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人の言葉は難しい
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それは大きな屋敷であった。否、『師匠』が言うにはそれは小屋であるらしい。
自身の身体と比較し、何百倍もあるその家は木造建築であるらしく、そんな小屋に入ってまず最初に、猫は冷水を浴びせられた。引越し初日早々にこれは酷いのではないだろうか。
「その汚い身体を洗いなさい」
「ち、べたい……」
「それを言うなら『冷たい』ですよ」
猫の毛が水を弾いてくれるおかげで言うほど冷たくはなかったものの、猫は『師匠』の行いに納得がいっていなかった。猫は『師匠』をじっと見つめる。睨み返してくる『師匠』は数秒後には何かに負けてようにため息をついた。
「……拭いてあげます、こちらに来なさい」
「やた……!」
「それを言うなら『やったー』……ではなくて、『ありがとうございます』でしょう?まずは共通語をちゃんと覚えなさい」
「むず……」
「なにを言うんですか『レイン』。人に覚えられて『魔術師』に覚えられないことはないのです」
身体をわしゃわしゃと毛布で拭かれながら、その猫、レインは自問自答していた。
「ひと……まじゅちゅし?」
人も魔術師もどちらも種族的に同じである。人は『人種族』であり、魔術師は『人種族の一部の人種』である。『師匠』曰く魔術師は職業であると、レインは猫に職業があるのかともう一度考えるが答えは何も変わらない。
「あーもう、焦ったいですね。そのぶりっ子のような噛み方どうにかならないのですか?その無駄に早い言語習得速度に免じて許しますが」
知らない単語、というよりも意味のわからない『鳴き声』をなにも知らないところから覚えるのはとてつもない苦労が必要であった。
数日前に『師匠』に連れられ、路地裏を脱してようやく飼われたかと思えば『師匠』はいきなり意味のわからない言葉を教え出した。当然なにをいっているのか分からないが、果物を指差しながら「りんごです、りんご」と言われ、「りんご?」と発するととても喜んだのを覚えている。
それが嬉しくて、色々と人の言葉を練習した。ただし、猫の声帯と口の関係上発音には難ありのようだ。だが、数日で大体の言葉の意味を理解できたのには理由がある。『師匠』による二十時間ぶっ通しの授業の賜物である。
「れんしゅ、がばる!」
「……頑張ってください、あなたにはまだまだ教え込むことがたくさんあるので」
「……がーん」
「擬音は発音しないこと」
『師匠』は女性だった。小柄な体格と丸みを帯びた身体つき、そのことを指摘すると「猫のくせにうるさいです」と言われた。代わりに羽織っているローブについて問うと、『師匠』の機嫌は途端に良くなった。
「これはいずれあなたが羽織るものです」
魔術師のローブ、魔術という摩訶不思議な技を身につけたものに贈られる特別な物であり、自身の階級と実力を示すと同時に、職を意味する。
猫の身体的に羽織るのは難しいのではないかとも考えたが、サイズは変更可能とのことだったので、レインは自分が『師匠』が羽織っているローブを身につけているところを想像して、ちょっと嬉しくなる。
「どすれば、はおれる?」
「これのことですか?」
『師匠』はローブに視線を落とす。
「そんなの簡単です、魔術を一発打てればいいです」
「まじゅちゅ」
「魔術です。見ていなさい」
正面を見据える『師匠』。手のひらを前にかざし、不思議と何かが収束しているような幻視を見た気がした。その幻視はある意味で正しかったというように、なにもなかったはずの空間から忽然と昼間の太陽のように暑くギラギラと燃え盛る炎が生まれた。
『師匠』が手をクロスさせ、手のひらを握ると正面から無数の火の玉が出現する。炎は『師匠』の腕の動きに従って動き出し、次第に魔術陣を描いた。あまりに幾何学的でありながら、不安定な炎のゆらめきが、レインの目の中にあまりにも美しいものとして描写される。
これが魔術であり、これが魔術師なのだと。こんなことができればいいな、とレインは目指す道を見つけた。
「この魔術は、あなたには使えません」
……その2秒後には、その道は閉ざされた。
「ただし、あなたには才能があります」
顔を上げると、『師匠』は制御を片手に移行し再びもう片方の手で何かを収束させる。次に生まれたのはどこまでも青くどこまでも全てを飲み込みそうな水であった。水は『師匠』の手の上で不安定に動き回っていたが、『師匠』が両手を合わせて合掌をすると炎の魔術陣を飲み込むように水は薄い膜のように広がっていった。
そして、合掌の状態から右手を前に倒す。すると、水はその炎を完全に飲み込むと同時に消滅した。
「あなたは『水』の才能がある。だから私は半年前、あなたと出会った時『レイン』という名を与えたのです」
「レイン……」
「レイン、まずは言葉を覚えなさい。言葉を覚えた暁には、この私、〈虹の魔女〉自らお前に手ほどきを加えて差し上げましょう」
