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第222話 欠陥者

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 今思えばあたしはなんて事を口にしたのだろうか……

 露天風呂の混浴は今夜まで。わぁ調度良い。彼と一緒に入ろっと♪

 なんて……考えられるわけじゃない。けど、気まずいまま残りの日程を過ごすのは、もっと嫌だった。
 露天風呂の一件を口では気にしてないと言っても、あたしに対して一層に気を使い始めるのが彼だ。
 それは、旅行が終わっても続いてしまうだろう。彼は本当に優しい人だから……
 だからこそ、あたしは対等でいたいのである!

「……せめて」

 まだ、隣に立てなくても籠は必要でないと思われたい。少しはあたしを頼っても良いのだと。
 ……でもこのやり方は……やっぱり間違ってる気が……してきた……

 しかし、サブプランなど……ない。そこまで考えられる程に見聞が広い訳でも頭が回るわけでもないのだ。
 それに……自分から言い出した事である以上、やっぱり止めた、など無責任な事は絶対に出来ない。

 色々考えながらタオル身一つで露天風呂に入る。
 カラカラと戸を開けて閉める音であたしが来たことは彼も気づいただろう。浴場に近づくと背を向けて星を見ている彼の背が見えた。

「――――」

 緊張と恥ずかしさから足が止まる。タオルは……どうしよう……取って入る? 取る? タオルを? つまり全裸? いや……でも……ええい! いつまで尻込みしているのだ! 鮫島凛香! ここで引いたら何も変わらないぞ! 行けよ!

 顔を真っ赤に目をぐるぐるさせながらも彼と同じ湯に入る。彼は何も言ってこない。

「……」

 それどころか緊張で強張っている様子が背中からも感じ取れた。よく背負われた背中だ。誰よりもあたしは知っている。
 どの緊張なのかは解らないけど、少なくとも彼も平常心ではない事を知れて少しだけ猶予が生まれた。

「……こっち向けよ」

 あたしは意を決してそう口にする。





 オレはリンカに言われて、ゆっくりと後ろを振り向いた。
 そこには恥ずかしそうに眼を反らすリンカが顔を赤くして肩から上を湯船から出している。
 濁った湯のおかげで、肩から下は見えないが……いや、見るってなんだよ! この煩悩と言う名のビーストはちょっと油断するとすぐに出てきやがる!
 オレの脳に住み着くジジイ! カチャカチャ銃の整備ばかりしてる場合じゃねぇぞ! さっさと戦え!

「……」

 ジジイが戦闘を開始するまでオレはリンカから眼を反らす。やっぱりアルコールを摂取してからの風呂はヤバい。血行が良くなり過ぎて頭がぐわんぐわんしてくる。
 同時に直視すると耐えられそうにない。何をって? そりゃ、下半身のアレだよ。言わせんな!

「……もぉ! いい!」

 すると、ザバッとリンカが立ち上がった。そう、立ち上がった・・・・・・のだ。湯船から。

 オレは咄嗟に視界から完全にリンカの姿を消すべく眼を閉じる。見なくても解る。彼女は今、全裸だ。

 何を思って立ち上がったのかは解らないけど、この眼は絶対に開けてはならないっ!
 オレの脳内ジジイは、銃の整備を一通り終えて、空射ちで動作を確かめてる。クソが! 目の前にいる煩悩ビーストとさっさと殺し合えよ!

「……眼を開けろ」
「……いや……流石にマズイよ」

 リンカはまだ立ったままだ。気配でわかる。

「……あたしは気にしない」
「……一つ! 条件を聞いてくれるなら開けるっ!」
「……言えよ」
「……タオルを巻いてください」

 オレの理性が持つ瀬戸際。脳内ジジイは隣に煩悩てきが居るのに何も手を出さない。それどころか銃の動作に不具合があったのか、座って銃の整備始めた。なにやってんですかねぇ……ホントっ! 使えねぇ!

「……巻いたぞ」
「ホントに?」
「……ホント」

 再確認は社会人には必要なスキル! これにより限りなくミスを減らす事が出来るのだ! 自分じゃなくて他の人にやって貰うと更に良い!

「……いつまで眼を閉じてんだ?」
「あ、ごめん」

 オレは眼を開ける。

「――――」

 しかし、リンカはタオルを巻いていなかった。その身体には一枚の障害物は無く、生まれたままの姿を晒している。

 幼さを残す童顔。母親の遺伝子が強く現れた乳房。それでいて、健康な食事と生活から作られた身体は細過ぎず太過ぎずの絶妙なバランスを保っていた。
 夏の日焼けがうっすらと残るものの、ひと月もすれば綺麗に消えるだろう。

「……な、なにか……なにか言って」

 顔を真っ赤に眼を閉じて震えるリンカは相当恥ずかしい様子だった。

「……なんで」

 オレはそんなリンカを見て反射的にそんな言葉が出た。

「君はなんで……オレにそこまで出来るんだ?」

 すぐ近くで見てきたから、リンカは無理をしている事は理解できた。
 けど……いや、だからこそ……オレは……そんな彼女の決意に何も反応しない“心”を、今の今まで黙っていた事を心底後悔したのだ。

“お前は誰も愛せない”

 ジジィの言葉が頭を駆け巡り、オレは不意に糸が切れた様に身体のコントロールを失った。

 これは……脳が……血行が……良くなり過ぎたか……

 酒に露天風呂。この二つが作用し全身に力が入らない。仰向けに倒れ、身体はぶくぶくと湯船に沈む。
 水中から見る月……あの夜……あの船を深く思い出す――
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