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第七話(マリア視点)
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(マリア視点)
「カティア・レモンド侯爵令嬢と結婚することになった」
ある日、レオナルド様がなんの前触れもなく結婚を決めた。
マリア達使用人はいつまでたっても婚約者すらいない主人の結婚を半ばあきらめており、だからこそその報告に喜んだ――相手が、”あの”カティア様だと分かるまでは。
以前から、カティア様の噂は嫌でも耳に入って来ていた。
いわく、とても我儘だとか。
いわく、贅沢好きだとか。
いわく、義母と義姉をいびり倒しているとか。
一度も社交界に出てこない、悪い噂しかないカティア・レモンドという令嬢。
マリアは、噂は噂だからと極力気にしないようにしていた。
カティア様を公爵家に迎えるために、準備に勤しんだ。
だが、やって来たカティア様は噂にたがわないように見えた。
けばけばしい下品なドレス。
無駄に開いた首元からは、浮き出た鎖骨が覗いていて。
女性は細いほど美しいと言われているが、彼女の細さは病的なほどだった。
――がっかりだわ。
一目見て、マリアはカティアに対して失望した。
そして噂を信じ、カティアに対して冷たく接するようになった。
初めに疑問を持つようになったのはいつだっただろうか。
挨拶の時、使用人のマリアに対してさん付けしたカティア様。
無表情の中に、何とかほほえみらしきものを浮かべて挨拶をしたカティア様。
冷めたパンとスープという、とうてい貴族らしくない質素な食事に文句を言わず一人黙々と食べていたカティア様。
この屋敷に来てから一度だって我儘を言わなかったカティア様。
我儘どころか外に出ることさえしなかった彼女。
――彼女はいったい、何をおもっていたのかしら。
冷たく突き放した時の凍り付いたカティア様の表情。
あの日以来、わずかな微笑みさえ見ることはなくなった。
一人で食事をする小さな背中は、思わず目を逸らしたくなるほど寂しげだった。
毎日毎日大きな窓から外を眺めるカティア様。
気づこうと思えば気づける機会はたくさんあったのだ。
それを無視し、カティア様に冷たく当たっていたのは、他ならぬ自分。
信頼を奪ったのは、マリア達使用人だったのだから。
一人を好むカティア様に対し、自分は何を思ったっけ。
確か、使用人を見下していると思ったはずだ。
かつての自分を思い出し、マリアは深い後悔に襲われる。
――当然だった。カティア様が私たちに話しかけられるはずがなかった。
誰が、自分に冷たくする人に話しかけたいと思うだろう。
誰が、悪意ある視線の中に飛び込んでいきたいと思うだろう。
カティア様の人柄が噂とは全く異なることにはっきりと気づいたのは、孤児院に行ったあの日だった。
ルーダ様に会うなり「寂しい」とこぼしたカティア様。
抑え込まれた彼女の本音を、マリアはその時初めて知った。
孤児たちと夢中になって駆け回るカティア様。
子供たちを抱き上げ、手をつなぎ、地べたに寝転がるカティア様。
服が汚れるのも構わずにはしゃぎ、身分に関係なく振舞る彼女からは、ほんの一欠片の高慢さもうかがい知ることはできなかった。
そしてなにより、屋敷にいるときよりもずっとずっと楽し気で明るい彼女がそこにいて。
――ああ、これがカティア様の本来の姿なんだ。
その想いがマリアの胸にストンと落ちた。
屋敷に戻ったマリアはその足でセバスに自分の想いを伝えた。
「セバスさん。私、カティア様が噂通りの人だとは思えません。いえ、むしろすごく優しい人だと思います!」
マリアだけではなかった。
セバスも、庭師も、シェフも。
使用人全員が、カティア様に対して酷く冷たく接していた。
「もうやめませんか? 私たち、無実の人に酷いことをしていたんです」
マリアが感じた違和感。
それは彼らも感じていた。
一緒に過ごす中で膨らんでいった違和感は、もう消せないところまで来ていた。
「……きちんと調査をします。カティア様が本当に噂通りの人なのか否か。レオナルド様には反対されると思うので、極秘に」
