3 / 56
Our Wedding Day - 3
しおりを挟むオリヴィアは、苦行僧のような渋面を隠そうともしないエドモンド・バレットを、ちらりと上目遣いで見やった。
彼の瞳の色は生命力に溢れたグリーンだが、眉間の深い皺はいかんともしがたい。
視線はひたすら小窓に張りつき、外の景色を追っていた。二人を乗せた二頭立ての馬車は、ガタガタ、ガラガラとやかましい音を立てながら石道を進んでいく。
時々、オリヴィアの細い体は、馬車の揺れにのって小さく跳ねた。
対して目の前に座る夫は、まるで揺れなど存在しないかのように静かに腰を落ち着けていて、ついでにいえば、正面のオリヴィアなどまるで存在していないとでも思っているような冷たい態度で、静かに窓の外を眺めている。二人が馬車に乗ってもう半時間は過ぎようとしているはずだが、会話らしいものは未だにほとんどない。
しかし、エドモンド・バレットは立派な体躯をした青年……いや、男性だった。
肩幅が広く、胸元はがっしりとしていて、それが綺麗に引き締まった腰に続いている。足は長いが、ひょろりと形容するには立派すぎた。日に焼けた顔は彫りが深く、美しいというよりは精悍な雰囲気で猛々しいのに、目元だけは繊細な感じがした。灰色の上着にズボン、黒いクラヴェットという簡素な装いも、彼が着こなすと豪華に見える。
そう、オリヴィアはとても魅力的な男性と結婚したらしい──。
結婚式の直前まで顔も見たことのない男だったにせよ、オリヴィアは夫になる者に尽くそうと考えてきていた。だって、どうせしなければならない結婚生活なら、愛情と幸せがあった方がいいに決まっている。この渋面の男を目の前にしても、その決心は揺るがなかった。
「ノースウッド伯爵──」
オリヴィアは小さな口を開いた。
自分の声が年よりずっと幼く聞こえることを知っているオリヴィアは、なんとか精一杯大人の女らしい艶のある話し方をしようと試みた。狭い馬車の中で、声は嫌でもよく反響する。
「ご領地は自然に溢れたとても美しい場所だとうかがっていますわ。私、待ちきれない気持ちですの」
するとエドモンド・バレットは意外なものを聞いたと言わんばかりに両眉を上げて、オリヴィアの方へ向き直った。グリーンの瞳がオリヴィアの頭の先からつま先までを、素早く見回す。
オリヴィアは思わず緊張したが、それを見せまいと息を呑み、背筋を伸ばした。
エドモンド・バレットは厳かにオリヴィアを見下ろしたまま、よく抑制のきいた低い声で言った。
「あまり期待はしない方がいいだろう、マダム」
素っ気無い言い方だ。
おまけにこれは──オリヴィアが初めて聞いた彼の言葉だった。声自体は結婚の誓いで聞いていたが、あれは決まった文句を言いあげるだけなので、彼の意志で紡がれた台詞ではない。
一瞬、オリヴィアは怯んだが、まだ諦めるには早い気がした。
「まぁ、謙遜なさらなくてもいいんですのよ! 父の話では北部で最も美しい土地だということでしたわ。どの家も広くて、荒野や森や川があるそうですね」
「家が広いのは、領地のわりに人口が少ないからだ。荒野や森や川は確かにある──ただ、あなたのような都会育ちが美しいと思うかどうかは、分からないな」
「私、緑は好きですわ。自然が大好きなんです」
「失礼だが、あなたの言う自然とは、庭園で彫刻のように整えられている木々のことだろう。私の言う自然とは、少し異なるものだ」
む、とオリヴィアは唇を一文字に引いた。
しかし諦めるにはやはりまだ早すぎる。何といっても、まだ結婚して一日も経っていないのだ。
「少し異なるくらい、大丈夫です。頑張って好きになるわ」
つい、少し子供っぽい物言いをしてしまったことにすぐ気が付いて、オリヴィアは内心しまったと思った。そしてエドモンド・バレットがそれに気付きませんようにと手早く祈った。祈りは聞き入れられたらしく、彼は眉一つ動かさない。ただ相変わらず、深いグリーンの瞳がオリヴィアを見下ろし続けていた。
ノースウッド伯爵エドモンド・バレット卿は、答える代わりに無言で小窓の外へ視線を戻した。
旅は長かった。
行きは一人だったから一泊ですんだものを、帰りは二人になっているものだから、倍以上の時間が掛かっている。
そのうえ旅の伴になったのは女性で、ちょっと馬車が揺れただけでポンポンと座席の上で跳ねてしまうような華奢で小さな身体の持ち主だった。さらに言えば、このか細い少女は、エドモンドの生涯の伴になったのだ。──なってしまった、のだ。
