58 / 87
5章 二つの魔術
57 意外な来訪者
しおりを挟む
エメルダは、天馬に括りつけられていた轡や革紐を取り払った。とても賢い精霊だし、無理に繋ぐこともないだろうと当たりをつける。
スイの家の庭は、家そのものよりずっと広い。簡単な木の囲いのなか、敷地の四分の一は家。四分の一は畑。裏手には鶏舎や物置小屋があり、その部分が四分の一弱。
藁や薪、ちょっとした農具などを保管しておく大きめの小屋が畑の脇に建っていたので、とりあえずそこへ、一風変わったお客様を案内することにした。
キィ……と、小屋のわりに丁寧な作りの木の扉を開け、中へと入る。
よく乾いて香ばしい藁の匂い。少し湿気の残る、生木じみた薪の匂い。
(スイ、煮炊きに薪、ぜんぜん使わないもんね……)と思考は逸れたが、エメルダはてきぱきと動いた。
腕いっぱいに藁を抱え込むと、空いている一角にドサッ! とそれを降ろす。
けほ、と咳き込みつつ、それを手で簡単に均す。往復、もう一回。
まだ昼下がり。スイ達は予想できる最速で帰ったと言える。エメルダは窓から差す白っぽい光に目を細めると、くるりと天馬を振り仰いだ。
「ありがとね、レギオン。お師匠さま達がこんなに早く家に着いたの、あなたのおかげだよね」
大きな、大きな二粒の緑柱石。愛らしい顔に、にっこりと華やかな笑みが浮かぶ。
レギオンは小屋のなか、神話の生き物のように輝いて綺麗だ。白い毛並みはつやつやと光沢を放ち、ふさふさの鬣。尾はサラサラ。翼は言うまでもなく、ほれぼれするほど素晴らしい。
ブルルル……と、かれも何ごとか呟いたが、失われし言語を修得していないエメルダには、残念ながら聞き取れない。
少女は、ちょっとだけ寂しそうな顔になった。
「あなたの言葉、わかればいいのにね。はやく、わたしも習いたいな……、って。―――んんっ?!」
目を疑った。
レギオンではない。硝子の入っていない、木枠に板戸を蝶番で嵌め込んだだけの窓。
その窓越しに、曰く言いがたい、違和感しか感じられない人物を発見したからだ。
なんとも長閑な、家庭菜園――人参の葉や豆の木、キャベツなど――を背景に、『これぞ精霊』とお手本にしたくなる、うるわしい男性が一人、普通に歩いてくる。
周囲から切り取られたように、際立つ存在感。揺れる絹の長衣。白い水煙をまとう滝のような長い髪は、陽光をはじくたび虹色に淡く煌めく。
透き通る、絶世の美女もかくやの肌にしずかな眼差し。そのくせ歩調はおそろしく速い。
優雅だが、動きそのものには無駄がないためか。あっという間に小屋の脇を通り過ぎそうになる。
(……え?)
