僕らと異世界

山田めろう

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第四章 旅路の始まり

気配

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「結構な年季物だけど、本当にいいの?」

 翌朝、宿屋の前に用意されていた一台の牛車に荷物を運び入れながら、シャティーさんはそう聞いてきた。
 それに対し、クロッキアさんが答える。

「十分だ。むしろ、本当に都合してもらえるとは思っていなかった」
「ははっ、よく言うよ。あんなもん見せられたら、大抵の商売人は損切りして、とっとと尻尾巻いて逃げるっての」

 なんて悪戯っぽく笑うシャティーさんの視線は、つい昨日まで何台もの馬車や牛車が止まっていた空間に向けられる。
 僕らが目覚めた頃にはこの状態というか、有様というか。
 宿屋の主人が言うには、商人達は早朝の内にそそくさと出て行ってしまったそうだ。

「まったくだ。・・・・・・はぁ、こっちはとんだ大損だぜ」
「だから言ってんじゃん、兄貴。あんな連中とつるんだって、儲けは長く続かないに決まってるってさ」
「そうは言ってもな、俺は親父みたいにうまくやれるわけじゃないんだぞ」

 ぶつくさと文句を言いながらも、宿屋の主人であるシャティーさんのお兄さんは、結構な量の木箱を積み上げていた。

「主人、さすがに何らかの支払いをしたい。王貨を持ち出したとはいえ、これではそちらが立ちゆかなくなるのではないか」

 しかし、そんなクロッキアさんの申し出を、主人は苦虫を噛み潰したかのような顔で遠ざける。

「いいや、結構だ。こっちは何年も自給自足でやってきた。それより、準備ができたらとっとと出発してくれ」

 吐き捨てるように言うと、まだ外に出していない荷物があるのか、彼は宿屋の中に戻ってしまう。

「私も兄貴も、もとは狩人だからさ、商売下手なんだよね。けど、なんとかこの宿屋を続けたくて、あんなクズ連中との取引に手を出してたってわけ」
「随分と危ない橋を渡るな」
「ま、命懸けって部分では狩りと変わらないから。それに、真っ当な商人はわざわざここを通らないでしょ。王都から真っ直ぐ北を目指した方が、何倍も安全で路銀もかからない。昔っから、この村を商用で通る人間はワケありさ」
「・・・・・・なるほど。選択肢がなかった、というわけか」
「まぁ、兄貴が親父くらい人を見抜く眼を持ってればよかったんだけどね。ああやって、攻撃的に振る舞わないとすーぐ騙されちまうから」

 きゃはは、と小悪魔みたく笑うシャティーさんの雰囲気には、どこか親しみを含む様子が見て取れた。
 馬鹿にしているようでも、やっぱり兄妹というか、家族なのだろう。

「すまないな。招かれざる客とは覚悟の上だったが」
「いいって。別に収入が減ろうが増えようが、狩人としての私らにはあんまし関係ないしね。むしろ、兄貴には良い薬になったんじゃないかな」
「そう言ってもらえるなら、私としても助かる」
「あ、そう思うなら、ちょっと付き合いなよ。大丈夫、ぱぱっと済ませる業も持ってるからさ」
「謹んでお断りする」

 さっくりとシャティーさんの誘いを両断するクロッキアさん。
 それを、「ケチくさー」と口を尖らせて抗議する彼女だが、機嫌を損ねている様子はほとんどなかった。
 結局、僕とターナも加えて五人で荷造りをした結果、昼よりかなり前に出発できることになった。
 積み込まれた荷物だが、ほとんどが水と食料、あとは旅に必要な備品。
 これだけあれば十分、という量をわざわざ用立ててくれたらしい。
 やっぱり、根は悪い人達じゃなかったんだ。

「では、世話になった」
「おう。二度と面見せないでくれ。生きた心地がしないからな」
「やれやれ、嫌われたものだ」
「当たり前だろ。あんな簡単に王貨を取り出すようなやつに、碌な野郎はいない。おたく、その気になりゃあの場で全員殺せたろうが」
「気のせいではないか? あの商人の人数、どこに護衛を控えさせていたかは分からないが、まさか丸腰で旅商売もないだろう。そうなれば、言うほど容易くはない」
「ははは、兄貴やっぱり命の駆け引きには敏感じゃん。こいつ、遠回しに骨は折れるけど殺せるって言ってるよ」
「だから、散々ヤバい野郎だって言ってるだろ! おら、とっとと行ってくれ。俺はやることはやったからな」

