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91 暗闇の中

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 慣れ親しんだはずのデュシャンの屋敷は、明かりが僅かにも灯らず暗闇に包まれており、フェリチアーノの恐怖心を更に煽っていた。
 強く後頭部を殴られた為に未だに鈍くぼんやりとしているし、体もあちこち痛み体を引きずる様にして早足で歩くのがやっとだった。
 そんなフェリチアーノをマティアスは愉快そうにゆっくりとついて来るだけで、すぐに捉えようとはしない。
 まるで弱り切るのを待つように、捕らえた獲物を嬲る様に、じわじわとフェリチアーノを追い詰めるだけだ。

 ピカッと一瞬辺りが真っ白く染まったかと思うと、今度は途端にバケツをひっくり返したような激しい雨が窓を打ち付け始めた。
 屋敷内はより一層暗さを増した。慣れている筈の屋敷であっても、視界も利かない状態であれば、今どこに居るのかすら正確に判断する事は難しかった。
 廊下を彷徨いながら、チラリと後ろを見ればマティアスとの距離はだいぶ離れていた。まるでハンデを与えられている様な感覚に陥るが、それでもフェリチアーノは先を急ぐ。

 いくつかの扉の中から、無作為に扉を開け中に入る。これで安全とは言えないが、マティアスが部屋の前を通り過ぎた後、反対方向に逃げられるかもしれないと考えたのだ。
 言い知れぬ恐怖心はどんどんとフェリチアーノの心を犯していく。短い呼吸を何度も繰り返し、今にも不安で泣き出しそうになるのを必死で堪えた。
 あの時舞踏会の会場で、少しでもテオドールから離れさえしなければこんな事にはならなかったのだろうかと思いはするが、全ては後の祭りだ。

 早鐘を打つ心臓を落ち着かせるように、大丈夫だとすぐに助は来るはずだと、フェリチアーノは自身に言い聞かせた。
 そこでふと、真っ暗な部屋の中、奥から明かりが漏れている事に気が付いたフェリチアーノは、使用人の誰かが残っているのかと微かに開いた扉に近づき、ゆっくりと開いた。

「あらお前、私の部屋に何の様なの」

 ひっと声を上げそうになるが、その悲鳴は喉の奥で止まり、上手く外には出なかった。扉の先には変わり果てた姿のアガットが居て、酷く虚ろな目でフェリチアーノをじっと捉える。

「……姉上」
「まぁ貴方、その飾りはなぁに? 随分めかし込んで、一体どこに行くつもり?」

 フェリチアーノの全身を舐める様に見たアガットは、ふらりと椅子から立ち上がると、フェリチアーノが身に着けている宝飾品に目を輝かせながら迫って来た。

「あぁ素敵、これがあれば、これがあればまた私はまた輝けるわ。あのシャロン様よりももっと輝けるのよ! 今すぐそれをよこしなさい!!」

 突然豹変したアガットに驚くと同時に、とても強い力で押し倒される。馬乗りになり抵抗するフェリチアーノを、考えられない程の力で押さえつけながら、胸元を飾るブローチや綺麗に細工が施されたボタンもカフスも全て取られていく。
 髪を振り乱しギラギラとした目をするアガットはとても正気とは思えなかった。

「あら、袖の下にも何か隠しているじゃない!」

 チラリと見えたのだろう、リンドベルの魔道具である腕輪に手を伸ばされたフェリチアーノは、これだけは取られてなるものかと、これまで以上に抵抗した。
 苛立つアガットに頬をパンッと張られ、口の中が切れ鉄味が広がるが、フェリチアーノはそれでも抵抗を止めなかった。

 ドカンと勢いよく轟いた雷鳴に、アガットが一瞬気を取られると、フェリチアーノはその気を逃さずに力いっぱいアガットを体の上から押しのけ、扉まで急いだ。

「待ちなさい!!」

 間一髪扉の向こう側へと体を滑り込ませたが、アガットが伸ばした手が閉まるドアに勢いよく挟まった。
 悲鳴を上げながら引き込められた手に安堵するが、今度は体当たりをする様にがなり声を上げながら扉を叩かれ始める。
 鍵を閉めたがどうにも心もとなく、近くにあった家具を何とか移動させ扉の前を塞いだ。

 閉じ込めてしまう事に多少なりとも罪悪感が湧かない訳では無いのだが、それよりも今は恐怖が勝っていた。
 いつの間にか流れ始めた涙を一生懸命に拭いながら、声を殺すように努る。床にへたり込みながら自身の体を抱き込み、そして先程取られそうになった腕輪を自身を僅かにでも安心させるために額に当てた。



 その頃テオドール達は、ウィリアムが雇っている破落戸達のねぐらまで来ていたが、中には誰も居なかった。
 一刻も早くフェリチアーノを助けなければと焦る気持ちは苛立ちにも似ていて、思わずテーブルを拳で殴ってしまう。

「殿下、お気持ちはわかりますが、落ち着いてください」

 ロイズが窘める様に言うが、どうやらその声は聞こえていないらしく、部屋の中をテオドールは拳を口元に当てながら、落ち着かない様子で歩き回るだけだった。

「殿下っ捕らえました!!」

 土砂降りになった外に出るにも出れずにいれば、ヴィンス達が丁度戻って来た破落戸達を捉えた。
 後ろ手に拘束された男達はヴィンスに後ろから蹴られ、部屋の中に入ると膝を着く体勢を取らされる。

「放せっ!! くそっ本当についてない、なんでこんな事に!!」
「フェリチアーノをどこにやった!!」

 思わず破落戸達に近寄ったテオドールだったが、護衛騎士達にすんでの所で止められる。いくら拘束されているとはいえ、近づくには余りにも危険なのだ。

「マティアスってやつの指示で屋敷に運んださ! くそっ金を貰いに行けば依頼主は死んじまってるし、騎士には捕まるし……あぁぁあついてなさすぎる!!」

 暴言を吐きながら愚痴をこぼす男に、ロイズとテオドールは顔を見合わせた。

「ウィリアムが死んだだと?」
「あぁそうだよ、マティアスに計画が急遽変更になったって言われて、俺達は慌てて準備したんだ。それなのに金を貰いに行けばあの野郎は宿屋で死んでやがった!!」

 間違いなくウィリアムを殺したのはマティアスだろうと、テオドールには察しがついた。
劇場での出来事を考えれば、殺意が湧いても可笑しくないと言う物だ。
 既に人一人を手に掛けたマティアスには、他に人を殺める事に躊躇いは無いだろう。そう思った瞬間、全身に寒気が走る。
既にマティアスの元に届けられたフェリチアーノは、果たして本当に無事でいられるのだろうかと。

「どこの屋敷だ、どこの屋敷に連れて行った!!」
「デュシャンの屋敷だ」

 フェリチアーノを失うかもしれない恐怖と、怒りとが綯交ぜになったテオドールは、男の言葉を聞くと、騎士達の制しを振り切り土砂降りの雨の中一人、デュシャンの屋敷へ向け馬を走らせた。







*最終日の今日は5回更新です。

7:50、12時、18時、21時、0時

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