少女は、ぱち、ぱちと二、三度、呆気にとられて瞬いた。
が、次の瞬間。
はっ……! と我にかえり、窓辺に走り寄ると、木枠を掴んで大声で叫んだ。
「あっ、ああの!! ウォーターオパールさん??! どうしたんです、一体っ?!」
―――……ぴたり。
背に流れる髪や長衣の裾にわずかな余韻を残しつつ、男性は立ち止まった。
目線だけ、最低限の動きでふと振り返る。
不思議なオパールの瞳が翠の少女をとらえ、流し見た。
「あぁ、うん。ちょっとね――ちょうどいい。エメルダ?」
「はい?」
小屋の窓から精一杯身を乗り出す、不安そうな若い精霊に、ウォーターオパールは瞳をすがめ、柔らかく微笑んだ。
「……スイは、もう帰還しているだろう? 話がある。きみも居た方がいいかな。一緒においで」
「えっ? ……あ、はい。わかりました」
慌てて踵を返し、窓辺から離れる。
さっとレギオンの側へと走り寄った。
「ごめんね。あとで絶対、またお世話に来るから!」
言うだけ言うと、そのまま扉を開け放し、外へと飛び出してしまう。
「お待たせしました!」「構わないよ」――――などと交わされる声に耳を動かしつつ、残された天馬はやれやれと左右に首を振った。
『我関せず』と言わんばかり。
かれは、にわか作りの藁のしとねで優美な長い脚を折り、暫しの間、ゆったりと寛いだ。
スイの家の庭は、家そのものよりずっと広い。簡単な木の囲いのなか、敷地の四分の一は家。四分の一は畑。裏手には鶏舎や物置小屋があり、その部分が四分の一弱。
藁や薪、ちょっとした農具などを保管しておく大きめの小屋が畑の脇に建っていたので、とりあえずそこへ、一風変わったお客様を案内することにした。
キィ……と、小屋のわりに丁寧な作りの木の扉を開け、中へと入る。
よく乾いて香ばしい藁の匂い。少し湿気の残る、生木じみた薪の匂い。
(スイ、煮炊きに薪、ぜんぜん使わないもんね……)と思考は逸れたが、エメルダはてきぱきと動いた。
腕いっぱいに藁を抱え込むと、空いている一角にドサッ! とそれを降ろす。
けほ、と咳き込みつつ、それを手で簡単に均す。往復、もう一回。
まだ昼下がり。スイ達は予想できる最速で帰ったと言える。エメルダは窓から差す白っぽい光に目を細めると、くるりと天馬を振り仰いだ。
「ありがとね、レギオン。お師匠さま達がこんなに早く家に着いたの、あなたのおかげだよね」
大きな、大きな二粒の緑柱石。愛らしい顔に、にっこりと華やかな笑みが浮かぶ。
レギオンは小屋のなか、神話の生き物のように輝いて綺麗だ。白い毛並みはつやつやと光沢を放ち、ふさふさの鬣。尾はサラサラ。翼は言うまでもなく、ほれぼれするほど素晴らしい。
ブルルル……と、かれも何ごとか呟いたが、失われし言語を修得していないエメルダには、残念ながら聞き取れない。
少女は、ちょっとだけ寂しそうな顔になった。
「あなたの言葉、わかればいいのにね。はやく、わたしも習いたいな……、って。―――んんっ?!」
目を疑った。
レギオンではない。硝子の入っていない、木枠に板戸を蝶番で嵌め込んだだけの窓。
その窓越しに、曰く言いがたい、違和感しか感じられない人物を発見したからだ。
なんとも長閑な、家庭菜園――人参の葉や豆の木、キャベツなど――を背景に、『これぞ精霊』とお手本にしたくなる、うるわしい男性が一人、普通に歩いてくる。
周囲から切り取られたように、際立つ存在感。揺れる絹の長衣。白い水煙をまとう滝のような長い髪は、陽光をはじくたび虹色に淡く煌めく。
透き通る、絶世の美女もかくやの肌にしずかな眼差し。そのくせ歩調はおそろしく速い。
優雅だが、動きそのものには無駄がないためか。あっという間に小屋の脇を通り過ぎそうになる。
(……え?)
