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第86話 彼への一品

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 夏休みが終わって、宿題も問題なく提出した初日の午後は貧血で倒れたものの、いつも通りに帰宅した。
 家に帰って授業の復習をしてから晩御飯を作っていると階段を上がる音にどことなく緊張してしまう。

「ただいま~」
「お帰り」

 自宅の扉が開き、母である事にホッとしつつも、どこか残念な気持ちも心に残る。

「ご飯、もう少しで出来るからお風呂先ね」
「あいあいさ~。ん? 今日は肉じゃがかしら~」
「そうだよ」

 母は匂いで何の料理を作っているか察した様子。

「前にケンゴ君が絶賛してたヤツね~」
「――え……そ、そうだっけ?」

 彼が隣の部屋に帰ってきてから度々、夕食は振る舞ってあげてた。その中でも今日の一品は、美味しいと言ってくれた事を思い出す。

「そうよ~。ケンゴ君はまだ帰ってないみたいね~」
「べ、別に呼ばなくてもいいでしょ!」
「別に呼ぼうなんてお母さんは言ってないわ~」

 おほほ、と楽しそうに笑う母と話しているとポロっとキスの事を口に出してしまいそうだ。

「お風呂! 早く行って!」
「いや~ん」

 グイっと母の背中を浴室に押す。母は脱衣所の扉から半身で、

「お母さんは気にしないけど、ケアはしっかりね」
「なんの!」

 がー! とお玉を振り上げると母は、うふふ、と扉を閉めた。

「もー」

 料理に戻る際に戸棚のガラスに反射する自分の顔を見た。真っ赤になっている。
 母には言わずもがな、彼と何かあったことがバレてるだろう。それにしても……

「……そんなに会いたいか。あたし」

 しれっと、お裾分けも出来る料理を作っているとは。この気持ちは無意識にも働きかけてくる。

「作っちゃった物はしょうがないか」

 うん。しょうがない。食べきれなかったら持っていこう。あくまで食べきれなかったら――

“リンカちゃん、これ凄く美味しいよ”

「…………」

 あたしは、先に肉じゃがの味を整えると、一食分だけを小皿に移し、ラップをかけて冷蔵庫へ。よし、と自分でも何に納得したのか良くわからないまま料理へ戻る。
 すると、脱衣所の扉を少し開けてこちらを覗く母の眼が。

「…………」
「あっ! リンちゃ~ん。シャンプー切れてたわよ~。替えはどこだっけ~?」
「いつも! 上に! 置いてる! でしょ!」

 そう言いながら詰め寄ると、近づくと通れなくなるダンジョンのギミックみたいに、そうだったわね~、と母は扉を閉めた。





「リンちゃ~ん。お母さん謝るから~機嫌なおして~」
「……はい、ご飯」

 鮫島家の食卓は普段は二人きりだ。
 セナが遅い時は、ケンゴの都合が合えば彼を誘う事は多く、今ではリンカが一人きりで晩御飯を食べる機会はめっぽう減っている。

「……別に怒ってませーん」
「いやん。リンちゃん怖い~」

 リンカはこれ以上不貞腐れても余計な気苦労だけが重なると察して、嘆息を吐いて感情をリセットした。

「はい。今日もお疲れ様」
「リンちゃんもね~」

 リンカはお酒専用の小さな冷蔵庫からビールを一つ食卓に置く。
 セナの平日の飲酒制限はリンカの役割だ。特に夏のお歳暮で多くのお酒が届いた事もあり、より一層管理は慎重になっている。

 夕食を食べながらニュースを見てると、中央公園であった夏祭りの事を報じ始めた。

「あらあら」
「……」

 映っているのはセナがリンカの為に買ってきた浴衣だ。故にお面をつけた人物の一人は真っ先に察した様子。

「ああ言うのは~お姫様だっこよね~」
「……何を言ってるのさ」
「女の子を米俵見たいに担ぐのは~良くないとお母さん思うの~」

 言われて見れば支えられた事はあっても正面から抱えられた事はない。いや、小さい頃ならあったか。でも、まだ恋愛のレの字も知らない小学生だったので、ノーカンにしよう。
 ぶつぶつと自分の思考に浸るリンカ。そんな娘の様子にセナは、ふふ、と笑う。

「リンちゃん」
「なに?」
「今を後悔しないように頑張りなさいな」
「? 急にどうしたの?」

 セナは娘が大人に成るために必要な一歩踏み出せた事をとても嬉しく思っていた。

「リンちゃんの倍は生きてる先輩からのアドバイスよ~」

 母の言葉にリンカは最近、霊園で聞いたフレーズだと思い出す。
 すると、ニュースは祭りの事から切り替わり、

「あ、とにかく楽して生きたい人だ」
「え?」

 ある人物の傍らに阿見笠流あみかさながれが映り込んでいた。





「やーれやれ。今期もようやく折り返しかよぉ」

 スーツに身を包んだナガレは凝った肩を鳴らしながら外の自販機で缶コーヒー買うとその場で封を開けて飲み始める。すると、アタリが出てもう1本落ちてきた。

「阿見笠さん」
「ん? 土山つちやちゃんじゃない。どうしたの?」

 そこに、一人の男が歩み寄る。彼もスーツを来て、どこか疲れた様子だ。

「外に出て行ったので気になりまして」
「どうせ火防からの指示だろ? 君も大変だねぇ」

 お見通しですか。と土山は阿見笠を欺くことはそう簡単ではないと諦めて白状する。

「最近『神島』に手を出しているとかで」
「手を出すなんて大層なもんじゃないよぉ。ちょっくら記者を装ってジョーさんと会おうとしただけさ」
「我々の次に警戒されてるのは記者ですよ? もう少し別の職業に扮されては?」
「次からは大道芸人で行く予定」

 爆笑のツボを探しとくかぁ。とナガレは本気の様子。
 嘘か真か。阿見笠流はこの業界でも屈指のやり手であり、その真意は中々に掴めない男である。

「聞きましたか? 黒金くろがね陣営が『神島』と縁を結ぼうとしたようです」
「知ってる。あちらさんの都合でボツになったってヤツだろぉ? まぁ普通に非常識だよねぇ。中学生と婚姻なんて」
「しかし、上手く行けば勢力図は一気に傾きましたよ」
「上手く行かんよ。土山ちゃんはジョーさんと会ったことある?」
「いえ。まだ面識はありませんが」
「なら、その方がいいよぉ。あの人に眼をつけられるとこの界隈ではつま弾きにされっから」
「では、あの噂は本当なのですか? 神島がこの国に三つの楔を打ち込んでいると言うのは」
「眉唾だったらしいけどね。でも、それは23年前に覆されたからなぁ」
「『ウォータードロップ』の件ですか?」
「おっと、あんまりここでは口に出さない方がいい。ジョーさんの心象を良くしようと告げ口を狙ってるヤツがわんさかいるかさ」
「! 気を付けます……」

 気を付けなー。とナガレは土山に、当たった缶コーヒーを渡す。

「オレはボスに呼ばれてっから。火防によろしくな」

 そう言ってナガレは土山の肩に一度手を置くと建物へ歩いて行った。

「阿見笠議員。総理がお待ちです」
「あいよ」





『はは。昨日の今日で早いじゃねぇの。大宮司君』
「……明日の夕方で」
『いいぜぇ。それじゃ楽しみにしてるよん』

 大宮司は仮屋との通話を終えて、少しだけ額に手を当てる。

「……俺は最低だな」

 家族と彼女を天秤にかけ、家族を取ってしまったのだから。
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