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第11章 今という価値とは
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奔放な好々爺との邂逅を終え、通路を歩くハル。
元来た道をなんとなく戻るも、まるで行く宛がないことに気付く。
ガラス壁越しに見る荒野の光景は実に代わり映えがなく、すでに見飽きてしまった。
当分はモノクロームへ赴く予定はないと聞いている。
今回持ち帰った内容を軍の上層部に伝達し、その判断を仰ぐらしい。
大組織ならではの煩わしさというやつで、なににつけても承認だの、認可だのが必要になるのだろう。
この基地に滞在する隊員達は、いったいどのように日々を過ごすのだろうか。
当たり前だが、こんなところにショップもなければ映画館も、アミューズメントパークもない。
となれば、もはや自室にこもってネットワークの世界に没頭することくらいしか、選択肢としては存在しないのかもしれない。
だが、ハルに与えられている一室は捕虜が使うような簡易的なものであるから、そんな娯楽に流用できるものがあるはずもなかった。
なんとも中途半端だ――おそらくリノアやドクが申請してくれたからこそ、こうしてある程度の自由を獲得しているのだろうが、とはいえ大手を振って信用しているわけでもないから、それなりに制約は存在する。
そのどっちつかずの状態が、ただ基地内の通路をうろうろするしかない、という状況にハルを追い込んでいた。
部屋で寝るかとも考えたが、自室に帰るのも一苦労である。
基地内は似たような通路が続くため、いきなり放り出されたハルには難解な迷路のようだ。
そういった意味では、ここもあの白黒の街も大差ないのだろう。
記憶を失ったハルにとっては、この世界全てが霧に包まれた迷宮と同じだ。
ため息が漏れる。どうにも、これが自身の癖だったらしい。
すれ違う隊員は皆、ハルの姿に驚き、明らかに警戒した眼差しで遠のいていく。
圧倒的なアウェーの空気を察し、自室までの道を問いかけることすらできずにいた。
とぼとぼと歩くハルの背後から、誰かが駆けてくる音が聞こえる。
振り向くのも億劫で、すれ違いざまになにがあろうとも気にしない心構えでいた。
だが、体に伝わった衝撃にとても無視などできない。
なぜか尻を思い切り叩かれ、転びそうになってしまう。
パァンという痛快な音が通路に鳴り響いた。
「うわっ―――つ!?」
「うーす、ハルー! 元気ぃ?」
尻を押さえたまま振り返ると、そこには見覚えのあるつば付き帽の女性隊員が立っていた。
痛みに中腰になるハルを見て、ケラケラと彼女は笑う。
「ジャストミートだったなぁ、いったそー。ハル真っ白だから、お尻に手形できてんじゃないか。あ、見せなくていいよ。だいじょぶだいじょぶ」
相変わらずこちらが一言も発していないのに、言いたいことを言いたいだけ喋る女性だ。
大きな犬歯が覗く笑みを浮かべ、DEUS特殊任務処理班の紅一点・ミオは問いかけてくる。
「ねえねえ、なにしてんの? どこ行くの?」
「い、いや、別に…行くあては特にないけど」
「え~、じゃあ一人でぶらぶらしてんの? 暇だよ、ここ。同じような部屋しかないもん。外見たって岩山のオンパレードで、これまたつまんない」
たじろぎながら、ハルは「はあ」という気の抜けた返事しかできない。
気楽に話すミオを、どうしても警戒してしまう。
あの夜に輸送機の中で襲われたことが、いまだに忘れられないのだ。
なにより、この掴みどころがまるでない奔放な女性が、野獣のようにヴォイドを駆逐する姿を見てしまっている。
ハル自身、己を安全な存在だとは言い切れない。
だが同様に、この女性も相当に危険な存在だと判断している。
ハルのそんな不信感はどこ吹く風で、ミオはぐいぐいと距離を詰めてきた。
「あたしねえ、これからお昼ご飯に行くんだぁ。ハルはもう済ませたの?」
「昼飯ぃ? いや、まだだけど…」
時刻は正午を過ぎようとしている。
ここに来てから口にしたものなど、簡易的な食事しかない。
あくまで捕虜扱いであったハルにとっては、粘土のような携帯食料が出るだけでも好待遇なのだろう。
そう考えた途端、妙に腹が減ってくる。
確かに昼食のことなど、気にもしなかった。
クゥと微かに音を立てる腹部を、堪らず押さえる。
ミオは相変わらず、にやにやと笑っていた。
「そっかぁ、じゃあちょうど良いや。一緒に行こぉ」
「え…あ、一緒に?」
目を丸くするハルに、彼女は「そぉそぉ」と頷く。
妙な展開になってきた――ランチというのはまだ分かるが、それをよりによってこの狂犬のような女性と一緒に取るなど、まるでイメージできない。
「ハル、場所分かんないでしょ? あたしと会えたのは運が良いよ。まぁ、ハルは真っ白だから、遠くで見ても一発で分かったんだけどさぁ」
目を丸くして固まるハルに構わず、ミオはニコニコと笑ったまま踵を返す。
金色の三つ編みがブンと勢いよく揺れた。
「お腹減って良いことなんてひとっつもないよ、イライラするだけ~。良く食べて良く寝ないと、人間、大きくなれないんだからさぁ」
つかつかと歩き出すミオの背中を見つめたまま、しばらくハルは身動きが取れずにいた。
自由奔放というか、わがままというか、彼女の徹底したマイペースさに相も変わらず振り回されっぱなしだ。
腰のホルスターに収められた、二つの斧を見つめてしまう。
もはやこの女性が、いつ、どこで、なにをきっかけにあれを引き抜くか分からない。
冷や汗を浮かべるハルに、ミオはなおも促した。
「ほらぁ、早く~。迷子になっちゃうよぉ」
嬉しそうな表情に、ハルは引きつった笑みしか返せない。
真意や思惑などまるで分からないが、なんとなくその笑顔に逆らうことは得策ではないと、本能が察していた。
ミオについていく形で、すぐに食堂へとたどり着く。
開け放たれた大きな部屋は壁面と一部天井の防護壁が展開しており、強化ガラスが陽の光を調整、保護して室内に注ぎ込んでいる。
開放的な空間を演出したいのだろう。
僻地の作戦施設にしては、なんだか妙に小洒落た作りだ。
時刻も時刻なだけに、テーブルには多くのDEUS隊員が集まり、ランチタイムを過ごしている。
辺境の地の基地だけに、食事もまた数少ない娯楽なのだろう。
戦闘服を身に纏う集団だけでなく、この基地に務める医療班や開発班、ナビゲーターや輸送機のパイロットなど、多種多様な顔が見受けられた。
その視線が、自動ドアをくぐるハルに一斉に向けられる。
毎度毎度、この「怪物扱い」には慣れることができないが、とことんうんざりした表情で突き返すようにしていた。
ミオはそそくさと、壁際に設置された電子パネルに向かう。