少女は、ぱち、ぱちと二、三度、呆気にとられて瞬いた。
が、次の瞬間。
はっ……! と我にかえり、窓辺に走り寄ると、木枠を掴んで大声で叫んだ。
「あっ、ああの!! ウォーターオパールさん??! どうしたんです、一体っ?!」
―――……ぴたり。
背に流れる髪や長衣の裾にわずかな余韻を残しつつ、男性は立ち止まった。
目線だけ、最低限の動きでふと振り返る。
不思議なオパールの瞳が翠の少女をとらえ、流し見た。
「あぁ、うん。ちょっとね――ちょうどいい。エメルダ?」
「はい?」
小屋の窓から精一杯身を乗り出す、不安そうな若い精霊に、ウォーターオパールは瞳をすがめ、柔らかく微笑んだ。
「……スイは、もう帰還しているだろう? 話がある。きみも居た方がいいかな。一緒においで」
「えっ? ……あ、はい。わかりました」
慌てて踵を返し、窓辺から離れる。
さっとレギオンの側へと走り寄った。
「ごめんね。あとで絶対、またお世話に来るから!」
言うだけ言うと、そのまま扉を開け放し、外へと飛び出してしまう。
「お待たせしました!」「構わないよ」――――などと交わされる声に耳を動かしつつ、残された天馬はやれやれと左右に首を振った。
『我関せず』と言わんばかり。
かれは、にわか作りの藁のしとねで優美な長い脚を折り、暫しの間、ゆったりと寛いだ。
0
お気に入りに追加
22
あなたにおすすめの小説
最愛の側妃だけを愛する旦那様、あなたの愛は要りません
abang
恋愛
私の旦那様は七人の側妃を持つ、巷でも噂の好色王。
後宮はいつでも女の戦いが絶えない。
安心して眠ることもできない後宮に、他の妃の所にばかり通う皇帝である夫。
「どうして、この人を愛していたのかしら?」
ずっと静観していた皇后の心は冷めてしまいう。
それなのに皇帝は急に皇后に興味を向けて……!?
「あの人に興味はありません。勝手になさい!」
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
【完結】家族にサヨナラ。皆様ゴキゲンヨウ。
くま
恋愛
「すまない、アデライトを愛してしまった」
「ソフィア、私の事許してくれるわよね?」
いきなり婚約破棄をする婚約者と、それが当たり前だと言い張る姉。そしてその事を家族は姉達を責めない。
「病弱なアデライトに譲ってあげなさい」と……
私は昔から家族からは二番目扱いをされていた。いや、二番目どころでもなかった。私だって、兄や姉、妹達のように愛されたかった……だけど、いつも優先されるのは他のキョウダイばかり……我慢ばかりの毎日。
「マカロン家の長男であり次期当主のジェイコブをきちんと、敬い立てなさい」
「はい、お父様、お母様」
「長女のアデライトは体が弱いのですよ。ソフィア、貴女がきちんと長女の代わりに動くのですよ」
「……はい」
「妹のアメリーはまだ幼い。お前は我慢しなさい。下の子を面倒見るのは当然なのだから」
「はい、わかりました」
パーティー、私の誕生日、どれも私だけのなんてなかった。親はいつも私以外のキョウダイばかり、
兄も姉や妹ばかり構ってばかり。姉は病弱だからと言い私に八つ当たりするばかり。妹は我儘放題。
誰も私の言葉を聞いてくれない。
誰も私を見てくれない。
そして婚約者だったオスカー様もその一人だ。病弱な姉を守ってあげたいと婚約破棄してすぐに姉と婚約をした。家族は姉を祝福していた。私に一言も…慰めもせず。
ある日、熱にうなされ誰もお見舞いにきてくれなかった時、前世を思い出す。前世の私は家族と仲良くもしており、色々と明るい性格の持ち主さん。
「……なんか、馬鹿みたいだわ!」
もう、我慢もやめよう!家族の前で良い子になるのはもうやめる!
ふるゆわ設定です。
※家族という呪縛から解き放たれ自分自身を見つめ、好きな事を見つけだすソフィアを応援して下さい!
※ざまあ話とか読むのは好きだけど書くとなると難しいので…読者様が望むような結末に納得いかないかもしれません。🙇♀️でも頑張るます。それでもよければ、どうぞ!
追加文
番外編も現在進行中です。こちらはまた別な主人公です。
転生令嬢の食いしん坊万罪!
