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第629話 僕に胸があれば

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「よかったの?」
「ん? 何がだい?」

 大宮司とリンカが去った『制服喫茶』では意図せず鬼灯と本郷の二人となっていた。

「本郷さん。大宮司君の事が好きでしょう?」
「何でそう思うんだい?」

 鬼灯の感情の無い質問に本郷は笑みを崩さぬまま聞き返す。

「貴女、大宮司君に話し掛けると嬉しそうだもの」

 二人は互いに何を主題に言葉を交わしているのかを理解していた。
 本郷の大宮司に対する雰囲気は、どことなく察している。しかし、ソレが何を意味するのかまでは解らなかった。

「ふふ。そう見えるかい? 参ったな」
「嬉しそうね」
「当てられた事よりも、君にそう言われる事の方が面白かったからね」

 前までの鬼灯は、間違ってもこんな風に話し掛けて来ない。そもそも、必要最低限の事しか話さないと言うのに……

「君にも変化があったようだね。例の“彼氏”の影響かな?」
「そうかも知れないわ」
「羨ましいよ。中には変化をしたくても出来ない人だっているからね」

“チカ。お前の言うことは解ったよ。大宮司君は退学じゃなくて謹慎にする様に働きかけよう。ただし、お祖父ちゃんからお前に一つ条件がある”

 卒業まで、大宮司亮と極力関わらない事。
 それが祖父が出した条件だった。

 大宮司が手を出した相手にヤクザが居たことは本郷理事長も警察から聞いていた。
 彼らはメンツが大事だ。少なからず報復行為があるだろう。その時に孫娘が巻き込まれる事だけは絶対に避けなければならない。

「きっと、僕自身。誰かに気づいて欲しかったのかもね」
「そう」

 新入生の代表挨拶で檀上に上がった時に生徒達を見た。
 多くが新しい高校生活の雰囲気に呑まれる中で、何人か影響を受けない生徒がいた。大宮司亮はその中の一人だったのだ。

 体格の良い大宮司はクラスが違っても自然と目引いた。
 彼に興味がある。本郷は自分自身でも大宮司に対して特別な感情を持っているのだと理解していた。
 けれど、それは新しい物を見た故に一時的に熱が上がっているだけだと考えたのだ。
 だから、しばらくすれば落ち着く。そう思っていたのだが――

 どうやらこの気持ちは偽りじゃないらしい。

 風紀員に入ったのは何かと不器用な彼が良く誤解されるからクラスが違っても接点を得られると考えての事だ。
 案の定、彼とはそれなりに関わる事が出来た。しかし、

「全ては僕の“怠惰”が招いた結果さ」

 ふとした事で顔を合わせる彼との関係が心地よくて、“友達”以上の関係に踏み込めずにいた。
 僕の心を伝えたら、彼は真剣に考えてくれるだろう。だから彼とはまだ、この距離で良い。

“ん? やぁ、おはよう。大宮司君。珍しいね、君が怪我を――”

 学校の廊下でこちらの挨拶に反応せずスレ違った彼は、何かを決意した様に回りが見えて居なかった。

 身体が大きく、道場上がりの威圧もあり、寡黙で、初対面の生徒からは一歩退かれる。
 けれど、理解すればこれ程頼もしい存在はいない。それが、大宮司亮だった。

 そんな彼が回りが見えない程の決意を宿していた。

 もしも……あの時、声をかけていたら――
 もしも……もっと前からこの“怠惰”を止めていたら――
 もしも……僕が君の彼女だったら――

 何か変わっただろうか?

「僕は最後尾で良いんだ。その方が皆が見えるからね」
「それだと背中しか見えないわ」

 鬼灯の言葉にコーヒーカップに伸ばした手が止まる。

「……うん。そうだね。それでも、変わらないんだよなぁ」

 ふと、彼が近くを通れば声をかけてしまうだろう。
 そんな、大宮司亮に対する気持ちはこれからも……ずっとずっと、変わらないと確信している。

「だからね、彼には悔いの無い高校生活を送って欲しいんだ。まぁ、色々と計算の内でもあるけどね」
「冗談に聞こえないのが貴女らしいわ」
「ふっふっふ。鬼灯さんに特別に教えて上げよう。僕はね、欲しいものを取り零した事は今まで一度もないんだ」

 故に今回もそのつもりだ。

「そう。なら、大宮司君はフラれるの?」
「何も歯に着せない君のストレートで感情の無い言い方は結構な刺があるね。まぁ、大宮司君と鮫島さんの関係は“恋仲”には着地しないと思ってるよ」
「そうなの?」
「彼女にも冷めない“熱”が心にあった。あれは、憧れが恋に変わったタイプの“熱”だ」

 ずっと一人を思い続けて居るのなら、そこへ他が割り込むのは余程のイレギュラーが無い限りは不可能だ。

「そう。大宮司君フラれるのね」
「結果的にはね。そこで虚無になった大宮司君を僕が慰めるって作戦さ。僕に胸があれば懐柔率も高かったんだけど、こればかりは神様の采配を恨むしかないね」

 生板なのは理解しているが、ソレに嘆くよりも他の魅力を磨くのが本郷の心意気だった。

「鬼灯さんって優しいよね」
「そうかしら?」
「うん。優しいよ」

 終始感情を感じられない口調の鬼灯だが、本郷は声をかけてきた意図を的確に把握していた。
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