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転生先でも夫婦になる二人~懐かしい味をもう一度~
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「みなさーん!朝ごはんできましたよー!」
ベルティータ・エオリアの朝は早い。ヴィレノス王国の南端にある海沿いの小さな領地を治めるエオリア子爵家の令嬢である彼女の一日は、朝食作りから始まる。
「やったぁ!ベル嬢ちゃんのメシだ!!」
「俺、あら汁なら何杯でも食えますよ!汁椀じゃなくて丼でくだせぇ!!」
「今日もヅケはありますか?ご飯は一人何杯までおかわりできますか?」
数多の海モンスターの討伐を引き受ける漁師たちの腹を満たすため、料理の腕を振るうこと早8年。危険が伴う討伐の志願者が後を絶たないのは、ベルティータの食事目当ての者が大勢いるからだ。
「今日も沢山用意してありますから、しっかり食べてくださいね。いつもありがとうございます」
「そいつぁ助かるよ。今日はでっかい暴れクラーケンを討伐したもんだからペコペコでさぁ。もちろん毒抜きは済んでるから、アレでまた何か旨いもんを食わせてくれよな」
「まぁ、タコ…じゃなかった、クラーケンは久しぶりですね!」
討伐された海モンスターは、貴重な食料として領民の大事な糧となっている。海沿いのこの町では肉が手に入りにくいが、海モンスターが食べられるようになってからは外からやってくる商人を通じて肉との交換も可能になった。なんせ食用海モンスターは、ここエオリア領を始めとする海沿いの領地の特産品だ。もっと言うと他領に居る料理人はたちは皆エオリア領で修業し、独立して店を構えた者なのだ。そして料理人たちを育てたのは、ここに居るベルティータだ。
「何もかも嬢ちゃんのお陰だよ。増える一方で困り果ててた海モンスターも、今や見付けると「ご馳走だ!」って真っ先に思うようになったもんだ」
「取れすぎてもヒモノにして保存すりゃいいし、食べられなさそうな骨やヒレだってきちんと手順を踏んで調理すればめちゃくちゃ旨くなるんだから、最初はビビったよ」
「皆さん美味しそうに食べてくれるから、私も毎日料理するのがとっても楽しいんですよ」
「ほんっと、海の女神様の化身なんじゃねぇか?ベル嬢ちゃんは!」
海の女神が海の生き物を食べることを良しとするのか疑問に思ったけど、誉め言葉なので気にせず笑顔で受け取ることにする。幼い頃ふいに思い出した前世の記憶が、こうやって領地のためになるなんて当時は思いもしなかった。
◇◇◇
ベルティータが前世の記憶を思い出したのは、10歳の誕生日だった。
男女関係なく長子が家を継ぐことが定められているこの国では、10歳前後から少しずつ長子を領地経営に関わらせる決まりがあった。エオリア家の長子として生まれたベルティータは、記念すべき10歳の誕生日に、父と共に海モンスター討伐の視察に訪れた。その際に屈強な漁師たちの姿と前世の父親の姿が重なり、そのまま前世を思い出した。
(前世の父は漁師で、亡くなる直前まで漁に出ていた元気な人だった。前世の母が作ってくれる魚料理はどれも美味しくて、料理の事を沢山教えてくれた。そのお陰で転生した今も、こうして役に立てている)
漁師の娘だった中浦祥子は、18歳で結婚し桃山祥子になり、それから100歳近くまで生きた。晩年の記憶が曖昧なのは恐らく認知症が進んでいたからだろう。
夫に先立たれてから15年以上、一人での暮らしはとても長く時間の流れがゆっくりに感じられた。それでも悲しいことばかりじゃなく、孫の結婚式にも参列したしひ孫を抱くことも出来た。人生は嬉しいことと悲しいことの繰り返しで出来ていて、祥子の人生はどちらかに傾き過ぎることもなく、いい人生だったと言えるだろう。大きな未練や心残りもないはずだ。
(だから私が前世を思い出したのは、増え続ける海モンスターに対処出来るよう、次期領主として必要な知識を得るためなのだろう)
前世で夫が逝ってからは、とにかく時間が有り余っていた。ご近所さんとカルチャーセンターの歌謡教室に通ったり、子や孫にせがまれて編み物をしたり、お向かいさんのクリーング屋で店番を勤めたりと、細々とやることはあった。それでも常に傍にいた人が居なくなり、日々の家事も自分一人分なのであまりこまめにやらなくなったので、ぼんやりする時間が増えた。
そんな私を見かねた孫のなおちゃんが、電子書籍が読める機械を持ってきた。
『これなら文字も大きく出来るし、おばあちゃんでも読みやすいよ!』
赤ちゃんの頃から変わらず愛らしい笑顔で差し出された機械の中には、子供が読むような挿絵の沢山入った物語本が何冊も収録されていた。こんな薄い板の中にどうやって入っているのか不思議だったけど、この年になるとよくわからないことは理解しようと努めるより「そういうもの」と受け入れる方が何倍も楽なので、可愛い孫のおすすめという本を片っ端から読んでみた。
(あの経験のお陰で、こうして前世を思い出してもすんなり受け入れられたのよねぇ。なおちゃんに感謝だわ)
10歳で前世を思い出してから8年が経ち、18歳となった今では次期エオリア領主として概ね順調な日々を送っている。私の目には美味しそうな海産物にしか見えない海モンスターが大量に廃棄される様子を見て、居てもたってもいられず食用化の研究を進めた。今や我が領地の立派な特産品になり、討伐したモンスターの焼却処理費用が嵩んでいたエオリア領の財政を立て直し、同じ悩みを抱えた海沿いの他領と手を取り合い、ここでは取れない海モンスターを融通してもらえる関係を築いた。近隣諸国からも、食用化の技術を伝授してほしいとの依頼が殺到している。
(この世界では国同士の戦争も、内紛もあまり聞かない。人間以上に恐ろしいモンスターがあちこちに居るから、そちらの討伐に人々が一丸となって取り組んでいるからかな。戦争がないのは凄くいいことだわ)
そんなベルティータの目下の悩みは、海モンスターの食用化に成功したことで王家から功績を認められ、褒賞を与られようとしていることだ。どうやって断ったものか。
(私はただ前世の記憶通りに料理をしているだけだし、海モンスターの廃棄が減ったのは頑張って討伐して沢山食べてくれる領民たちのお陰だわ。褒賞だなんておこがましい)
今世はしがない子爵令嬢で、前世はごく普通の庶民だったのだ。王家と関わるだなんてとんでもない。このまま平穏に、毎日好きなように料理をして領地と領民を守って生活していければそれでいい。
(でも、いずれ結婚しなきゃいけないのよね。子爵家の当主、エオリア領主になるんだもの…それはいいのだけど、結婚するのはあまり気が進まないわ)
前世の夫は病気で亡くなり、眠るように逝ったので最後に言葉を交わすことも叶わなかった。長年連れ添ったし、病気をするまでは二人であちこち旅に出たり沢山の時間を共有したけど、それでも後悔はあった。死別してからの長い年月で少しずつ悔やむ気持ちは薄れていったけど、18歳――前世で結婚した年齢になった今、殊更に想いを馳せてしまう。
(ただの平凡な子爵令嬢なら、前世の夫のような人と結婚することも叶うかもしれない。王家から褒賞を賜ったりなんかしたら、自分の意思で結婚相手を決めるのは難しくなるに違いない……!)
エオリア領が海モンスターを食用化したことは国内外で広く知られているが、ここから離れた土地では発案者はベルティータではなく子爵だと思われている。だからこそベルティータ個人へ褒賞をと言う話が持ち上がったのだが、出来れば目立ちたくない。望むような結婚が遠のいてしまう。しかし褒賞を断るのはどう考えても不敬だろう。どうしたものか。
「……一人で考えていても仕方ないわ。クラーケンの調理に取り掛かりましょ」
朝食後の一休みを早々に切り上げ、ベルティータは厨房へ戻ることにした。
◇◇◇
この世界でクラーケンと呼ばれている海モンスターは、タコとほぼ同じものだ。討伐は大変だけど、噛めば噛むほど旨味が出てきて他の食材ではこの味は出ないので、エオリア領では人気食材の1つとなっている。
厨房に着くと既に下処理は終わっており、ヌメリが取れて生臭さがなくなったクラーケンが保冷庫で冷やされていた。電気がない世界だけど、それに代わる動力として魔石がある。これは討伐したモンスターから採取できるものなので、この屋敷には潤沢にあり食材の保存には困らない。
「これだけ量があるなら色々作れそうね。定番のカルパッチョと、オリーブオイルとチリペッパーで和えたものは用意するとして、あとはどうしましょう」
ふと、前世でよく食べたたこ焼きを思い出した。
よく行くスーパーの目の前にある小さなお店のたこ焼きが孫たちは大好きで、遊びに来るたび沢山買ってみんなで食べたものだ。1つ1つが小ぶりなためタコも小さく、年老いて咀嚼力が落ちても食べやすかった。
(なおちゃんもレミちゃんも、一度に何十個も食べていたわねぇ。その上晩ご飯までしっかり食べるのだから、子供って本当にすごいわ)
今や自分も10代の子供だが、前世の孫たちに比べると食が細いと思う。それでも前世の晩年に比べたら余程食べられるので、あのたこ焼きを再現したくなった。少し前にそれっぽいソースを作ることに成功したし、カツオによく似た海モンスターを材料にしたカツオ節もどきの準備もある。たこ焼き機がないので丸い形には出来ないが、玉子焼き器のような四角いフライパンがあるのでそれを使って四角いたこ焼きにしよう。うまく出来たら鍛冶屋に依頼して、ちゃんとしたたこ焼き器を作ってもらえばいい。
(そうと決まれば、まずは生地作りね!)
