僕らと異世界

山田めろう

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第三章 凍える大地

王と父

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 クロム王は、ひとしきり報告を聞き終えた後、僅かの間だけ瞼を閉じた。
 事態を把握するため、ある程度内容や考えを整理するため。
 おそらく、ほとんどの者はそう思い、あえて王からの返答を待っていただろう。
 時間にしてほんの数秒。
 クロム王は険しい表情のままその双眸を開くと、厳かな声で切り出した。

「ベルサー将軍」
「はっ」

 呼ばれ、甲冑姿の一人が短く返事をした。

「戒厳令を発令する。城壁、城下、城内、城外問わず、臨戦態勢に入れ。規模は全軍。ただし、報告の通りの雪嵐ならば、外部からの応援は望めぬものと考えた方がよかろう」
「壁外の兵達は戻らぬとお考えで・・・・・・?」
「いや、『戻れぬ』と言っている。ただの自然現象ではない。あれは、意思のもとに展開されている。そしてそれは、決して友好的なものではない」

 万が一、あの雪嵐に呑まれたとあれば、もはや命はない、と。
 王は暗にそう言っていることを、ベルサー将軍はようやく気づいたのだろう。
 「承知致しました。では、すぐに」と答え、将軍は足早に部屋を後にする。
 残る人物は、クロム王を含め三人。
 そろそろ夜が明ける頃というのに、王室には未だ重苦しい空気が流れていた。

「・・・・・・陛下、お言葉ですが此度の事態・・・・・・まさかとは思いますが・・・・・・」
「よい。大方、予想はついておる。・・・・・・おそらく、我が娘コーネリアの仕業であろう」

 二人が息を呑むのが分かった。
 クロム王と相対する二人の大臣は、見る見るうちに顔が青ざめていく。

 「し、しかし・・・・・・姫様にはベルキュート様がついていらっしゃるはずでは・・・・・・?」
「そ、そうだ。陛下、ベルキュート様からご連絡は?」

 クロム王は無言のまま、頭を横に振る。

「沈黙が答えであろう。もはや、古い者でさえ娘を止めることは叶わなかった。・・・・・・いや、むしろ逆かもしれぬな」
「・・・・・・そう申しますと?」
「私は、父としてあの娘から目を背けた。王として生きる道を選んだあの時から、娘とは相容れぬ定めであったのかもしれぬ」

 自らが向き合えなかったがゆえ、止められぬことは決定していたのだと王は言った。
 父と娘の確執は、今に始まったことではない。
 だからこそ、男は王として娘に接した。
 一人の父ではなく、一国の王として。

「ベルキュート・・・・・・やはり、貴殿が正しかったか」

 クロム王は、一つの記憶を辿る。
 それは、決別の回想。
 王の友は、力ない声で一つの呪いを残した。

 ――私に人としての部分を救うことはできんさ。
   ネグロフの王よ、それは父である貴兄の役割だ。

 それを聞き及んでいながら、それでも選べなかった父としての道は、王にとって常に後悔の対象であった。
 王たるか、あるいは父たるか。
 選ばずに済むならばよかったが、ネグロフが直面した問題の解決には、王としての選択が必要とされた。

「サイオンを呼んで参れ」
「はっ」

 大臣の一人が、王室の扉前へ行き、外の者へクロム王の命令を伝える。
 残るもう一人の大臣は、クロム王に対し抗議の視線を送っていた。

「陛下、お言葉ですが・・・・・・どうか早まった真似だけはお止めください」
「何を早まっていると申す。既に事は動き出しておる。王として、禍根を野放しにはできまい」
「禍根などと――陛下、どうか今のお言葉、撤回ください! 仮に陛下の仰る通りとしても、ご自分の実娘なのですぞ!」

 いかにも、とクロム王は頷いた。

「だが、私は父であると同時に王である。国に仇なすとなれば、私はそれを迎え撃たねばなるまい」
「しかし――!」
「もう、よい。すでに道を違えて久しい。今になり、一体何ができると言う」

 王として、ここにいる。
 それは同時に、父としての未熟さの反証でもあった。
 王であるがゆえ、父としての振る舞いを忘れてしまったのか。
 王であるがゆえ、父としての想いを隠してしまったのか。
 飾らずに言うならば、父としての心は、自らの娘と向き合うに――あまりにも弱すぎた。

「互い刃を向け合うなど・・・・・・陛下、ファリア様が知れば、どれほど悲しまれることかっ」

 ファリア。
 クロム王は、今は亡き妻の顔を思い出す。
 彼女がいれば、どれほど心の支えになったことだろう。
 妻の望みは分かっている。
 父と娘が共に手を取り合い、ネグロフの民と同じく強く生きること。
 決して弱々しく生きたわけではない。
 クロム王もコーネリアも、限りを尽くして歩いてきた。
 だが、それゆえに・・・・・・違えた道の末こそが、決して交われぬ今を生んでしまったのではないか。

(・・・・・・コーネリアよ)

 始まりは一緒だった。
 幼い娘の手をひき、父はその小さすぎる手を守らんと、王になることを決意した。
 握りしめていたその手がすり抜けていったのは、一体いつなのだろうか。

(もはや、戻ることは許されないのだ)

 クロム王は、最後の過ちを振り返る。
 国を守り、愛を引き裂き、娘を独りにした、己の罪を。
 これが、その代償というならばそれでも構わない。
 わかり合えないことが罰となり、王の身を焼き尽くすだろうから。

「陛下、サイオン導師が参りました」

 クロム王は、伏せがちだった顔を上げ、ネグロフ王国において魔法学の頂点に立つ男を見据える。
 異人たちへの初期教育を任せたその男――サイオンは、跪くことなく真っ直ぐに王を見返していた。

「サイオンよ、変わらず賢しいな。お主には、私の胸の内が見えているのだろう?」
「生憎と、私に千里眼の才はない。まして、かつて賢者たちが例外なく手にしたという、『神の慧眼』もない。もし、私が陛下の心中を読み解けるならば・・・・・・それは、陛下ご自身がそう語っておられるからではないか」

 その答えに、クロム王は「まこと、聡明である」と苦笑する。

「陛下、私に聞くことがあるのではないか?」
「ほぅ・・・・・・なぜ、そう考える」
「私が呼ばれたからだ。・・・・・・私は賢者ではない。魔の法で全てを救えるほど、際立った才覚には恵まれなかった。だからこそ、私は己の頭脳を磨き上げる必要があった。それを見抜いたのは他でもない、貴方のはずだが」
「その通りだ」

 最後、サイオン導師は肩をすくめていた。
 本来ならば不敬にあたるその仕草も、王と導師をよく知る大臣らだからこそ、いつものやり取りであった。

「サイオン、あの雪嵐・・・・・・どう見る?」
「間違いなく魔法の類いだ。それも、人の操れるような代物ではない。・・・・・・おそらくは、コーネリア姫は既に自我を失っている」
「導師、言葉が過ぎるぞ!」

 歯に衣着せぬ物言いに対し、大臣二人が声を上げるものの、クロム王はそれを手で制し、話を続けさせた。

「やはり、我が娘は満月の下にネグロフを襲うか」

 サイオンは頷く。

「人狼として強大な力を持つ姫だからこそ、満月の時には人の身を保てない。この雪嵐も、あくまで『凍える息のコーネリア』としての力の一端に過ぎないだろう。・・・・・・もっとも、陛下のみならず、大臣方もその事は承知の上と思うが」
「・・・・・・」

 大臣二人は沈黙する。
 しかし、彼らの沈痛な面持ちが返答の代わりとなっていた。

「陛下。迎え撃つと答えが決まっているならば、相手はコーネリア姫と彼女が束ねる百獣の騎士団であることは明白だ。・・・・・・一般兵らへの混乱は、避けられぬものとなるだろう」
「覚悟はしていたが、己が秘蔵と対峙する日が来ようとは。・・・・・・サイオン、異人だけは何としても守り抜かねばならん。その事は、お主も分かっておるな」
「ああ。だが、壁と兵だけでは難しい。城下もろとも全てを破壊する、というならば魔術師での火力応戦もできるが・・・・・・」

 壁の内側には、外から来た者達も含め、多くの民がいる。
 敵勢力を排除する為、これらをもろとも吹き飛ばしてしまえば、本末転倒も甚だしい。
 知謀に長けるサイオン導師でさえ、市街戦というものは混戦を極めると悩まねばならなかった。
 本来、壁外で勝負しなければならないところを、既に先手を打たれている現状。
 それも、相手はネグロフ王国を知る自国の者達。
 城下の構造や王城の間取りまで把握されている可能性は高い。
 進軍は、周囲の想像を超える速度で展開されるだろうことが、予想された。

「ルカルディ王国へ応援を求める」
「し、しかし陛下・・・・・・外はあの雪嵐、伝書が届くかどうか・・・・・・」
「そうではない。異人と他の者達の受け入れだ。あの雪嵐が魔法であるならば、同じように魔法での対応もできるのではないか、サイオン」
「まぁ・・・・・・妙案とまではいかないが、それならば手はある。だが、戦闘は望めない。あの中を突き進むとなれば、進行も遅々としたものになることも想像に難くない。・・・・・・まさかとは思うが・・・・・・」

 サイオン導師の表情が、一層険しいものとなる。
 その空気を感じ取り、大臣二人も息を呑むようにクロム王を見やった。

「サイオン、先導を任されてくれるか」
「・・・・・・陛下、ご自身はどうされるおつもりか」
「私は王として、ここに残る。いずれにせよ、敵を引きつけ、抑える者達が必要であろう」

 ――なりません、陛下!
 と、大臣らは当然の反発を示した。
 サイオン導師は半ば予想していたのだろうが、それでも素直に受け入れがたい提案だということは態度に表れている。

「そもそも、わたくし共も含め、他の者達も到底承服できるものではございませぬぞ!」
「いかにも! 王を見捨て、ぬけぬけと生き延びるなど・・・・・・っ」

 どうかお考え直しを、と。
 二人の大臣は必死の想いで説得にあたっていた。
 北境にある大国の王として、クロム王は確かに尊敬と信頼を得ている。
 これほど人類が疲弊していても、未だ一定の秩序を維持できていることも、兵士らの士気を保てていることも、総じて王の立ち振る舞いあってこそのものである。
 しかし、状況は逼迫していた。
 だからこそ、クロム王は言ったのだった。

「異人は私以上の希望である。これを失うことは、ネグロフ王家の恥となろう。まして、自分達で召喚しておきながら、自国の尻ぬぐいで彼らを死なせるつもりか」
「そ、それは・・・・・・」
「これは、私の責任なのだ。王として生きた以上、王として死なねばならぬ。例えこれが過ち故の結末だとしても、せめてその責務を果たしたい。・・・・・・それは、我が命で生きねばならぬお主らも同じであろう」

 王が生きろと言う。
 ならば、下々は歯を噛み締めてでも生きなければならない。
 果たすべき役目がある以上、それを捨てることはできないのだと、クロム王は力強く言い切った。

「サイオン」
「承知した。・・・・・・もはやその決断、心に決めているならば、私がどう言葉を重ねようと揺るぐことはないだろう」
「しょ、正気か、サイオン導師!?」
「王は自らを犠牲にすると――そのような命に頷けと言うのか!?」
「では、説得してみせればいい。私は無駄だと思うがね。・・・・・・その決断力があったからこそ、我らは等しくクロム王のもとに仕えたのではないか?」

 サイオンは決して挑発的に言ったわけではなかった。
 むしろ、説得できるのならば是非、そうして欲しいとさえ読み取れる諦めにも似た声音だ。
 だが、それに即答できるのであれば、大臣らはここまで焦ることもないのだ。
 クロム王への忠誠心ゆえに仕え。
 クロム王への忠誠心ゆえに、彼らは王を失いたくはない、と叫んだ。
 それが、決して通ることはない言葉と知った上で。

「では、我らもやるべきことをやらねばな。・・・・・・グリン、エーベン。ネグロフの政務を支えたお主らであれば、異人の者達を導くこともできよう。サイオン導師と共に、世界の未来にこそ尽くすのだぞ」
「・・・・・・っ」

 グリンとエーベン――二人の大臣は、クロム王を直視できなかった。
 こみ上げるものを抑えるためか、はたまた自らの不甲斐なさゆえか。
 いずれにせよ、両者は改めて王に跪くと、絞り出すような声で応じた。

 ――生涯において、尽力致します、と。

 それをクロム王はゆっくりと頷いて受け取る。
 じきに朝を迎え、ネグロフは嵐の前の静けさに包まれるだろう。
 次の夜。満月の時――それに備えなければならないと、クロム王らは動き出すのだった。
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