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第2章 フールズ・ゴールド

#12 紫の炎

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「ッが……」


 ごぼりという喉の音とともに、なまぬるい血の塊が口から吐き出された。

 それは潰れたトマトのようにキーラの足元に落ちて広がる。


「……――無様」


 ――なるほど、その言葉通りだった。



 キーラの体中に細かな穴が空き、そこからどこまでも血が流れていた。


 それだけではない。無数の鞭打ちの後が彼女の身体に刻まれ、美しいゴシックロリィタの衣装を汚していた。

 その身体は脱力し、糸にぶら下げられる形で空間の中に揺れていた。手首にきりきりと糸が絡まって食い込み、そこからも血が流れている。


 凄惨の一言である。キーラの真下には大きな血溜まりが出来ていて、彼女はその中に佇む壊れた人形のようだった。だらりと垂れ下がったボロボロの髪の下、その表情は見えない。


「……――死んだか」


 オデールが呟いて、ニヤつきながら黄金の銃を手にしてキーラに近づく……が。

 その前に立ちはだかるようにして、モニカが制止する。


「……いいや。まだ」


「……」


 ――か細い呼吸が聞こえる。血と、痰の混ざった喘ぎ。

 その四肢が震えている。


「……ま、だ――……だ……」


「わーお」


 そう。

 キーラは生きている。

 普通ならば、あの損傷では生きていけないはずだった。少なくとも、シャーリーにはそう見える。


「キーラさんっ……」


 だが生きている。

 それは意志の力である。

 アウトレイスのちからを成り立たせるものの多くは、その者の精神が関係している。

 その能力も、潜在的な意志の傾向によって形成される。そうなれば必然的に、その生命さえも――ある程度は、意志の力で保つことが出来る。

 普通の人間であれば、とうに死んでいるような傷を負ったとしても。


 そして今――キーラは、生きている。

 それが意味することを、シャーリーは理解していた。言葉の上では。だが、それに本質的な理解が追いついていない。


「どうして…………」


 ……なぜ、あの人はまだ生きているんだろう。


「……――オトシマエ」

 

 モニカは呟いて、指をシャーリーに向けてピンと弾く。

 すると……身体を拘束する感覚が急激に消失し、シャーリーは自由になった。


 そのまま、痛みと疲労で身体を支えきれずに、椅子から崩れ落ちて地面に倒れる。


「……!」


 瞼が重い。視界の隙間から確認する――自分の体を。

 見ると、自分を縛り付けていた鋼線が全て切られていた。周囲にキラキラと危険な銀色が散っている。女はそれを確認すると、そっけなく前を――キーラの方を向く。


「おい、どういうつもりだ、てめぇ……」


 オデールはモニカに近づき、文句を言う。

 彼女は彼の方を向くことなく、無感情に言う。


「今の見ましたですね? 節穴なければ、あの女簡単に殺せないこと分かるございます。攻撃に集中する必要、了解? どのみち後ろの彼女、くたくた。なんにも出来ない。重ねて了解?」