 そう言うと、宿屋の主人は足早に屋内へ姿を消してしまう。
 後に残されたシャティーさんと、遠巻きにこちらを伺っている数人の狩人に見送られながら、僕らは再び東へ向けて進路を取るのだった。
 視界の先に広がる森を目指し、牛車はゆっくりと雪道を進んでいく。

「僕、牛車初めて乗ります」

 正直に言うと、僕は若干興奮していた。
 荷台そのものが古く、それほどの大きさもないため、僕らを運んでくれる牛は一匹。
 手綱を手にするクロッキアさんの隣で、僕は覗き込むように身を乗り出した。
 見た目にもごわごわした感じの体毛に覆われた、大きな黒い牛だ。

「はぁ・・・・・・なんだか、かわいいなぁ」

 「え?」と短い疑問を口からもらしたのは、二人。
 聞き間違いだろうか、と沈黙するターナとクロッキアさんをよそに、僕の感動は止まらない。

「だって、かわいくないですか? 牛さんですよ、牛さん」
「いや・・・・・・まぁ、そうだな。確かに、紛う事なき牛だ、うん」
「さっきもなでなでしたけど、大人しくていい子でしたよ」

 そう、この子、とっても賢いのだ。
 初対面なのに大人しいし、ちゃんと僕らが何もしない、ということを分かっている。
 出発前の少しの間だったけど、僕の手から餌も食べてくれたし、撫でさせてもくれた。
 これを、かわいくないと言う方が難しい。

「ユ、ユウスケ様は、動物がお好きなのですね」
「うん! 動物園とか大好きだよ。馬が見たくて、父さんに競馬場連れていってもらったりもしたなぁ」
「ケイバジョウ? よ、よく分からないが、君が楽しそうで何よりだ。そういうことなら、こいつの世話はユウスケにやってもらうとしよう」
「本当ですか!?」

 思わぬ幸運に、自分でも目が輝いているのが分かる。
 さすがの勢いに周囲――二人だけだけど――は若干引き気味だが、今の僕はそれさえはね除ける幸福オーラに包まれていた。
 そうとなれば、馬車よりもゆっくりな牛車でさえ、僕にとってはあっという間に感じる。
 見晴らしの良い雪原地帯を抜けると、その先は再び雪深い森の中へと繋がっていく。

「数日間は、この森と付き合うことになる。ここを抜ければ、東方と呼ばれる領土もそう遠くない」
「そ、そんなに広いんだ、この森・・・・・・」

 見た感じは、徒歩でもすんなり抜けられた最初の森と大差ない。
 群生する針葉樹林ばかりが広がり、変化に乏しい景色が延々と続いている。
 けど、確かにこれは下手をすると遭難しそうだ。
 そんな中、所々、木の幹に赤い布地の鉢巻きみたいなのが巻き付けられているのを見つけた。

「クロッキアさん、あれって木の棒と同じで目印ですか?」
「あぁ、そうだ。とはいえ、あれはこの森の中を自由に案内するためのものではない。あくまで、この森を抜けるためのものになる」
「遭難防止用ってことですね」
「その通りだ。ただ・・・・・・どうにも、」

 クロッキアさんは、珍しく歯切れの悪い口ぶりで顔をしかめた。
 僕が尋ねるような表情で見返すと、「いや、気のせいだろう」と頭を振る。
 森に入ってどれくらい経っただろう。
 牛車の発する軋みさえよく響く森の中は、冬場独特の静寂に包まれていた。
 音を吸い込んでいるような錯覚さえ覚える、澄み切った静けさ。
 まだ昼間ということもあり、それはどこか神秘的な雰囲気を感じさせる。
 だが、これが夜になるとがらりと表情を変えるのが、自然の恐ろしいところだ。
 もっとも、それは心許ない時であり、今はそうでもない。
 理由はごく単純なもので、クロッキアさん、ターナ、そして牛さんがいるからだ。
 村落を発って四日目。
 既に三つの夜を越え、方向感覚がかなり怪しくなっていること以外、特別心配するような事態も起こっていない。
 順調と呼べる旅ではないだろうか。
 そうして、今日も今日とて森の中をひたすら進み続けると、やがて日没が迫る時刻になってきた。
 傾く太陽はその色を濃い朱に変えてゆき、やがては彼方に沈んでいく。
 荷台で揺られているだけでも、疲労というものは蓄積していくらしく、夜は必ず休息を取るのが大切なのだとか。
 平坦で手頃な場所に止まると、僕は荷台から下りて野宿の準備を始める。
 まだてきぱきとまではいかないけど、なんとか一人である程度のことはできるようになっていた。

