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1章

12:不穏は突然やってくる

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 ついさっき購入を決めて間もないというのに、居間にはちゃぶ台と座布団が5枚もすでに用意されていた。

「女将……用意が良いとかいう話ではないのう。ありがたいが」
「ちょうど居ないし好都合……ナナシ先輩、こちらへ」

 とてとてと灯子が座布団を敷いてナナシを促す、蓮夜に肩を借りているとはいえ消耗した体力はまだ戻ってきていないので素直にありがたかった。

「良い家だな……爺さんの家か?」
「うむ、ついさっき買った……灯子。すまぬがお茶を入れてもらえるか?」
「分かった」

 戻る途中で買ったお茶を持って灯子は台所へ向かう、軽い足音が離れていくのを確認して蓮夜はナナシの対面に座って胡坐をかいた。
 そのまま髭を撫でながら何から話を聞いたものかとしばし考えるが……まずはこれだろうと口を開く。

「何があった?」

 灯子の話と現状を見るに、間違いなく襲撃に会ったのだろう。
 まずはそのあたりをはっきりさせたかった。

「何、と言うかだな。俺もさっぱりだ……灯子を仕事に連れて行って阿漕な風呂屋から女を逃がすところだったんだが、いきなり後ろから撃たれた」
「どのあたりじゃ?」
「鶴見川の辺りだな……せめて女を灯子の所まで逃がそうとしたものの。情けねぇもんだ、川に落とされた後はさっきの病院で目が覚めた」
「ふむ、相手は闇狩りじゃな?」
「みたいだな、発足前のはずなのにずいぶんとせっかちなもんだ」

 傷が痛むのか身じろぎをしてナナシはぼやく。

「おぬしほど狡猾な者を奇襲するとはなかなかの手練れなのかのう? そうは見えなんだが……」
「病院で会った連中の中には居なかったが……鶴見川で俺を襲った奴には心当たりはある。元特別警官隊に居た……何て名前だったかな? 海藤、だったか」
「知り合いか?」
「……爺さん、誰を斬ったかとか無頓着すぎねえか? ほれ、5年前に維新再来とか叫んで月夜連が出鼻を挫くというか爺さん一人で全員倒しただろう? 一人も殺さないで」
「う、む?」
「横浜の一揆未遂だよ……」

 呆れたように天井を仰ぐナナシに苦虫を噛みつぶしたような顔で記憶を探る蓮夜。
 そもそもいちいち気にする性格でもないため、改めて言われてもピンとこないのだ。

「ま、まあ。その中の一人じゃと言う事じゃな! しかし、なんでそんな無法者が闇狩りにいるんじゃ? 政府も馬鹿ではあるまいし」
「闇狩りはアメリカ政府の外交官が関わって、と言うか立ち上げから運用までやってるからな。上手く素性を隠して加わってるんだろうさ。かなり離れた所から銃で撃たれたし、三発銃声が聞こえて三発とも俺に当ててるんだ。かなりの腕前だろう」
「良く顔を確認できたな」
「あの野郎、俺が生きてるのを見て嗤いながら川に蹴り落しに来たんだよ。ぜってぇあの面に足の裏叩き込んでやる」
「そういう事か、で。女の方は?」
「わからん、生きていりゃあいいんだが。俺も三日前に目が覚めて昨日の夜になってようやく動けるようになったんだよ……」
「撃たれて川に流されても来てるお主を執拗に狙う理由か、わからんのう……何かしたのか?」
「爺さん程に恨みを買ってたまるかっての。幻陽社がらみにせよこんだけ堂々と喧嘩売ってくるんだ、相当に血気盛んな連中だろうよ……三社祭で花形になれそうだ」
「なるほどのう、なんもわからんのう」

 つまりナナシは仕事の最中、いきなり襲撃された。しかも相手は発足前の闇狩りで過去に月夜連に制圧された犯罪者。
 それくらいしか分からなかった。 

「そもそも爺さんは考えるの事態が苦手だろうに」

 以前から東京で活動しているナナシと蓮夜は少なからず接点があり、蓮夜が前線で戦うのが役割だと知っているためナナシは右手を軽く振って無駄無駄と笑う。

「やかましい、まあ幻陽社まで護衛でもしてやるとするか。今日は泊っていくと良い、警官が病院を警護している以上あの病院に連中が押し入る事はあるまい」
「ちょうど医者の親子が薬を買いに出かけてる時を見計らってきた位だからな、大丈夫だろう。壁に穴を開けちまった分の弁償先を話しておきたい所だ」
「……さっきの書き置きに幻陽社の連絡先を残せばよかったのでは?」

