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I Can't Keep My Eyes Off of You - 2
しおりを挟むオリヴィアは爪先立ちになり、上を上をと目指していた。
「んーーっ」
足元はぐらぐらと不安定に揺れている。
それもそのはず、オリヴィアが建てた即席の台は、椅子の上に椅子、そのさらに上に小さな足置き台が乗せられた三段造りになっていて、誰が乗っていなくてもすぐに倒れそうな様相だった。
そして今、そのさらに上に、特に肉体能力に優れている訳でもないオリヴィアが乗っかっているのだから、すべては時間の問題というものだ。
違いといえば、後ろに倒れて床に落ちるか、前に倒れて二階のガラス窓を突き破り前庭の砂利道に落ちるか、くらいのものだろう。
しかし、当のオリヴィアに、そんな危機感はなく。
片手でカーテンの途中を掴んで危うい均衡を保ちながら、もう片方の手を上方に伸ばしていた。あとほんの少しで手が届きそうな微妙な距離が、オリヴィアを緊張させる。
あと少し──。
手が届いたとして、それからどうやってカーテンを棒から外すのかはまだ分からなかったが、とりあえず届けばどうにかなる。根拠のない楽天的思考に支えられたオリヴィアは、さらに手を伸ばした。
つま先が震え、椅子の塔がぎしぎしとあらぬ音を立てはじめる……。
その時だ。
急に寝室の扉が開け放たれると、エドモンドが突進するように部屋に入ってきて、叫んだ。
「何をしている、オリヴィア!!」
外の騒音に気が付かないほど集中していたオリヴィアは、エドモンドの足音も聞いていなかった。驚いて、とっさにカーテンから手を離し、くるりと後ろを振り返る。
そこには、髪をふり乱し、鬼のような形相で手に斧を握ったエドモンドがいた──。
斧!
いくらオリヴィアでも、斧がどれだけ重くて、危険な道具なのかぐらい知っている。恐怖にひゅっと息を呑んだオリヴィアは、一歩後ろに下がろうと身を引いた。
──後ろなど、どこにもなかったのに。
悲鳴を上げる時間さえなかった。足元の椅子が音を立てて崩れて、オリヴィアの身体をふくめたすべてが、勢いよく宙に投げ出される。
落ちる、と認識した瞬間。
それはすでに遅く、オリヴィアは目を閉じることさえできなかった。全てが無防備に、受身を整える余裕さえないまま、落ちていく。オリヴィア、ともう一度エドモンドが声を上げるのを、遠くに聞いた気がした。
衝撃はすぐにやってきた。
オリヴィアの上半身はどこかに強く当たり、胸が圧迫されるのを感じて、息を呑んだ。
ああ、なんて愚かなことをしたの。
ちょっと大きな仕事をして、エドモンドに褒めて欲しかっただけなのに。きっと骨がばらばらになって死んでしまうんだわ。しかも彼の目の前で……。
さらに何度か、椅子が落ちてくる短い衝撃を感じてオリヴィアはかたく目を閉じたが、不思議なことに痛みはなかった。
ただ、胸だけが苦しくて、息ができない。
少しして、しんと寝室が静まり返ったあと、オリヴィアは恐る恐る目を開いた。
最初は、何がなんだかさっぱり分からなかった。
何も見えないし、動けない。どこかすぐ近くから、スパイシーで男性的な香りがして鼻をくすぐり、オリヴィアの緊張を少しほぐしはした。でも、心臓がバクバクとうるさく鳴っているうえに、手足が小刻みに震えている。
息苦しくて、オリヴィアは不器用にもがいた。
が、やはり、動けない。
(どうして……)
オリヴィアはなんとか浅い息を繰り返しながら、視界が開けるのを待った。
ふと、目の前にエドモンドの顔が見えたのは、それからすぐだ。
オリヴィアの上に覆いかぶさり、彼女を護るようにきつくきつく抱いた、エドモンドが──。
「ノ、ノースウッド、伯しゃ……」
エドモンドの顔色は、真っ青を通り越した濃いむらさき色のようで、古くなった紅茶を思わせるほどだった。オリヴィアは狼狽してさらにもがいたが、エドモンドの太い腕にからめとられて動けなかった。
「神よ」
エドモンドはオリヴィアを抱いたまま、耳元で低くうなっていた。
「神よ、ーー……!」
唸りは途中で低くなりすぎて、オリヴィアには理解できなかった。なにかの祈りのようにも聞こえたし、なにかを呪っているようにも聞こえる。
なんとか両手で少しばかりエドモンドを押しかえし、恐る恐る彼の顔をのぞきこむと、深い緑の瞳が動揺しているのが分かった。そしてエドモンドは、まだなにかうなり続けたそうに唇を震わせながらも、真剣にオリヴィアを見つめ返している。