「あれ・・・・・・ここ、誰かいたのかな」

 いつもは木の板を使って雪を踏み固めることから始めるのだが、その日は運良く既にならされた後のようだった。
 でも、誰かとすれ違うようなこともなかったけど・・・・・・。

「ユウスケ」
「はい」

 呼ばれ振り向くと、目の前には既に剣の柄が差し出されていた。

「・・・・・・え」

 僕は面食らう。
 鞘に収まったそれは、長剣よりも短い剣身が目につく。
 何度か剣とクロッキアさんを交互に見るが、双方ともに微動だにしなかった。

「安心しろ。念のためだ」
「・・・・・・は、はい」

 僕の様子を見たクロッキアさんは、落ち着いた口調でそう言う。
 どうやら、今すぐに刃傷沙汰が始まる、というわけではないようだ。
 ほっと胸をなで下ろすと、僕は慣れない手つきで得物を受け取った。
 確かに、訓練用の木刀よりも軽い。
 木刀とはいえ、訓練用のものは大抵重量がかさ増しされており、実物と同等かそれ以上に調整されている。
 それらで訓練を続けていた僕としては、その――いわゆるショートソード、というのかな――剣は重さが気にならず、取り回しに優れていると感じた。

「・・・・・・」

 刃が滑る音を僅かに立てながら、鞘の中身を検める。
 薄闇の中でさえ、ぎらり、と鉄の剣身が光を反射したように見えた。
 新品、というわけではなさそうだけど、抜き身では特に軽さを感じる。

「狩人の手で調整された代物だ。商店の安物よりも、遙かに信頼性はある」

 どうやら、これは狩人の村落で調達したものの一つらしい。
 クロッキアさん曰く、手入れも行き届いており、持ち手部分に細かな心遣いが施された一品なのだとか。
 剣の扱いというか、武器の扱いは特にその技量が顕著に現れる。
 同じ刃物でも、長剣と短剣では取り回し方に違いが出るし、実践ではその差が生死の分かれ目となることも然り。
 その為、実際に使いやすくバランスが調整された武器というのは、廉価品ではまずお目にかかれないとのこと。

「そ、そんなもの、僕が持っていいんですか?」
「むしろ、それは君が持つべきだ。体格から見ても、まずはショートソードくらいから剣に慣れていく方がいい。仮に殺しが得意でも、得物をすぐに駄目にしてしまっては意味がない」

 クロッキアさんの前で武器を振るったことがないにも関わらず、僕の腕前は透けて見えていたように語られる。
 いや、実際に彼の目にはそう映るのだろう。
 それくらい、戦闘に関する技量とは行動の随所に含まれてしまうのかもしれない。
 その後、クロッキアさんに教わりながら、生まれて初めての剣帯を身につける。

「な、なんだか・・・・・・腰回りに違和感があります」
「はは、最初は皆そうだ。こればかりは完全に慣れだな。実戦で慌てると、剣帯の左右を間違えることもある。人前で不用意に剣の柄を握るべきではないが、普段からどちらに得物を提げているかは気にしておくといい」

 唐突に始まった武器講座も、薄闇が深い暗闇に変わることでひとまずの区切りを見せた。
 僕とクロッキアさんの隣では、既に小さな明かりが灯っていた。

「あ、ターナごめんっ。僕も手伝うよ」
「いえ、どうぞ続けてください。あとはなめし革を敷くだけですので」
「いや、もう終わった。ユウスケ、なめし革は私が持ってこよう。君はあいつの世話をしてやってくれないか」
「あ、分かりました!」

