Bright Dawn

泉野ジュール

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Chapter Eighteen

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 長々とした相談のあと、ネルは、オリヴィアの婚礼用のドレスを仕立て直し、冬用にショールを付け加えるという案に賛成した。

 一から作っている時間があるとは思えなかったし、いくらオリヴィアとノースウッド伯爵が婚礼祝いとして費用を負担してくれると申し出てくれても、すでに十分世話になっている身でさらにそこまで迷惑は掛けたくなかった。
 そもそも盲目になってから、ネルは昔のように衣服に気を使いすぎるということはなくなっていた。きちんと清潔で、他人に見苦しくなく、場をわきまえていればそれでいい。

 この婚礼用のドレスの仕立てで嬉しかったのは、集中できる手仕事ができたせいで、後ろ向きなことを考える暇がなくなったことだ。
 そう。
 簡単な針仕事と刺繍ならネルもすることができた。

 時々、目の見える人に確認してもらったり、指示を仰ぐ必要があったりはしたが、基本的な作業はネルもその方法を編み出していた。必ず道具を決まった場所に置いて、届きやすくしておくこと。指を使っての寸法の取り方……。
 オリヴィアは、ネルの方が彼女より上手だと感嘆していたほどだ。
 そんなふうに針仕事に精を出していると、気が付けば冬の足の速い太陽は西に沈み、ローナンが出立してから一日目の夜がゆっくりと訪れ始めていた。


 冬野菜をふんだんに使ったスープの夕食が終わると、ネルはオリヴィアと一緒に伯爵夫妻の寝室へと移動していた。
 サロンのほうは、チェスの賭け事をしながら騒いでいるピートとジョージに先取られていて、ゆっくり手紙を読める雰囲気ではなかったからだ。オリヴィアの夫であるノースウッド伯爵は仕事で書斎へ詰めており、寝室にはオリヴィアとネル、そして赤ん坊のイザベラしかいなかった。

「ごめんなさいね、この子がいて。本当なら乳母に預けておくべきなんでしょうけど、わたしには中々できなくて」

 おとなしく寝入っていた朝方とは打って変わり、夕食後のイザベラは元気に声をあげ、小さな手足をばたつかせているところだった。滋養たっぷりのスープを離乳食に分けてもらい、嬉しそうにはしゃいでいる。
 確かに、貴族や都会の裕福層の多くは、赤ん坊の世話は乳母や教育係にまかせるもので、母親はお洒落に、舞踏会にとうつつを抜かすのが習慣となっていた。オリヴィア自身がそういった家の出身だというし、いくら田舎領地の主とはいえ、エドモンド・バレットは立派な伯爵である。しかし、オリヴィアはいつもイザベラを抱いて世話をしていた。
 そして、ネルはそれを好ましく思っていた。
「いいのよ。もしわたしが母親になっても、そうなると思うわ。他人に自分の赤ん坊の世話を任せるなんて、どうかしていると常々思っていたの」
 ネルは赤ん坊の声のする方へ手を伸ばし、イザベラに触れようとした。
 途端に、温かくて小さな手がネルの指をぎゅっと掴んで、キャッキャとはしゃぐ可愛い声が聞こえる。

 見えなくても……可愛いものは可愛く、愛しいものは愛しかった。

 イザベラはきっと大きな瞳をした、さぞかし綺麗な赤ん坊なのだろう。柔らかくて暖かい肌の感触と、甘い香り、そして明るい声に、ネルは自分の母性が疼くのを感じていた。
 しばらく小さな指をもて遊んでいると、
「抱いてみて」
 と、オリヴィアが囁くように言った。「それに、『もし』なんて言うことはないわ。あなたとローナンはきっと素晴らしい父親と母親になるわよ。眼に浮かぶようだわ」

 え、と答える前に、ずっしりとした赤ん坊の重みがネルの胸に覆いかぶさってきた。慌ててイザベラを両手で抱えて支えると、その抱擁は信じられないほど気持ちのいいものだった。
 ぎゅっと抱きしめると、イザベラもネルを抱き返すように身体をくっと寄せてくる。
「こら、イザベラ、ネル叔母さんの髪をひっぱっちゃ駄目でしょう」
 確かに、イザベラはネルの金髪が面白いのか、肩越しに指に絡ませて遊んでいるようだった。
 でも、それさえ愛しく思えた。
 そして、『叔母さん』。
 ネルは本当にこの子とも家族になるのだ。

「いいのよ、小さなお姫さま。あなたのためならわたしの髪なんていくらでもあげるわ」

 そう、ネルが優しく呟くと、イザベラは嬉しそうに微笑んだ。
 見えなかったけれど、ネルにはそれが分かった。


 それから。
 イザベラはまだ半回転の寝返り程度しかできなかったので、オリヴィアとネルの足元に敷かれた毛布の上に寝かし、カラカラと鳴る銀製のラトルを渡した。
 円状の取っ手の部分が滑らかに磨いた象牙でできていて、時々歯固め代わりにしゃぶって楽しんでいる……とのことだった。

「じゃあ、読むわね。今夜、夕食の後のための手紙よ」
 かさかさと紙を広げる音がする。
 途端に、ネルの鼓動は容易に今までの倍の速さにまでなった。
 しかし、読み始める前に、オリヴィアは一言忠告するように言った。
「言っておくわよ、すべての花嫁がこんなに沢山のロマンチックな手紙をお婿さんからもらえる訳じゃないのよ。わたしは今日に至るまで主人から手紙をもらったことなんてないんだから」
「わかってるわ。わたしは幸せ者ね」
 くすくすと笑いながら、ネルはオリヴィアのからかいをかわした。
 確かにノースウッド伯爵が恋文をしたためる姿は想像しづらい。ましてやそれを他人に読ませたりはしないだろう。しかし、彼がなによりも妻オリヴィアを愛しているのは世界中の誰の目にも明白だった。きっとオリヴィアもそれを知っている。
 多分、愛には沢山の形があるのだろう……。
 オリヴィアはごほんと咳払いのふりをし、手紙を読み始めた。