前世の味を思い出しながら食材を取り出し、溶き卵にだし汁を注ぎ小麦粉をそっと混ぜ込み、ほんのり醤油で味付けて保冷庫にしまう。生地はこれでいい。前世でよく食べていた長ネギがない代わりにポロネギのような野菜があるのでそれを刻み、少し前に天ぷらのついでに作っておいた揚げ玉を保存容器から取り出す。後はクラーケンを小さく切って、フライパンに生地を流し込んで具材をちらし、程よく固まるのを待つ。
(紅しょうがの代用品は、思いつくものがないわねぇ。一度領地の外に食材を探しに行きたいけれど、当面は無理そうだわ……)
もうじき王都から視察団が来る予定があるし、近隣の領地からは料理教室開催の依頼が後を絶たない。海モンスターを調理できる人が増えたため他領にはその人たちを派遣したいけど、ベルティータが指名されることも多い。それに、王都からの視察はベルティータ本人が両親と共に対応しなくてはいけない。じきに社交シーズンが来るので、そうするとお茶会や夜会にも行かねばならない。食材探しに時間を割くのは難しい。
考えている間にいい感じの固さになったので、手早く成形し皿に移す。端っこを味見用にカットして食べたところ、ポロネギの甘味がいいアクセントになっていて、記憶の味とは違うけれどこの世界なりの美味しいたこ焼きが出来上がった。生地は沢山あるので、この調子でどんどん焼こう。
「うん、いい感じに出来た!でもやっぱり丸いのがいいわね…鍛冶屋さんに相談しなくっちゃ」
出来上がったフライパンたこ焼きは両親と弟妹、屋敷の料理人の分を取り分けて残りを港へ持っていくことにした。この時間ならまだ討伐の後始末をしている漁師が少し居るはずなので、みんなに試食してもらうことにした。
◇◇◇
港の方へ向かっていると、顔馴染みの漁師がいつもより沢山居た。何かあったのかとキョロキョロしていたら、今朝あら汁を四杯おかわりしてくれたデリクさんと目が合った。
「おっ、ベル嬢ちゃんも見に来たんですか?」
「見に……?新しいクラーケン料理の試作を持ってきたのですけど、何かあったのでしょうか?」
「マジっすか!やったー!っていや、今それを食べるのは難しいかもしれねぇ……」
「まぁ……デリクさんが食事を後回しにするだなんて、余程の事が起こったに違いありません。父に報せてきましょうか」
「それがですね、どうやら視察団が来たっぽいんです。今うちの奥さんが領主さまを呼びに行ってます」
視察団だとすれば予定より半月も早いけど、伝達ミスで正式な日程がこちらに伝わっていない可能性もある。なんせエオリア領は王都からかなり遠いのだ。急な来客にも対応出来るよう日々備えているけど、あまり大人数だとこちらの予定にも支障が出る。横柄な相手じゃないことを祈るばかりだ。
◇◇◇
「おばちゃん、これすっごく美味しいよ!王都じゃ食べたことない!!」
「あらまっ、ならもっとお食べよ。アレもコレもみーんなベルティータお嬢さんが考えた料理なんだよ」
「エオリア子爵令嬢は、本当に料理をするんですか?自分で?」
「よそから来た人はみんなそう言うけど、あたしたちにゃそれが普通のことだわね」
「いいなぁ、素敵だなぁ。領主一族と領民の皆さんは良好な関係なんですね」
「もちろん!あたしらはエオリア子爵にも、ベルティータお嬢さんにもとっても感謝しているのよ」
視察団の代表らしき御方は、漁師の奥様方とすっかり打ち解けているようだ。一目見て高位貴族だとわかる出で立ちなのに、皆と同じ立場のような馴染み具合だ。
「あら、噂をすればお嬢さんが来たわよ!」
「えっほんとですか?挨拶しなきゃ!」
ニコニコとこちらを見る笑顔に、大切な人を思い出した。
この笑みの暖かさは、ずっと昔に死に別れたあの人のようだ。
「はじめまして、ユージーン・ヴィレノスと申します。貴女がベルティータ・エオリア子爵令嬢ですか?」
「はい。ユージーン様……もしかして、第五王子殿下でしょうか?」
「えぇ。国王陛下の命により、王都より視察に参りました。予定より早く到着してしまい申し訳ありません。こちらの食事が絶品だと聞いて、居ても立っても居られず公務を巻きで終わらせてこちらに馳せ参じました」
「あらまぁ、食べることがお好きなのですね」
私のような末端子爵家の令嬢でも、王家の皆様の名前はもちろん把握している。目の前にいるユージーン第五王子殿下は末っ子で、継承権も下位の方でのびのびと育てられたほがらかで優しい方だと聞いたことがある。王族ではあるけど、極度に緊張を強いるような相手じゃなくてホッとした。
「今から暴れクラーケンを使った試作料理をふるまうところなのですが、ご一緒にいかがでしょうか?その、毒見などの問題もあるかと思いますので、難しいかもしれませんが……」
「是非いただきます!いつでもどこでも美味しいものが食べられるよう大抵の毒は慣らしてあるし、各種解毒剤も持ち歩いています!それに、こちらで食べられる海モンスターは毒抜きも完璧だと聞いています。楽しみだなぁ!」
王子様がそれでいいのかと内心思いつつ、護衛らしき人達も反対しないので気にしないでおこう。
「さっき作ったばかりの新しい料理で、私自身は美味しいと思っておりますが、もしお口に合わなければご無理はなさらないでくださいね」
「お気遣いありがとうございます。ですが、僕は視察に来たのです。出された食事は全て余すことなくいただきますので、ご安心ください。残してはバチが当たりますからね」
さぁ早くと言わんばかりに目を輝かせたユージーン殿下を微笑ましく思いながら、四角いたこ焼き、もとい、暴れクラーケン焼きを取り出した。殿下はもちろんのこと、護衛の方と漁師の皆さんも覗き込んでくる。
「ベル嬢ちゃんの新作だ!」
「この前食った玉子焼きみたいな形だな」
「上にかかってる茶色いのはなんだ?いい匂いがする!」
カツオ節もどきも受け入れられそうでほっとした。時間も手間も掛けたので、自分だけで楽しむのではなく多くの人を喜ばせたい。
「それは魚を熱で処理して、乾燥させてから薄く削ったものなんです」
「ほぉ、よくそんなこと思いつくなぁ」
「嬢ちゃんの料理はなんだって全部うめぇから、マジで尊敬するぜ!」
「そりゃそうだろ。なんせ嬢ちゃんのレシピは海の女神様からの天啓なんだ」
エオリア領の民たちは純粋な好意と尊敬の気持ちでこう言ってくれるけど、王族を前にしてただの子爵令嬢が女神さまの天啓を授かっていると触れ回るのは些か危険を感じる。恐る恐るユージーン殿下を見ると、大きく目を見開いて固まっていた。
「ユージーン殿下、大丈夫ですか?普段王宮で召し上がっているものと随分違うので驚かれたのでしょうか」
「ベルティータ嬢、これはたこ焼きかな……?上に掛かっているのは、カツオ節?」
「え?」
「いや、たこ焼きなら丸いはずか……」
「えぇっと、本当は丸くしたかったのですけど、道具が無くて」
「そっか!たこ焼きがなければ当然たこ焼き機もないですね」
「殿下……?」
たこ焼きもカツオ節も、前世で親しんだ食べ物だ。この世界には、いや、この国では見たことがない。ユージーン殿下は王族なので他国の料理も色々とご存じで、どこかにたこ焼きが存在するのだろうか。
「あの、殿下はこの料理を食べたことがあるのでしょうか?どちらで…?」
「いや、僕・自・身・は・食べたことがないんだ。いただいてもいいかな?」
「…はい」
「では、いただきます」
行儀よく両手を合わせて食べ始める殿下を見てハッとした。その仕草はヴィレノス王国にはないもので、ベルティータも外では不思議がられるのでやらないことにしている。流れるように手を合わせ、私以外他の誰も知らなかった食べ物を知っていて、知識だけで食べたことがないと言う。1つの可能性に思い至り、胸がドキドキした。
(殿下も前世の記憶があるのかしら?しかも日本人?そんなに都合のいいことってある……?)