 灯子に残させたメモに連絡先を書かせておけば、わざわざ日を改めて会いに行くなどと言う危険を冒す必要はない。
 蓮夜は素直にその考えを伝えるがナナシは呆れたように蓮夜を睨む。

「……爺さん、一応だが幻陽社は表向き旅館経営の支援会社だからな? な?」

 そう、幻陽社も裏では遊郭を束ねる組織。
 しかし、月夜連とは違い表の顔として各地の旅館や宿泊施設を支援する真っ当な事業も運営している。明らかに普通の怪我で運ばれたわけではないナナシが幻陽社の連絡先を残し、良く分からないまま問い合わせされた方も困ることは間違いない。
 
「そ、そうじゃったな。すまぬ、儂が浅はかだった」

 ちなみに蓮夜は月夜連時代、一般のご家庭の家を壊してしまった際に月夜連に保証してもらってほしいと安直に伝えてしまい。後日、担当職員にこっぴどく叱られてたりする。

「良いって事よ。それにしても灯子の奴、良く爺さんに行き当たったな。まだ見習いも見習いだから月夜連に顔通しすらしてねぇのに」
「あの子は聡いからのう、良い部下を持ったな」
「……爺さんもそう思うか、正直俺には扱いきれないんだがなぁ。頭が良すぎて裏社会で働かなくとも表で経営でもさせた方がよっぽど良さそうだ」

 ナナシの言葉に今度は蓮夜が首を傾げる。
 
「む? あの子は保護されたのではないのか?」
「保護? 社長がいきなり俺に『こいつにうちの仕事を叩き込め』って押し付けてきやがったんだ。教えた事はすぐに覚えるが金の髪に蒼い目だから面倒事を押し付けられた思ったんだが……日本語はペラペラだし読み書きも俺よりできる。挙句の果てに向上心まであるってんだ……なんでまた遊郭の取り纏めなんかに回されたのかさっぱりだ」
「何か事情があるのかもしれんのう」
「それより爺さんだ。月夜連が解体されて歯止めが効かねぇ闇狩り。どうする?」
「どうもせんよ。手出しはできん」

 実際、先ほどは火の粉が降りかかったために振り払ったまで。
 知り合いが襲われているところを助けるまではするが、蓮夜はこれ以上首を突っ込むつもりはなかった。

「なんだい、ずいぶん薄情じゃねぇか」
「それがのう……頭領が決めたんじゃ。『以後国政及び組織に関する事を一切禁ずる』とな……好きに隠居しろと」
「あん? あの国の為にしか動かねぇ鉄面皮が?」
「うむ、別に戦うなとは言わんが自分から火種をつけるな。とも言われとる、じゃから儂は既知が目の前で害されたりでもしない限り自分からは刀を抜かんよ。頭領が決めた事じゃからな」
「まあ、爺さんは自分から喧嘩売りに行く様な奴じゃないしなぁ……会社に頼って何とかしてもらうか」
「それが良かろう。なに、まだまだ発足したてで線引きも甘いのだろう。上からガツンと抑えられるのは時間の問題じゃよ」
「そんなもんか……」
「そんなもんじゃ、それとは別に『七四』……話がある」

 これ以上分からない闇狩りの話をしてもしょうがない、もっと別に蓮夜はナナシに話があった。

「ん? なんだ?」
「灯子の事だが、身請けをしたい」

 一応、蓮夜は灯子の事を真剣に考え……と言っても家政婦として真っ当に働くためにと言う意味でだが幻陽社に話は通しておきたかったと考えていた。
 放置されている以上、急ぐ話では無かろうと思っていた訳なのだが丁度良く『七四』と会えたのだからと用件を切り出しただけである。
 
 しかし、当の七四は眉根をぎゅぅぅぅぅっと寄せ。
 目頭を指でつまみながら……絞り出すように言葉を紡ぐ。

「……爺さん、歳を考えろよ」

 その言葉に蓮夜の表情がすぅぅぅっと消えていき、なぜか自然と右手が刀の柄に吸い込まれていった。

「おぬし、鬼籍に入る覚悟はあるんじゃな?」

 びっくりするくらい棒読みな声に、蓮夜自身が驚くほどだったが……焦ったのは七四の方。
 鬼に金棒、蓮夜に刃物と諺扱いまでされる相手の行動に、慌てて両手を上げて弁解を開始する。

