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第二章

第十五話

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 気づけば僕の周りにはいつも人がいた。子供も大人も、動物さえも惹きつけてやまない僕のこの容姿。物心ついた時には、僕は周りの人を信じられなくなっていた――兄を除いて。

 兄は、僕を持ち上げるばかりの他の人とは違った。

 僕が間違ったことをしたときは叱ってくれ、僕が勉強を頑張った時には褒めてくれた。

 少し成長すると、僕という存在が兄にとっては邪魔なことに気づいた。

両親の関心を独り占めする僕。

 僕目当ての令嬢たち。

 それでも、兄は僕を見捨てず一緒に遊んでくれた。
 一緒に城を抜け出して城下へ行ったのは僕の一番の思い出だ。


 けれど、第一王子である兄をないがしろにし、僕ばかりが注目される状況が何年も続けば、次第にその関係にひびが入った。

 兄が僕なんかの何倍も努力し、必死で次期国王にふさわしくなろうとしていればなおさらだ。


 僕と目を合わせる回数が減り、僕と話す時間が減り、次第に顔を合わせることがなくなった。

 慈しむような視線を送ってくれた兄はもうどこにもいなかった。
 会えば、頑なで憎むような視線が僕を貫いた。


 だから僕は愚者を演じた――愚かで、決して国王には適さない人物を。

 僕はただ、もう一度兄に笑ってほしかった。
 もう一度あの優しい瞳を向けてほしかった。

 もう一度、叱ってほしかった。


 多分、僕は兄にそんなことする必要はないって言ってほしかったのかもしれない。

 でも僕が愚者を演じるようになって、兄はホッとした顔をした。

 だから……。
 だから、僕はもう戻れなかった。


 何も言わない親。
 何も言わない家臣。

 そして、何も言わない……それどころかそんな僕を歓迎した兄。


 ただ、僕はもう一度仲のいい兄弟に戻りたかっただけなのに。



 兄の計画は最初から知っていた。
 僕がいるのにも関わらず少しも警戒しないでしゃべるんだもの。

 最初は放っておくつもりだった。

 正直ヴェリトスも、サザールも、そして兄も、どうなろうがどうでもよかった。

 でも……。

 絵里様に会った。
 初めてだったんだ。

 僕のこの顔にやられなかった女の子は。
 そして僕のこの演技を見破ってくれた人は。

 もちろん、直接演技だって言われたわけではないよ。
でもさ、そういうのは目を見れば分かるんだ。

 絵里さんの目は純粋で、正直で、一瞬で僕は取り込まれた。

 この国の、絵里様がいるこの国の味方をしようと思ったんだ。


 僕は兄の共犯として捕まってもよかったんだけどね……。
やっぱり絵里様には適わない。


 もう少し、今度は真面目に頑張ってみるよ。

 親も信じられず、兄も失った僕だけど……ね。







*~*~*~*~*~*~*~*~*






 ミカエルが全てを告白すると、その場に落ちたのは重苦しい沈黙。

 誰も――ハリーもザギトスも――誰もミカエルの演技に気づいていなかった。


 能天気だと思っていた彼が、こんなにも悩み、考え、もがき苦しんでいたことに気づけなかった。


 ハリーもザギトスも、心のどこかで彼を見下していた。


――猛烈に恥ずかしい。


 そして、自分たちが気づかなかった真実に絵里が気づいたことに感服した。


 真実を見通す瞳。

――あながち冗談じゃないかもしれないな。



 ミカエルにとって、絵里は救いだった。
 兄に代わる指標。


 ミカエルは、絵里との出会いによって、ようやく長年の葛藤から解放されたのかもしれない。



「ミカエル……」


 誰もが沈黙を貫く中、かすれた声でロナルドが呼びかけた。


「ミカエル……悪かった……。俺は……お前のことを邪魔だと思っていた。何でもこなすおまえが脅威だった。いつ次期国王という地位を脅かされるか毎日ヒヤヒヤしていた。お前がバカなふりをするようになったら、こんな馬鹿な奴が弟だということを恨んださ。勝手だよな……。俺はお前の気持ちを少しも考えていなかった。ただただ自己憐憫にひたって悦に入っていた愚か者だ。挙句にこんな事件を起こして……本当に済まない。こんな兄でおまえに迷惑かけて……。だけど、これだけは信じてくれ。いくらおまえを恨んでも、いなくなってほしいと思ったことは一度もない。どんなに憎んでも、おまえがいたから俺は頑張ってこれた。……ありがとう」


 最後、彼は泣いていた。

 憑き物が落ちたかのように、後悔の涙を流していた。


「兄さん……。僕、待ってるから。もう一度一緒に城下町に行ける日が来るって信じてるから。だから、戻ってきてよ。約束だよ」


 そう言うミカエルの瞳はどこまでも穏やかで優しくて……。



――兄弟っていいな。家族って……強いな。

 少しだけ羨ましく感じた絵里。


 でも、そんな絵里の気持ちを察したかのようにロベルトが手を握ってくれる。

 だから絵里は、大きな温もりを全力で握りしめた。

――どこにも行かないよ――っていう気持ちを込めて。






*~*~*~*~*~*~*~*~*







「結局どういうこと? なんか私の小説を読んで全てわかったみたいなこと言ってたけど、私事件の事なんて書いてないよ?」



 夜、絵里の部屋。


 結局あの後ロナルドは罪を認め、今は拘留中だ。
 もちろん、レイも。



「この本。事件の概要を全部知ってる俺からすれば、この本にかかれてるのは事件そのままだったぞ。だからこそミカエルが共犯ではないと分かったんだ。いや、助かったよ」


「去年の事件の時もそんなこと言ってたけど、私はそんなつもりじゃなかったのに。今回はたまたまだから、あんまり信用しすぎないでね、責任取れないから」

「わかってる。ヒントを貰ってるだけで証拠がなければどうしようもないさ。だから絵里が責任を負うようなことにはならない。……それより、タメ口にしてくれたんだな、嬉しいよ」


 瞬間、カッと絵里の頬が赤くなった。

「な、仲良くなれたかなって思って。ほら、いつまでも敬語だったら距離があるっていうか、なんか寂しいかなって思って。べ、別に深い意味はないから!」


――はは、ワタワタ慌てる絵里も可愛いな。


 不思議なもので、口調一つで距離がぐっと近くなったように感じる。

 人と距離を縮めることを極端に恐れていた絵里。

 その絵里が、自発的に仲良くなりたいと思った相手が――ロベルト。


 とてつもない進歩だ。


 いい意味で、どんどん変わっていく絵里。


――守りたい。真綿で包むように、何者からも守りたい。だが、その一方で絵里の変化を嬉しく思う。

 まるで蝶だな。

 らしくもないことを思う。

 まるで蝶。
可憐で美しくて、今にも羽化しようとしている蝶のようだ。



 そんな絵里が眩しくて、眩しすぎて。

 時たまロベルトは不安になる。

 自分のもとから飛び立ってしまうのではないか……と。




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