彼女は小柄で、長く柔らかい黒髪を持ち、瞳の色は薄い青で、息を呑むような白い肌をしていた。顔の作りは繊細で、ちょうど式を挙げた教会に彼女そっくりの天使像があったのを覚えている。そんな可愛らしい童顔と対照的な豊かな胸元は、そこに存在するだけで男を誘惑した。
エドモンドは、なぜ彼女のような女が今日まで売れ残っていたのか、不思議でしかたなかった。
彼が望んだものは、充分な持参金と、田舎暮らしに文句を言わないだけの忍耐強さと、我慢できる程度に美しく『ない』容姿と、それなりに大人であることだけだ。しかし目の前にちょこんと座っているこの少女ときたら、持参金以外に当てはまる項目は一つもない。彼女はノースウッドの屋敷で生き延びるには都会っ子すぎ、屋敷の女主人として采配を振るうには幼すぎ、エドモンドの性欲を我慢させるには美しすぎるように思えた。
彼女がエドモンドに差し出された理由は、確かにいくつか思い当たる。
ひとつは、彼女の姉である、シェリー・リッチモンドだ。
絶世の美女として国中にその名をとどろかせるミス・シェリーは、オリヴィアの四つ年上であるにも関わらず今だ独身で、噂によればかなり奔放な生き方を楽しんでいる女傑という話だった。
姉が未婚では妹に結婚話がいくのが遅れるのも当然だし、シェリーのような良くも悪くも有名な美女の影では、どんな名花も霞んでしまうのだろう。
リッチモンドの思惑も理由のひとつに数えられる。
『リッチ』モンドとはよく言ったものだ。
この家は確かに、金だけで現在の地位を築いていた。現当主ジギー・リッチモンドはサーではあるが貴族ではない。文字通りただの成金だ。娘を貴族に嫁がせたいと考えるのはごく自然な成り行きに思え、たとえタイトルだけでも伯爵をうたうエドモンドに白羽の矢が立った理由も、分からなくはない。独身の伯爵など少ないし、いても、愛人ならともかく正妻には、成金の娘をすすんで迎え入れることは少ないだろう。エドモンドはたぶんに、一種の消去法によって選ばれたのだ。「この公爵は既婚、この伯爵もこの侯爵も既婚、残るはこいつだけだ」と。
一方エドモンドにも、この結婚話を受け入れる理由があった。
今年三十六歳になるエドモンド・バレットは、独身でい続けることへの周囲からの風当たりが、さすがに御しきれないレヴェルになってきたのだ。
しかし、適当に名目だけの妻を選ぼうにも、まともな貴族の未婚女性はノースウッドに来たがらなかった。
理由は察してしかるべく。
あの荒野で生きていこうと思うのは、そこに生を受けた者たちくらいだ。それでも逃げ出す者もいるのだから、彼女らを根性なしと責めるわけにはいくまい。
そんな中で、オリヴィアは最適に思えた。──本人を垣間見るまでは。
絶世の美女の姉の影に隠れた平凡な少女。うなるような持参金。年はもう二十歳になり、性格は落ち着きがあり従順との触れ込みだった。
それが……くそ、この生き物はなんだ。
エドモンドは三十六年の人生の中で、もっとも苛立たしい三日間を馬車と宿の往復で過ごした。
ノースウッド伯爵とレディー・ノースウッドの旅は3日に渡った。
その三日間、伯爵が新妻に触れることはなかった。そして、
三日後の昼下がり、彼らを乗せた馬車がついにバレット邸に辿り着いたとき──物語は、ここから始まる。
0
お気に入りに追加
442
あなたにおすすめの小説
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました
結城芙由奈@12/27電子書籍配信
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】
私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。
2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます
*「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
※2023年8月 書籍化
旦那様は大変忙しいお方なのです
あねもね
恋愛
レオナルド・サルヴェール侯爵と政略結婚することになった私、リゼット・クレージュ。
しかし、その当人が結婚式に現れません。
侍従長が言うことには「旦那様は大変忙しいお方なのです」
呆気にとられたものの、こらえつつ、いざ侯爵家で生活することになっても、お目にかかれない。
相変わらず侍従長のお言葉は「旦那様は大変忙しいお方なのです」のみ。
我慢の限界が――来ました。
そちらがその気ならこちらにも考えがあります。
さあ。腕が鳴りますよ!