「おい待て……最後、やつを殺すのは俺だぜ。俺の銃だ」


「ハー……分からないバカ。その『最期』においつめるまで、まだかかる言ってる、オーケー????」


 ……するとオデールは趣味の悪い黄金の銃を懐にしまい込み、憮然とした表情で引っ込む。


 モニカは、改めてキーラに目を向ける。

 満身創痍、どう考えても再起不能。だが……その目は。髪の毛の下から時折見えるその目は。


「ハーッ……――ハーッ……どうした……? やれよ、おい……」


 まるで死んでいない。爛々と輝いているのだ。


「……――言われなくとも」


 モニカは一歩進んで、修道服の腰回りについている大きなポケットから何かを取り出した。フリーザーバッグ。中に何かが入っている。


 それを頭上に掲げて、大きく口を開けた。

 そのまま、何かがザラザラと彼女の口の中に注ぎ込まれる。藍色の塊。

 咀嚼する、咀嚼する。無表情のまま。しかし、どこか不満げに。


「毎回こうするのが、めんどくさいでございますねー。お前殺すした後、もっと必要かもでございます」


 ……シャーリーはそれが何であるかをぼんやりと理解する。ドライフルーツのプルーン。


 この女は、テロドであった。鋼線は彼女の指先から形成される。彼女の体内から。よって、定期的な鉄分摂取が不可欠であるのだ。


 ――しばらくして、『食事』が終わる。

 そして、いよいよ。


「さて」


「……――ッ」


 シャーリーは目を見張る。


 駄目だ、また――。

 また目の前で、見ているだけで――。


 倒れ込んだまま拳を握る。キーラは顔を上げない。血まみれのまま脱力している。そこへ手を伸ばす女。


「畜生、畜生……ッ」


「おさらばで、ございます」


 彼女の指先から――とどめにつながる鋼線が、まっすぐに伸びた――。



「そう動くと……思ったぜ」

 キーラは、そうつぶやいた。

 そして、笑った――。



「所詮は殺し屋、オレの正義にはかなわない」




「……!」


 異常を察知したのはモニカが一番早かった。鋼線を引っ込めて後ろに下がる、しかし遅かった。その瞬間には全てが起きていた。眼の前で。キーラが。


 #キーラが、その体を拘束していた鋼線を、引きちぎり、毟り取った。
__・__#

「なッ――」


「概ねッ――」


 その腕に異様な力が籠もり、キーラは鋼線を引きちぎる。まず手首に絡みついていたものを引きちぎり。そして自由になった腕で、胴と脚を……解放した。まるで弾き飛ばすかのごとく。


 ――パァン。


 そんな奇妙な音が響いて、実際に鋼線が弾け飛んだ。女の眼前で。


 ……空中に、千々に乱れた鋼線の欠片が舞う中、血まみれの髪の毛が踊り……キーラは拘束から解放される。脱力し、崩れ落ちそうになる。静止した時間。女の顔が、はじめて――驚愕の色に染まる。


 オデールはまだ理解が追いついていなかった。

 シャーリーはそれを見た。

 キーラが今……地面を踏みしめた。そして今。


「概ね計画通り――ってとこか、おまわりさんなめんじゃねぇぞ!!!!」


 彼女が再び、立ち上がり、女に向き合った。

 周囲に血を撒き散らしながらも……その赤色さえ装束のように纏いながら、疲れ切った笑顔を浮かべて。今、拳を握った。


「そんな、アホな――どうして……力、残って……??」


「へへへ……ちょっとした仕掛けってやつさ。――……おい、女、いや、シャーロット・アーチャーだったかぁッ!!!!」


 キーラはそこで、唖然としているシャーリーを呼んだ。



 思わず反応し、顔を上げる。

 するとキーラは叫んだ。


「お前が助けた子供からの伝言だ――『助けてくれてありがとう』だとよッ!! すげぇな、お前……まるでヒーローじゃねぇかッ!!!!」


「……――」


 その言葉とともに。

 シャーリーの記憶が、過去に飛んだ。

 そして、当該の場面にたどり着く。


 ――あの夕暮れ。力を使うことも出来ず。みすみす捕らえられ、ここまで来てしまった。

 その時の少女。

 まさか、あの少女が?


 ……あの少女が、それを言うためだけに????


「……――」


 シャーリーの全身に震えが走った。


 その少女がどのようにしてキーラにそれを伝えたのかについて、考える余裕がなかった。


 ただ、彼女の一言が棘のように刺さって、途端に抜けなくなった。それは今まで刺さっていたいかなる言葉とも違っていた。

 もっと曖昧で、だが――確かに、心の奥底に響く力があった。


「だから言ったんだ、悪かったってなッ!! お前、本当は力があるんだッ!! もっと自信持って胸張りゃいいんだッ!! そいつを忘れるなッ――」


「ボクは、ボクは……」


 そう――確かに、キーラの言う通りかもしれない。


 しかし。それでもなお、今自分はこうして地面に這いつくばっている。何も行動を移せない。隣で、何もかもを不安とともに眺めるしかないグレースに掛ける言葉さえない。そんな自分に、一体どんな自信を持てと言うのだろう?