「だってどう考えてもそういう目的じゃねぇのか!? 刀を抜くな! 腰を上げるな!!」
「ちがう、家政婦として働いてもらいたいのじゃ。お主が見つからなくとも時期を見て幻陽社に話を通すつもりじゃったのだが……生きていたしのう、東京7区担当、4番官のお主がな」

 蓮夜から自分の名について改めて言われると、ナナシは目を細めて一息長い溜息をつく。

「まったく……さっさとあいつに押し付けて引退してぇのに。ひでぇな爺さん」
「儂と違ってまだまだ若いんじゃ、苦労しろ」
「くっそ……金は?」
「言い値で払おう。どうせこのままだと使いきれん」
「羨ましい限りだ……良いぜ、連れて行きな。今この瞬間から灯子は自由の身だ……運がいいぜ全く」
「助かる」
「後は本人次第だな、それにしても一旦呼ぶか? どうせ竈に火が入ったばかりだろうし」

 高級住宅などに備えられているガスのコンロはまだまだ普及していない、土間に竈が標準装備されているこの時代。お湯を沸かすのも一手間かかるものである。
 怪我をしているナナシに待っておれ、と声を掛けて蓮夜は腰を上げて土間へと向かう……。

 しかし、居間から出る際に出会ったのは。

「おや? 爺さん、もう戻って来たのかい?」

 風呂敷に包んだ荷物を抱え、キョトンとした顔の女将だった。

「む? ああ、少々厄介事が起きてな……座布団の用意助かった」
「いやいや、そんな事は良いんだよ。厄介事って……まさかさっきの病院での騒ぎかい?」
「耳が早いのう、まあその通りじゃ」

 この辺の顔役だけあって女将にもさっきの騒ぎは耳に届いている。
 まさかねぇ、と思いつつも本人から肯定されては苦笑する他なかった。

「まったく、どこの馬鹿タレだろうねぇ。爺さん相手に喧嘩を売るなんて」
「何、若いんじゃし気も大きいのじゃろう。こんなものを持っていたからの」

 そう言って蓮夜は先ほど没収した拳銃を二丁、女将に手渡す。

「何だ……い? こいつは」
「拳銃と言うてな、ほれ警官が腰に下げておるものだ」
「じゅう!? じじじ、じいさん!! なんてもん渡すんだい!!」

 慌てた女将が荷物も拳銃もお手玉して取り落とすのを、蓮夜はのんびりと左足のつま先で銃を蹴り上げ手に戻す。荷物は左手でふんわりと受け取った。

「おお……すごいね爺さん。曲芸か大道芸で食っていけるんじゃないかい?」
「いやいや、儂には似合わぬ……っと。すまぬ、土間に灯子はおらなんだか?」

 話が脱線する前に灯子を呼ぼうと、女将に確認する。

「灯子って……あの金髪のお嬢ちゃんかい? 会ってないよ?」
「なに?」

 そんなはずはない、玄関から丸見えなのだ会っていない訳がない。
 蓮夜の背筋にひやりとした汗が一滴流れる。

「買い出しにでも出てるんじゃないのかい?」
「いや、茶を入れるために湯を沸かすと……」

 女将の脇をすり抜け玄関へ、土間へと進むと……竈の傍に数本のマッチ棒が転がっていた。
 蓮夜は目を凝らして地面を見ると……灯子の履物と思わしき大きさの足跡と……。

「やられた……」
「何だってんだい爺さん、慌てて」
「女将……すまぬがしばしこの場を空ける。居間にナナシと言う怪我をした青年がおる、そ奴をある所へと急ぎ送ってはくれまいか?」

 この辺りでは珍しい革靴と思われる大きな足跡が残っている事で、蓮夜は推測する。

「そ、そりゃあ良いけど……どうしたんだいおっかない顔じゃないか」
「うむ、灸を据えねばならぬ相手がおるのでな。まったく……」

 腕を組み、玄関の戸を出ると。
 塀の内側に……外から来るのではなく、家から出る時でないと気づかない。そんな場所に。

『月島にて待つ、一人で来られたし。他言無用、青い目が賭場の掛け金にされたくなければな』

 綺麗な紙を一枚、ナイフで打ち付けてあった。

「一人もいらぬ」

 ぐい、とそのナイフを無造作に引き抜き。

「一匹の鬼が行くからの」

 次の瞬間、女将は忽然と消えた蓮夜の姿に驚きつつも。
 頼まれた通りに居間へと向かうのだった。
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