緊張しながら彼を見ると、物凄い勢いで食べ始めた。運んでいる間に少し冷めたので食べやすい温度になっていたので、一気に食べてもやけどはしなかったようだ。
「あぁ、懐かしい…そうだ、こんな味だった」
「食べたことがないとおっしゃっていましたけど、どこかで食べたことがありましたか?」
「そうなんだよ、ベルティータ嬢。笑わないで聞いてくれるかな?」
私が静かに頷くと、殿下は先程とは打って変わった大人びた表情で話し始めた。
「僕にはね、前の人生の記憶があるんだ。前世ってやつ」
王家の言い伝えでは、強い後悔や心残りがあるまま亡くなった人間はその魂を他の人間に引き継ぐことがあると言われている。何百年も前の話であまり知られていないけど、6代前の国王陛下は初代国王陛下の魂を引き継いでいたのだと殿下は教えてくれた。
「6代前というと、隣国との和平を戦なしに実現した賢君と呼ばれている御方ですか?」
「そうなんだよ。初代陛下は自分で成し遂げられなかったことが心残りで、神々の力を借りて魂だけ戻って来たんだって、王家に連なる者は子供のころからそう教えられて育つんだ」
「では、殿下もそのような履歴をお持ちで?」
目の前のユージーン殿下も凄いことを成し遂げようとしてるのかと思いそう尋ねると、カラッと笑って答えてくれた。
「いいや、僕はさっぱりだね!前世の僕はごく普通の庶民で、年若い頃に従軍させられたことがあるぐらいで、後は普通に結婚してまっとうに働いて人生を終えたよ。たこ焼きは、前世の晩年によく食べていたんだ」
従軍していたことと、晩年によくたこ焼きを食べていたこと。それにこの笑顔。
あぁ、この人はもしかしたら――
「病気で亡くなったんだけど、亡くなる数か月前から病院暮らしで、眠るように逝ってしまったんだ。最後の食事が病院食だったことと、奥さんに感謝の気持ちも伝えられないまま亡くなってしまったことが、僕の心残りだ。本当にただ、それだけなんだ。成し遂げたいこともないし、大きな力があるわけじゃない」
「前世の殿下は、奥様の事を大切に想われていたのですね」
「いやぁ、そんな素敵なものじゃないよ。何十年も一緒に居たからそれが自然だったと言うか……。奥さんには叱られてばかりだったな。それでも病気をするまでは美味しいご飯を毎日作ってくれて、身体に悪いと言いながら僕の好きなお酒をいつも用意してくれていた。いい奥さんだったよ」
この記憶が残ってるせいで理想が高いのか、貴族の令嬢とは気が合わなくてなかなか婚約できないと苦笑いするユージーン殿下。王都の高位貴族のご令嬢は矜持が高く、淑やかで感情をあまり表に出さないので、確かに合わないだろう。
「…お酒は切らさなかったけど、こっそり水を混ぜたことは何度もありましたよ。だってあなた、やめなさいって言っても聞きやしないんだもの。外で飲み歩かれるよりは家に居てくれたほうが、余程マシですからね」
「……ベルティータ嬢?」
「ご飯だって、最後はもう噛むことも飲み込むことも出来なかったから、もっと早くに何か美味しいものを持っていけばよかったって後悔したんですよ。そしたらひ孫のなつみちゃんが『大じいちゃんはずっと大ばあちゃんの美味しいご飯を食べてたんだから、天国でも美味しい味をおぼえてるよ』って慰めてくれてねぇ。あんなに小さい子が、大ばあちゃん元気出してねって沢山慰めてくれて……」
夫の葬儀の日、泣けて泣けて仕方なかった私を大勢の孫やひ孫たちが慰めてくれた。夫との間には三人の子供に恵まれて、全員結婚して孫もひ孫も沢山生まれた。子供たちは皆私を慕ってくれて、どの子も可愛かった。皆が居てくれたから、夫亡き後も15年以上楽しく暮らせたのだ。
それでもベルティータが祥子の記憶を引き継いだのは、最後にもう一度だけ夫と喋りたかった。一言でいいから声を聴きたかったという思いが強すぎたのかもしれない。お陰でこうやって巡り会えた。
「ベルティータ嬢は……祥子さん、なのか?」
「えぇ、お久しぶりです。時雄さん」
◇◇◇
それから私たちは、沢山お喋りした。時雄さんが亡くなってからの家族のことや、この世界に生まれ変わってから今までのことを、お互いの不在期間を埋めるかのように語り合った。そうしている間にすっかり陽が落ちたので、晩餐は腕によりをかけて懐かしい食事を振舞った。
「まさかこの世界で鯛しゃぶが食べられるなんて…!」
「鯛じゃなくて雷属性の猛魚ですけど、ほとんど鯛と変わらないですよねぇ。エオリア領でもあまりお目に掛かれないごちそうなんですよ」
猛魚を尾頭付きの舟盛りにして、昆布に似た海藻でとった柔らかい味の出汁でしゃぶしゃぶにしていただく。あらは焼いて出汁を取り、明日の朝食は鯛めしならぬ猛魚めしにするつもりだ。
「はぁ、旨かった!ごちそうさまでした!」
「はい、お粗末様でした。お口に合ったなら何よりです」
「祥子さ……じゃない、ベルティータ嬢の食事なら何でも美味しくいただける自信があるなぁ。明日の朝食も楽しみだよ!」
ユージーン殿下は大満足といった様子で、食後のお茶を飲んでまったりしている。前世ではお茶のお供はもっぱらナイター中継だったけど、ここにはテレビも新聞もない。そして今、この部屋には私たち二人きりだ。
お互い桃山祥子と桃山時雄の記憶を持っているけど、この世界では第五王子殿下としがない子爵令嬢で未婚の男女だ。どうしても二人きりになりたがった殿下は私の両親に頼み込んで、誓って不埒なことはしないと誓約書を書き、この場を設けた。王族だから命令をすれば済む話なのにここまでしてくれる殿下に両親はいたく感動していた。扉を薄く開けて外に護衛を控えさせているので完全な二人きりではないけど、会話が外に漏れないよう魔石で簡易結界を張っている。前世に比べると不便なことの方が多いけど、逆にこちらの世界の方が凄いと思うのはこういうときだ。
「あの、殿下はいつまでこちらに居られるのでしょうか?そもそもこんな辺鄙な領地に王族の方が直接いらっしゃるとは思っていなかったので、準備不足で申し訳ないです」
「ベルティータ嬢、もっと気楽に接して欲しいな。せっかく二人きりなんだから」
「…気を抜くと時雄さんと呼んでしまいそうなんです。うっかり外でそう呼んでしまったらまずいでしょう?」
「そういう時は顔や服装をじっと見てみるといいよ。似ても似つかないでしょう?」
「まぁ、それはたしかに」
前世は日本人で黒髪黒目だったが、ヴィレノス王国は欧州のような国だ。とても祥子や時雄と呼ばれるような顔立ちじゃない。そう考えるとおかしくなってきて、自然と笑えた。
「えっと、滞在期間のことなのだけど…」
「公務もあるでしょうし、あまり長くはいられませんよね。梅酒を漬けているのだけどまだ漬かりが浅くて、滞在中にお出しするのは難しいのでお土産に持って帰りますか?」
「梅酒まで漬けてるの!?も、もしかして……」
「もちろん梅干しも漬けています」
「やっぱり!祥子さん、毎年楽しみにしてたもんね」
前世で孫のレミちゃんが『おばーちゃんの梅干しが日本一美味しい。梅干しで日本一ということは、それはもう世界一だよ!日本でしか梅干しって漬けてないよね?おばーちゃん世界一!』と毎年絶賛してくれるので、嬉しくなって毎年せっせと漬けていたのだ。
「王都は遠いので、あまり荷物を増やすのは難しいでしょう?カツオ節や干物もあるから、どれか好きなものを選んでもらって……」
「え、そんなに色々作ってるの?子爵令嬢になっても料理が好きなんだね」
「好きなのはもちろんですけど、何よりここは港町ですから。いつも命がけで海モンスターの討伐に出てくれる漁師の皆さんが少しでも元気になってくれるよう、次期領主として私にできることをしているまでです。趣味と実益を兼ねてますね」
「エオリア子爵家はベルティータ嬢が継ぐと決まっているんだっけ?」
「この国は男女問わず長子に相続権がありますし、弟妹とは歳が離れているので、そうなる予定です」
弟と妹は双子でまだ三歳なので、二人が成人する前に私が子爵位を継ぐことがほぼ内定している。領民たちにも周知されていて、だからこそみんなは私に特別親切にしてくれるのだろう。
「では、ベルティータ嬢。僕と結婚してくれますか?」
「……はい?」
「海モンスターの食用化に成功した褒賞として、エオリア子爵家がベルティータ嬢に代替わりする際、伯爵位が与えられる予定なんだ。すると、その地位にふさわしい配偶者が必要になってくる。僕なら継承権の低い第五王子だし、婚約者もいない」
「ちょ、ちょっと待ってください。私が伯爵に……!?」
「君が成し遂げたことに、王家はそれだけの価値を見出したんだよ。ただ前世の味を懐かしんで色々試しただけかもしれないけど、それで救われた民が大勢居るんだ。どうか誇りに思って欲しい」
ユージーン殿下の言う通り、最初はただただ魚を捌いて食べただけだ。普通の魚はモンスターの餌食にされてしまいほとんどお目に掛かれないので、魚を食べたければモンスターを食用化するしかない。毒抜きが必要なものも多いが大抵は内臓を処理すれば取り除ける。また、この地で海モンスターと対峙してきた領民たちに聞いて回れば多くの知識を得ることが出来たし、文献も沢山残っていた。ベルティータがしたことは、この世界の食材でいかに前世の味を再現できるか、それだけだ。結果的に海モンスターの討伐が以前より盛んになり、海沿いの領地に新たな名産が生まれて賑わうようになり、領土に海を有する周辺諸国との関係がより濃密なものとなった。
「だから君の元に王族が婿入りしたっておかしくないし、遠く離れた王都と密に連携を取るにはそれが一番でもある。悪い話じゃないと思うんだけど、どうかな?」
「た、たしかにその通りかもしれません……」
自分がそんな大それた人間だとは思っていないけど、国がそう判断したなら素直に従うべきだろう。悪い話じゃないどころか諸手を上げて歓迎する話だ。それにこの縁談を断ったら、懸念していたように上位貴族からの婚姻申し込みが殺到するだろう。領地に引きこもって料理ばかりしている元子爵令嬢な女伯爵なんてカモにされて当然だし、それに抵抗する術は持っていない。
それになにより、前世の夫のような人と結婚出来ればいいと思っていたのだ。目の前の彼は身分こそ前世とはかけ離れているけど、夫の魂を引き継いでいる。ベルティータへの気持ちはわからないけど、祥子への愛情は持っているはずだ。であればすぐにこの話を受けるべきだと思いつつ、ベルティータ・エオリア子爵令嬢としてはまだ迷いがある。だってこの人は祥子に好意を抱いているだけで、ベルティータを好いているわけじゃない。
「……少し、考えさせてくれませんか?」
「嫌だ、今返事が欲しいんだ」
「家族にも相談したいですし、あまりに急すぎます。結婚どころか婚約だってまだ何の話もなかったんですよ!」
「それはきっと、憂いなく求婚できるよう運命が僕に味方したんだね」
「ユージーン殿下って、結構強引なのですね……?」
「強引にもなるよ!君には祥子さんの記憶があるから時雄のことは愛しているだろうけど、僕の……ユージーンのことはそうじゃないだろう?僕はもうこんなにも君に惹かれているのに、分が悪いじゃないか。君の婚約者に一番ふさわしいのが僕だとわかってもらって、婚約してから少しずつお互いを知っていけばいい。好きにさせてみせるから!だから、どうか僕の手を取ってくれないか?」
今、殿下はなんと言ったのだろう。
”時雄のことは愛しているだろうけど”?
