろから抱きついてきた。
 彼女は泣いていた。なぜ泣くのだろう。泣けない僕の、かわりだろうか。
 だとしたら、なんて――なんて、いい子なんだろう。

 僕は、僕の身体に押し付けられていた後輩の身体の柔らかさを感じ、それを壁に押し付けた。
 山崎は小さく呻いた。そこに強引に唇を近づけようとした。
 いや、という声とともに、山崎はそこから抜け出そうとした。
 しかしそれはうまくいかず、しばらく、僕の腕と壁の間でもがいた。

 ……僕は彼女から離れて、彼女は乱れた襟首をもとに戻す。
 互いに背を向ける。荒く息を吐く。
 山崎は、僕を罵倒しなかった。そうしてくれたほうが、ありがたいのに。
 ただ、顔を覆って、静かに肩を震わせている。

「もう……終わりにしよう」

 誰に言うでもなく、僕はひとり、そう言った。
 それから、政府の『給付制度』のホームページを開いた。




 凪の症例は過去にケースがなかったもので、はやい段階で『提供』が出来ていれば、かなり実入りが良かった。   転職が可能になるぐらいには。
 しかし、身体の中の相当な部分を虫に食い荒らされている今の彼女では、大した額にはならないということが分かった。
 そうなれば、僕は彼女を死出の旅へと送った後も、命に値段をつける仕事をし続けることになる。ひどく、馬鹿げている。

 だけど、では、なにもしないのか。
 きっと、もう、その時期は過ぎている。

「……」

 僕は、眠る彼女の頬を撫でる。
 随分とやつれてしまって、骸骨のように見えた。それでもまだ『生きていた』。必要以上に。
 ――こうして見ていると、やはり思う。彼女のことを、僕は愛している。
 きっとこれからも、それは変わらない。
 だけど、愛するということと、苦しむということは、時として矛盾なく並立するのだ。

 僕は決めた。
 旅に出ることに、決めた。
 彼女の身体をそっとシーツにくるんで、車の後部座席にのせて。
 今まで見たくても見られなかった景色を、彼女に沢山見せてあげよう。
 たとえ、その全ての瞬間で、彼女が目を開いていなかったとしても。

「……先輩」

 振り返ると、山崎が居た。
 無理を言って、休んできたらしい。僕の旅に、付き合うつもりのようだった。
 当然、はじめは突き放すつもりだったけれど、彼女の意思は固かった。

「罪滅ぼしです。私の、この人への」

 バレたら、色々面倒だよ。
 そう言っても、彼女は自分の意思を変えるつもりはないらしかった。
 それ以上は、何も言えなかった。
 僕の旅に、彼女も同行することになった。



 凪の意識が鮮明になるはっきりとした場面は、ここ最近ずっと、確認されていない。
 眠るか、目を開けて、ぼうっと外を眺めるか。
 暴れて、虫が噴き出さないのは、その段階をとうに過ぎているからか。だとしたら、時間の問題だ。
 なんとしても、この旅を通して『あの場所』まで、たどり着く必要があった。

「どこへ行くんですか」
「彼女の……行きたかったところだよ」

 助手席の山崎の質問に答えて、車を発進させた。

 とうぶんアパートには戻らない。全ての電源を、オフにしてきた。
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