フードコンディショナーと書かれた画面には、料理の画像が敷き詰められている。
ミオはリストをスクロールし、流れる写真群を見つめてうっとりしていた。
「なににしよっかなぁ。チーズバーガーも良いな、ここの美味しいんだよ。あぁ、でもヌードルも良いよね。シーフード。あ、ピザしばらくいってないな、そういや。ジャンクなのも時々食べたくなるしなぁ」
なにやら嬉しそうに独り言を繰り返している。
さんざん悩んだ挙句「よしっ」と声を上げ、勢い良く画面を叩いた。
タッチすれば良いものの、バンバンと平手で押さえるようにして選択している。
ご利用、誠にありがとうございます。素敵なランチタイムを――そんな女性の人工音声が響いた後、横の壁がカシャリと音を立てて開いた。
その奥から、微かな熱気と共に出来上がったホカホカのカレーが出てくる。
あまりにも早い出来上がりにギョッとし、目を丸くするハル。
そんな彼に構わず、ミオは嬉しそうにトレイを受け取った。再び壁が元どおりに閉じてしまう。
「な、なんだこれ…便利なシステムだな…」
「んふふふふ、どーだ、良いでしょう? 今日は刺激的にカレー! しかも、エビフライ3本! まっ、これ超甘口だけど」
「あ、いや…そう…」
ミオが画面を叩いて、ものの3~4秒である。
どれだけ迅速に調理したとして、こんな早業が成し遂げられるものだろうか。
ミオはカレーの乗ったトレイを持ったまま、キョトンとしている。
「そんなに不思議なの? だって食材、『復元』してるだけでしょ。一瞬だよ一瞬」
「復元…調理してるんじゃないのか? 素材から」
「え、それはもしかしてクッキングってことを言ってる? ハルってそういう本格派だったり? 今時、そんな手間暇かけるの、高級シークレットウルトラ料理店じゃないとやんないよぉ」
ようやく素直に「へえ」と感嘆の声が漏れた。
なんだか自身が思い描いていた食堂という絵面とは随分違っている。
ハルも同様にパネルで選択すると、数秒でカレーが出てきた。
ミオのものとは違い、上に乗っているのはカリカリの衣のメンチカツだ。
ハルの手元の皿を見つめ、ミオが「おー」と声を上げていた。
「なんだぁ、ハルもカレーな気分だったんだ。メンチ良いなぁ。でもここの、衣が固くてばっりばりなんだよ。小枝みたいで歯茎に刺さりそう」
笑うミオに、引きつった笑みでなんとか返すハル。
ミオの言葉から察する限り、これは「調理された」というより、別の手法で「復元された」ものになるらしい。
引き続き、ミオに続いて席へと歩いていく。
彼女はすぐに同じチームの仲間達を見つけ、声を上げた。
「やっぱり皆、ここにいたんだぁ。うーす、うっすうっす」
がちゃりと荒々しくトレーを置き、席に着くミオ。
彼女のやかましい姿に、隣で食事を続けていた緑のスカーフの男性・ナッシュが嫌な顔をする。
「おい、静かに置けよな。見ろ、こっちにルーが飛んでるじゃあないか」
「あー、ごめんごめん。超ソーリー。ナッシュ、今日はどんなスペシャルメニューなの?」
かつて輸送機の中ですら食事をとっていたナッシュだが、彼の献立は他の隊員が食べている物に比べてやはり豪華だ。
ライスにサイコロステーキ、オニオンスープとビーツのサラダ。
デザートにラズベリーゼリー付きのヨーグルトまである。
相変わらず自前のナイフとフォークを使い、テキパキとそれを口に運んでいた。
特注品の刃は、すっと引いただけで油が溢れる赤肉を見事に切り裂く。
しかし、彼は少し気に入らなそうにハルに視線を向けた。
「だいたい、なんでそいつまでいるんだ? 君が連れてきたのかよ」
「うん。迷子になってたの。だから、一緒にご飯食べようと思って」
「勘弁してくれよ。まだ安全って分かったわけじゃないなら、食事は勾留室で取るべきだろう」
あからさまな敵意を向けられ、ハルも目を細める。
だが怒りが湧き上がる前に、ナッシュの対面に座っていた7、3分けの男性が苦笑した。
「まあまあ、良いじゃないですか。端末による監視は続けられていることですし、上からも現状、勾留する必要はないと言われています。ハルさんは前回の作戦で、リノア博士を救出してくださったこともありますから、少なくとも我々と敵対する関係性ではないでしょう」
キースはすでに食事を終え、マグに入った紅茶を飲んでいるところだった。
作戦でつけていたようなバイザーではなく、四角い銀縁眼鏡をつけている。
ナッシュとは対照的に、彼は実に穏やかな眼差しを向けていた。
「こちらにどうぞ。偶然ですが、実は僕らもハルさんとお話しがしたかったのです」
「俺なんかと? なんにも面白い話なんかできないぜ」
意外な言葉だったが、とにもかくにも席に着く。
ハルの対面に座るミオは、すでにカレーをガツガツとかきこんでいた。
口の周りに茶色いルーがこびりついている。
「いいねぇ、ハルのとっておきのギャグとか聞きたいなぁ。モノクローム流のなんか流行りのネタとかないの?」
「ミオ。話がややこしくなるから、まずは食べてろよ。あと、スプーンをブンブン振るなって。僕の皿にまで飛んでるだろう?」
隣に座るナッシュは、かすかに椅子をずらして距離をとった。
ミオが動くたびにカレーがあちこちに飛び散り、どんどん汚れていく。
食べ方が汚いというより、食べている時の姿が騒がしい。
その騒々しい姿にキースも困ったように笑う。
「ミオ、おでこにまで飛んでますよ、カレー。それに、ハルさんはモノクロームに住んでいたと決まったわけではないのですから。あっ、ハルさんも遠慮されずにどうぞ」
「お、おお…」
なんだか隊員達の勢いに気圧され、スプーンを持つことすらできずにいた。
軽く冷水で喉を潤し、湯気の立ち上るカレーを口に運ぶ。
茶色いルーに染み出した旨味の数々が、久々に激しく味覚を刺激した。
米の炊き具合も丁度良く、ルーの適度な粘り気がよく絡む。
見た目も味も食感も、至極まっとうなカレーライスだ。
先程の壁の向こうで、なにをどう「復元」しているのだろう。
不思議そうにルーの海を見つめるハルだったが、キースの言葉に我に返る。
「いまや、基地の中はハルさんの噂でもちきりなんですよ。ちょっとした有名人ですね」
「まぁ、こんな怪物が歩いてたら誰だって怖がるだろうよ」
「いえいえ、とんでもない。ヴォイドを生身で倒した『超人』だって、すごい反響なんです」
超人――そういえば身体能力を検査された際も、そんな単語を聞いた。
ハルの肉体機能は、どれも一般人のそれを遥かに凌駕している。
隊員達から見れば、まさに人を超えた存在と映るのだろう。
「いやぁ、ただ必死にやっただけだよ。だいたい、倒した数だったらあんたらの方が多いだろう。俺らを救い出したのだってあんたらだしさ」
「我々が倒したものは、どれも小型のヴォイドですからね。リノア博士から聞きましたが、ハルさん達が遭遇した個体は、相当巨大なものだったようじゃないですか」