 

 キーラは女に近づいていく。ゆっくりと確実に。狩りに挑む獣のように。


「おい……何してる、とっととトドメをさせよ……」


 オデールが、女に対して叫んだ。肩をすくめて、笑顔を作りながら。しかしその声は震えていた――恐怖に。そのせいで、それは滑稽にしか見えない。


「……」


 そして女は、殺気立った目をオデールに向ける。

 その目は、これまでで一番胡乱なものが滲んでいた。


 ここに来て女は……自信というべきか、余裕というべきか。泰然自若な態度を完全に失っていた。その体は張り詰めて、キーラに向き合っていた。


 ……倒したはずだった。殺せるはずだった。

 それが今、ここにいる。


 シャーリーは、第八機関のことを思い浮かべる。

 ……そうだ。自分はあの人達に、ミランダやチヨに何も言い返せなかった。

 その結果がこれだ。


「その結果がこれだッ――だったらボクは、何を誇ればいいんですか」


「そんなことも分かんねぇのか!! だったら――」


 キーラの体に力がこもる。

 その瞬間……。



「このオレが、教えてやるッ!!!!」

 これまでのシャーリーの中で最も濃密で、意義のある数分間が開始された。


 キーラは、駆け出した。


「――ッ」


 同時に、女が両手を振りかざし、前方へ振り下ろした。そこから縦横無尽に鋼線が射出され、暴れ狂いながら、キーラに向けて放たれる。


 キーラは拳を握って突き出しながら、突撃を開始する。


 鋼線が絡まる。一瞬動きが止まる。だが今度は効かない。彼女はむしり取り、引きちぎる。鋼線を、破壊する。火花が散る。突き進む。女の頬に冷や汗。だが大きくは取り乱さない。鋼線のシャワーが続く。足が絡め取られる。動きが止まる、殺到する。嵐のように。だが、量の拳が――。


「オラオラオラオラオラオラオラオラぁッ!!!!」


 向かってきた鋼線の雨あられを殴りつけ、連撃し、ブチブチに引きちぎっていく。嵐を突っ切る船のように。確実に接近していく、女に。


 動くたび血しぶきが舞い、キーラは顔をしかめる。だが突き進む、突き進む。ただの拳であれば決して防ぎきれない鋼線の弾幕を捌きながら――。


 前へ、前へ進む!!


「ッおおおおおおおおおおおお…………ッ!!!!」


 そして今波濤を超え、キーラとシャーリーの目が合わされる――。





「……」


 いつしかミランダは飛翔することをやめ、建物の影に背中をもたれさせて佇んでいた。


 彼女が手に持ったスマートフォンからは、たえず『彼女たち』の声が聞こえてくる。


 それが、彼女を何度も憂鬱な気持ちにさせる。

 物憂げに下を見る。



 ――そこではチヨが、カタナを振るいながらフリークスたちの群れに立ち向かっていた。大勢の異形……エンゲリオ達。

 体の一部を肥大化、あるいは顕在化させながら小さな体の和装の少女に襲いかかるが、そのたびカタナが流水のごとく閃いて、切って捨てられる。みねうちであって、死にはしない――故にチヨは。見るからに疲弊している。


