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第462話 待ってください!!

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 コエを安心させる為に抱き締めていたユウヒの心にはもう恐怖はなかった。
 妹が居てくれる。それだけで何も怖くない。その時、

“ゴガァァァ!!”

「コエ。聞いて」

 熊吉の声に怯える妹へユウヒは聞こえる様に目と言葉を向ける。

「皆が来てくれてる。だから私たちは逃げるよ」

 力強くユウヒは提案するがコエは外に熊が居る事を思い出し、再び震えた。

「でも……」
「大丈夫! 私に任せて。もう私は立派なレディだからね!」

 何て事はない。胸を張って宣言するユウヒは何一つ現状に怯えておらずその様子がコエを安心させた。

「帰ろ、コエ。皆の所に」
「……うん」

 もう、二度と離さないと決意したユウヒの手をコエは握った。





 まだ、動くか熊吉よ。
 それに対してアヤさんの動きはだいぶ鈍いな。彼女の事だ。自分の体力は解ってるだろうし、ペース配分も問題なくだろう。しかし、現状は理想的な流れとは程遠い極限状態なのだ。

 緊張と倒れぬ敵。

 永遠に続くと錯覚する程に衰えず倒れない熊吉の圧力はアヤさんの体力をいつも以上に奪っていると推測。
 オレは、ジジィの方が熊吉よりも怖いので、そちらに慣れている事もあって全然余裕。

「ゴガァァァ!!」

 熊吉が向かってくる。オレとアヤさんは回避を選択するが彼女は動かない。いや……動けないのか。

「まぁ、待てよ」

 オレは彼女を庇うように前に出る。
 ナイフを腰に構えてヤクザ刺し! 正面からぶつかる様に熊吉の心臓へ突き立てた。

「グオオ!!」
「ほんっとさ! お前はデカく成りすぎ!」

 マジかコイツ。
 心臓を狙ったのだが、正面からでも肉と毛皮に阻まれて届かない。しかし、その間にアヤさんは危険域から脱してくれた様だ。
 オレも逃げ――

「ゴルルル……」
「うほ」

 しかし、熊吉はオレに抱きついてきた。獣臭せぇ。水浴びは一日一回やれよ? 雌に嫌われっぞ? と、余計な事を考えていると肩を食いつかれた。はいはい、ご苦労さん。

「ケンゴ様!」
「あ、いや。防刃ベストだから大丈夫」
「グルル……」

 当然牙は届かない。しかし、ファブリーズを使うには腕の位置が悪いな。お? 押し潰す気か? ならその重さを利用してナイフをお前の心臓に届かせてやるよ。

「ケンゴ!」
「旦那ぁ!」

 ゲンじぃと蓮斗の声。だいぶ遅かったが……他二頭の熊を何とかして駆けつけたのだろう。武蔵と大和もワンワン言ってる。

「ケンゴお兄さん!!」

 その時、母屋の門からもユウヒちゃんの声が聞こえた。その傍らにはしっかりと手を繋いだ――多分コエちゃんが居る。

「才蔵!!」
「承知!!」

 オレは変態忍者に指示を出す。全ての目的を達成した今が完璧なタイミングだからだ。

 煙幕が母屋の門前を包む。





「退却! 退却!! 武蔵、大和! ユウヒちゃんとコエちゃんを護れ!!」

 ケンゴの言葉と煙幕による熊吉の視界不良は、全員を即座に離脱させる意識へと導くには十分だった。

「行くよ、コエ!」
「うん」

 ユウヒはコエの手を引いて走る。煙幕が収まるまでに出来る限り、母屋から離れなければならない。その横を護る様に武蔵と大和も続く。

「よく無事だった! お前ら!」

 ゲンは二人を側に確認すると、そのまま駆け抜ける様に促す。

「蓮斗! お前はユウヒとコエと一緒に行け!」

 それは、道中の二人を護れと言う指示。今の蓮斗なら問題なくこなしてくれるだろう。

「じっちゃんは!?」
「俺は――」

 その時、ボフっとアヤが煙の中から出てくる。その後ろには才蔵も共に居た。

「GO! GO! GO!」

 煙の中から聞こえるケンゴの声に全員が背中を押されるように母屋から走って離脱する。

 コエを救出すると言う目的を達した。最後尾のアヤは前を走る双子の姿を見て微笑む。

 よかった……

 そして、母屋から走ってくるケンゴの姿を振り返る――

「…………待って」

 アヤは細くそう口走る。しかし、皆は走る事に集中し決して後ろを振り返ろうとしない。

「待ってください!!」

 足が次第に停止するアヤは母屋へ振り返り、皆へそう叫ぶ。

「ケンゴ様は……?」

 背後から来るハズのケンゴの姿はどこにもなかった。





「なぁ、熊吉よ」

 熊吉は煙幕にも怯まずオレの肩に食いついたまま離れなかった。
 無理に引き剥がそうにも、腕は力の入る体勢ではなく防刃ベストに牙ががっちり食い込んでやがる。

「お前にここまでの執念を宿したのはオレたちなんだろうな」

 オレの突き立てたナイフは僅かに心臓を外れているのか、根元まで刺さっても熊吉の動きは止まらない。

「けどな――」

 防刃ベストを緩める。それによって僅かに開いた隙間を利用して、するんっ、と脱皮の要領でベストを脱ぎ捨てると食い付きから脱する。同時にナイフを引き抜き、距離を取った。

「お前の世界は弱肉強食なんだろ? だからなのかもしれねぇ」

 オレはナイフについた血を、ピッと払う。

「執念で動くお前は全然怖くねぇよ」

 まだ、最初に出会った時の方が恐ろしさを感じた。

「ゴオオオオアア!!」

 本日一番の雄叫び。いや……己の死期を悟った様な咆哮か。ったくよ。困ったもんだぜ。どうせなら死ぬまでとっとけよな。
 今、コイツに背を向けると間違いなく殺られる。下手をすれば公民館まで追いかけてくる勢いだ。

「ここで終わりにするか。お前とオレたちの因縁を」
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