その日からマリアは、カティアに誠心誠意仕えようと決意した。
「カティア・レモンド侯爵令嬢と結婚することになった」
ある日、レオナルド様がなんの前触れもなく結婚を決めた。
マリア達使用人はいつまでたっても婚約者すらいない主人の結婚を半ばあきらめており、だからこそその報告に喜んだ――相手が、”あの”カティア様だと分かるまでは。
以前から、カティア様の噂は嫌でも耳に入って来ていた。
いわく、とても我儘だとか。
いわく、贅沢好きだとか。
いわく、義母と義姉をいびり倒しているとか。
一度も社交界に出てこない、悪い噂しかないカティア・レモンドという令嬢。
マリアは、噂は噂だからと極力気にしないようにしていた。
カティア様を公爵家に迎えるために、準備に勤しんだ。
だが、やって来たカティア様は噂にたがわないように見えた。
けばけばしい下品なドレス。
無駄に開いた首元からは、浮き出た鎖骨が覗いていて。
女性は細いほど美しいと言われているが、彼女の細さは病的なほどだった。
――がっかりだわ。
一目見て、マリアはカティアに対して失望した。
そして噂を信じ、カティアに対して冷たく接するようになった。
初めに疑問を持つようになったのはいつだっただろうか。
挨拶の時、使用人のマリアに対してさん付けしたカティア様。
無表情の中に、何とかほほえみらしきものを浮かべて挨拶をしたカティア様。
冷めたパンとスープという、とうてい貴族らしくない質素な食事に文句を言わず一人黙々と食べていたカティア様。
この屋敷に来てから一度だって我儘を言わなかったカティア様。
我儘どころか外に出ることさえしなかった彼女。
――彼女はいったい、何をおもっていたのかしら。
冷たく突き放した時の凍り付いたカティア様の表情。
あの日以来、わずかな微笑みさえ見ることはなくなった。
一人で食事をする小さな背中は、思わず目を逸らしたくなるほど寂しげだった。
毎日毎日大きな窓から外を眺めるカティア様。
気づこうと思えば気づける機会はたくさんあったのだ。
それを無視し、カティア様に冷たく当たっていたのは、他ならぬ自分。
信頼を奪ったのは、マリア達使用人だったのだから。
一人を好むカティア様に対し、自分は何を思ったっけ。
確か、使用人を見下していると思ったはずだ。
かつての自分を思い出し、マリアは深い後悔に襲われる。
――当然だった。カティア様が私たちに話しかけられるはずがなかった。
誰が、自分に冷たくする人に話しかけたいと思うだろう。
誰が、悪意ある視線の中に飛び込んでいきたいと思うだろう。
カティア様の人柄が噂とは全く異なることにはっきりと気づいたのは、孤児院に行ったあの日だった。
ルーダ様に会うなり「寂しい」とこぼしたカティア様。
抑え込まれた彼女の本音を、マリアはその時初めて知った。
孤児たちと夢中になって駆け回るカティア様。
子供たちを抱き上げ、手をつなぎ、地べたに寝転がるカティア様。
服が汚れるのも構わずにはしゃぎ、身分に関係なく振舞る彼女からは、ほんの一欠片の高慢さもうかがい知ることはできなかった。
そしてなにより、屋敷にいるときよりもずっとずっと楽し気で明るい彼女がそこにいて。
――ああ、これがカティア様の本来の姿なんだ。
その想いがマリアの胸にストンと落ちた。
屋敷に戻ったマリアはその足でセバスに自分の想いを伝えた。
「セバスさん。私、カティア様が噂通りの人だとは思えません。いえ、むしろすごく優しい人だと思います!」
マリアだけではなかった。
セバスも、庭師も、シェフも。
使用人全員が、カティア様に対して酷く冷たく接していた。
「もうやめませんか? 私たち、無実の人に酷いことをしていたんです」
マリアが感じた違和感。
それは彼らも感じていた。
一緒に過ごす中で膨らんでいった違和感は、もう消せないところまで来ていた。
「……きちんと調査をします。カティア様が本当に噂通りの人なのか否か。レオナルド様には反対されると思うので、極秘に」
その日からマリアは、カティアに誠心誠意仕えようと決意した。
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