「ハーッ……――ハーッ」


 自分の足元で呻く沢山の、正気に辛うじて戻った者達。その傍らで肩で息をしながら、チヨは上を見上げた。

 それから、ミランダに問う。


「どうして手を止めておるのだ、ミランダ」


「――……のよ」


 小さく声が聞こえる。


「……はっきり言わなければ聞こえんが」


 するとミランダは。

 髪を振り乱しながら、急に叫びを発した。


「……――ああああああああああ、もう、信じられないッ!!!!」


 またいつものヒステリーか……一瞬ばかりチヨにはそう思えたが、どうやら違うらしかった。


 ミランダは続ける。目を見開いて、自棄になりながら叫び返してきた。


「今、あの子が……シャーリーが、耐えてるのよ。敵に耐えてるのよ、必死に。私達に、助けを呼ぶこともないままっ……――!!!!」


 彼女はスマートフォンをかざしていた――通話中。

 そこから漏れる声が、チヨにも聞こえてきた。


 ……キーラの、あの猛犬のような女の叫び声。

 そこに混ざるように聞こえてくる、シャーリーの僅かな声。


 ……そう、確かにシャーロット・アーチャーはそこに居た。

 一度も助けを求めることなく、そこに居たのだ。


 ……もし、あの少女が、自分の精神の半端さを恥じて、自分の行動を恥じて、囚われの身に甘んじているのなら……それこそ、それこそ。


 チヨは、僅かに自分の声が震えるのを感じる。


「……何が言いたい」


「もしかしたら――見誤っていたかもしれないのよ。私達は、あの子を……!!」


 ミランダはハッキリと冷静さを失っていた。

 彼女はその場を、シャーリーが居るその場をハッキリと『想像』したのだ。その全てを見抜く目と、明晰な頭脳で。そして、激しい葛藤に苛まれている。


 ……それは、チヨも同じだった。


「……――たわけが」


 その一言にすべてを込める。


 ……動揺する、動揺する。

 あの、ほんの少し前までハイヤーグラウンドに居た、『ただの少女』が……そこまでの根性を、執念を、今一度見せたのだとしたら。


 ……何もかもを甘く見積もっていたのは――自分たちの方ではないのか??

 ……彼女について、理解した気になっていたのではないか??


 そうなれば、あの時自分たちが訳知り顔でシャーロット・アーチャーに言った言葉は……。

 

 彼女は……カタナを構える。

 ボロボロのストリート。あちらこちらに破壊の痕跡。炎、煙。瓦礫。倒れている命なき者達。呻いている命ある者達。


 ……向こう側から煙を立てて暴れ狂いながらやってくる者達。

 チヨの切っ先と視線の先に、はっきりと見える。


 ――彼らは。咆哮しながらやってくる彼らは。

 ああ、ハッキリとその顔に覚えがある。

 彼らこそ、ついこの間酒場で乱闘を繰り広げた、馬鹿な顔馴染みたちだ。すっかり正体をなくしてこちらに向かってくる。


 チヨは心の中で何度も『たわけ』を吐いた。咀嚼できない感情が渦を巻くが、ミランダとは違い、決してそれを表に出すことはない。

 彼女の意志は――カタナそのものであるから。


 そこでチヨは、懊悩も後悔も断ち切った。

 ――もし、自分がシャーロット・アーチャーを見誤っていたのであれば。


「……もう一度、見届けるだけのことだ」


 ……チヨは、カタナを更に強く握った。

 そこに、自分の全存在を込めた。


 ――後悔なら、全てが終わった後でいくらでもすればよい。



 グロリアが顔を覗かせた先に、チヨとミランダが見えた。

 そして、彼女たちの会話を見た。


 ……なんだ、今頃気付いたのか。

 ――まぁ、あたしははじめから知ってたけどね。だからあんたらの言ったことが馬鹿だったと思ってるのよ、ふふん。

 そんなことを心の中で呟いてみる。


 自分ははじめから分かっていた。近くて遠い、あの女――いつだってクールに皮肉に笑う、鯔背なあの女の傍に居たから。

 だから……彼女が信じるあの子を信じるだけだ。


「――あんたの狙い、当たってるかもね、フェイ」



「VOAAAAAAAAAAAAGHHHHHHHH!!!!!!」


 ロットン坊やは吠える。その全身を変節させて、並み居る者達を果敢に相手取っていた。


 その姿は豹。LAPDに所属するアウトレイスの中でもトップクラスの戦闘力と凶暴性を持つモロウ――それがロットンだった。

 少なくとも彼を坊やと呼ぶことが許される者は、ごく少数に限られていた。大多数にとっては、その暴れっぷりは脅威でしかなかったからだ。


 ……襲いかかってくるモロウ達に正面からぶつかり、その牙で噛みつき、爪で斬撃を加える。さらにその速さで翻弄し、相手を疲弊させた上で攻撃を行う。今まさに彼はストリートのど真ん中で一騎当千の様相を呈していた。