※視点がころころ変わります。
※※2021年10月1日、HOTランキング1位となりました。お読みいただいている皆様方、誠にありがとうございます。
うたた寝している間に運命が変わりました。
gacchi
恋愛
優柔不断な第三王子フレディ様の婚約者として、幼いころから色々と苦労してきたけど、最近はもう呆れてしまって放置気味。そんな中、お義姉様がフレディ様の子を身ごもった?私との婚約は解消?私は学園を卒業したら修道院へ入れられることに。…だったはずなのに、カフェテリアでうたた寝していたら、私の運命は変わってしまったようです。
家出したとある辺境夫人の話
あゆみノワ@書籍『完全別居の契約婚〜』
恋愛
『突然ではございますが、私はあなたと離縁し、このお屋敷を去ることにいたしました』
これは、一通の置き手紙からはじまった一組の心通わぬ夫婦のお語。
※ちゃんとハッピーエンドです。ただし、主人公にとっては。
※他サイトでも掲載します。
【掌編集】今までお世話になりました旦那様もお元気で〜妻の残していった離婚受理証明書を握りしめイケメン公爵は涙と鼻水を垂らす
まほりろ
恋愛
新婚初夜に「君を愛してないし、これからも愛するつもりはない」と言ってしまった公爵。
彼は今まで、天才、美男子、完璧な貴公子、ポーカーフェイスが似合う氷の公爵などと言われもてはやされてきた。
しかし新婚初夜に暴言を吐いた女性が、初恋の人で、命の恩人で、伝説の聖女で、妖精の愛し子であったことを知り意気消沈している。
彼の手には元妻が置いていった「離婚受理証明書」が握られていた……。
他掌編七作品収録。
※無断転載を禁止します。
※朗読動画の無断配信も禁止します
「Copyright(C)2023-まほりろ/若松咲良」
某小説サイトに投稿した掌編八作品をこちらに転載しました。
【収録作品】
①「今までお世話になりました旦那様もお元気で〜ポーカーフェイスの似合う天才貴公子と称された公爵は、妻の残していった離婚受理証明書を握りしめ涙と鼻水を垂らす」
②「何をされてもやり返せない臆病な公爵令嬢は、王太子に竜の生贄にされ壊れる。能ある鷹と天才美少女は爪を隠す」
③「運命的な出会いからの即日プロポーズ。婚約破棄された天才錬金術師は新しい恋に生きる!」
④「4月1日10時30分喫茶店ルナ、婚約者は遅れてやってきた〜新聞は星座占いを見る為だけにある訳ではない」
⑤「『お姉様はズルい!』が口癖の双子の弟が現世の婚約者! 前世では弟を立てる事を親に強要され馬鹿の振りをしていましたが、現世では奴とは他人なので天才として実力を充分に発揮したいと思います!」
⑥「婚約破棄をしたいと彼は言った。契約書とおふだにご用心」
⑦「伯爵家に半世紀仕えた老メイドは伯爵親子の罠にハマり無一文で追放される。老メイドを助けたのはポーカーフェイスの美女でした」
⑧「お客様の中に褒め褒めの感想を書ける方はいらっしゃいませんか? 天才美文感想書きVS普通の少女がえんぴつで書いた感想!」
王太子妃は離婚したい
凛江
恋愛
アルゴン国の第二王女フレイアは、婚約者であり、幼い頃より想いを寄せていた隣国テルルの王太子セレンに嫁ぐ。
だが、期待を胸に臨んだ婚姻の日、待っていたのは夫セレンの冷たい瞳だった。
※この作品は、読んでいただいた皆さまのおかげで書籍化することができました。
綺麗なイラストまでつけていただき感無量です。
これまで応援いただき、本当にありがとうございました。
レジーナのサイトで番外編が読めますので、そちらものぞいていただけると嬉しいです。
https://www.regina-books.com/extra/login
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる