スクリーム・ノート

藤沢凪

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八頁 猫 肆 『かくれんぼ』

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八頁
 
猫 肆
 
『かくれんぼ』
 
 こ、こんな所で震えていたって、根本的な解決にはなっていない事は分かってる。

 でも、改善策などが猫の頭で見出せる筈なんて無くて、息を殺してその時を待つ事しか出来ないんだよ。

 数分後にこの部屋を三回程ノックする音が聞こえた。またこの身は震えて、掴んでいた毛布を握りしめていた。

「ど、ドアには鍵が掛かってるんだよ。ね、猫は絶対にドアを開けないんだよ。だから、へっちゃらなんだよ」
 
 ドンドンドンドン!
 
「ヒィィィイッ! 怒ってるんだよ。さっきよりも叩く力が強いんだよ!」

 すると、ドアの向こうからは、心の安らぐ声が聞こえた。

「あんたさっきから何言ってんの? お風呂入ったの?」

 母だったんだよ。良かったんだよ。

 それにしても猫は、心の中で思ってる事をついつい声に出してしまってたりするんだよ。

「あっ、お母さん! お、お風呂には入らせてもらったんだよ」

「ならいいけど! あんた達何でタツヤの部屋居たの? あれ間違ってたんだけどさ、今日家に居ないのはタツヤじゃなくてカズヤだったわアッハッハッハ」

 息子の名前を言い間違えたのが、何が面白いのかは分からなかったけど、タツ兄が帰って来るという事は、あの部屋に小鳥が缶詰になる可能性が消えてしまった事を意味していた。

「えっ、あの、タツ兄はいつ頃帰って来るの?」

「もう帰って来てるよ」

 ニヤャャャャャ! 

 Xタイムは近いんだよ……

「な、な、何でそんな大事な事間違えるの! しっかりして欲しいんだよ!」

 御門違いなのは分かっているのだけれど、どうしようもなく歯痒くて、母を非難してしまった。

「はっ? 甘ったれるんじゃないよ! 誰がご飯作ってると思ってるの!」

 めちゃくちゃ怒らせてしまったんだよ。母の言う事はもっともなんだよ。

「い、いつも美味しいご飯を作ってくれてありがとう」

 最後になるかもしれないので、母に今までの感謝を伝えた。

「そんな事で感謝される筋合い無いんだよ! 子供に美味しいご飯を食べさせるのは当たり前の事でしょうが!」

 尚も逆鱗に触れてしまったんだよ。十六年生きてきても、母の喜ぶツボだけはさっぱり分からないんだよ。

「ゴメンなさい」

「夜更かしするんじゃ無いよ!」

 ドア越しに喧嘩別れをしたのが母との最後の思い出になるのなんて嫌で、猫は、事の経緯を母に伝え様とした。

「待って! お母さん、あのね、小鳥さんはね、イチカの事——」

「あら小鳥ちゃん、お風呂入ったの?」

 ニャァァァァァァァア!

 こ、小鳥と母がバッティングしたんだよ!

「ありがとうございます。お風呂いただきました」

 小鳥は、本当にいただいていたんだよ……

「あんまり夜更かしするんじゃ無いよ」

 小鳥は、猫が謎の輪を解くまで寝かさないつもりなんだよ……

「ここが、猫ちゃんの部屋なんですか?」

 もう詰んでるんだよ……

「そうだよ。何か鍵掛けてるみたいだけど、この鍵穴に十円玉挿して回せば開くからね。あんまりうるさくするんじゃないよ!」

 もう詰んでるのに追い討ちを掛けないで欲しいんだよ!

「ありがとうございました。おやすみなさい」

 あぁ、あぁぁあ、母の足音が遠ざかって行くんだよ。階段を降りる足音が、猫の命が尽きるカウントダウンの様に鳴り響くんだよ。

「猫ちゃぁぁぁん。猫ちゃぁぁぁん?」

 小鳥はアクセントを変えて、二回猫の名を呼んだ。

 猫は喋らない。

「もーいーかぁーい? 猫ちゃぁぁぁん」

 小鳥はドアをノックした。
 
 コンッコンッコココンッ、コッココ、コココンッ
 
 何かのメロディーを奏でてるんだよ! とにかく不気味なんだよ! 

 猫は喋らない。

「えぇぇぇぇえ? さっきは、お母さんとお喋りしてたよねぇ? 見てたんだよぉ?」

 ホラーなんだよ! まさか居心地が良いと思っていた我が家で、こんな恐怖体験するとは思って無かったんだよ!

「まぁだかなぁ? まぁだかなぁ?」

 ガチャガチャガチャガチャと、小鳥はドアノブを回し始めた。鍵を掛けているから開かないのは分かっている筈なのに。

 猫は喋らない。

「ね、猫ちゃんの顔が見れればさぁ、治ると思うんだよねぇ!」

 何が? 殺人衝動が? いや、あなたもう無理だよ。

「限界が近いんだよぉぉぉ、は、早く顔を、見せて欲しいなぁぁぁあ」

 ね、猫は喋らない!

 それと気に掛かっている事が一つある。この稲妻の鳴る様な音は何だ? 人の口から出せる音では無い。小鳥は、悪魔か何かを飼い慣らしているのか? いや、いやいや、そんなのとってもファンタジーなんだよ!

「アッ、アァァァァァァァアッ、ネッ? アッ、アァァァァァァァァアッ、ネッ?」

 ね、猫は、絶対喋らなイィィィィィィィィィィイ!

 母から教わった通り、十円玉の様な物で鍵を開けようとするんだよ!

 で、でも! 猫も事前にその可能性を察知出来たから、内側の鍵穴を十円玉で固定していたんだよ!

「ウラァァァァァァァァァァァァァアッ!」

 ヒィィィイィィィィィイッ!

 魔獣の様な唸り声を上げるんだよ! あれだけ母に、静かに遊んでね、と釘を刺されたにも拘らず、家主の意見を蔑ろにする様な咆哮を上げるんだよ!

 それでも猫は喋らない!

「い、イタァァイ、イタァイよぉ」

 へっ? 痛い? 何で? 

「もう、キュルキュル鳴ってるんだよぉ?」

 キュルキュル鳴いている? 何が? き、きっと、悪魔に違いない! 悪魔が猫を食べたくて食べたくて、キュルキュル鳴いて小鳥を急かしてるのだ! 人間が悪魔を飼い慣らす為には、相応の見返りが必要なのだろう。小鳥が痛がっているのは、相応の対価を支払っていない小鳥を攻撃しているのだ!

「アハァッ! ネェェエ、猫ちゃん? 顔見せて? おかぉぉぉお見してぇぇぇ?」

 ウゥゥゥゥ、狂ってるんだよ! その企みは見透かしてるんだよ! あなたみたいな変な人に、猫はお顔を見せる事は出来ないんだよ!

「ネェ? ネェ? ネェ! もうさぁ、行ってるんだよそこまで! 猫ちゃんのお顔見れば治ると思うからさぁ」

 小鳥はもう、随分と前からイッちゃってるんだよ! は、始めから分かっていれば……始めからヤバい人だと分かっていればもっと上手く立ち回れたのに。

「だって分かんないもん。同じクラスの女の子がどんな人かなんて分からないんだよ」

「へっ? アハッ、アヘッ、へへへへへへへへへへへへ」

 アァァァァァァァァァァァァァァァァァァァアッ!

 こ、声に出してしまった。あ、あんなに気をつけていたのに……

「ね、猫ちゃぁぁぁん? もう、もうさ、かくれんぼは終わりにしようねぇ? もォォォォオ、限界なんだよぉお」

 ね、猫には、もう、策など無かった。

「諦めて、帰ってくれないかなぁ? これ以上は、きっと天罰が下るんだよ!」

 猫は内鍵の十円玉を強く握って言った。

「天罰? なにそれ?」

 神をも恐れぬという事か、なんなら、こんな後世にまで名を轟かす様な殺人鬼に殺されるのであれば、それは逆に名誉な事なんじゃないのかなとさえ思えてきた。

「きっとあなたは、良い死に方しないんだよ!」

「ね、猫ちゃん? お喋りの時間はもう無いよ。一つ、し、質問に答えてくれるかな?」

 も、もう猫には、説得する機会さえ与えてくれないんだよ。

「うぅ、うぅぅぅ」

「あのね? 猫ちゃん。何で、何であの男の部屋を自分の部屋だって嘘ついたの?」

 そ、そ、そんな事が聞きたいのか! 死の瀬戸際に弁解する程の事でも無いんだよ!

「うぅ、うぇぇぇぇぇぇん。うぇぇぇぇぇぇん」

「泣きマネしてちゃ分からないよぉぉお? なんでかなぁあ?」

「イィィッ、ウゥ、イィィッ、ウゥゥ」

「何で何で何で何で何で何でェェェェェエ? わ、私は、あんな不潔そうな男の枕の臭いを嗅いじゃったんだよぉぉお?」

「ヒェェェェェェェェエ!」

 な、なにそれ? もともとは、猫の枕だと思って嗅いでたって事?

「枕に顔まで付けちゃってさぁぁあ! これってさぁあ! 関節キスみたいになってるんじゃ無いのかなぁぁあ?」

「な、何でそんな事するのぉぉぉお? 何で猫なのぉぉぉお!」

「そ、それはねぇ、猫ちゃん? 私は、猫ちゃんの事を、猫ちゃんの事をぉ、をぉお? おぉ、おぉお、も、も、モォ、モォォォオムリムリムリムリムリィィィイダバァァァァァァァァア」

「ニャァァァァァァァァァァァァァァァア!」

 きっと彼女は、世界を終焉へと導く程の逸材なんだよ。

「えっ? あっ、あぁぁぁあ……あぁぁもぉ、まだ? あぁぁぁあもう、そう……」

 何が?

「こ、心を入れ替えて欲しいんだよ! こんな事、人として間違ってるんだよ!」

 小鳥の返事が途絶えた。

 この狂気じみた雰囲気がそうさせるのか、辺りからただならぬ臭いが立ち籠めた。

「猫ちゃん?」

 一分程の静寂を破り放った小鳥の声は、冷静さを取り戻していたように思う。

「は、はい?」

 猫は恐れながらも返事をした。

「最後まで付き合ってあげられなくてゴメンね。今日は、帰るね」

「へっ?」

「ゴメンね、ゴメンね、ゴメンね……」

 いや、帰って欲しかったんだよ。ただ何か、悲しい気分にさせる声なんだよ。

 小鳥がキャリーバッグを抱えて、階段を一段、一段、降りていく音が聞こえてくる。もしかすると、猫は勘違いをしていて、小鳥を傷付けてしまっていたんじゃないのか? という、奇天烈な妄想さえ浮かんできた。

 キャリーバッグを下まで降ろすのを、手伝ってあげた方が良いんじゃないかなぁ?

 それでも、身体中に恐怖は刷り込まれていて、いまだに内側の鍵穴に十円玉を挟んで強く固定してしまっている。頭では小鳥に同情の様な念を思い浮かべながらも、身体はその提案を受け付けようとしない。

 すると、
 
 ドンドンドンッ!
 
 と、激しくドアをノックされた。

 やっぱり! 猫を騙してドアを開けさせるつもりだったんだよ! お身体様の言う事を聞いておいて良かったんだよ!

「ちょっとイチカ!」

 母なんだよ。こ、声マネをしているのかもしれないんだよ!

 それか、考えたくないのだけれど、母の思考を呪いで乗っ取って、操られた母が猫を部屋から出す為に使われているのではないかと思った。

「あんたまた大っきい方漏らしたの? いい加減にしなさい! もうすぐ十七歳になるんだから!」

 ね、猫は、小さい方は今漏らしているのだけれど、大っきい方は漏らしてないんだよ! そんな陽動じゃ、猫は返事すらしない。大っきいお漏らしは中学生で卒業したんだよ!

「あれ? 居るんでしょ! もう、漏らした時はいつもこうなんだから。自分でパンツ洗いなさいよ!」

 足音が、部屋から遠ざかって行くんだよ。意外とあっさり退いたんだよ。

 それから、一時間程はそのままの体勢で居たのだが、何も起こらないので、ベッドに入ってドアを注視し続けた。

 何時間そうしていたのだろう? 外で鳩の鳴く声が聞こえ始めた頃に、猫は眠りへと誘われた。
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