 すっかり牛の世話役となっていた僕は、元気よく返事をする。
 とそこで、動物繋がりというか、獣繋がりというか・・・・・・そういうわけではないのだろうけど、ふとした疑問が浮かんできた。

「そういえば・・・・・・クロッキアさん、怪我大丈夫ですか?」
「ん? あぁ、そういえば言っていなかったな」

 すまない、と前置きをした上で、クロッキアさんは以前に負傷していた脇腹を、ぽんぽんと叩いてみせる。

「この通り、完治している」
「え、もう・・・・・・ですか?」

 この驚きは、ターナのもの。
 無理もない。僕だって驚いている。
 だって、あくまで消毒をして包帯を巻いた程度だ。
 普通なら、致命傷ではないにしても完治するのは早すぎる。
 指先の小さな切り傷や、手足の擦り傷とはワケが違うのだ。
 しかし、そんな僕らの驚きは意にも介さず、クロッキアさんは当たり前かのように頷いた。

「人狼故、だな。もしかしたら気づいていたかもしれないが、私は夜でも変化が少ない」

 そう言うと、クロッキアさんは分かりやすく自らの眼を指差した。

「魔人も一様ではない。人狼は、その血が濃いほど月の満ち欠けによる影響を受ける。強力な人狼ほど、満月の際には人の身を保っていられなくなる。そうでなくとも、眼が獣のものとなるなど、身体的に変化が現れる」
「あ、確かに。クロッキアさんとは別の騎士さんで、その人は瞳が・・・・・・」
「だろう。だが、私は満月の時でようやく瞳が変わる程度だ。要するに、人狼としての血が薄い。それでも、一晩身体を休めれば、あの程度の傷ならば完治してしまう」

 それこそ、自然治癒に人狼としての能力が特化している場合は、傷を負ったそばから再生する者までいるそうだ。

「それ故に、人狼に限らず魔人は恐れられる。その力が際立つほど、人ではなく魔性に近づくからだ。一時期は国家戦力として軍事利用されたこともあるそうだが、意志を持つ兵器は常に欺瞞を疑われる。いつ、自分達に牙を剥くか分からないとしてな」

 世から疎まれることは必然であった、とクロッキアさんは言った。
 そこで、彼は背を向け、なめし革を取りに荷台へと歩き出してしまう。
 それは魔人であることの負い目というよりも、染みついた立ち振る舞いに似た自然さだった。
 おそらく、人狼として生きる上では避けられない隔たりがあり、それは超えるべきものではないと考えているのだろうか。
 正直、僕には触れられない問題だった。
 僕自身が魔人という存在をイメージでしか理解していないという部分もあるけれど、何よりも・・・・・・。

(けど、クロッキアさんはクロッキアさんだよ)

 ・・・・・・その意識が希薄だった。
 善し悪しではなく、僕は魔人が一律に危険な存在だ、という教育を受けて育っていない。
 僕自身を形作る土台部分で、彼らへの畏怖や偏見が存在しないのである。
 そうなれば、どうしたって「魔人であるクロッキアさん」とはならない。
 あくまで僕にとっては、「クロッキアさんが魔人である」というだけだ。
 彼という個人に付随する属性が魔人であって、判断の基軸は彼自身となる。

「クロッキアさん、僕も手伝います」

 無意識に、身体は動いていた。
 背を追いかけ、僕も一緒に荷台へ向かう。

「なめし革程度なら、私にとっては負担にもならないぞ」
「はい。怪我も治ってるならよかったです」
「・・・・・・?」

 顔に疑問符を浮かべるクロッキアさんと並び、僕は続けた。

「魔人でも、そうでなくても、僕にとってはクロッキアさんです」
「・・・・・・」
「だから、僕は気にしません。僕だって異人なんていう、普通ならこの世界にいない人間ですから」

 そうなのだ。
 異世界召喚なんていう突拍子もない経緯を踏んでいる以上、それこそ僕なんて魔人以上に異質なはずだ。
 おまけに、人類を救う希望なんて期待されていれば、その潜在的な力は驚異的なものでなければ説明がつかない。
 そうなれば、反旗を翻すことを恐れられ、人々の胸の内が信じられなくなるのは、異人の方ではないだろうか。
 欺瞞に苛まれるのは、何も魔人だけの境遇ではない。

「だが、君は心優しい。・・・・・・人々に不安を抱かせるような人格ではない」
「それは、クロッキアさんだって同じですよ」
「ユウスケ、私は、」
「僕もターナも、クロッキアさんがいるから安心できます」

 糸口の見える問題ではない。
 だが、難しい話でもなかった。
 もともと万人に通用する答えが用意された問題ではないのだろう。
 だからこそ、僕にとってはその答えが全てだった。

「・・・・・・もし、私が君達に牙を剥いたらどうする?」

 クロッキアさんは立ち止まり、僕が先行する形になる。
 荷台は目の前。
 僕は歩みを止めず、背中越しに答える。

「分かりません。だって、クロッキアさんがそうすることなんて、想像できないから」

 それを聞いたクロッキアさんは、珍しく困ったような表情を返してくる。

「私が言うのもおかしいが、なぜ疑わない」

 それはどこか、鬩ぎ合うような雰囲気を含んでいた。
 信じて欲しい気持ちと、簡単に信じることを危ぶむ気持ちと。
 確かに、僕はどこかおかしいのかもしれない。
 けど、これが僕である以上、それに抗う方がおかしいのだ。

「きっと、疑うことに疲れたからかもしれません」

 笑いながら、僕はありのままを言葉にした。
 疑うことを知らないのではない。
 僕はきっと、誰よりも疑い続けてきた。
 そして今も、僕は疑っている。
 一度だって信じたことのない、自分自身を。

「さ、クロッキアさん。早く運び出しましょう。終わったら、牛さんに干し草あげますから」
「・・・・・・あぁ、そうだな」

 困惑を滲ませたまま、クロッキアさんは頷いた。
 僕は一足先に荷台へ乗り込み、奥の方で丸めてあった敷物を一つ抱える。
 なめし革の敷物は二枚あるのだけど、重さ的に僕は一枚分しか持てない。
 いや、頑張れば二枚くらいはいけそうだけど、バランスを崩してしまうと大変だし。
 そう考えながら、よいしょ、と抱え直して荷台から顔を出す。
 そこには、身体の向きだけを変えて、佇むクロッキアさんの姿があった。

「クロッキアさん?」
「ユウスケ、そのまま荷台にいるんだ。・・・・・・ターナ!」

 呼ばれ、焚き火に枯れ枝を追加していたターナが、こちらへ駆け寄ってくる。

「どうされましたか?」
「気配がする。荷台へ」

 促すと同時に、クロッキアさんの外套が揺れた。
 露わになったその中では、既に剣の柄へ手が伸びている。
 緊張が走るのは一瞬だった。
 僕は抱えていた敷物を脇に置くと、荷台へターナを迎え入れた。

「ク、クロッキアさん・・・・・・」
「ユウスケ、まだ武器は抜くな」
「は、はい」

 さっきまでの安穏とした空気は、まさに瞬きほどの合間で一転する。
 知らず筋肉に力が入り、嫌な汗がじわりと不安のように浮かんでくる。
 クロッキアさんの視線は、絵の具みたいにのっぺりとした森の闇を覗くばかりだ。
 数秒が数分に、数分が数十分に感じる。
 飲み下す唾の音さえ気取られているのではないか、と錯覚する緊張。
 しばらくして、僕やターナにも、その気配が察知できるようになった。
 音だ。音が聞こえてくる。
 足音か、それとも・・・・・・声だろうか?
 あるいは両方かもしれない。
 微かではあるが確かに、闇夜の静寂を震わせる何かが潜んでいる。
 それは次第に大きくなり、こちらとの距離を詰めてきていた。
 息を呑む。
 刃の滑る音が、ゆっくりと響く。
 クロッキアさんが、腰に提げた長剣を抜いた。

「――て」

 不規則な音と混じり、途切れるような声を耳が捉える。

「お――い、たす――」

 それが足音と声だと気づいた頃、ようやく気配の全貌が姿を現した。

「おねがい、たすけて」

 一人の若い女性。
 震える声に涙を交えながら、ようやく身体を支えているとばかりに、その足取りは覚束ない。
 どうして、こんなところに。
 そう思うよりも早く、クロッキアさんの手にした得物の切っ先が、その女性へと向けられた。
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