桜並木の、その下で

汐の音

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紅葉の章

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 呉服屋兼和雑貨カフェを営む、隠れ家風の店舗“み”は、一階が雑貨の展示販売と喫茶スペースを兼ねている。
 いっぽう、着物に仕立てる前の反物や帯、草履に加え、細々とした着付けに必要なものは全て二階にあった。

瀬尾せのおさーん、ちょっと上がれる?」

「はーい」

 内線を使わず、微かに階上から声が漏れ聞こえた。それに反射で答える。幸いと言うべきか、客はいない。

 みなとは急ぎ、雑貨の陳列棚の籠に入れられていた小ぶりなを整える手を止めた。様々な色・柄の布が自由気ままに混ざっている。
 パッチワークなどを趣味とする常連のお客さんがよく探って行くらしい。気がつくと減っているし、中身もごちゃっとしている。
 それが気になって、どうにか見映えよくならないか、補充がてら直している最中だった。
 ぱっ、とカウンターの向こうを振り向く。

「いいです? 実苑みそのさん」

「いいですよー。いってらっしゃい。もし、団体のお客さんが見えられたり、手が回らなくなったら呼ばせてもらうから」

「はい」

 ――昼下がり。
 窓際の麻のシェードがほのかな生成り色の光を湛えている。こぼれる陽射しは春めいていて、晩秋のわりに暖かな日だった。

 土曜日。
 湊は、職業訓練の合間に今も、ここでアルバイトをしている。






「あ、ありがとうね瀬尾さん。背が高いから。そこ、届く? ……うん、そうそう。それ。さっき、お客様からご連絡があってね。もうすぐ見えられるみたいなの」

 悪びれず、女性のわりには背の高い湊を脚立きゃたつ代わりに呼びつけた店のオーナー、早苗さなえはフフッと笑んだ。娘である実苑よりも派手やかな顔立ち。くっきりと唇の横や目じりにしわが刻まれるが、それも彼女の豪放磊落ごうほうらいらくな朗らかさを際立たせるだけだ。(お日様みたいな女性ひとだな)と、ひそかに湊は印象を受けている。

 早苗は、意外なことに上が黒っぽい薄手のセーター。下がフェイクスウェードの同色のロングスカート。つまり洋装だった。髪は明るい茶色。ウェーブがかっており、額を出して肩の下まで緩やかに降ろしている。

 いわく、『娘や孫の世話と家事と商売をこなすためにはね、着物だとちょっと……。効率が』とのこと。
 今は、すやすやと一階の座敷で眠る赤ちゃんも、夜中は冴え渡ってなかなか寝付いてくれないらしい。早苗の夫は普通に隣市で会社勤めをしており、休日は商品の買い付けで店を留守にすることが多い。
 よって、戦力は常時、きっかり母娘おやこ二名。


『子育ては体力勝負よ。あと、何かしら手を抜かないとやってられないわ』


 …………早苗の場合、それが和装だったのだろう。
 湊は、帯が納められているらしい桐の平たい箱を両手に、そっと畳に膝をついた。辺りには同様の桐箱が積まれ、散見している。
 ――差し出がましいかもしれないが、これも見やすく整えたほうが良いだろう。
 姿見の脇の小机に、帯紐や飾り襟の在庫を手早く並べる早苗を仰ぎ見る。

「オーナー。階下したは、今、お客さんがいらっしゃいませんでした。宜しければまだ、お手伝いしましょうか?」

「えっ、そう? 嬉しいわぁ。じゃあ……幾つか出してもらおうかしら。二、三本ほど。普段から着物でお出掛けなさる年配の方でね。華やかなご気性の方なの」

「はい」

 『年配』『華やか』『普段使い』。
 ――定番よりは変わったもの。或いは、極度に使いやすい柄や色を求めておいでなのかもしれない。だとすれば。

 頷き、ざっと視線を滑らせる。どの箱も、中身はわからない。端から順に蓋をひらき、かさり、と几帳面な音をたてる包み紙をめくっては模様や色を確認していった。

 金糸の白金しろかね、銀糸の白銀しろがね、抹茶色に海老紫えびむらさき。流線形のシンプルな地模様で川の流れや白砂の庭を描いたものもあれば、モダンな格子模様も。可愛らしく豪華な毬と、紐にじゃれる猫の図案を一ヶ所に刺繍したものもあった。

(あ)

 一つ、とても目を惹かれる帯があった。
 湊は、それと他二点ほどを選び、丁寧に箱の上に垂らして置く。他はきちんと二列に分けて積み上げた。

「……あら? もう、いらっしゃったわ。早いこと」

 駐車場を見下ろせる窓から下を覗き、早苗がどこかのんびりと告げた。



   *   *



 客の姿を見ていなかった湊は早速、内線で呼び戻されてしまった。
 「失礼します」と、会釈で早苗の持ち場を辞し、とん、とん……、と、細い階段を下りる。
 二重の硝子ガラス扉の間は正方形の石床。あまり段差のない玄関になっており、手前のカフェ側に室内履きスリッパが並べられている。

 目についたのは、客のものと思わしき靴が二足。
 片方は婦人用の黒いショートブーツ。もう片方は意外にも男性もの。レザーのハイカットスニーカーだった。カジュアルだし、若い。違和感しかない。

(お客様。団体じゃない……?)

 不思議に思いつつ、カフェの扉を開ける。
 カランカラン、と、取り付けられた鐘が鳴り、中を覗いてすぐ。

「!」

 迂闊にも立ちすくんだ。
 背中を見ればわかる。すらりと伸びた上背。長い手足。ちょっと柔らかい、つやのある短い黒髪。カウンターから出てきた実苑と、和雑貨ブースで和気あいあいと歓談に耽る老婦人の後ろに立つ、少年と青年のちょうど過渡期。――高三。確か、もう十八歳だと先日釘を刺された。なぜ、ここに。

「り……」

 名前を呼びそうになり、湊は慌てて口を閉じた。
 今、自分はあくまでも雇われ店員。どう見ても上客のお連れ様。万が一にも粗相そそうがあってはいけない。

 内心どぎまぎする湊に気づき、おっとりと構えた実苑は、胸の前で小さく手を振った。

「お帰りなさい。ごめんなさいね? 何度も行ったり来たりさせちゃって」

「いいえ、大丈夫ですよ。二階のお手伝いは終わりましたから。…………ええと?」

 奥座敷はまだ静か。赤ちゃんは眠っている。入り用なのは、どのような……? と、首を傾げて視線で問うと、実苑が口をひらくよりも早く、くるっと青年が振り返った。



 にこり、と和らぐ黒目のつよい、澄んだまなざし。こうして見ると不敵かもしれない、凛とした眉。通った鼻筋に品のある口許。秋冬の私服(洋服)は色合いが濃く、着崩し方がラフだ。制服よりも大人びているかもしれない。
 りつはあえて、湊を名で呼ばなかった。

「こんにちは、。祖母が着物を見てる間、俺、ここで待っててもいいですか?」

「えぇ。もちろんです、左門さもんさん」

 ――――どうぞ、ごゆっくり。
 流れるように滞在を促し、律の肩越しに“おや?”と目をみはる老婦人に対しては「いらっしゃいませ奥様」と。
 自分でも板につきすぎてどうかと思う、鉄板の接客微笑スマイルをじつに滑らかに披露してしまった。


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