”僕はもうこんなにも君に惹かれている”?
「私のうぬぼれでなければ、殿下は私……ベルティータのことを好いているように聞こえたのですけど」
「え、そこからなの?好きじゃなければ強引に求婚したりしないよ!」
「でも、先程からそのようなことは一言も……」
「あぁそれは僕が悪いね!ごめん!!ちょっと仕切り直させて!!!」
ユージーン殿下は深呼吸をして居住まいを正し、決意を湛えた瞳で私の前に跪いた。
「僕、ユージーン=メルクト・ヴィレノスは、ベルティータ・エオリア子爵令嬢をお慕いしております。前世で夫婦だったからか、一目見たときから慕わしさを感じているし、君に微笑みかけられると心臓がギュッとなるんだ。澄んだ海のようにきらめく青い瞳も、柔らかい亜麻色の髪も、少し日に焼けた健康的な肌も、すべてが愛おしく感じる。まだ出会ったばかりでお互いの事を知らないけど、だからこそ一番近くで君の事を知る権利が欲しい。どうか僕と結婚してくれませんか?」
時雄と祥子はお見合い結婚だったので、こんな熱烈な求婚をされたことは前世でも今世でもない。それに時雄は妻に睦言をささやくようなタイプじゃなかった。真正面から真摯な気持ちをぶつけられて、頬が熱くなってドキドキする。
「あの、ユージーン殿下。私も大した志を持たず、成し遂げたいこともないのに前世の記憶を引き継いでいます。私の心残りは、眠るように逝ってしまった夫と最後にもう一度だけ話したかった。ただ、それだけなんです」
「そうか……僕と同じだね」
「はい。だけど殿下に出会って、それだけじゃなかったって気付いたんです。夫とは沢山旅行もしたけど、海外には行きませんでした。夫の喪が明けた年に娘一家と出掛けた台湾旅行が凄く楽しかったので、ここに夫も居ればよかったのにって思ったんです。あとは一番下の孫の大樹が成人した年に「じいちゃんとお酒が飲みたかったな。日本酒とビールのちゃんぽんイケるね!って語り合いたかった」と言うのを聞いて、孫に悪影響だからおかしな飲み方はやめなさいって、もっと注意しておけばよかったとも思いました」
「え、待って海外行ったの!?怖いから絶対嫌って言ってたのに!あと大樹は随分な大酒飲みだなぁ!」
「行くまでは怖かったけど、一度行ってしまえばなんてことなかったですよ。ドイツやイギリスにも行きたかったけど、似たような世界に生まれ変われたのでそれはよしとします。大樹の酒好きは間違いなく時雄さんの遺伝です」
「そっかぁ……祥子さん、楽しい晩年だったんだね」
「時雄さんが亡くなってから、私が寂しくないようみんなが気に掛けてくれましたから。15年以上もお待たせして、待っている時雄さんは淋しくないかしらって、ずっと気になっていました」
だから、と私は顔を上げて目の前のユージーン殿下を見つめる。この人は時雄さんじゃないけれど、私だって祥子ではない。ただお互い大事な記憶を引き継いでいて、それがある限りきっと私たちは上手くいくだろう。
「私、結婚するなら時雄さんみたいな人がいいって思ってました。前世とは全然違う世界で、平民じゃなくて貴族だから、この希望は叶わないと思っていました」
(だけど殿下は時雄さんにそっくりな笑顔で私を望んでくれて、祥子だけじゃなく私を見てくれる。こんなに幸せなことが他にあるかしら?)
「そんな私の元に、殿下は現れました。王都とここは遠く離れているのに、それでも巡り合えたんです。記憶を引き継いだ意味がわかりました。だから……」
期待にあふれた表情でこちらを見てくる殿下が愛おしくなって、思わず彼の胸に飛び込んだ。このぬくもりが、ずっと欲しかったのだ。
「この婚約、謹んでお受けいたします!」
◇◇◇
「なおちゃん、そっちの押し入れ見終わった?」
「ねぇレミちゃん、凄いよここ。親族一同の写真がザクザク出てきた!私たちの七五三の写真も、ほら!」
祥子おばあちゃんが亡くなって、早一週間。近所に住む親戚たちで毎日少しずつ家の片付けを進めている。晩年はちょっとボケちゃってたせいか謎の家電を買いまくっていたようで、春から一人暮らしをする予定の私はヨーグルトメーカーやガス火のたこ焼き機を譲り受けることになっている。お母さんは「なにこの買い物!」と嘆いていたけど私的にはラッキーだ。
「このちっちゃい子、純也にいちゃんかな?こんな時代もあったんだね……」
「ね、びっくりだよ。でも、何よりびっくりなのはじいちゃんの若い頃じゃない?」
「それは思った!じいちゃんってカッコよかったんだね……!」
私たちの記憶にある時雄じいちゃんは、年中コタツに潜ってお酒を飲みながらナイター中継か時代劇チャンネルを見ていて、いつもニコニコしていておおらかなおじいちゃんだ。じいちゃんが亡くなった時はおばあちゃんの落ち込み方が酷くて、しばらくはあまり話題にも出さず遺品の整理もおばあちゃんが一人でしたので、じいちゃんの若い頃の写真は初めて見た。
「二人はさ、今頃天国で再会してるかな」
「天国じゃちょっと普通すぎない?どうせなら異世界転生しててほしい」
「え、何それ楽しそう」
なおちゃんは読書家で、じいちゃんが亡くなって時間を持て余すおばあちゃんにタブレットをプレゼントして定期的に色んな本を端末にダウンロードしていた。おばあちゃんの読書履歴のタイトルに「悪役令嬢」「婚約破棄」「ざまぁ」「転生」「聖女」と並んでるのを見たときは爆笑したし、それらを楽しんでいるおばあちゃんの順応力の高さに驚いた。
「どんな世界に転生するのがいいかなぁ。おばあちゃん裁縫スキル凄かったし、縫物で無双する?伝説の魔法陣を組み込んだマントを縫い上げて絶対防御で勇者を守る聖女様とか?」
「いやいや、ここは異世界グルメでしょ。モンスター料理で成り上がって宮廷料理人になって、王太子殿下に見染められるんだよ!」
「その場合、王太子殿下はじいちゃんなの?」
「……じいちゃんが殿下」
「…………想像できないね」
「この設定はやめよう!おばあちゃんの相手はじいちゃんじゃないと!」
今この家の鴨居には、二人の遺影が並んで飾られている。二人の家なのに、もう写真の中にしか居ないことが凄く悲しいし、今でも会いたくてたまらなくなる。だけど、ようやく並んで共に居られるようになったのなら、きっと二人は喜んでいるんじゃないかと思う。もう傍に居ないじいちゃんの遺影を綺麗に磨くおばあちゃんの淋しそうな姿を今でもはっきり覚えてる。
「どんな転生でもいいけど、二人が一緒にいるといいね」
「そうだね。一緒に居たらきっと幸せだもんね!」
よく晴れて桜がきれいな4月某日、おばあちゃんは旅立った。
きっとどこかで幸せになっているに違いないと、孫たちは思うのである。
ベルティータ・エオリアの朝は早い。ヴィレノス王国の南端にある海沿いの小さな領地を治めるエオリア子爵家の令嬢である彼女の一日は、朝食作りから始まる。
「やったぁ!ベル嬢ちゃんのメシだ!!」
「俺、あら汁なら何杯でも食えますよ!汁椀じゃなくて丼でくだせぇ!!」
「今日もヅケはありますか?ご飯は一人何杯までおかわりできますか?」
数多の海モンスターの討伐を引き受ける漁師たちの腹を満たすため、料理の腕を振るうこと早8年。危険が伴う討伐の志願者が後を絶たないのは、ベルティータの食事目当ての者が大勢いるからだ。
「今日も沢山用意してありますから、しっかり食べてくださいね。いつもありがとうございます」
「そいつぁ助かるよ。今日はでっかい暴れクラーケンを討伐したもんだからペコペコでさぁ。もちろん毒抜きは済んでるから、アレでまた何か旨いもんを食わせてくれよな」
「まぁ、タコ…じゃなかった、クラーケンは久しぶりですね!」
討伐された海モンスターは、貴重な食料として領民の大事な糧となっている。海沿いのこの町では肉が手に入りにくいが、海モンスターが食べられるようになってからは外からやってくる商人を通じて肉との交換も可能になった。なんせ食用海モンスターは、ここエオリア領を始めとする海沿いの領地の特産品だ。もっと言うと他領に居る料理人はたちは皆エオリア領で修業し、独立して店を構えた者なのだ。そして料理人たちを育てたのは、ここに居るベルティータだ。