ねこたま本店
ファンタジー
訳も分からないまま命を落とし、訳の分からない神様の手によって、別の世界の公爵令嬢・プリムローズとして転生した、美味しい物好きな元ヤンアラサー女は、自分に無関心なバカ父が後妻に迎えた、典型的なシンデレラ系継母と、我が儘で性格の悪い妹にイビられたり、事故物件王太子の中継ぎ婚約者にされたりつつも、しぶとく図太く生きていた。
そんなある日、プリムローズは王侯貴族の子女が6~10歳の間に受ける『スキル鑑定の儀』の際、邪悪とされる大罪系スキルの所有者であると判定されてしまう。
プリムローズはその日のうちに、同じ判定を受けた唯一の友人、美少女と見まごうばかりの気弱な第二王子・リトス共々捕えられた挙句、国境近くの山中に捨てられてしまうのだった。
しかし、中身が元ヤンアラサー女の図太い少女は諦めない。
プリムローズは時に気弱な友の手を引き、時に引いたその手を勢い余ってブン回しながらも、邪悪と断じられたスキルを駆使して生き残りを図っていく。
これは、図太くて口の悪い、ちょっと(?)食いしん坊な転生令嬢が、自分なりの幸せを自分の力で掴み取るまでの物語。
こちらの作品は、2023年12月28日から、カクヨム様でも掲載を開始しました。
今後、カクヨム様掲載用にほんのちょっとだけ内容を手直しし、1話ごとの文章量を増やす事でトータルの話数を減らした改訂版を、1日に2回のペースで投稿していく予定です。多量の加筆修正はしておりませんが、もしよろしければ、カクヨム版の方もご笑覧下さい。
※作者が適当にでっち上げた、完全ご都合主義的世界です。細かいツッコミはご遠慮頂ければ幸いです。もし、目に余るような誤字脱字を発見された際には、コメント欄などで優しく教えてやって下さい。
※検討の結果、「ざまぁ要素あり」タグを追加しました。
僕の家族は母様と母様の子供の弟妹達と使い魔達だけだよ?
闇夜の現し人(ヤミヨノウツシビト)
ファンタジー
ー 母さんは、「絶世の美女」と呼ばれるほど美しく、国の中で最も権力の強い貴族と呼ばれる公爵様の寵姫だった。
しかし、それをよく思わない正妻やその親戚たちに毒を盛られてしまった。
幸い発熱だけですんだがお腹に子が出来てしまった以上ここにいては危険だと判断し、仲の良かった侍女数名に「ここを離れる」と言い残し公爵家を後にした。
お母さん大好きっ子な主人公は、毒を盛られるという失態をおかした父親や毒を盛った親戚たちを嫌悪するがお母さんが日々、「家族で暮らしたい」と話していたため、ある出来事をきっかけに一緒に暮らし始めた。
しかし、自分が家族だと認めた者がいれば初めて見た者は跪くと言われる程の華の顔(カンバセ)を綻ばせ笑うが、家族がいなければ心底どうでもいいというような表情をしていて、人形の方がまだ表情があると言われていた。
『無能で無価値の稚拙な愚父共が僕の家族を名乗る資格なんて無いんだよ?』
さぁ、ここに超絶チートを持つ自分が認めた家族以外の生き物全てを嫌う主人公の物語が始まる。
〈念の為〉
稚拙→ちせつ
愚父→ぐふ
⚠︎注意⚠︎
不定期更新です。作者の妄想をつぎ込んだ作品です。
頭が花畑の女と言われたので、その通り花畑に住むことにしました。
音爽(ネソウ)
ファンタジー
見た目だけはユルフワ女子のハウラナ・ゼベール王女。
その容姿のせいで誤解され、男達には尻軽の都合の良い女と見られ、婦女子たちに嫌われていた。
16歳になったハウラナは大帝国ダネスゲート皇帝の末席側室として娶られた、体の良い人質だった。
後宮内で弱小国の王女は冷遇を受けるが……。
【完結】20年後の真実
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。
マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。
それから20年。
マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。
そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。
おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。
全4話書き上げ済み。
【完】あの、……どなたでしょうか?
桐生桜月姫
恋愛
「キャサリン・ルーラー
爵位を傘に取る卑しい女め、今この時を以て貴様との婚約を破棄する。」
見た目だけは、麗しの王太子殿下から出た言葉に、婚約破棄を突きつけられた美しい女性は………
「あの、……どなたのことでしょうか?」
まさかの意味不明発言!!
今ここに幕開ける、波瀾万丈の間違い婚約破棄ラブコメ!!
結末やいかに!!
*******************
執筆終了済みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる