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行ってらっしゃい

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「ターニャ!」

「……………」

 呼びかけに応じることはない。
 無言でただ、私に向かって拳を振り下ろす。

 そう簡単に当たるまいと、私も必死で避ける。
 必死で……とか言ってるが本音を言えば、避けるだけならば可能だ。

 だがしかし、ターニャを止めるとなると、難しくなる。
 オリビアの時もそうだが、私は友達を殴ることが出来ない。

 それが当たり前で、それがこの状況で一番厄介だった。

(どうにかして、止めなくちゃ!)

 気絶させるのは最終手段。
 オリビアの時と同じように呼びかけるのみ、だ。

「ターニャ!お願い、話を聞いて!」

「……………」

 彼女が体をひらりと動かすたびに着物の裾が揺れ優雅に見えた。
 それが、私の焦りを加速させる。

「何をしている!早く仕留めないか!」

 侯爵の騒がしい声が聞こえる。
 ターニャが私を早く捕えなければ、きっと侯爵によからぬことをされるのだろう。

 着物の中がちらりと見え、きれいな肌色……ではなく、ところどころ青くなっている肌が見えた。

 それは暴行を受けている証拠でもあり、彼女がなにかで失敗すると殴られるのだろう。

 なんとなく予想はしていたこと。

 つまり、侯爵の機嫌次第によって、またターニャが苦しむ羽目になる。
 私がさっさと捕まらなければ、機嫌を損ねてターニャがまた暴行を受けるかもしれない。

 そんなのはだめだ。

 だからと言って、それを止めるために私が殴る?
 心苦しい。

 みんな、悲しまないように、みんな、笑顔でいられるように頑張ってきたつもりだけど、やはりいざこうなると、思考がうまく回らない。

「お願いターニャ!目を覚まして!」

「とっくに目は覚めてるよ!」

「!?」

 初めて彼女の瞳に感情らしい思いが浮かんだ。
 だが、悲しいかな。

 それは怒りの目だった。

(とっくに目は覚めてる?どういう意味かしら?)

 目が覚めているのに、なぜ侯爵側についている?
 もともと私が気に食わなかった?

 負の感情が私を支配しようとする。

 《私に任せなさい。あなたを守ってあげるわ》

 そんな負の感情の塊ともいえる、前世の、『悪役令嬢』の私が耳元でささやいている、そんな気がする。

 奴隷の首輪がされているわけでもないし、奴隷の紋章が刻んであるわけでもない。

 てことは、何か事情が?

「一回落ち着いて!」

「おいらは至って冷静だ!ベアトリスこそ冷静になって!」

 私が冷静に?

 何を言っているのか、理解できない?
 私が間違っていたのか?

 いや、少なくとも絶対ではない。
 じゃあ、なんで?

「おいらは……おいらの家族は、こいつに殺されたんだ!」

 恨みがましく、侯爵のほうを向く。

「じゃあなんで……」

「それぐらい自分で考えろ!」

 再び始まる猛攻。
 家族を殺された。

 その気持ちも私は知っている。
 思えば、私はいろいろなことを経験してきた。

 つらい経験で言えば、家族が目の前で死んだこと、信じていた……愛していた人に裏切られたこと、そして、死んだことなど。

 死んだ経験も目の前で親しい人の死を見ることも経験した。

 彼女の目は、私と同じくらい濁っているのに気が付いた。

(もしかして、ターニャも?)

 目の前で、殺されたのか?
 いや、そしたら精神が壊れてたりしてもおかしくないよね。

 でも、それに近しい経験をしたのだろう。

「……………」

「おいらは、おいらの意思でここに立ってるんだ」

「!?」

 その時、ようやく気付いた。
 彼女の真意に。

 だから、私は迷いを捨て去ることが出来た。

「ふん!」

 思いっきり、彼女の顔を殴る。

「な!?」

 驚いた様子の侯爵。

「悪いわね、ターニャ」

「……………」

「あなたにどんな理由があろうと、私は最後まで首を突っ込むわ」

「!」

「だって、私たち友達でしょ?」

 笑顔で彼女に手を差し伸べる。
 尻もちをついた彼女はそれを呆然と見つめていた。

 そう

「怖かったんだよね」

「……………」

 家族を殺され、暴行を加えられ、人形のような扱いを数年、場合によっては十年近く受けてきたのだろう。

(まだ子供のターニャにはつらすぎることだったのね)

 私よりも少しだけ歳をとっていると思われるターニャ。
 猫獣人の時よりも、少し背が伸びていて、成人していてもおかしくないほどに高い。

 だが、それでも私の精神年齢には及ばないだろうな。

 前世も合わせれば、三十年近い人生を歩んでいる私。
 初めて受けたつらい経験も、大人になってからだった。

 その前からも、周囲から虐げられるという、己のせいながらも、そこそこつらい経験をしてきた。

 だから、耐えられた。
 ターニャはどうだろう?

 生い立ちについては知らないけど、四歳くらい(多分)の若い年齢で、大きなトラウマを植え付けられ、「お前は俺の奴隷になれ」と言われて、「いいえ」といえるだろうか?

 言えない。

 答えは簡単なのだ。
 知的生物はみな、感情の生き物。

 怖いと感じれば、行動に移すこともできない。
 そういう生き物だ。

「大丈夫」

 私は手を引っ込めて、代わりにこの体で彼女を包み込む。

「私は何をされようとあなたの味方よ」

「ベアトリス……」

 ターニャは私を抱きしめ返す。

 どうやら私の選択は間違っていなかったようだ。

 少しの沈黙の後、

「何をしている!早く殺せ!」

 空気を読めない侯爵がわめき始める。
 彼もまた呆然としていて、理解が出来なかったのだろう。

「うっさいわね、ちょっと黙ってくれる?」

「な!貴様……!」

「『破音サウンドブレイク』」

 私のかざした手から、魔力の波動が流れ出す。
 それは、空気に干渉し、それを揺らす魔法だった。

 もちろん、向ける方向は侯爵。
 範囲を絞ることはできない。

 なので、できるだけ、侯爵の顔面を狙い、伯爵の娘さんの耳ぎりぎりの位置で魔法を行使する。

「があああぁぁぁ!」

 獣人の耳は敏感だ。
 そこを破壊してしまえば、とんでもない苦痛が襲ってくるに違いない。

 娘さんはというと、「いた!」っと、耳をさすっている。
 少しかすってしまったようだ。

 ごめん。

「き、貴様ー!」

「しぶといわね」

 ターニャを抱きしめた状態での魔法の行使は容易。
 だが、さすがにそれだけで気絶はしなかった。

「そこまでです」

「誰だ!?」

 そう思っていた時、侯爵の後ろからそんな声が聞こえた。
 暗がりの階段から降りてきた人物、それは、

「メイドさん!?」

 私に話しかけてくれた個々の屋敷のメイドさんだった。

「貴様!なぜここに!」

「黙れ下種が」

 そう言って、素早い動きで、侯爵の一撃を食らわせる。
 顔面を強打し、鼻が折れたようだ。

 痛そうに抑えて、うずくまってしまった。

「メイドさんがどうしてここに……」

「私は、『隠密』。その立場ゆえに誰にもばれるわけにはまいりませんでした」

「!?」

 そう言って、今日二度目のとなる、変身魔法の解除を見た。

「人族!?」

「東の島国『日ノ本』の国が『隠密』の一人にございます」

 ドロンという効果音が似合いそうな勢いで、煙が立ち、その姿があらわになる。

 ターニャと同じ着物を身に着けて、しかして、動きやすいようにところどころ丈が短く、色気も感じさせた。

「この者の身柄は依頼主、伯爵の元まで連行させていただきます」

「どうしてここが……」

「あなた様の魔法でございます」

「私の?」

「音が聞こえたもので、した方向に向かったところ、私が発見した隠し扉が開いていたので」

 理解。
 開けっ放しとは、侯爵も最後の最後で詰めが甘かったな。

 閉めたとしても、隠密さんがすぐに開けちゃっただろうけどね。

「あのー」

「ん?どうしたの?」

 今まで抱き着いたままだったターニャが口を開く。
 猫獣人の時の元気はつらつさと、今の妖艶な雰囲気がいい具合にマッチしているその姿で、照れたように言った。

「そろそろ離してもらえますか?」

「ああ!ごめん!」

 もじもじしていた彼女を放すと、ようやくすべて終わったというような清々しい表情をしていた。

「ねえ」

「なあに、ベアトリス?」

「私のしたこと、間違ってないよね?」

 不安だった。
 これで、侯爵の関連する事件は終わったはずだが、それでターニャは幸せなのか?

「うん、ありがとうベアトリス!」

 にしし、と笑う彼女の顔には、こないだまでの元気さが戻っていた。
 それに安心した私は、ひとまず、この部屋を出ようとしたとき、

「今度は誰よ……」

 次に感じた気配は、転移によるものだった。

(転移を使えるってことは、相当な腕前よね……って!この気配は!)

 戦闘態勢をとろうとしたが、それを解除して、目の前に現れた女性を見る。

「フォーマ。どうしたの?人前に姿を見せないってやくそ……」

「早く来て」

「え?」

「公爵領、危ない。だから!」

 珍しく切羽詰まったような表情をしているフォーマ。

「そんなにヤバいことが起きてるの?」

 無言でコクコクうなずく。

「教えてくれてありがとうフォーマ」

「ん。私は他にも行く予定の場所があるから」

「わかったわ。先に帰る」

 そう言ってフォーマは再び転移していった。

「転移とは、これまた面妖な……」というつぶやきが隠密さんの口から聞こえたけど、今は気にしない。

「行ってきなよ」

「?」

「おいらは平気さ!だから、早く行ってきな」

 私の考えって案外ばれやすかったりする?
 ターニャを心配していたが、それは杞憂だったようだ。

「一人で大丈夫?」

「うん」

 そう返事をされ、安心した。

「じゃあ、行ってきます」

「行ってらっしゃい」
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