「何もかも嬢ちゃんのお陰だよ。増える一方で困り果ててた海モンスターも、今や見付けると「ご馳走だ!」って真っ先に思うようになったもんだ」
「取れすぎてもヒモノにして保存すりゃいいし、食べられなさそうな骨やヒレだってきちんと手順を踏んで調理すればめちゃくちゃ旨くなるんだから、最初はビビったよ」
「皆さん美味しそうに食べてくれるから、私も毎日料理するのがとっても楽しいんですよ」
「ほんっと、海の女神様の化身なんじゃねぇか?ベル嬢ちゃんは!」
海の女神が海の生き物を食べることを良しとするのか疑問に思ったけど、誉め言葉なので気にせず笑顔で受け取ることにする。幼い頃ふいに思い出した前世の記憶が、こうやって領地のためになるなんて当時は思いもしなかった。
◇◇◇
ベルティータが前世の記憶を思い出したのは、10歳の誕生日だった。
男女関係なく長子が家を継ぐことが定められているこの国では、10歳前後から少しずつ長子を領地経営に関わらせる決まりがあった。エオリア家の長子として生まれたベルティータは、記念すべき10歳の誕生日に、父と共に海モンスター討伐の視察に訪れた。その際に屈強な漁師たちの姿と前世の父親の姿が重なり、そのまま前世を思い出した。
(前世の父は漁師で、亡くなる直前まで漁に出ていた元気な人だった。前世の母が作ってくれる魚料理はどれも美味しくて、料理の事を沢山教えてくれた。そのお陰で転生した今も、こうして役に立てている)
漁師の娘だった中浦祥子は、18歳で結婚し桃山祥子になり、それから100歳近くまで生きた。晩年の記憶が曖昧なのは恐らく認知症が進んでいたからだろう。
夫に先立たれてから15年以上、一人での暮らしはとても長く時間の流れがゆっくりに感じられた。それでも悲しいことばかりじゃなく、孫の結婚式にも参列したしひ孫を抱くことも出来た。人生は嬉しいことと悲しいことの繰り返しで出来ていて、祥子の人生はどちらかに傾き過ぎることもなく、いい人生だったと言えるだろう。大きな未練や心残りもないはずだ。
(だから私が前世を思い出したのは、増え続ける海モンスターに対処出来るよう、次期領主として必要な知識を得るためなのだろう)
前世で夫が逝ってからは、とにかく時間が有り余っていた。ご近所さんとカルチャーセンターの歌謡教室に通ったり、子や孫にせがまれて編み物をしたり、お向かいさんのクリーング屋で店番を勤めたりと、細々とやることはあった。それでも常に傍にいた人が居なくなり、日々の家事も自分一人分なのであまりこまめにやらなくなったので、ぼんやりする時間が増えた。
そんな私を見かねた孫のなおちゃんが、電子書籍が読める機械を持ってきた。
『これなら文字も大きく出来るし、おばあちゃんでも読みやすいよ!』
赤ちゃんの頃から変わらず愛らしい笑顔で差し出された機械の中には、子供が読むような挿絵の沢山入った物語本が何冊も収録されていた。こんな薄い板の中にどうやって入っているのか不思議だったけど、この年になるとよくわからないことは理解しようと努めるより「そういうもの」と受け入れる方が何倍も楽なので、可愛い孫のおすすめという本を片っ端から読んでみた。
(あの経験のお陰で、こうして前世を思い出してもすんなり受け入れられたのよねぇ。なおちゃんに感謝だわ)
10歳で前世を思い出してから8年が経ち、18歳となった今では次期エオリア領主として概ね順調な日々を送っている。私の目には美味しそうな海産物にしか見えない海モンスターが大量に廃棄される様子を見て、居てもたってもいられず食用化の研究を進めた。今や我が領地の立派な特産品になり、討伐したモンスターの焼却処理費用が嵩んでいたエオリア領の財政を立て直し、同じ悩みを抱えた海沿いの他領と手を取り合い、ここでは取れない海モンスターを融通してもらえる関係を築いた。近隣諸国からも、食用化の技術を伝授してほしいとの依頼が殺到している。
(この世界では国同士の戦争も、内紛もあまり聞かない。人間以上に恐ろしいモンスターがあちこちに居るから、そちらの討伐に人々が一丸となって取り組んでいるからかな。戦争がないのは凄くいいことだわ)
そんなベルティータの目下の悩みは、海モンスターの食用化に成功したことで王家から功績を認められ、褒賞を与られようとしていることだ。どうやって断ったものか。
(私はただ前世の記憶通りに料理をしているだけだし、海モンスターの廃棄が減ったのは頑張って討伐して沢山食べてくれる領民たちのお陰だわ。褒賞だなんておこがましい)
今世はしがない子爵令嬢で、前世はごく普通の庶民だったのだ。王家と関わるだなんてとんでもない。このまま平穏に、毎日好きなように料理をして領地と領民を守って生活していければそれでいい。
(でも、いずれ結婚しなきゃいけないのよね。子爵家の当主、エオリア領主になるんだもの…それはいいのだけど、結婚するのはあまり気が進まないわ)
前世の夫は病気で亡くなり、眠るように逝ったので最後に言葉を交わすことも叶わなかった。長年連れ添ったし、病気をするまでは二人であちこち旅に出たり沢山の時間を共有したけど、それでも後悔はあった。死別してからの長い年月で少しずつ悔やむ気持ちは薄れていったけど、18歳――前世で結婚した年齢になった今、殊更に想いを馳せてしまう。
(ただの平凡な子爵令嬢なら、前世の夫のような人と結婚することも叶うかもしれない。王家から褒賞を賜ったりなんかしたら、自分の意思で結婚相手を決めるのは難しくなるに違いない……!)
エオリア領が海モンスターを食用化したことは国内外で広く知られているが、ここから離れた土地では発案者はベルティータではなく子爵だと思われている。だからこそベルティータ個人へ褒賞をと言う話が持ち上がったのだが、出来れば目立ちたくない。望むような結婚が遠のいてしまう。しかし褒賞を断るのはどう考えても不敬だろう。どうしたものか。
「……一人で考えていても仕方ないわ。クラーケンの調理に取り掛かりましょ」
朝食後の一休みを早々に切り上げ、ベルティータは厨房へ戻ることにした。
◇◇◇
この世界でクラーケンと呼ばれている海モンスターは、タコとほぼ同じものだ。討伐は大変だけど、噛めば噛むほど旨味が出てきて他の食材ではこの味は出ないので、エオリア領では人気食材の1つとなっている。
厨房に着くと既に下処理は終わっており、ヌメリが取れて生臭さがなくなったクラーケンが保冷庫で冷やされていた。電気がない世界だけど、それに代わる動力として魔石がある。これは討伐したモンスターから採取できるものなので、この屋敷には潤沢にあり食材の保存には困らない。
「これだけ量があるなら色々作れそうね。定番のカルパッチョと、オリーブオイルとチリペッパーで和えたものは用意するとして、あとはどうしましょう」
ふと、前世でよく食べたたこ焼きを思い出した。
よく行くスーパーの目の前にある小さなお店のたこ焼きが孫たちは大好きで、遊びに来るたび沢山買ってみんなで食べたものだ。1つ1つが小ぶりなためタコも小さく、年老いて咀嚼力が落ちても食べやすかった。
(なおちゃんもレミちゃんも、一度に何十個も食べていたわねぇ。その上晩ご飯までしっかり食べるのだから、子供って本当にすごいわ)
今や自分も10代の子供だが、前世の孫たちに比べると食が細いと思う。それでも前世の晩年に比べたら余程食べられるので、あのたこ焼きを再現したくなった。少し前にそれっぽいソースを作ることに成功したし、カツオによく似た海モンスターを材料にしたカツオ節もどきの準備もある。たこ焼き機がないので丸い形には出来ないが、玉子焼き器のような四角いフライパンがあるのでそれを使って四角いたこ焼きにしよう。うまく出来たら鍛冶屋に依頼して、ちゃんとしたたこ焼き器を作ってもらえばいい。
(そうと決まれば、まずは生地作りね!)
前世の味を思い出しながら食材を取り出し、溶き卵にだし汁を注ぎ小麦粉をそっと混ぜ込み、ほんのり醤油で味付けて保冷庫にしまう。生地はこれでいい。前世でよく食べていた長ネギがない代わりにポロネギのような野菜があるのでそれを刻み、少し前に天ぷらのついでに作っておいた揚げ玉を保存容器から取り出す。後はクラーケンを小さく切って、フライパンに生地を流し込んで具材をちらし、程よく固まるのを待つ。
(紅しょうがの代用品は、思いつくものがないわねぇ。一度領地の外に食材を探しに行きたいけれど、当面は無理そうだわ……)
もうじき王都から視察団が来る予定があるし、近隣の領地からは料理教室開催の依頼が後を絶たない。海モンスターを調理できる人が増えたため他領にはその人たちを派遣したいけど、ベルティータが指名されることも多い。それに、王都からの視察はベルティータ本人が両親と共に対応しなくてはいけない。じきに社交シーズンが来るので、そうするとお茶会や夜会にも行かねばならない。食材探しに時間を割くのは難しい。
考えている間にいい感じの固さになったので、手早く成形し皿に移す。端っこを味見用にカットして食べたところ、ポロネギの甘味がいいアクセントになっていて、記憶の味とは違うけれどこの世界なりの美味しいたこ焼きが出来上がった。生地は沢山あるので、この調子でどんどん焼こう。
「うん、いい感じに出来た!でもやっぱり丸いのがいいわね…鍛冶屋さんに相談しなくっちゃ」
出来上がったフライパンたこ焼きは両親と弟妹、屋敷の料理人の分を取り分けて残りを港へ持っていくことにした。この時間ならまだ討伐の後始末をしている漁師が少し居るはずなので、みんなに試食してもらうことにした。
◇◇◇
港の方へ向かっていると、顔馴染みの漁師がいつもより沢山居た。何かあったのかとキョロキョロしていたら、今朝あら汁を四杯おかわりしてくれたデリクさんと目が合った。
「おっ、ベル嬢ちゃんも見に来たんですか?」
「見に……?新しいクラーケン料理の試作を持ってきたのですけど、何かあったのでしょうか?」
「マジっすか!やったー!っていや、今それを食べるのは難しいかもしれねぇ……」
「まぁ……デリクさんが食事を後回しにするだなんて、余程の事が起こったに違いありません。父に報せてきましょうか」
「それがですね、どうやら視察団が来たっぽいんです。今うちの奥さんが領主さまを呼びに行ってます」
視察団だとすれば予定より半月も早いけど、伝達ミスで正式な日程がこちらに伝わっていない可能性もある。なんせエオリア領は王都からかなり遠いのだ。急な来客にも対応出来るよう日々備えているけど、あまり大人数だとこちらの予定にも支障が出る。横柄な相手じゃないことを祈るばかりだ。
◇◇◇
「おばちゃん、これすっごく美味しいよ!王都じゃ食べたことない!!」
「あらまっ、ならもっとお食べよ。アレもコレもみーんなベルティータお嬢さんが考えた料理なんだよ」
「エオリア子爵令嬢は、本当に料理をするんですか?自分で?」
「よそから来た人はみんなそう言うけど、あたしたちにゃそれが普通のことだわね」
「いいなぁ、素敵だなぁ。領主一族と領民の皆さんは良好な関係なんですね」
「もちろん!あたしらはエオリア子爵にも、ベルティータお嬢さんにもとっても感謝しているのよ」
視察団の代表らしき御方は、漁師の奥様方とすっかり打ち解けているようだ。一目見て高位貴族だとわかる出で立ちなのに、皆と同じ立場のような馴染み具合だ。
「あら、噂をすればお嬢さんが来たわよ!」
「えっほんとですか?挨拶しなきゃ!」
ニコニコとこちらを見る笑顔に、大切な人を思い出した。
この笑みの暖かさは、ずっと昔に死に別れたあの人のようだ。
「はじめまして、ユージーン・ヴィレノスと申します。貴女がベルティータ・エオリア子爵令嬢ですか?」
「はい。ユージーン様……もしかして、第五王子殿下でしょうか?」
「えぇ。国王陛下の命により、王都より視察に参りました。予定より早く到着してしまい申し訳ありません。こちらの食事が絶品だと聞いて、居ても立っても居られず公務を巻きで終わらせてこちらに馳せ参じました」
「あらまぁ、食べることがお好きなのですね」
私のような末端子爵家の令嬢でも、王家の皆様の名前はもちろん把握している。目の前にいるユージーン第五王子殿下は末っ子で、継承権も下位の方でのびのびと育てられたほがらかで優しい方だと聞いたことがある。王族ではあるけど、極度に緊張を強いるような相手じゃなくてホッとした。
「今から暴れクラーケンを使った試作料理をふるまうところなのですが、ご一緒にいかがでしょうか?その、毒見などの問題もあるかと思いますので、難しいかもしれませんが……」
「是非いただきます!いつでもどこでも美味しいものが食べられるよう大抵の毒は慣らしてあるし、各種解毒剤も持ち歩いています!それに、こちらで食べられる海モンスターは毒抜きも完璧だと聞いています。楽しみだなぁ!」
王子様がそれでいいのかと内心思いつつ、護衛らしき人達も反対しないので気にしないでおこう。
「さっき作ったばかりの新しい料理で、私自身は美味しいと思っておりますが、もしお口に合わなければご無理はなさらないでくださいね」
「お気遣いありがとうございます。ですが、僕は視察に来たのです。出された食事は全て余すことなくいただきますので、ご安心ください。残してはバチが当たりますからね」
さぁ早くと言わんばかりに目を輝かせたユージーン殿下を微笑ましく思いながら、四角いたこ焼き、もとい、暴れクラーケン焼きを取り出した。殿下はもちろんのこと、護衛の方と漁師の皆さんも覗き込んでくる。
「ベル嬢ちゃんの新作だ!」
「この前食った玉子焼きみたいな形だな」
「上にかかってる茶色いのはなんだ?いい匂いがする!」
カツオ節もどきも受け入れられそうでほっとした。時間も手間も掛けたので、自分だけで楽しむのではなく多くの人を喜ばせたい。
「それは魚を熱で処理して、乾燥させてから薄く削ったものなんです」
「ほぉ、よくそんなこと思いつくなぁ」
「嬢ちゃんの料理はなんだって全部うめぇから、マジで尊敬するぜ!」
「そりゃそうだろ。なんせ嬢ちゃんのレシピは海の女神様からの天啓なんだ」
エオリア領の民たちは純粋な好意と尊敬の気持ちでこう言ってくれるけど、王族を前にしてただの子爵令嬢が女神さまの天啓を授かっていると触れ回るのは些か危険を感じる。恐る恐るユージーン殿下を見ると、大きく目を見開いて固まっていた。
「ユージーン殿下、大丈夫ですか?普段王宮で召し上がっているものと随分違うので驚かれたのでしょうか」
「ベルティータ嬢、これはたこ焼きかな……?上に掛かっているのは、カツオ節?」
「え?」
「いや、たこ焼きなら丸いはずか……」
「えぇっと、本当は丸くしたかったのですけど、道具が無くて」
「そっか!たこ焼きがなければ当然たこ焼き機もないですね」
「殿下……?」
たこ焼きもカツオ節も、前世で親しんだ食べ物だ。この世界には、いや、この国では見たことがない。ユージーン殿下は王族なので他国の料理も色々とご存じで、どこかにたこ焼きが存在するのだろうか。
「あの、殿下はこの料理を食べたことがあるのでしょうか?どちらで…?」
「いや、僕・自・身・は・食べたことがないんだ。いただいてもいいかな?」
「…はい」
「では、いただきます」
行儀よく両手を合わせて食べ始める殿下を見てハッとした。その仕草はヴィレノス王国にはないもので、ベルティータも外では不思議がられるのでやらないことにしている。流れるように手を合わせ、私以外他の誰も知らなかった食べ物を知っていて、知識だけで食べたことがないと言う。1つの可能性に思い至り、胸がドキドキした。
(殿下も前世の記憶があるのかしら?しかも日本人?そんなに都合のいいことってある……?)