目を逸らすことはできなかった。
この世界で知るべき全てのことは、彼の瞳の中にあるのだと、そんな気分にさせられる。
「ノースウッド伯爵……」
オリヴィアはもう一度、小さくささやいた。
すると、腰に回されていた彼の手がゆっくり伸びてきて、オリヴィアの額のあたりを優しくなではじめる。どうしてだろう。得体のしれない歓喜が背筋を上ってくる感覚がして、オリヴィアはさらに身体を震わせた。
「言いなさい」
エドモンドはしゃがれた声で聞いてきた。「一体、何をしようとしていたのか。私が原因なのか? どうしてあんな馬鹿なことをした?」
「私……私はただ……カーテンを」
オリヴィアは答えようとしたが、声が震えてつっかえてしまう。
続きを言うのは容易でなかったから、もしかしたら彼はもう理解してくれたのではないかと期待して、一旦言葉を止めた。しかしエドモンドは納得していなかった。眉間には深い皺が数本くっきりと浮かび、緑の瞳はさらなる説明を求めて、炎のように揺れている。
オリヴィアは短く息を呑んだ。
「じつは、寝室のカーテンが、汚れていたんです……はずして、綺麗にできるんじゃないかと……思って、それで」
すると、エドモンドは驚いた顔をした。
「カーテン……」
「ええ、カーテンです。上が高かったので、椅子を重ねて──」
「──れてしまえ」
「え」
「カーテンなど呪われてしまえ」
「え、え」
「カーテンなど呪われてしまえ!」
エドモンドは二度言った。
繰り返されたにも関わらず彼が何を言っているのかよく分からなくて、オリヴィアはぱちぱちと大きな瞳を瞬いたが、エドモンドのカーテンに対する呪いはさらに続いた。
「屋敷中のカーテンを燃やしてしまえ。そうすればあなたはもう二度と、先刻のような馬鹿な真似はしなくなる。そうだろう」
「あ、あの」
「くそ、カーテンなど全て呪われろ! 二度とそんな馬鹿な真似をするんじゃない!」
そしてエドモンドは、床の上に折り重なったまま、オリヴィアの肢体を強く抱きしめた。
ウッドヴィルの街から帰ってきたローナンが裏口から屋敷へ入ると、突然、なにかが崩れ落ちるような衝撃音がして床を揺らした。
上階からだった。ローナンは驚いて、二階へ駆け上がった。兄の寝室と、それに続く義姉の個室に入る扉が開け放たれているのが見える。
嫌な予感がした。
この寂れた田舎の屋敷で、事件などそうそう起こらない。もし起こるとしたら、それは、オリヴィアに関すること以外には考えられなかった。無邪気で、世間知らずで、美しくて、エドモンドに強く想われているのに、それに気づけない可哀想な伯爵夫人。
(何が起こったんだ?)
深く息を吸って、荒れる鼓動をなだめながら、ローナンは注意深い動きで寝室の扉へ近付いていった。
──中から声がした。兄の声だ。
兄が、声を荒げている。珍しいことだった。ローナンは素早く扉の前に躍り出たが、すぐ目に入ったその光景に、衝撃を受けて身体を固くした。
まず、斧が床に突き刺さって、ローナンの行く手を塞いでいた。
寝室の中を見れば、いくつもの椅子があちこちに無残に転がっていて、そのさなかに兄夫婦が抱き合ったまま床に転がっている──。
そのあげく、エドモンドは急にカーテンに対する謎の呪いを何度も叫んだと思うと、義姉をきつく抱きしめたまま動かなくなった。
(え、と)
ローナンはしばらく、黙ってそこに立っていた。そのまま回れ右をして、沢山の楽しみごとが待っている街へ引き返したい気分にもなった。
片手を頭の後ろに回して髪を掻きながら、どうしたものか、と思案してみたが、新婚夫婦は床の上で抱き合ったまま動かないし、目の前に斧が突き刺さっているしで、どうしようもない。
「あのー、兄さん? オリヴィア? 誰か怪我をしてたりする?」
とりあえず、安否だけ確認したらすぐに立ち去ろうと決めたローナンは、控えめな感じで声をかけてみた。
エドモンドの肩がぴくりと動くのが見えたので、ローナンはほっとして踵を返そうとした──が。
「に、兄さん!」
「ノースウッド伯爵っ!」
オリヴィアとローナンの声が重なった。
床から起き上がりかけたエドモンドが、そのままオリヴィアの横に崩れるように倒れ、気を失ってしまったからだ。
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