ここで、カレーまみれのミオが少しだけ身を乗り出す。
彼女はエビフライの一本を咀嚼しながら、行儀悪く問いかけてきた。
「んあー、そうだそうだ。なんか牛みたいなバケモノだったんだってぇ?」
「お、おお。まぁ、すごい力だったよ。腕力だけで壁に大穴開けたり、俺もパンチだけで吹っ飛ばされたし」
これには、口元を拭きながらナッシュが「ふむ」と声を上げる。
「まるで『ミノタウロス』だな。大昔の神話に登場する怪物さ。迷宮に迷い込んだ旅人を食い殺す、ラビリンスの番人だよ」
「ミノタウロス…他のヴォイドはシンプルな動物の姿をしてたが、あいつだけ確かに特別だったな。人と牛のミックスって感じの」
「趣味の悪い街だ、まったく。いったい、どうしてあんなものがいるのかは謎だが、ついにはファンタジーの存在まで闊歩してるのか」
あの怪物達が、どういう目的であの場所にいるのかは分からない。
本能で行動しているように見えて、しかしどこか明確な目的があって侵入者を襲っているようにも思う。
ふっと、ハルの脳裏に黒い雄牛――ミノタウロスと呼ばれた怪物との記憶が蘇る。
民家の壁を砕き侵入してきた怪物は、ハルを打ち倒した後、こちらには目もくれずに「少女」に近付こうとしていた。
発砲したリノアを荒ぶる暴力で黙らせ、そしてなおも小さく、無力な存在に手を伸ばしたのである。
なぜあの子なんだ――思い返せば不自然なのだ。
あの時、怪物は確かにエリシオを捕まえようとしていた。
ここで、2本目のエビフライを噛みちぎりながらミオが笑う。
カラッと揚がった尻尾まで、奥歯でバリバリと砕いていた。
「かっこいいなぁ,ハルは! タウロスだかタウリンだか知らないけど、そんなバケモンからレディー二人を守ったんだからさぁ」
彼女だけ声がやたら大きいせいで、明らかに周囲のテーブルの人間達が聞き耳を立てている。
いや、冷静に見ればこの食堂に来てからというものの、大半の人間がこちらに意識を向けていた。
これに対し、静かにキースが分析する。
「そのエリシオという少女でしたっけ。ヴォイドや街はもちろんなのですが、そんな少女がいたということが実に不可思議ですよね。彼女が使ったという『ヒーリング能力』も興味深い」
「皆が撤退する時、やっぱりいなかったのか。あの子は」
「ええ。というより、妙なんです。あの時、我々はハルさんとリノア博士の生体反応を感知し、合流できたわけですが――あの少女の生体反応は、レーダーに記憶されていません」
ぎょっとし、カレーを喉に詰まらせかけてしまう。
慌てて冷水で流し込み、ため息混じりに問いかけた。
カリンッと氷が音を立てて回る
「記録されていない? それはつまり…あの子は死人ってことかよ」
「まぁ、さすがにああやって我々とコンタクトを取っていたのですから、それはないかと。ただ、それにしても不可解ではあります。そもそも、あんな子がどうやって街の中で生存し続けていたのかという謎は、解けないままですから」
キースの言葉に、ミオが「動く死人っていうとゾンビだ、ゾンビ」と妙な手つきで真似をするが、一同は苦笑でさらりと流す。
ナッシュはデザートをスプーンですくいながらも、眉間にしわを寄せていた。
「あの少女も記憶が抜け落ちていると言ったが、どうにも都合よく感じてしまうな。所々、思わせぶりな部分は覚えているというのに、ことごとく核心だけが見えてこない。まるで我々の好奇心を掻き立て、奥へ誘おうとしているみたいじゃあないか」
つまるところそれは、あのエリシオという少女もまた、幻影の街に巣食う「罠」の一つだということだろう。
なんだかその憶測に、ハルは無性に腹が立ってしまう。
それは、少女を怪物扱いしようとするナッシュに対する――もちろん、個人的な性格の不一致も多分に含めた――嫌悪感がゆえだ。
とはいえ、一瞬冷静にもなってしまう。
悔しいことに、まだエリシオという少女の素性が見えてこない以上、彼女を信頼して良いものか確信が持てない。
それはきっと、ハルの失われた記憶にも関連するのだろう。
気を絶する寸前に浮かび上がった、あの光景を思い返す。
確実にハルはエリシオと出会っていたのだ。
だが、一体なぜ自分は彼女と別れることになってしまったのだろう。
「エリシオが俺達をあの街に…だけど、あの子は俺をとにかく街から遠ざけようとしていたぜ。なんでも俺と街の管理者を引き合わせたくないんだとか」
「例の『魔王』だろ? なんともバカバカしい単語だ。古臭いRPGゲームじゃあるまいし」
この単語にまたミオが食いつく。
一足先にカレーを平らげたようで、エビフライの最後の一本が口元から尻尾を出している。
「RPGやったことないけど、あれっしょ。パーティっての組むんだよね、確か。んで、先頭のリーダーの後ろを、他のメンバーがついていくんだよ」
「また随分と古いモデルの話だな、それは。何十年も前の話さ。当時は勧善懲悪なストーリーがブームだったから、究極的な悪――世界を支配しようとする『魔王』を作って、プレイヤーの目の敵にさせたわけだ。それこそ僕に言わせればナンセンスだよ。なにがどう『悪』なのかも定義せず、倒す対象として仕立て上げて配置する。まさにおとぎ話だね」
いちいちなにかに突っかからないと、このナッシュという男性は会話ができないのだろうか。
ハルはいよいよ、彼の言葉一つ一つが「こういう奴なのか」と怒りを通り越し、興味深さすら覚え始めていた。
対してミオは実に奔放に、楽しそうに喋る。
「ちょうどここに四人いんじゃん。パーティ組めるよ、パーティ。私が戦士で、キースは援護ね。ナッシュはそうだな、魔法使いかな。んでんで、ハルはスーパーマン」
「おい、なんだその編成は。僕は魔法なんて不可思議なものに頼りたくないよ。もっとテクノロジーに秀でたものはないのか。それに職業分けもめちゃくちゃだろ。なんでスーパーマンなんてものが混在してるんだ」
「とりあえず私が突っ込むから、キースとナッシュがうまいことしてさ。んで、ハルは私の反対側を担当してれば問題ないでしょ」
「話を聞けよ! それに、もはや作戦ってレベルじゃないだろう、それ。ただのその場任せじゃないか。なんだよ、うまいことするって」
なんとも不思議なコンビである。
理屈臭く、聡明たがるナッシュに対し、頭を空っぽにして着の身着のままに振る舞うミオ。
でこぼこコンビにしても、二人の性格は天と地ほどの差がある。
だがそれでいて、やり取りは続いていくから奇妙である。
あっけにとられるハルの横で、キースが苦笑した。
「すみませんね、騒がしくて。いっつもこうなんです。あれでいてコンビプレーは絶妙ですから、案外相性は良いんでしょう」
「おい、キース。僕はこいつと相性が良いなんて思ったこと、一度もないからな。いっつも僕がサポートしてやってるんだ。勘違いしてもらっちゃ困るよ」
うんざりした表情のナッシュに、キースは「はいはい」と苦笑したまま返す。
なんだか妙に緊張の糸が緩み、再びハルもカレーを口に運び始める。
少し硬くなったライスも、独特の食感で嫌な感じはしない。
眼鏡を少し直し、キースが仕切り直す。
「まだ謎は点在していますが、それでもモノクロームを攻略する手がかりが増えたというのは明らかな事実です。少なくとも、あのエリシオという少女は、是が非でもまた出会いたいところ。きっとあの子が知り得ている事実が、あの街を――それにハルさんの記憶を紐解く鍵になると思っているんです」
「俺の記憶ねえ…いい加減こう、パッと戻ってくれないものかな。生きていけないわけじゃあないけど、イマイチ気持ち悪いぜ」
「お察しします。しかし、着実に前に進んでいると思いますよ。あくまで上の判断に委ねられますが、おそらく次はもっと本格的に、あの街の深部を探ることになるかと」
きっとそれが、彼ら「精鋭」に課せられる次の任務なのだろう。
それまではこうして基地の中で準備をしながら過ごしているのである。
対面からガリガリッという耳障りな音が響いた。
見れば、ミオが食べ終えたカレーの皿にスプーンを這わし、こびりついたルーをそぎ落として舐めている。
行儀の悪さに、またナッシュが顔をしかめていた。
「そーそー、焦ることないって。過去のことなんて、きっとすぐ分かるよ。それに、もし思い出せなかったとしても大したことないって」
なんともざっくりした言い回しに、肩の力が抜ける。
ハルもまた残っていたライスの塊を、がぶりと大口に放り込んだ。
最後のスパイスを堪能していたが、ミオの一言に微かに口が止まってしまう。
「だいたい『今』があるんだから、人間なんてそれで良いじゃんか。昔に何があったかは気になるだろうけど、それが分かったからなんか変わるかって、そんなことないよ。だって全部終わったことで、戻れやしないんだもん。昔に引きずられすぎるなんて、もったいないもったいない」
ともすればそれは子供っぽく純粋な、なんの理論も持たない言葉だった。
だがしかし、ハルは咀嚼しながらも妙に考えてしまう。
今、か――――ハルがあの街に探し求めているのは、間違いなく空白になった「過去」だ。
過去とは己の積み重ねであり、自身が歩んできた時間の集合体。すなわち「歴史」に他ならない。
いわばそれは、ハルという人間の「今」につながる土台であり、道である。
なぜここにいるのか、なぜこんな姿になったのか、なぜこんな力を持つのか。
それらは全て、土台さえ分かれば「理由」が見えてくるはずだ。
そういった信念はなにも変わらない。
変わらないはずだが、何故だか妙にミオの一言に考えてしまう。
過去に価値があるように、今にだってやはり価値があるのか―――カレーを食べ終え、コップの水を飲み干す。
少しぬるくなったそれもまた、まごうことなくハルの体験している「今」に他ならない。
当初よりも随分と警戒心を解き、談笑を続けるハルとDEUS隊員達。
食堂にやってきた女性がその群れを見つけ、歩み寄って声をかけた。
「ハル、ここにいたのね。まさかDEUSのスペシャリスト達と一緒だとは思わなかったわ」
緋色の髪を持つ女史・リノアは、相変わらず凛とした眼差しで笑っている。
彼女はDEUSの面々と軽やかに挨拶を交わした。
「ドクには無事会えた? あなたの端末が仮登録だったって後から気づいたのよ。コールが届かないから、色んな人に聞いて、目撃情報を辿ってきたってわけ」
「そうだったのか。悪い、なんだか手間を取らせたみたいだな」
「いいえ、全然! あなた目立つから、手がかりも多くて助かったわよ。あら、お昼はカレーだったのね。ここの美味しいでしょう? 私も任務で来るたびに、いっつもそれ頼んじゃうのよねぇ」
どうやら、この味のリピーターは思いの外多いようだ。
ミオが「ぐふぅ」と隠す気もなくげっぷするも、リノアはたじろがず続けた。
「実はあれからベネットとすれ違ったんだけど、また午後にも色々と聞きたいらしいのよ。だから、あなたを連れてきてほしいって」
「えぇ、またやんのかよ? これ以上、なにが気になるってんだ…」
落胆するハルを見て、リノアもたまらず苦笑する。
「まあまあ。確かに面倒でしょうけど、彼も基地の最高責任者としての仕事があるからね。DEUS本部への納得のいく報告書を作りたいのよ」
「良い迷惑だよ。まぁ、逆らっても仕方ねえか。分かったよ、すぐ行く」
その言葉を最後に、ハルは席から立ち上がる。
食器を片付けようとする彼に、ミオが大きな声で笑顔のまま告げた。
「まったねー、ハルー!」
「あ、ああ。また…」
最後の最後まで、彼女の感情についていけない。
本当に数日前、自分目掛けて斧を振り回していた人物と、同じ人間なのだろうか。
キースも軽く手を振り、ナッシュは黙って口元を拭いている。
食器をそそくさと片付け、ハルはリノアと共に食堂を後にした。
道すがら、リノアにおもむろに問いかけてみる。
「便利なもんもあるんだな。あんな早く料理が出来上がるなんて、初めて見たよ」
「あら、そう? フードコンディショナーについては、記憶が抜けちゃってるのかしらね」
妙な返答に首をかしげてしまう。リノアは手早く説明してくれた。
「人件費や食料品の希少価値が上がったせいで、今は大体どこもあのシステムを導入してるのよ。食材を分解することで保存や持ち運びも簡単だし、復元技術が進化したことで、味もあの通り」
「なんだか飯一つとっても、ハイテクなんだな。原理だの、理屈だのさっぱりだよ。あれじゃあまるで『魔法』だ」
「テクノロジーって、まさにそうなのかもね。『理』を『解って』いれば全て決まったロジックの組み合わせだけど、知らない人にとってはまさに『魔法』――裏で妖精が作ってくれてるって言っても、もしかしたら信じてくれるかも?」
白い歯を見せニコッと笑うリノア。対して、ハルは肩の力が抜けてしまう。
きっと、それくらいの違いなのかもしれない。
不思議なことなんて、全てそう――対峙する誰かが、その本質を知らないだけなのだ。
きっとあの街も、あそこにある理由がある。
怪物も、あの少女も。
そして他ならぬ、その奥にいる「魔王」とやらも。
これからハル達は、それらが世界に存在する「理由」を知りに行くのだ。
失っている「過去」を知り、確かな「今」へと続けるため。
歩きながら、シャツの中にしまわれていたあのドッグタグを久々に取り出してみる。
銀色に鈍く光るそれに、変わらず自身の名が刻まれていた。
いつになったら、お前に出会えるんだろうな――まだ出会えぬ本当の自分に、ため息が漏れる。
果てしない旅路に想いを馳せつつも、ハルはとにかくまた、あの尋問室を目指して歩いた。
満腹になった今でもなお、口の中にはあの素朴な、それでいて不思議な力で作られたカレーの味が色濃く残っている。
元来た道をなんとなく戻るも、まるで行く宛がないことに気付く。
ガラス壁越しに見る荒野の光景は実に代わり映えがなく、すでに見飽きてしまった。
当分はモノクロームへ赴く予定はないと聞いている。
今回持ち帰った内容を軍の上層部に伝達し、その判断を仰ぐらしい。
大組織ならではの煩わしさというやつで、なににつけても承認だの、認可だのが必要になるのだろう。
この基地に滞在する隊員達は、いったいどのように日々を過ごすのだろうか。
当たり前だが、こんなところにショップもなければ映画館も、アミューズメントパークもない。
となれば、もはや自室にこもってネットワークの世界に没頭することくらいしか、選択肢としては存在しないのかもしれない。
だが、ハルに与えられている一室は捕虜が使うような簡易的なものであるから、そんな娯楽に流用できるものがあるはずもなかった。
なんとも中途半端だ――おそらくリノアやドクが申請してくれたからこそ、こうしてある程度の自由を獲得しているのだろうが、とはいえ大手を振って信用しているわけでもないから、それなりに制約は存在する。
そのどっちつかずの状態が、ただ基地内の通路をうろうろするしかない、という状況にハルを追い込んでいた。
部屋で寝るかとも考えたが、自室に帰るのも一苦労である。
基地内は似たような通路が続くため、いきなり放り出されたハルには難解な迷路のようだ。
そういった意味では、ここもあの白黒の街も大差ないのだろう。
記憶を失ったハルにとっては、この世界全てが霧に包まれた迷宮と同じだ。
ため息が漏れる。どうにも、これが自身の癖だったらしい。
すれ違う隊員は皆、ハルの姿に驚き、明らかに警戒した眼差しで遠のいていく。
圧倒的なアウェーの空気を察し、自室までの道を問いかけることすらできずにいた。
とぼとぼと歩くハルの背後から、誰かが駆けてくる音が聞こえる。
振り向くのも億劫で、すれ違いざまになにがあろうとも気にしない心構えでいた。
だが、体に伝わった衝撃にとても無視などできない。
なぜか尻を思い切り叩かれ、転びそうになってしまう。
パァンという痛快な音が通路に鳴り響いた。
「うわっ―――つ!?」
「うーす、ハルー! 元気ぃ?」
尻を押さえたまま振り返ると、そこには見覚えのあるつば付き帽の女性隊員が立っていた。
痛みに中腰になるハルを見て、ケラケラと彼女は笑う。
「ジャストミートだったなぁ、いったそー。ハル真っ白だから、お尻に手形できてんじゃないか。あ、見せなくていいよ。だいじょぶだいじょぶ」
相変わらずこちらが一言も発していないのに、言いたいことを言いたいだけ喋る女性だ。
大きな犬歯が覗く笑みを浮かべ、DEUS特殊任務処理班の紅一点・ミオは問いかけてくる。
「ねえねえ、なにしてんの? どこ行くの?」
「い、いや、別に…行くあては特にないけど」
「え~、じゃあ一人でぶらぶらしてんの? 暇だよ、ここ。同じような部屋しかないもん。外見たって岩山のオンパレードで、これまたつまんない」
たじろぎながら、ハルは「はあ」という気の抜けた返事しかできない。
気楽に話すミオを、どうしても警戒してしまう。
あの夜に輸送機の中で襲われたことが、いまだに忘れられないのだ。
なにより、この掴みどころがまるでない奔放な女性が、野獣のようにヴォイドを駆逐する姿を見てしまっている。
ハル自身、己を安全な存在だとは言い切れない。
だが同様に、この女性も相当に危険な存在だと判断している。
ハルのそんな不信感はどこ吹く風で、ミオはぐいぐいと距離を詰めてきた。
「あたしねえ、これからお昼ご飯に行くんだぁ。ハルはもう済ませたの?」
「昼飯ぃ? いや、まだだけど…」
時刻は正午を過ぎようとしている。
ここに来てから口にしたものなど、簡易的な食事しかない。
あくまで捕虜扱いであったハルにとっては、粘土のような携帯食料が出るだけでも好待遇なのだろう。
そう考えた途端、妙に腹が減ってくる。
確かに昼食のことなど、気にもしなかった。
クゥと微かに音を立てる腹部を、堪らず押さえる。
ミオは相変わらず、にやにやと笑っていた。
「そっかぁ、じゃあちょうど良いや。一緒に行こぉ」
「え…あ、一緒に?」
目を丸くするハルに、彼女は「そぉそぉ」と頷く。
妙な展開になってきた――ランチというのはまだ分かるが、それをよりによってこの狂犬のような女性と一緒に取るなど、まるでイメージできない。
「ハル、場所分かんないでしょ? あたしと会えたのは運が良いよ。まぁ、ハルは真っ白だから、遠くで見ても一発で分かったんだけどさぁ」
目を丸くして固まるハルに構わず、ミオはニコニコと笑ったまま踵を返す。
金色の三つ編みがブンと勢いよく揺れた。
「お腹減って良いことなんてひとっつもないよ、イライラするだけ~。良く食べて良く寝ないと、人間、大きくなれないんだからさぁ」
つかつかと歩き出すミオの背中を見つめたまま、しばらくハルは身動きが取れずにいた。
自由奔放というか、わがままというか、彼女の徹底したマイペースさに相も変わらず振り回されっぱなしだ。
腰のホルスターに収められた、二つの斧を見つめてしまう。
もはやこの女性が、いつ、どこで、なにをきっかけにあれを引き抜くか分からない。
冷や汗を浮かべるハルに、ミオはなおも促した。
「ほらぁ、早く~。迷子になっちゃうよぉ」
嬉しそうな表情に、ハルは引きつった笑みしか返せない。
真意や思惑などまるで分からないが、なんとなくその笑顔に逆らうことは得策ではないと、本能が察していた。
ミオについていく形で、すぐに食堂へとたどり着く。
開け放たれた大きな部屋は壁面と一部天井の防護壁が展開しており、強化ガラスが陽の光を調整、保護して室内に注ぎ込んでいる。
開放的な空間を演出したいのだろう。
僻地の作戦施設にしては、なんだか妙に小洒落た作りだ。
時刻も時刻なだけに、テーブルには多くのDEUS隊員が集まり、ランチタイムを過ごしている。
辺境の地の基地だけに、食事もまた数少ない娯楽なのだろう。
戦闘服を身に纏う集団だけでなく、この基地に務める医療班や開発班、ナビゲーターや輸送機のパイロットなど、多種多様な顔が見受けられた。
その視線が、自動ドアをくぐるハルに一斉に向けられる。
毎度毎度、この「怪物扱い」には慣れることができないが、とことんうんざりした表情で突き返すようにしていた。
ミオはそそくさと、壁際に設置された電子パネルに向かう。
フードコンディショナーと書かれた画面には、料理の画像が敷き詰められている。
ミオはリストをスクロールし、流れる写真群を見つめてうっとりしていた。
「なににしよっかなぁ。チーズバーガーも良いな、ここの美味しいんだよ。あぁ、でもヌードルも良いよね。シーフード。あ、ピザしばらくいってないな、そういや。ジャンクなのも時々食べたくなるしなぁ」
なにやら嬉しそうに独り言を繰り返している。
さんざん悩んだ挙句「よしっ」と声を上げ、勢い良く画面を叩いた。
タッチすれば良いものの、バンバンと平手で押さえるようにして選択している。
ご利用、誠にありがとうございます。素敵なランチタイムを――そんな女性の人工音声が響いた後、横の壁がカシャリと音を立てて開いた。
その奥から、微かな熱気と共に出来上がったホカホカのカレーが出てくる。
あまりにも早い出来上がりにギョッとし、目を丸くするハル。
そんな彼に構わず、ミオは嬉しそうにトレイを受け取った。再び壁が元どおりに閉じてしまう。
「な、なんだこれ…便利なシステムだな…」
「んふふふふ、どーだ、良いでしょう? 今日は刺激的にカレー! しかも、エビフライ3本! まっ、これ超甘口だけど」
「あ、いや…そう…」
ミオが画面を叩いて、ものの3~4秒である。
どれだけ迅速に調理したとして、こんな早業が成し遂げられるものだろうか。
ミオはカレーの乗ったトレイを持ったまま、キョトンとしている。
「そんなに不思議なの? だって食材、『復元』してるだけでしょ。一瞬だよ一瞬」
「復元…調理してるんじゃないのか? 素材から」
「え、それはもしかしてクッキングってことを言ってる? ハルってそういう本格派だったり? 今時、そんな手間暇かけるの、高級シークレットウルトラ料理店じゃないとやんないよぉ」
ようやく素直に「へえ」と感嘆の声が漏れた。
なんだか自身が思い描いていた食堂という絵面とは随分違っている。
ハルも同様にパネルで選択すると、数秒でカレーが出てきた。
ミオのものとは違い、上に乗っているのはカリカリの衣のメンチカツだ。
ハルの手元の皿を見つめ、ミオが「おー」と声を上げていた。
「なんだぁ、ハルもカレーな気分だったんだ。メンチ良いなぁ。でもここの、衣が固くてばっりばりなんだよ。小枝みたいで歯茎に刺さりそう」
笑うミオに、引きつった笑みでなんとか返すハル。
ミオの言葉から察する限り、これは「調理された」というより、別の手法で「復元された」ものになるらしい。
引き続き、ミオに続いて席へと歩いていく。
彼女はすぐに同じチームの仲間達を見つけ、声を上げた。
「やっぱり皆、ここにいたんだぁ。うーす、うっすうっす」
がちゃりと荒々しくトレーを置き、席に着くミオ。
彼女のやかましい姿に、隣で食事を続けていた緑のスカーフの男性・ナッシュが嫌な顔をする。
「おい、静かに置けよな。見ろ、こっちにルーが飛んでるじゃあないか」
「あー、ごめんごめん。超ソーリー。ナッシュ、今日はどんなスペシャルメニューなの?」
かつて輸送機の中ですら食事をとっていたナッシュだが、彼の献立は他の隊員が食べている物に比べてやはり豪華だ。
ライスにサイコロステーキ、オニオンスープとビーツのサラダ。
デザートにラズベリーゼリー付きのヨーグルトまである。
相変わらず自前のナイフとフォークを使い、テキパキとそれを口に運んでいた。
特注品の刃は、すっと引いただけで油が溢れる赤肉を見事に切り裂く。
しかし、彼は少し気に入らなそうにハルに視線を向けた。
「だいたい、なんでそいつまでいるんだ? 君が連れてきたのかよ」
「うん。迷子になってたの。だから、一緒にご飯食べようと思って」
「勘弁してくれよ。まだ安全って分かったわけじゃないなら、食事は勾留室で取るべきだろう」
あからさまな敵意を向けられ、ハルも目を細める。
だが怒りが湧き上がる前に、ナッシュの対面に座っていた7、3分けの男性が苦笑した。
「まあまあ、良いじゃないですか。端末による監視は続けられていることですし、上からも現状、勾留する必要はないと言われています。ハルさんは前回の作戦で、リノア博士を救出してくださったこともありますから、少なくとも我々と敵対する関係性ではないでしょう」
キースはすでに食事を終え、マグに入った紅茶を飲んでいるところだった。
作戦でつけていたようなバイザーではなく、四角い銀縁眼鏡をつけている。
ナッシュとは対照的に、彼は実に穏やかな眼差しを向けていた。
「こちらにどうぞ。偶然ですが、実は僕らもハルさんとお話しがしたかったのです」
「俺なんかと? なんにも面白い話なんかできないぜ」
意外な言葉だったが、とにもかくにも席に着く。
ハルの対面に座るミオは、すでにカレーをガツガツとかきこんでいた。
口の周りに茶色いルーがこびりついている。
「いいねぇ、ハルのとっておきのギャグとか聞きたいなぁ。モノクローム流のなんか流行りのネタとかないの?」
「ミオ。話がややこしくなるから、まずは食べてろよ。あと、スプーンをブンブン振るなって。僕の皿にまで飛んでるだろう?」
隣に座るナッシュは、かすかに椅子をずらして距離をとった。
ミオが動くたびにカレーがあちこちに飛び散り、どんどん汚れていく。
食べ方が汚いというより、食べている時の姿が騒がしい。
その騒々しい姿にキースも困ったように笑う。
「ミオ、おでこにまで飛んでますよ、カレー。それに、ハルさんはモノクロームに住んでいたと決まったわけではないのですから。あっ、ハルさんも遠慮されずにどうぞ」
「お、おお…」
なんだか隊員達の勢いに気圧され、スプーンを持つことすらできずにいた。
軽く冷水で喉を潤し、湯気の立ち上るカレーを口に運ぶ。
茶色いルーに染み出した旨味の数々が、久々に激しく味覚を刺激した。
米の炊き具合も丁度良く、ルーの適度な粘り気がよく絡む。
見た目も味も食感も、至極まっとうなカレーライスだ。
先程の壁の向こうで、なにをどう「復元」しているのだろう。
不思議そうにルーの海を見つめるハルだったが、キースの言葉に我に返る。
「いまや、基地の中はハルさんの噂でもちきりなんですよ。ちょっとした有名人ですね」
「まぁ、こんな怪物が歩いてたら誰だって怖がるだろうよ」
「いえいえ、とんでもない。ヴォイドを生身で倒した『超人』だって、すごい反響なんです」
超人――そういえば身体能力を検査された際も、そんな単語を聞いた。
ハルの肉体機能は、どれも一般人のそれを遥かに凌駕している。
隊員達から見れば、まさに人を超えた存在と映るのだろう。
「いやぁ、ただ必死にやっただけだよ。だいたい、倒した数だったらあんたらの方が多いだろう。俺らを救い出したのだってあんたらだしさ」
「我々が倒したものは、どれも小型のヴォイドですからね。リノア博士から聞きましたが、ハルさん達が遭遇した個体は、相当巨大なものだったようじゃないですか」
ここで、カレーまみれのミオが少しだけ身を乗り出す。
彼女はエビフライの一本を咀嚼しながら、行儀悪く問いかけてきた。
「んあー、そうだそうだ。なんか牛みたいなバケモノだったんだってぇ?」
「お、おお。まぁ、すごい力だったよ。腕力だけで壁に大穴開けたり、俺もパンチだけで吹っ飛ばされたし」
これには、口元を拭きながらナッシュが「ふむ」と声を上げる。
「まるで『ミノタウロス』だな。大昔の神話に登場する怪物さ。迷宮に迷い込んだ旅人を食い殺す、ラビリンスの番人だよ」
「ミノタウロス…他のヴォイドはシンプルな動物の姿をしてたが、あいつだけ確かに特別だったな。人と牛のミックスって感じの」
「趣味の悪い街だ、まったく。いったい、どうしてあんなものがいるのかは謎だが、ついにはファンタジーの存在まで闊歩してるのか」
あの怪物達が、どういう目的であの場所にいるのかは分からない。
本能で行動しているように見えて、しかしどこか明確な目的があって侵入者を襲っているようにも思う。
ふっと、ハルの脳裏に黒い雄牛――ミノタウロスと呼ばれた怪物との記憶が蘇る。
民家の壁を砕き侵入してきた怪物は、ハルを打ち倒した後、こちらには目もくれずに「少女」に近付こうとしていた。
発砲したリノアを荒ぶる暴力で黙らせ、そしてなおも小さく、無力な存在に手を伸ばしたのである。
なぜあの子なんだ――思い返せば不自然なのだ。
あの時、怪物は確かにエリシオを捕まえようとしていた。
ここで、2本目のエビフライを噛みちぎりながらミオが笑う。
カラッと揚がった尻尾まで、奥歯でバリバリと砕いていた。
「かっこいいなぁ,ハルは! タウロスだかタウリンだか知らないけど、そんなバケモンからレディー二人を守ったんだからさぁ」
彼女だけ声がやたら大きいせいで、明らかに周囲のテーブルの人間達が聞き耳を立てている。
いや、冷静に見ればこの食堂に来てからというものの、大半の人間がこちらに意識を向けていた。
これに対し、静かにキースが分析する。
「そのエリシオという少女でしたっけ。ヴォイドや街はもちろんなのですが、そんな少女がいたということが実に不可思議ですよね。彼女が使ったという『ヒーリング能力』も興味深い」
「皆が撤退する時、やっぱりいなかったのか。あの子は」
「ええ。というより、妙なんです。あの時、我々はハルさんとリノア博士の生体反応を感知し、合流できたわけですが――あの少女の生体反応は、レーダーに記憶されていません」
ぎょっとし、カレーを喉に詰まらせかけてしまう。
慌てて冷水で流し込み、ため息混じりに問いかけた。
カリンッと氷が音を立てて回る
「記録されていない? それはつまり…あの子は死人ってことかよ」
「まぁ、さすがにああやって我々とコンタクトを取っていたのですから、それはないかと。ただ、それにしても不可解ではあります。そもそも、あんな子がどうやって街の中で生存し続けていたのかという謎は、解けないままですから」
キースの言葉に、ミオが「動く死人っていうとゾンビだ、ゾンビ」と妙な手つきで真似をするが、一同は苦笑でさらりと流す。
ナッシュはデザートをスプーンですくいながらも、眉間にしわを寄せていた。
「あの少女も記憶が抜け落ちていると言ったが、どうにも都合よく感じてしまうな。所々、思わせぶりな部分は覚えているというのに、ことごとく核心だけが見えてこない。まるで我々の好奇心を掻き立て、奥へ誘おうとしているみたいじゃあないか」
つまるところそれは、あのエリシオという少女もまた、幻影の街に巣食う「罠」の一つだということだろう。
なんだかその憶測に、ハルは無性に腹が立ってしまう。
それは、少女を怪物扱いしようとするナッシュに対する――もちろん、個人的な性格の不一致も多分に含めた――嫌悪感がゆえだ。
とはいえ、一瞬冷静にもなってしまう。
悔しいことに、まだエリシオという少女の素性が見えてこない以上、彼女を信頼して良いものか確信が持てない。
それはきっと、ハルの失われた記憶にも関連するのだろう。
気を絶する寸前に浮かび上がった、あの光景を思い返す。
確実にハルはエリシオと出会っていたのだ。
だが、一体なぜ自分は彼女と別れることになってしまったのだろう。
「エリシオが俺達をあの街に…だけど、あの子は俺をとにかく街から遠ざけようとしていたぜ。なんでも俺と街の管理者を引き合わせたくないんだとか」
「例の『魔王』だろ? なんともバカバカしい単語だ。古臭いRPGゲームじゃあるまいし」
この単語にまたミオが食いつく。
一足先にカレーを平らげたようで、エビフライの最後の一本が口元から尻尾を出している。
「RPGやったことないけど、あれっしょ。パーティっての組むんだよね、確か。んで、先頭のリーダーの後ろを、他のメンバーがついていくんだよ」
「また随分と古いモデルの話だな、それは。何十年も前の話さ。当時は勧善懲悪なストーリーがブームだったから、究極的な悪――世界を支配しようとする『魔王』を作って、プレイヤーの目の敵にさせたわけだ。それこそ僕に言わせればナンセンスだよ。なにがどう『悪』なのかも定義せず、倒す対象として仕立て上げて配置する。まさにおとぎ話だね」
いちいちなにかに突っかからないと、このナッシュという男性は会話ができないのだろうか。
ハルはいよいよ、彼の言葉一つ一つが「こういう奴なのか」と怒りを通り越し、興味深さすら覚え始めていた。
対してミオは実に奔放に、楽しそうに喋る。
「ちょうどここに四人いんじゃん。パーティ組めるよ、パーティ。私が戦士で、キースは援護ね。ナッシュはそうだな、魔法使いかな。んでんで、ハルはスーパーマン」
「おい、なんだその編成は。僕は魔法なんて不可思議なものに頼りたくないよ。もっとテクノロジーに秀でたものはないのか。それに職業分けもめちゃくちゃだろ。なんでスーパーマンなんてものが混在してるんだ」
「とりあえず私が突っ込むから、キースとナッシュがうまいことしてさ。んで、ハルは私の反対側を担当してれば問題ないでしょ」
「話を聞けよ! それに、もはや作戦ってレベルじゃないだろう、それ。ただのその場任せじゃないか。なんだよ、うまいことするって」
なんとも不思議なコンビである。
理屈臭く、聡明たがるナッシュに対し、頭を空っぽにして着の身着のままに振る舞うミオ。
でこぼこコンビにしても、二人の性格は天と地ほどの差がある。
だがそれでいて、やり取りは続いていくから奇妙である。
あっけにとられるハルの横で、キースが苦笑した。
「すみませんね、騒がしくて。いっつもこうなんです。あれでいてコンビプレーは絶妙ですから、案外相性は良いんでしょう」
「おい、キース。僕はこいつと相性が良いなんて思ったこと、一度もないからな。いっつも僕がサポートしてやってるんだ。勘違いしてもらっちゃ困るよ」
うんざりした表情のナッシュに、キースは「はいはい」と苦笑したまま返す。
なんだか妙に緊張の糸が緩み、再びハルもカレーを口に運び始める。
少し硬くなったライスも、独特の食感で嫌な感じはしない。
眼鏡を少し直し、キースが仕切り直す。
「まだ謎は点在していますが、それでもモノクロームを攻略する手がかりが増えたというのは明らかな事実です。少なくとも、あのエリシオという少女は、是が非でもまた出会いたいところ。きっとあの子が知り得ている事実が、あの街を――それにハルさんの記憶を紐解く鍵になると思っているんです」
「俺の記憶ねえ…いい加減こう、パッと戻ってくれないものかな。生きていけないわけじゃあないけど、イマイチ気持ち悪いぜ」
「お察しします。しかし、着実に前に進んでいると思いますよ。あくまで上の判断に委ねられますが、おそらく次はもっと本格的に、あの街の深部を探ることになるかと」
きっとそれが、彼ら「精鋭」に課せられる次の任務なのだろう。
それまではこうして基地の中で準備をしながら過ごしているのである。
対面からガリガリッという耳障りな音が響いた。
見れば、ミオが食べ終えたカレーの皿にスプーンを這わし、こびりついたルーをそぎ落として舐めている。
行儀の悪さに、またナッシュが顔をしかめていた。
「そーそー、焦ることないって。過去のことなんて、きっとすぐ分かるよ。それに、もし思い出せなかったとしても大したことないって」
なんともざっくりした言い回しに、肩の力が抜ける。
ハルもまた残っていたライスの塊を、がぶりと大口に放り込んだ。
最後のスパイスを堪能していたが、ミオの一言に微かに口が止まってしまう。
「だいたい『今』があるんだから、人間なんてそれで良いじゃんか。昔に何があったかは気になるだろうけど、それが分かったからなんか変わるかって、そんなことないよ。だって全部終わったことで、戻れやしないんだもん。昔に引きずられすぎるなんて、もったいないもったいない」
ともすればそれは子供っぽく純粋な、なんの理論も持たない言葉だった。
だがしかし、ハルは咀嚼しながらも妙に考えてしまう。
今、か――――ハルがあの街に探し求めているのは、間違いなく空白になった「過去」だ。
過去とは己の積み重ねであり、自身が歩んできた時間の集合体。すなわち「歴史」に他ならない。
いわばそれは、ハルという人間の「今」につながる土台であり、道である。
なぜここにいるのか、なぜこんな姿になったのか、なぜこんな力を持つのか。
それらは全て、土台さえ分かれば「理由」が見えてくるはずだ。
そういった信念はなにも変わらない。
変わらないはずだが、何故だか妙にミオの一言に考えてしまう。
過去に価値があるように、今にだってやはり価値があるのか―――カレーを食べ終え、コップの水を飲み干す。
少しぬるくなったそれもまた、まごうことなくハルの体験している「今」に他ならない。
当初よりも随分と警戒心を解き、談笑を続けるハルとDEUS隊員達。
食堂にやってきた女性がその群れを見つけ、歩み寄って声をかけた。
「ハル、ここにいたのね。まさかDEUSのスペシャリスト達と一緒だとは思わなかったわ」
緋色の髪を持つ女史・リノアは、相変わらず凛とした眼差しで笑っている。
彼女はDEUSの面々と軽やかに挨拶を交わした。
「ドクには無事会えた? あなたの端末が仮登録だったって後から気づいたのよ。コールが届かないから、色んな人に聞いて、目撃情報を辿ってきたってわけ」
「そうだったのか。悪い、なんだか手間を取らせたみたいだな」
「いいえ、全然! あなた目立つから、手がかりも多くて助かったわよ。あら、お昼はカレーだったのね。ここの美味しいでしょう? 私も任務で来るたびに、いっつもそれ頼んじゃうのよねぇ」
どうやら、この味のリピーターは思いの外多いようだ。
ミオが「ぐふぅ」と隠す気もなくげっぷするも、リノアはたじろがず続けた。
「実はあれからベネットとすれ違ったんだけど、また午後にも色々と聞きたいらしいのよ。だから、あなたを連れてきてほしいって」
「えぇ、またやんのかよ? これ以上、なにが気になるってんだ…」
落胆するハルを見て、リノアもたまらず苦笑する。
「まあまあ。確かに面倒でしょうけど、彼も基地の最高責任者としての仕事があるからね。DEUS本部への納得のいく報告書を作りたいのよ」
「良い迷惑だよ。まぁ、逆らっても仕方ねえか。分かったよ、すぐ行く」
その言葉を最後に、ハルは席から立ち上がる。
食器を片付けようとする彼に、ミオが大きな声で笑顔のまま告げた。
「まったねー、ハルー!」
「あ、ああ。また…」
最後の最後まで、彼女の感情についていけない。
本当に数日前、自分目掛けて斧を振り回していた人物と、同じ人間なのだろうか。
キースも軽く手を振り、ナッシュは黙って口元を拭いている。
食器をそそくさと片付け、ハルはリノアと共に食堂を後にした。
道すがら、リノアにおもむろに問いかけてみる。
「便利なもんもあるんだな。あんな早く料理が出来上がるなんて、初めて見たよ」
「あら、そう? フードコンディショナーについては、記憶が抜けちゃってるのかしらね」
妙な返答に首をかしげてしまう。リノアは手早く説明してくれた。
「人件費や食料品の希少価値が上がったせいで、今は大体どこもあのシステムを導入してるのよ。食材を分解することで保存や持ち運びも簡単だし、復元技術が進化したことで、味もあの通り」
「なんだか飯一つとっても、ハイテクなんだな。原理だの、理屈だのさっぱりだよ。あれじゃあまるで『魔法』だ」
「テクノロジーって、まさにそうなのかもね。『理』を『解って』いれば全て決まったロジックの組み合わせだけど、知らない人にとってはまさに『魔法』――裏で妖精が作ってくれてるって言っても、もしかしたら信じてくれるかも?」
白い歯を見せニコッと笑うリノア。対して、ハルは肩の力が抜けてしまう。
きっと、それくらいの違いなのかもしれない。
不思議なことなんて、全てそう――対峙する誰かが、その本質を知らないだけなのだ。
きっとあの街も、あそこにある理由がある。
怪物も、あの少女も。
そして他ならぬ、その奥にいる「魔王」とやらも。
これからハル達は、それらが世界に存在する「理由」を知りに行くのだ。
失っている「過去」を知り、確かな「今」へと続けるため。
歩きながら、シャツの中にしまわれていたあのドッグタグを久々に取り出してみる。
銀色に鈍く光るそれに、変わらず自身の名が刻まれていた。
いつになったら、お前に出会えるんだろうな――まだ出会えぬ本当の自分に、ため息が漏れる。
果てしない旅路に想いを馳せつつも、ハルはとにかくまた、あの尋問室を目指して歩いた。
満腹になった今でもなお、口の中にはあの素朴な、それでいて不思議な力で作られたカレーの味が色濃く残っている。
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