緊張しながら彼を見ると、物凄い勢いで食べ始めた。運んでいる間に少し冷めたので食べやすい温度になっていたので、一気に食べてもやけどはしなかったようだ。
「あぁ、懐かしい…そうだ、こんな味だった」
「食べたことがないとおっしゃっていましたけど、どこかで食べたことがありましたか?」
「そうなんだよ、ベルティータ嬢。笑わないで聞いてくれるかな?」
私が静かに頷くと、殿下は先程とは打って変わった大人びた表情で話し始めた。
「僕にはね、前の人生の記憶があるんだ。前世ってやつ」
王家の言い伝えでは、強い後悔や心残りがあるまま亡くなった人間はその魂を他の人間に引き継ぐことがあると言われている。何百年も前の話であまり知られていないけど、6代前の国王陛下は初代国王陛下の魂を引き継いでいたのだと殿下は教えてくれた。
「6代前というと、隣国との和平を戦なしに実現した賢君と呼ばれている御方ですか?」
「そうなんだよ。初代陛下は自分で成し遂げられなかったことが心残りで、神々の力を借りて魂だけ戻って来たんだって、王家に連なる者は子供のころからそう教えられて育つんだ」
「では、殿下もそのような履歴をお持ちで?」
目の前のユージーン殿下も凄いことを成し遂げようとしてるのかと思いそう尋ねると、カラッと笑って答えてくれた。
「いいや、僕はさっぱりだね!前世の僕はごく普通の庶民で、年若い頃に従軍させられたことがあるぐらいで、後は普通に結婚してまっとうに働いて人生を終えたよ。たこ焼きは、前世の晩年によく食べていたんだ」
従軍していたことと、晩年によくたこ焼きを食べていたこと。それにこの笑顔。
あぁ、この人はもしかしたら――
「病気で亡くなったんだけど、亡くなる数か月前から病院暮らしで、眠るように逝ってしまったんだ。最後の食事が病院食だったことと、奥さんに感謝の気持ちも伝えられないまま亡くなってしまったことが、僕の心残りだ。本当にただ、それだけなんだ。成し遂げたいこともないし、大きな力があるわけじゃない」
「前世の殿下は、奥様の事を大切に想われていたのですね」
「いやぁ、そんな素敵なものじゃないよ。何十年も一緒に居たからそれが自然だったと言うか……。奥さんには叱られてばかりだったな。それでも病気をするまでは美味しいご飯を毎日作ってくれて、身体に悪いと言いながら僕の好きなお酒をいつも用意してくれていた。いい奥さんだったよ」
この記憶が残ってるせいで理想が高いのか、貴族の令嬢とは気が合わなくてなかなか婚約できないと苦笑いするユージーン殿下。王都の高位貴族のご令嬢は矜持が高く、淑やかで感情をあまり表に出さないので、確かに合わないだろう。
「…お酒は切らさなかったけど、こっそり水を混ぜたことは何度もありましたよ。だってあなた、やめなさいって言っても聞きやしないんだもの。外で飲み歩かれるよりは家に居てくれたほうが、余程マシですからね」
「……ベルティータ嬢?」
「ご飯だって、最後はもう噛むことも飲み込むことも出来なかったから、もっと早くに何か美味しいものを持っていけばよかったって後悔したんですよ。そしたらひ孫のなつみちゃんが『大じいちゃんはずっと大ばあちゃんの美味しいご飯を食べてたんだから、天国でも美味しい味をおぼえてるよ』って慰めてくれてねぇ。あんなに小さい子が、大ばあちゃん元気出してねって沢山慰めてくれて……」
夫の葬儀の日、泣けて泣けて仕方なかった私を大勢の孫やひ孫たちが慰めてくれた。夫との間には三人の子供に恵まれて、全員結婚して孫もひ孫も沢山生まれた。子供たちは皆私を慕ってくれて、どの子も可愛かった。皆が居てくれたから、夫亡き後も15年以上楽しく暮らせたのだ。
それでもベルティータが祥子の記憶を引き継いだのは、最後にもう一度だけ夫と喋りたかった。一言でいいから声を聴きたかったという思いが強すぎたのかもしれない。お陰でこうやって巡り会えた。
「ベルティータ嬢は……祥子さん、なのか?」
「えぇ、お久しぶりです。時雄さん」
◇◇◇
それから私たちは、沢山お喋りした。時雄さんが亡くなってからの家族のことや、この世界に生まれ変わってから今までのことを、お互いの不在期間を埋めるかのように語り合った。そうしている間にすっかり陽が落ちたので、晩餐は腕によりをかけて懐かしい食事を振舞った。
「まさかこの世界で鯛しゃぶが食べられるなんて…!」
「鯛じゃなくて雷属性の猛魚ですけど、ほとんど鯛と変わらないですよねぇ。エオリア領でもあまりお目に掛かれないごちそうなんですよ」
猛魚を尾頭付きの舟盛りにして、昆布に似た海藻でとった柔らかい味の出汁でしゃぶしゃぶにしていただく。あらは焼いて出汁を取り、明日の朝食は鯛めしならぬ猛魚めしにするつもりだ。
「はぁ、旨かった!ごちそうさまでした!」
「はい、お粗末様でした。お口に合ったなら何よりです」
「祥子さ……じゃない、ベルティータ嬢の食事なら何でも美味しくいただける自信があるなぁ。明日の朝食も楽しみだよ!」
ユージーン殿下は大満足といった様子で、食後のお茶を飲んでまったりしている。前世ではお茶のお供はもっぱらナイター中継だったけど、ここにはテレビも新聞もない。そして今、この部屋には私たち二人きりだ。
お互い桃山祥子と桃山時雄の記憶を持っているけど、この世界では第五王子殿下としがない子爵令嬢で未婚の男女だ。どうしても二人きりになりたがった殿下は私の両親に頼み込んで、誓って不埒なことはしないと誓約書を書き、この場を設けた。王族だから命令をすれば済む話なのにここまでしてくれる殿下に両親はいたく感動していた。扉を薄く開けて外に護衛を控えさせているので完全な二人きりではないけど、会話が外に漏れないよう魔石で簡易結界を張っている。前世に比べると不便なことの方が多いけど、逆にこちらの世界の方が凄いと思うのはこういうときだ。
「あの、殿下はいつまでこちらに居られるのでしょうか?そもそもこんな辺鄙な領地に王族の方が直接いらっしゃるとは思っていなかったので、準備不足で申し訳ないです」
「ベルティータ嬢、もっと気楽に接して欲しいな。せっかく二人きりなんだから」
「…気を抜くと時雄さんと呼んでしまいそうなんです。うっかり外でそう呼んでしまったらまずいでしょう?」
「そういう時は顔や服装をじっと見てみるといいよ。似ても似つかないでしょう?」
「まぁ、それはたしかに」
前世は日本人で黒髪黒目だったが、ヴィレノス王国は欧州のような国だ。とても祥子や時雄と呼ばれるような顔立ちじゃない。そう考えるとおかしくなってきて、自然と笑えた。
「えっと、滞在期間のことなのだけど…」
「公務もあるでしょうし、あまり長くはいられませんよね。梅酒を漬けているのだけどまだ漬かりが浅くて、滞在中にお出しするのは難しいのでお土産に持って帰りますか?」
「梅酒まで漬けてるの!?も、もしかして……」
「もちろん梅干しも漬けています」
「やっぱり!祥子さん、毎年楽しみにしてたもんね」
前世で孫のレミちゃんが『おばーちゃんの梅干しが日本一美味しい。梅干しで日本一ということは、それはもう世界一だよ!日本でしか梅干しって漬けてないよね?おばーちゃん世界一!』と毎年絶賛してくれるので、嬉しくなって毎年せっせと漬けていたのだ。
「王都は遠いので、あまり荷物を増やすのは難しいでしょう?カツオ節や干物もあるから、どれか好きなものを選んでもらって……」
「え、そんなに色々作ってるの?子爵令嬢になっても料理が好きなんだね」
「好きなのはもちろんですけど、何よりここは港町ですから。いつも命がけで海モンスターの討伐に出てくれる漁師の皆さんが少しでも元気になってくれるよう、次期領主として私にできることをしているまでです。趣味と実益を兼ねてますね」
「エオリア子爵家はベルティータ嬢が継ぐと決まっているんだっけ?」
「この国は男女問わず長子に相続権がありますし、弟妹とは歳が離れているので、そうなる予定です」
弟と妹は双子でまだ三歳なので、二人が成人する前に私が子爵位を継ぐことがほぼ内定している。領民たちにも周知されていて、だからこそみんなは私に特別親切にしてくれるのだろう。
「では、ベルティータ嬢。僕と結婚してくれますか?」
「……はい?」
「海モンスターの食用化に成功した褒賞として、エオリア子爵家がベルティータ嬢に代替わりする際、伯爵位が与えられる予定なんだ。すると、その地位にふさわしい配偶者が必要になってくる。僕なら継承権の低い第五王子だし、婚約者もいない」
「ちょ、ちょっと待ってください。私が伯爵に……!?」
「君が成し遂げたことに、王家はそれだけの価値を見出したんだよ。ただ前世の味を懐かしんで色々試しただけかもしれないけど、それで救われた民が大勢居るんだ。どうか誇りに思って欲しい」
ユージーン殿下の言う通り、最初はただただ魚を捌いて食べただけだ。普通の魚はモンスターの餌食にされてしまいほとんどお目に掛かれないので、魚を食べたければモンスターを食用化するしかない。毒抜きが必要なものも多いが大抵は内臓を処理すれば取り除ける。また、この地で海モンスターと対峙してきた領民たちに聞いて回れば多くの知識を得ることが出来たし、文献も沢山残っていた。ベルティータがしたことは、この世界の食材でいかに前世の味を再現できるか、それだけだ。結果的に海モンスターの討伐が以前より盛んになり、海沿いの領地に新たな名産が生まれて賑わうようになり、領土に海を有する周辺諸国との関係がより濃密なものとなった。
「だから君の元に王族が婿入りしたっておかしくないし、遠く離れた王都と密に連携を取るにはそれが一番でもある。悪い話じゃないと思うんだけど、どうかな?」
「た、たしかにその通りかもしれません……」
自分がそんな大それた人間だとは思っていないけど、国がそう判断したなら素直に従うべきだろう。悪い話じゃないどころか諸手を上げて歓迎する話だ。それにこの縁談を断ったら、懸念していたように上位貴族からの婚姻申し込みが殺到するだろう。領地に引きこもって料理ばかりしている元子爵令嬢な女伯爵なんてカモにされて当然だし、それに抵抗する術は持っていない。
それになにより、前世の夫のような人と結婚出来ればいいと思っていたのだ。目の前の彼は身分こそ前世とはかけ離れているけど、夫の魂を引き継いでいる。ベルティータへの気持ちはわからないけど、祥子への愛情は持っているはずだ。であればすぐにこの話を受けるべきだと思いつつ、ベルティータ・エオリア子爵令嬢としてはまだ迷いがある。だってこの人は祥子に好意を抱いているだけで、ベルティータを好いているわけじゃない。
「……少し、考えさせてくれませんか?」
「嫌だ、今返事が欲しいんだ」
「家族にも相談したいですし、あまりに急すぎます。結婚どころか婚約だってまだ何の話もなかったんですよ!」
「それはきっと、憂いなく求婚できるよう運命が僕に味方したんだね」
「ユージーン殿下って、結構強引なのですね……?」
「強引にもなるよ!君には祥子さんの記憶があるから時雄のことは愛しているだろうけど、僕の……ユージーンのことはそうじゃないだろう?僕はもうこんなにも君に惹かれているのに、分が悪いじゃないか。君の婚約者に一番ふさわしいのが僕だとわかってもらって、婚約してから少しずつお互いを知っていけばいい。好きにさせてみせるから!だから、どうか僕の手を取ってくれないか?」
今、殿下はなんと言ったのだろう。
”時雄のことは愛しているだろうけど”?
”僕はもうこんなにも君に惹かれている”?
「私のうぬぼれでなければ、殿下は私……ベルティータのことを好いているように聞こえたのですけど」
「え、そこからなの?好きじゃなければ強引に求婚したりしないよ!」
「でも、先程からそのようなことは一言も……」
「あぁそれは僕が悪いね!ごめん!!ちょっと仕切り直させて!!!」
ユージーン殿下は深呼吸をして居住まいを正し、決意を湛えた瞳で私の前に跪いた。
「僕、ユージーン=メルクト・ヴィレノスは、ベルティータ・エオリア子爵令嬢をお慕いしております。前世で夫婦だったからか、一目見たときから慕わしさを感じているし、君に微笑みかけられると心臓がギュッとなるんだ。澄んだ海のようにきらめく青い瞳も、柔らかい亜麻色の髪も、少し日に焼けた健康的な肌も、すべてが愛おしく感じる。まだ出会ったばかりでお互いの事を知らないけど、だからこそ一番近くで君の事を知る権利が欲しい。どうか僕と結婚してくれませんか?」
時雄と祥子はお見合い結婚だったので、こんな熱烈な求婚をされたことは前世でも今世でもない。それに時雄は妻に睦言をささやくようなタイプじゃなかった。真正面から真摯な気持ちをぶつけられて、頬が熱くなってドキドキする。
「あの、ユージーン殿下。私も大した志を持たず、成し遂げたいこともないのに前世の記憶を引き継いでいます。私の心残りは、眠るように逝ってしまった夫と最後にもう一度だけ話したかった。ただ、それだけなんです」
「そうか……僕と同じだね」
「はい。だけど殿下に出会って、それだけじゃなかったって気付いたんです。夫とは沢山旅行もしたけど、海外には行きませんでした。夫の喪が明けた年に娘一家と出掛けた台湾旅行が凄く楽しかったので、ここに夫も居ればよかったのにって思ったんです。あとは一番下の孫の大樹が成人した年に「じいちゃんとお酒が飲みたかったな。日本酒とビールのちゃんぽんイケるね!って語り合いたかった」と言うのを聞いて、孫に悪影響だからおかしな飲み方はやめなさいって、もっと注意しておけばよかったとも思いました」
「え、待って海外行ったの!?怖いから絶対嫌って言ってたのに!あと大樹は随分な大酒飲みだなぁ!」
「行くまでは怖かったけど、一度行ってしまえばなんてことなかったですよ。ドイツやイギリスにも行きたかったけど、似たような世界に生まれ変われたのでそれはよしとします。大樹の酒好きは間違いなく時雄さんの遺伝です」
「そっかぁ……祥子さん、楽しい晩年だったんだね」
「時雄さんが亡くなってから、私が寂しくないようみんなが気に掛けてくれましたから。15年以上もお待たせして、待っている時雄さんは淋しくないかしらって、ずっと気になっていました」
だから、と私は顔を上げて目の前のユージーン殿下を見つめる。この人は時雄さんじゃないけれど、私だって祥子ではない。ただお互い大事な記憶を引き継いでいて、それがある限りきっと私たちは上手くいくだろう。
「私、結婚するなら時雄さんみたいな人がいいって思ってました。前世とは全然違う世界で、平民じゃなくて貴族だから、この希望は叶わないと思っていました」
(だけど殿下は時雄さんにそっくりな笑顔で私を望んでくれて、祥子だけじゃなく私を見てくれる。こんなに幸せなことが他にあるかしら?)
「そんな私の元に、殿下は現れました。王都とここは遠く離れているのに、それでも巡り合えたんです。記憶を引き継いだ意味がわかりました。だから……」
期待にあふれた表情でこちらを見てくる殿下が愛おしくなって、思わず彼の胸に飛び込んだ。このぬくもりが、ずっと欲しかったのだ。
「この婚約、謹んでお受けいたします!」
◇◇◇
「なおちゃん、そっちの押し入れ見終わった?」
「ねぇレミちゃん、凄いよここ。親族一同の写真がザクザク出てきた!私たちの七五三の写真も、ほら!」
祥子おばあちゃんが亡くなって、早一週間。近所に住む親戚たちで毎日少しずつ家の片付けを進めている。晩年はちょっとボケちゃってたせいか謎の家電を買いまくっていたようで、春から一人暮らしをする予定の私はヨーグルトメーカーやガス火のたこ焼き機を譲り受けることになっている。お母さんは「なにこの買い物!」と嘆いていたけど私的にはラッキーだ。
「このちっちゃい子、純也にいちゃんかな?こんな時代もあったんだね……」
「ね、びっくりだよ。でも、何よりびっくりなのはじいちゃんの若い頃じゃない?」
「それは思った!じいちゃんってカッコよかったんだね……!」
私たちの記憶にある時雄じいちゃんは、年中コタツに潜ってお酒を飲みながらナイター中継か時代劇チャンネルを見ていて、いつもニコニコしていておおらかなおじいちゃんだ。じいちゃんが亡くなった時はおばあちゃんの落ち込み方が酷くて、しばらくはあまり話題にも出さず遺品の整理もおばあちゃんが一人でしたので、じいちゃんの若い頃の写真は初めて見た。
「二人はさ、今頃天国で再会してるかな」
「天国じゃちょっと普通すぎない?どうせなら異世界転生しててほしい」
「え、何それ楽しそう」
なおちゃんは読書家で、じいちゃんが亡くなって時間を持て余すおばあちゃんにタブレットをプレゼントして定期的に色んな本を端末にダウンロードしていた。おばあちゃんの読書履歴のタイトルに「悪役令嬢」「婚約破棄」「ざまぁ」「転生」「聖女」と並んでるのを見たときは爆笑したし、それらを楽しんでいるおばあちゃんの順応力の高さに驚いた。
「どんな世界に転生するのがいいかなぁ。おばあちゃん裁縫スキル凄かったし、縫物で無双する?伝説の魔法陣を組み込んだマントを縫い上げて絶対防御で勇者を守る聖女様とか?」
「いやいや、ここは異世界グルメでしょ。モンスター料理で成り上がって宮廷料理人になって、王太子殿下に見染められるんだよ!」
「その場合、王太子殿下はじいちゃんなの?」
「……じいちゃんが殿下」
「…………想像できないね」
「この設定はやめよう!おばあちゃんの相手はじいちゃんじゃないと!」
今この家の鴨居には、二人の遺影が並んで飾られている。二人の家なのに、もう写真の中にしか居ないことが凄く悲しいし、今でも会いたくてたまらなくなる。だけど、ようやく並んで共に居られるようになったのなら、きっと二人は喜んでいるんじゃないかと思う。もう傍に居ないじいちゃんの遺影を綺麗に磨くおばあちゃんの淋しそうな姿を今でもはっきり覚えてる。
「どんな転生でもいいけど、二人が一緒にいるといいね」
「そうだね。一緒に居たらきっと幸せだもんね!」
よく晴れて桜がきれいな4月某日、おばあちゃんは旅立った。
きっとどこかで幸せになっているに違いないと、孫たちは思うのである。
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異世界だけでなく、祥子さん時代のその後を孫たち目線で書いてあったのがお得気分でした。
ほのぼので楽しかったです