翠の子

汐の音

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5章 二つの魔術

57 意外な来訪者

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 エメルダは、天馬レギオンに括りつけられていたくつわや革紐を取り払った。とても賢い精霊だし、無理に繋ぐこともないだろうと当たりをつける。

 スイの家の庭は、家そのものよりずっと広い。簡単な木の囲いのなか、敷地の四分の一は家。四分の一は畑。裏手には鶏舎や物置小屋があり、その部分が四分の一弱。
 藁や薪、ちょっとした農具などを保管しておく大きめの小屋が畑の脇に建っていたので、とりあえずそこへ、一風変わったお客様を案内することにした。

 キィ……と、小屋のわりに丁寧な作りの木の扉を開け、中へと入る。
 よく乾いて香ばしい藁の匂い。少し湿気の残る、生木じみた薪の匂い。
 (スイ、煮炊きに薪、ぜんぜん使わないもんね……)と思考は逸れたが、エメルダはてきぱきと動いた。
 腕いっぱいに藁を抱え込むと、空いている一角にドサッ! とそれを降ろす。
 けほ、と咳き込みつつ、それを手で簡単に均す。往復、もう一回。


 まだ昼下がり。スイ達は予想できる最速で帰ったと言える。エメルダは窓から差す白っぽい光に目を細めると、くるりと天馬を振り仰いだ。

「ありがとね、レギオン。お師匠さま達がこんなに早くうちに着いたの、あなたのおかげだよね」

 大きな、大きな二粒の緑柱石エメラルド。愛らしい顔に、にっこりと華やかな笑みが浮かぶ。

 レギオンは小屋のなか、神話の生き物のように輝いて綺麗だ。白い毛並みはつやつやと光沢を放ち、ふさふさのたてがみ。尾はサラサラ。翼は言うまでもなく、ほれぼれするほど素晴らしい。

 ブルルル……と、かれも何ごとか呟いたが、失われし言語ルーンを修得していないエメルダには、残念ながら聞き取れない。
 少女は、ちょっとだけ寂しそうな顔になった。

「あなたの言葉、わかればいいのにね。はやく、わたしも習いたいな……、って。―――んんっ?!」


 目を疑った。

 レギオンではない。硝子の入っていない、木枠に板戸を蝶番ちょうつがいで嵌め込んだだけの窓。
 その窓越しに、いわく言いがたい、違和感しか感じられない人物を発見したからだ。

 なんとも長閑な、家庭菜園――人参の葉や豆の木、キャベツなど――を背景に、『これぞ精霊』とお手本にしたくなる、うるわしい男性が一人、普通に歩いてくる。

 周囲から切り取られたように、際立つ存在感。揺れる絹の長衣。白い水煙すいえんをまとう滝のような長い髪は、陽光をはじくたび虹色に淡く煌めく。
 透き通る、絶世の美女もかくやの肌にしずかな眼差し。そのくせ歩調はおそろしく速い。
 優雅だが、動きそのものには無駄がないためか。あっという間に小屋の脇を通り過ぎそうになる。

 (……え?)
 少女は、ぱち、ぱちと二、三度、呆気にとられて瞬いた。
 が、次の瞬間。



 はっ……! と我にかえり、窓辺に走り寄ると、木枠を掴んで大声で叫んだ。

「あっ、ああの!! ウォーターオパールさん??! どうしたんです、一体っ?!」


 ―――……ぴたり。

 背に流れる髪や長衣の裾にわずかな余韻を残しつつ、男性は立ち止まった。
 目線だけ、最低限の動きでふと振り返る。
 不思議なオパールの瞳が翠の少女をとらえ、流し見た。

「あぁ、うん。ちょっとね――ちょうどいい。エメルダ?」
「はい?」

 小屋の窓から精一杯身を乗り出す、不安そうな若い精霊に、ウォーターオパールは瞳をすがめ、柔らかく微笑んだ。

「……スイは、もう帰還しているだろう? 話がある。きみも居た方がいいかな。一緒においで」
「えっ? ……あ、はい。わかりました」

 慌てて踵を返し、窓辺から離れる。
 さっとレギオンの側へと走り寄った。

「ごめんね。あとで絶対、またお世話に来るから!」

 言うだけ言うと、そのまま扉を開け放し、外へと飛び出してしまう。

 「お待たせしました!」「構わないよ」――――などと交わされる声に耳を動かしつつ、残された天馬はやれやれと左右に首を振った。

 『我関せず』と言わんばかり。
 かれは、にわか作りの藁のしとねで優美な長い脚を折り、しばしの間、ゆったりと寛いだ。
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