その時のレインには、その言葉があまりにも魅力的に聞こえた。
この時、人類史に初めて『猫の魔術師』が誕生した瞬間であった。
自身の身体と比較し、何百倍もあるその家は木造建築であるらしく、そんな小屋に入ってまず最初に、猫は冷水を浴びせられた。引越し初日早々にこれは酷いのではないだろうか。
「その汚い身体を洗いなさい」
「ち、べたい……」
「それを言うなら『冷たい』ですよ」
猫の毛が水を弾いてくれるおかげで言うほど冷たくはなかったものの、猫は『師匠』の行いに納得がいっていなかった。猫は『師匠』をじっと見つめる。睨み返してくる『師匠』は数秒後には何かに負けてようにため息をついた。
「……拭いてあげます、こちらに来なさい」
「やた……!」
「それを言うなら『やったー』……ではなくて、『ありがとうございます』でしょう?まずは共通語をちゃんと覚えなさい」
「むず……」
「なにを言うんですか『レイン』。人に覚えられて『魔術師』に覚えられないことはないのです」
身体をわしゃわしゃと毛布で拭かれながら、その猫、レインは自問自答していた。
「ひと……まじゅちゅし?」
人も魔術師もどちらも種族的に同じである。人は『人種族』であり、魔術師は『人種族の一部の人種』である。『師匠』曰く魔術師は職業であると、レインは猫に職業があるのかともう一度考えるが答えは何も変わらない。
「あーもう、焦ったいですね。そのぶりっ子のような噛み方どうにかならないのですか?その無駄に早い言語習得速度に免じて許しますが」
知らない単語、というよりも意味のわからない『鳴き声』をなにも知らないところから覚えるのはとてつもない苦労が必要であった。
数日前に『師匠』に連れられ、路地裏を脱してようやく飼われたかと思えば『師匠』はいきなり意味のわからない言葉を教え出した。当然なにをいっているのか分からないが、果物を指差しながら「りんごです、りんご」と言われ、「りんご?」と発するととても喜んだのを覚えている。
それが嬉しくて、色々と人の言葉を練習した。ただし、猫の声帯と口の関係上発音には難ありのようだ。だが、数日で大体の言葉の意味を理解できたのには理由がある。『師匠』による二十時間ぶっ通しの授業の賜物である。
「れんしゅ、がばる!」
「……頑張ってください、あなたにはまだまだ教え込むことがたくさんあるので」
「……がーん」
「擬音は発音しないこと」
『師匠』は女性だった。小柄な体格と丸みを帯びた身体つき、そのことを指摘すると「猫のくせにうるさいです」と言われた。代わりに羽織っているローブについて問うと、『師匠』の機嫌は途端に良くなった。
「これはいずれあなたが羽織るものです」
魔術師のローブ、魔術という摩訶不思議な技を身につけたものに贈られる特別な物であり、自身の階級と実力を示すと同時に、職を意味する。
猫の身体的に羽織るのは難しいのではないかとも考えたが、サイズは変更可能とのことだったので、レインは自分が『師匠』が羽織っているローブを身につけているところを想像して、ちょっと嬉しくなる。
「どすれば、はおれる?」
「これのことですか?」
『師匠』はローブに視線を落とす。
「そんなの簡単です、魔術を一発打てればいいです」
「まじゅちゅ」
「魔術です。見ていなさい」
正面を見据える『師匠』。手のひらを前にかざし、不思議と何かが収束しているような幻視を見た気がした。その幻視はある意味で正しかったというように、なにもなかったはずの空間から忽然と昼間の太陽のように暑くギラギラと燃え盛る炎が生まれた。
『師匠』が手をクロスさせ、手のひらを握ると正面から無数の火の玉が出現する。炎は『師匠』の腕の動きに従って動き出し、次第に魔術陣を描いた。あまりに幾何学的でありながら、不安定な炎のゆらめきが、レインの目の中にあまりにも美しいものとして描写される。
これが魔術であり、これが魔術師なのだと。こんなことができればいいな、とレインは目指す道を見つけた。
「この魔術は、あなたには使えません」
……その2秒後には、その道は閉ざされた。
「ただし、あなたには才能があります」
顔を上げると、『師匠』は制御を片手に移行し再びもう片方の手で何かを収束させる。次に生まれたのはどこまでも青くどこまでも全てを飲み込みそうな水であった。水は『師匠』の手の上で不安定に動き回っていたが、『師匠』が両手を合わせて合掌をすると炎の魔術陣を飲み込むように水は薄い膜のように広がっていった。
そして、合掌の状態から右手を前に倒す。すると、水はその炎を完全に飲み込むと同時に消滅した。
「あなたは『水』の才能がある。だから私は半年前、あなたと出会った時『レイン』という名を与えたのです」
「レイン……」
「レイン、まずは言葉を覚えなさい。言葉を覚えた暁には、この私、〈虹の魔女〉自らお前に手ほどきを加えて差し上げましょう」
その時のレインには、その言葉があまりにも魅力的に聞こえた。
この時、人類史に初めて『猫の魔術師』が誕生した瞬間であった。
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