「『親愛なるミス・マクファーソンへ
 君が今この手紙を開いているということは、僕は目指していたように一日で目標を達成することができなかったということだろうね。きっと今頃、どこかの民家に泊めてもらっているか、安宿を取っているところだと思う。
 冬の旅路は時間がかかる上に、呆れるほど日が短い。
 僕は、早く君のもとに帰りたいと思っているけれど、雪の夜にウロウロして凍死するようなことになっては、元も子もなくなってしまう。旅に時間が掛かることになっても、どうか許してほしい』」

 ここでオリヴィアは一息置いた。
 もしかしたらイザベラの様子を確認しているのかもしれない。ネルは息を飲んで続きを待った。

「『きっと、身体を温めるために安酒を飲んで、ベッドの上で一人きりで君のことを思っている。
 君がここにいたらどんなにいいだろう。
 君がここにいたらどれほど暖かいだろうと、そんなことばかりを考えながら、朝日が昇るのをじりじりとした気持ちで待っているはずだ』」

 そんなローナンの姿を想像して、ネルは目を細めた。
 きっとネルも今夜は同じ思いで床に着くだろう。安酒をあおることはさすがになくても、彼と同じように、恋人の温もりを切望しながら朝を待つ。
 オリヴィアは無駄口を挟まずにそのまま続けた。

「『聞いてほしい。
 もしかしたら兄か義姉からすでに聞いているかもしれないが、君の従兄弟の使者がバレット邸に向かっている。
 僕は、連中がたどり着くまでに君と結婚してしまいたい。そうすればもう、奴らには文句も言えなくなるからね。
 しかし旅は魔物だ。どれだけ急いでも、どれだけ努力しても、時には運を天に任せなくてはいけなくなる時がある。
 だから、聞いてほしい。
 もし、連中が僕よりも先に君の元へ着いても、どうか心を動かさないでほしい。どうか、僕が帰るまで待っていてほしい。家族もみんな君に協力するはずだ。君の従者殿も含めて』」

 ここで、オリヴィアはまた一息置いた。
 こちらを見つめられていると、ネルにはすぐわかった。

「そうだったの……?」
 ネルが問うと、オリヴィアは長いため息を漏らしてから、それを認めた。
「ごめんなさい。夫と話して、しばらくは黙っておこうということにしていたの。でも、ローナンはもっと注意深かったようね」
 オリヴィアの声は本当に申し訳なさそうだった。「ローナンが早く帰ってきて結婚がすぐに済んでしまえば、使者を追い返すのは簡単だわ。だから、わざわざあなたを心配させる必要はないと思ったの。もしローナンに時間が掛かるようなら、その時は話そう、と」
 ネルは、知らないところで彼女にまで心痛をかけさせてしまったことに後悔を感じて、慌てて首を振った。
「いいのよ、オリヴィア。なんとなく、わかっていたことだもの」

 ネルが手を伸ばそうとする前に、オリヴィアの柔らかい手がネルの膝の上へ被さり、同情と謝罪を言外に伝えてきた。
 ネルはそんなオリヴィアの手の甲に自分の手を重ね、こくりとうなづいた。
 ネルには兄弟も姉妹もいなかったが、きっと姉がいたらこんな感じだったのかもしれない。なんでも語り合える、でも、時には言葉がなくても多くのことを理解し合える、そんな関係。

「続きを読むわね」
 オリヴィアの言葉に、ネルは再びうなづき返した。
「『もし僕の予想が正しければ、連中は君を連れ去るために酷いことを言うのも躊躇ためらわないだろう。でも、そんな時こそ、思い出してくれ。
 僕がどれだけ君を愛しているか。
 僕たちが一緒にいるとき、どれだけ幸せだったか。
 そして、君がどれだけ勇気のある女性かを』」

 最後に、オリヴィアは『君のローナンより』という締めの著名を読み上げ、朝そうしたのと同じようにネルへ手紙を渡した。
 二人はしばらく無言だった。
 足元に敷かれた毛布の上ではしゃいでいるイザベラの声だけが、部屋に響いている。
 ネルはローナンからの手紙を胸に押し当て、にやりと笑いかけてくる意地悪な従兄弟の影を、脳裏から振り払おうとした。
「大丈夫」
 思わず、ネルは独り言を呟いていた。「きっと大丈夫……」
 しかし、すぐ目の前にいるオリヴィアに、ネルの不安が伝わらないはずはない。
 優しい、でも力強い声で、ネルを励ましてくれた。
「ええ、絶対に大丈夫だから、安心して。ローナンはすぐに帰ってくるわ。どちらにしても、使者が着くのはもっとずっと先になるはずよ」
「……」
 ネルはうなづきたかった。
 しかし、普段はなまけもののロチェスターが、ひとたび欲しいものを目の前にすると、獰猛な蛇のように豹変するのを知っている。安心をしていいとは思えなかった。
 でも。
 でも、だからこそ。
 強くならなければ。あなたを信じて、ここであなたの帰りを待っていなくては。
「ええ、大丈夫……」
 ネルは静かに答えた。


 そして夜は深まり、屋敷中が寝静まったあと、一台の馬車がバレット邸の前にたどり着いた。
 誰もが予想したよりもずっと早い到着だった──。
 しかし、乱れた寝着のまま迎えに出た使用人たちが見たのはローナンではなく、馬車からゆっくりと降りてくる、青白い肌の金髪の青年だった。

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