 周囲に、ぶっ飛ばされたモロウ達の姿が散っていく。ゾウであったり、あるいはキリンであったり。動物園と言うには、いささかガラスの破片と、アスファルトのヒビにまみれすぎていたが。


「GHAAAAAAAA!!!!!!!! 次はどいつだあああああ!!!!!!!!」


 咆哮する彼に――ふらつきながら近づく影がある。


「あぁ!!?? なんだてめぇか、いいぜ相手にな――」


「……遠慮しておこう」


 それはフェイだった。全身に少しずつ傷があるものの、至って壮健だった。

 ただし、その体には震えがあり、倦怠感のようなものも見られた。その目にも疲労が滲んでいる。


 彼女の片手には煙草。そしてもう反対の手は擦り傷と血に染まっている。


「おめぇ……ソッチの方角から来たのか……あっちにゃ俺達の援軍は……」


 ロットンは力を元通りにして、人間の姿に戻りながらフェイに聞いた。


「あぁ。居ない」


 さらりとそう言ってのけた。


「お前、それでどうやって……――まぁいいや」


 ロットンは呆れ顔のまま、ぶっきらぼうに聞く。


「おめーの仲間、大丈夫かよ」


「あぁ。問題はない」


「即答かよ……よっぽど信頼が強いらしいな」


「――フェイわたしの目に、狂いはない」


 そのまま彼女の視線は、いずこかへと注がれる。


「――……いや、二度と狂わさない」


 それが仲間たちに向いているのか、あるいは他の何かに向いているのかは、本人にしか分からないようだった。


 そして場面は――キーラの猛攻へと戻る。

 彼女と、シャーリーの対話へと。





 キーラの叫びがあってもなお、シャーリーにはまだ踏ん切りがつけられないでいる。


「でもボクは、ボクはまだッ……」


 その様子を、ぐったりとしながらグレースが見ている。彼女たちに何かがあったのかもしれない。だが何もわからない。彼女の中で、シャーリーへの印象が変わりつつある。だが本人は気づかない。彼女は叫ぶ。


「でもボクは、あの人達にまだ認められてない――仲間だって、認められないッ!!」


 キーラは猛攻の中で叫び返す。


「うるせえ!!!! 知らねえッ!!!!」


「――この、戦いに集中し――」


 モニカは空間を駆け巡りながら、様々な方向から鋼線を解き放つことを試みる。しかしそれら全ては、どういうわけか彼女の拳に到達した時点でやすやすと破壊されてしまう。一体どういうことか。攻撃は精細を欠き、キーラは彼女に到達しつつある。


「だったら認めさせてみろ、力づくでッ!!!! ハイヤーがなんだ、ディプスがなんだッ!! あいつら馬鹿なんだよ、半端にドライで半端に優しくて……わけが分からねぇッ!! ――いいか、そこへお前がやってきた!! お前はどうだ!? あいつらのことをどう思ってる――」


「…………っっっ」


 シャーリーは、この街に来た時のことを思い返す。

 何にも分からなかった時。その中で街の狂騒に巻き込まれた時。最初の一歩を踏み出させてくれたのは。誰だったか。


 ……エスタを助けたいと願った時、その背中を押してくれたのは誰だったか。


 ……――そうだ。分かっている。

 あの人達は。あの人達は――。


「ボクの、恩人で――大切な人たちで――」


「だったら簡単だ!! あいつらを、自分の存在でぶん殴れ、オレはここに居る、オレはこんなことができる、オレは誰かを守ることが出来る――世界を救うことが出来るってな!!!! てめぇで、叫んでやれッ!!!!」


「そんな――」


「やれんだろ!!!! ダチを救えたお前だぞ、まだダチになりきれてねぇあいつらに、手を伸ばせねぇはずがねぇッ!!!!」


「…………――――」


 シャーリーの中で、時間がとまった。

 汗が顎から滴り落ちて、コンクリートの床にシミを作った。


 ――そのまま彼女は、キーラの言葉を反芻する。

 何度も、何度も。


 ……それから、彼女の主観で長い長い時間が過ぎた。

 ――何かの答えを、彼女は得ようとしていた。


「ボクは――」


 そっと小さく、呟く。ほんの僅かな、だが決定的な言葉。



「ボクは。間違ってないのか」





「……――」


 スマートフォンからはキーラの叱咤激励が引き続き聞こえていた。そこから耳を離すと声はくぐもった。


 ミランダはゆっくりと、通話をオフにする。

 それから、腕を下げて、黙り込む。


 夕暮れは藍色が混ざり始め、彼女の居るビルの屋上は黒い影に覆われて、切り絵細工のようになりつつあった。

 その中で一人、室外機にもたれかかりながら沈黙している。シャーリーとキーラのやり取りを聞いて、何かを思いながら。


 どこかで鴉が鳴いている。棕櫚の木が揺れる。風が涼しい。眼下では――未だに喧騒が続いている。銃声も爆発も、唸り声も悲鳴もフンダンに聞こえる。


 その合間を縫ってサイレンが鳴り響く――まったく、人が色々思いを馳せているというのに。もっと静かに出来ないものか。あぁ、不幸だ……――。

 ――『ボクの、恩人で――大切な人たちで――』。


「……何ボケっとしてんのよ、このアホ!! あんたの正面見なさいよ!!!!」


 思考は、下から聞こえてきたグロリアの叫び声で打ち切られる。

 ミランダは顔を上げる。夕闇のさなか――その正面を。

 ……そこに、『それ』は広がっていた。


 橙色に藍色をぶちまけた空のたもと、翼を広げた鳥型のモロウ達が、こちらに向かってきていた。当然のことながら、誰も彼もが正気を失っている。ミランダに『反応』して、突撃してくるのだ。耳障りな甲高い咆哮を上げながら――。


「…………――」


 ミランダの中で、シャーリーの声が響き続ける。

 彼女はそれに悪態をつくことはしなかった。


 そのかわり――彼女は銃を構えた。アバカンAN-94の極限改良モデル。モロウとしてのミランダの腕力でなければ扱いきれない、暴れ馬の自動小銃。その先端が、夕闇を切り裂きながら向かってくる鳥のバケモノ共に向けられる。


 彼女は目を閉じた。

 そこに、想念が流れ込み――。


 再び目を開けた時には、その銃口が火を噴いていた。


 撃つ、命中する。羽が抉れて落下していく。もう一羽。再び羽を狙う。命中。だが向かってくる。

 もう一発。今度は命中、真下に落ちていく。まだまだ尽きない。

 彼らとて無傷では済まない。だが死ぬよりマシだ。ミランダは不幸を嘆く心を氷のように押さえ込みながら、撃つ、撃つ、撃つ。


 ――鳥が、次々と撃ち落とされていく。その光景は圧倒的だった。すべての動作が洗練されて、無駄がなかった。今ミランダは、その腕力以外、アウトレイスの力を一切使っていなかった。だというのに、全く撃ち漏らしがなかった。


「あいつ……」


 グロリアが、真下から感心したような呆れたような声を出した。空中で、ミランダに向かっていった者達のもとへ火線が殺到し、次々と撃墜されていく。だがやはり……死んではいない。


 ――最後の、正面に来たモロウ。

 それを、ミランダは撃った。


 だが止まらない。人と猛禽をかけ合わせた奇妙な様態の生き物は、そのまま咆哮しながらミサイルのように特攻してくる。翼を片方もがれながらも。甲高い鳴き声が響き渡り、ミランダは歯噛みして次弾を発射しようとする。


 だが、弾切れ。給弾には僅かな時間が必要。それをしているスキに奴は向かってくる、向かってくる……間に合わない。


 モロウはまさに矢のようにミランダに向かった。


 しかし彼女を傷つけるには至らなかった。その存在の狙いはわずかにそれて、彼女の右側面に突き刺さった。鳥人が、ビル屋上で方向を転換しようとする――ミランダは彼に背を向けている。そのくちばしが彼女に向いている。


「KUAAAAAAA!!!!!!!」


 モロウが――叫んだ。

 次の瞬間。


 ミランダはすばやく懐から自動拳銃を抜き去って、後ろを見ないままに二連射した。

 空気に轟音が反響して、その一秒後には、鳥人は力を失ってその場に倒れ込む。


「……」


 死んではいない。再び羽の近くを穿たれて、その場に崩れ落ちただけだ。

 ミランダは自分を襲ってくるものが当分居なくなったことを確認すると、崩れ落ちた姿勢を元通りにする――。


「どいつもこいつも、」


 バカばっかりよ――。

 そう言おうとした瞬間。


 ――“違う。バカは私だ”。


 肌が粟立つ。存在を感知する。直ぐ傍に居る敵の存在を。

 何か、影のようなものが背後に居る。それがうごめいた。はっきりと感じた。

 まさか――潜伏して、待ち構えていた――!?


 一瞬で思考が駆け巡る。キーラとシャーリーの通話を聞いていたことが仇となったなら、自分は一体何を呪えば良いのだろう。


 彼女は振り向いて、間に合いそうもない拳銃の射撃で、死角から飛び込んでくる存在に抵抗しようとした――。


「――『たわけどもばかり』か?」


 その凛とした声が真下から響くと同時に、何かがミランダの視界の端をかすめる。

 そのまま、ミランダを襲おうとした色濃い影は、その一閃によって彼女の後方へと縫い合わされる。


 ……ミランダは振り返る。

 ――カタナだ。


 黒檀のサムライソードが、彼女を襲おうとしたアウトレイス……カメレオン型のモロウの手のひらに突き刺さり、その存在を屋上の怪談に通じる扉に縫い付けていた。


「チヨ……」


「――……全く。どいつもこいつも」


 藍色の和服を着た少女は、脚部の孔を噴かせながら、あっさりとミランダの居る屋上にたどり着いた。それから、つかつかとカタナに歩み寄り、抜き去った。


 カメレオン男はその場で崩れ落ち、呻く。その近くには、ミランダを急襲した鳥人も居る。チヨは二人を睥睨すると、やはり何か薬のようなものを彼らの手元に投げた。


 ――夕闇のさなか、カタナがチヨの腰元に戻る。


 ……ミランダとの視界が交錯する。


「チヨ……――私は」


「…………同感、だな」


 ミランダの返事を待たずに、チヨはそう言った。言わずとも分かっている、とでもいうように。

 藍色が影を投射して、その表情に微妙な陰影を創り出した。


 それは陶器のような彼女の表情を、笑っているように見せていた。


 グロリアは、そんな二人のやり取りを真下から見て、ほんの少し口の端を緩める。

 そこへ、声が覆いかぶさる。


「グロリアさああああああああああんッ!!!!」


 振り返ると、こちらに猛然とダッシュしてくるキムが見える。

 彼女の後方には、大量のアウトレイス――正気を失ったテロド達。道を蛇行しながら、破壊しながら進んでくる。


 では、キムは未だにストリートを情けなく逃げ惑い続けているのか?


「グロリアさんッ!! 『アレ』やるっス!!!!」


 答えは――否である。

 彼女の手に握られているのは、小型のスタンガン。

 それは移動を続けながら、警官の一人からくすねたものだった。


「――アレね?? 了解!! 任せなッ」


 グロリアはキムの言葉を受けて、数秒後にその意味を了解した。完璧に考えが通じていた。


 そこから先は怒涛である。まだストリートには逃げ惑っている一般市民が数多く居た。グロリアはそのうちの一人をひっ捕まえて強引に口づけする――そして、次々と乗り移っていく。

 グロリアの統制下に置かれた彼らはストリートの中心を離れて、端に寄っていく。そこで金縛りのようになる。空いた道の真ん中を、暴走を続けるアウトレイス達が通り、集まってくる。四方から。


 それは、キムが疾走のさなか誘導してきた者達である。

 準備は完了した。


「えっ!? えっ!?」


 警官の一人が、きょろきょろしながら異常に(ようやく)気づく。


「馬鹿野郎、てめぇもそこから離れろッ!!」


 声――ロットンのもの。彼もまた道の端に。

 それから――。


「――頼みますッ!! ミランダさんッ!!!!」


 キムが叫んで、ミランダがうなずいた。彼女の構える銃が、ちょうど向かい側の建物の屋上にある巨大な給水塔を根本から穿ち、大地に向けて――滝のごとく水を注がせた。


 ――それはつまり、『車線上』の者全てに効果があったわけである。

 


 ストリートの中央に集められたアウトレイス達が水浸しになると同時に、スタンガンを胸のうちに抱えたキムがその身体を帯電させ……その水のたまり場の中へ、身体を突っ込んだ。


 次の瞬間には、水で濡れていたストリートの全ての場所電撃が浴びせられ、その上に居たアウトレイス全てが感電し、その動きを封じられた。焦げ臭い匂いと、建物が巻き添えになる轟音。それから、幾つもの悲鳴。全てが一瞬で起きて、そして、終わった。


「どわあああああ!!!!!!」

「危ねえッ!!!!!!」


 全てはグロリアの避難誘導の賜である。一般市民は傷つかなかった。そして警官たちは、ぎりぎりのところで被害をまぬがれる。ストリートに幾つもの落雷があったように感じられた。一瞬全てが明るくなって、天の上まで照らされたようだった。


「……――」


 無力化されたアウトレイス達。感電し、身体を震わせながらも。


 だが、生きていた。全員、生きていた。


 キムがその出力を調整したのだ。彼女の能力とは、元々ある電力を増幅させることに過ぎない。


 彼女は水たまりだった場所から離れ、ふらふらと歩く。そして尻もちをつく。


「ああ……――疲れた」


 グロリアが、唖然とする一般市民たちから抜けてため息をついて、ガッツポーズ。ミランダは、当然と言うように屋上で背中を向ける。



 ここに来て、ストリートに居るアウトレイスの戦力は激減した。多くの建物にヒビが入り、巻き添えをくらい、黒い焦げがついていたが――それでもなお、誰も死んでいないようだった。


「あいつら……なんでこんな完璧な連携を――遠くで、離れてるのに……」


 ロットンは息を荒げながら呆然と言った。


「まったくもって、度し難い……よね」


 彼の直ぐ側で声がする。

 振り返ると、満身創痍のリカルドが片腕を押さえながら近づいてくる。

 彼の片腕は焼け付き、血まみれになっていた。どれだけの長い時間自らを『使用』したのかが、如実に現れていた。


「リコ……」


「でも、それが、それこそが……どうあがいても、僕らが彼女たちに勝てない部分だよ」


 リカルドは弱々しい笑みを作る。それから、『彼女たち』を見る。ロットンもそれに続く。


「……気に入らねぇよ」


「僕もさ。でも、きっと――そいつは、キーラが一番よく知ってるんじゃないかな」



「ウオオオオオオオオっ!!!!」

 ――キーラは特攻しながら、確実にモニカへと距離を詰めていく。あと数秒。



 ロットンは、リカルドの言葉に対して納得をよこす代わり、鼻を鳴らしてみせた。

 それから周囲を見る。


 ……彼ら二人の周囲には、あの電撃で仕留めきれなかったアウトレイス達が群がりつつあった。白い息を吐きながら、獰猛に身を震わせて。


 時間が経てば経つほど、その数は増えていくだろう。

 ――二人は、背中を合わせた。


「――分かってるよね、ロットン?」


「あぁ。誰も殺さねぇ。守るんだ。俺達は――警官だからよ」


 そう、それは……キーラもそうあるべきだと考えていること。


「じゃあ……行くか」


「おう」



 二人は、笑みを作った。

 それから、戦いの場へと飛び出していく――。
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