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72 非日常を日常へ2

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「お久しぶりでございますフェリチアーノ様、お元気そうで何よりでございます」

 にこやかに出迎えたシルヴァンに、思わず顔が引き攣りそうになる。それをなんとか堪え、フェリチアーノはベラベラと楽しそうに喋るシルヴァンに適当な相槌を打ちながら、アンベールが待つ部屋へと歩みを進めた。

 セザールを亡き者にしておいて、なぜそんな笑みが浮かべられるのか。
 家令の証であるお仕着せを身につけ、よくも自分の前に立てた物だと怒りで震えそうになる。だが書類にサインを貰うまでは感情的になるべきでは無いのだ。

 フェリチアーノの後ろには護衛のヴィンスが付き従っていた。一人では無いというだけで幾分か心が落ち着く物だとフェリチアーノは思うのだった。
 しかしシルヴァンは違うようで、フェリチアーノが一人では無かった事に驚いた様子であった。
 それもそうだろう、フェリチアーノが今まで誰かを伴ってこの屋敷に踏み入れた事など一度もないのだから。
 不信感を滲ませたシルヴァンだったが、ヴィンスが心配性のテオドールから直々につけられた護衛だと聞かされれば、警戒を解いていた。



 部屋に入ればまだ空は明るいというのに空にした酒瓶を何本もテーブルに置き、葉巻を吹かすアンベールが居た。 思わず溜息を吐いてしまい、それに反応したアンベールが片眉を上げる。

「ふん、殿下と恋仲になってから少しは見れる様になったかと思ったが……これはまた殿下の寵愛は深いらしいな」

 全身をじっとりと見られ、嫌らしく目を細められた。
 ミリア達の提案で、フェリチアーノが今身につけている衣服はアンベール達の趣味に合った派手派手しい物だ。普段なら絶対に身に付けない様な服と宝飾品は、どうやらアンベールのお気に召したらしかった。
 アンベール達に分かりやすい様に、目に見える形でテオドールからの寵愛の形を彼等が好む物で見せつける。これで金に目がない彼等は寵愛を心底信じ込み、そしてボロを出すだろうとミリア達は言っていたのだ。

「それでお前はいつ帰って来るんだ? いつまでも城で世話になる訳にもいかないだろう? 仕事も放り出したままだ」
「……そうですね、なるべく早く帰ろうとは思いますが」
「そうしてくれ、仕事が滞れば収入が減るだろう。お前が居ないせいでどれだけ大変かわかるか? 領民もお前が居れば安心するだろう。デュシャンはお前の肩にかかっているんだぞ? 家族と家は大切にしなければ、そうだろう?」

 少し前であれば、アンベールの言葉に何とか自分を納得させて金策に走り、執務をこなしただろう。しかし今となってはアンベールがどの様に言ったとて、フェリチアーノの心には響きはしない。
 それに守るべき領地も既に返上している。国からの重要な書類は全てテオドールを介してフェリチアーノに届けられており、アンベール達の元へ届く事もないので、既に領地が無い事など彼等は知る由もなかった。
 執務をこなしているのであれば気付ける事だが、少し前に訪れた時の執務室の様子を見れば何もしていない事など分かりきっていた。
 積み上がった封が切られていない手紙の束など、普通であればあり得ない。だがそのおかげで無事に領地を返上出来たのだ。

「旦那様、あまりフェリチアーノ様を責めてはいけませんよ、殿下の寵愛よろしいじゃ無いですか。デュシャン家の誉ですよ」

 さり気なく会話をしながらテーブルに置かれた物を見て、フェリチアーノは動揺を抑えるのに手首に爪を立てギュッと強く握り締めた。

「このお茶も久しぶりでございましょう? 何度か届けようとしたのですが物品はダメだと断られていましたので」

 どうぞとお茶と共にジャムも置かれ、フェリチアーノは更に爪を食い込ませた。これがどう言う意味で置かれているかわからない筈がない。

 紛れも無い殺意を目の前に差し出して来るとは。

 彼等は未だにフェリチアーノを亡き者にしようと狙っているのだ。
 未だにバレていないと信じ込み、護衛として付いてきているヴィンスの前でも平気でこれを出してくる。
 絶対にバレないという確信があるのだろう。現に個々に調べても毒は出ないのだからその自信もわかるが、余りにも露骨すぎる。
 
「確かに久しぶりだね」

 手の震えがバレないように注意をしながら、ジャムをカップに入れ時間を稼ぐ様にゆっくり溶かす。手首にはリンドベルが作った魔道具が嵌められている為、この場で飲んでも死にはしないだろう。
 しかし自ら進んで毒を口にするなど、今のフェリチアーノには出来なかった。生きたいと強く願う今となっては、死に繋がるとわかっている物を平気なふりをして飲めるはずもない。

「フェリチアーノ様、お時間があまりありませんので書類を見てもらっては?」

 カップに口をつける瞬間、不自然にならない様にヴィンスがフェリチアーノにさり気無く止めに入る。
 テオドールから詳細を聞かされているヴィンスは、フェリチアーノに出された物がどんな物か知っている。

 止められた事にほっとしながら、フェリチアーノは数枚の書類を出した。名目はフェリチアーノの滞在にかかる費用は全てテオドールが負担する、そして暫く執務が出来ない事への謝礼金を渡す、と言うものだ。それを1枚目に書き、2枚目以降にはそれに伴う事項が書かれている……と言うことを簡単にアンベール達に説明をした。
 謝礼金と聞き、アンベール達は目を輝かせた。書類に目を通しているが、ほぼ読んでいないと言うことは、アンベールの目の動きで分かった。
 ざっと目を通したアンベールは、シルヴァンに差し出された万年筆で手早くサインをする。

 あぁこれで全てから解放されたのだと、フェリチアーノは泣きそうになるのを堪えた。

 戻された書類に目を通し、しっかりとサインされている事を確認したフェリチアーノは、はやる気持ちを押さえながら、ジャケットの内側から小切手を取り出し、机に置いた。

「これは?」
「また暫く不在にしますので、その間に何かあれば困るかと思い個人的に用意しました」

 少なくない金額が書かれた小切手を見てアンベールはニヤリと笑う。

「フェリチアーノ様、お時間です」

 小切手に夢中な彼等にフェリチアーノは撒き餌として用意しておいて良かったと思う。こんな所には少したりとも居たくはないのだ。足止めされたら堪らない。
 ヴィンスに促され退出するフェリチアーノを、アンベール達はチラリと見ただけだった。
 口を付けていないお茶にも気付いては居ないだろう。

 馬車は急いでグレイス邸へと走る。その間フェリチアーノは馬車の中、ひたすらに耐えていた。

「フェリ!!」

 いつの間にか着いていたグレイス邸の前には、心配そうに帰りを待って居たテオドールが居た。
 それを見た瞬間、フェリチアーノはテオドールの元へと走りその胸元に飛び込んだ。

「無事でよかった、お帰りフェリチアーノ」

 あの忌々しい場所から帰って来れたのだと、ここが帰る場所なのだと安堵したフェリチアーノの目からは涙がとめどなく溢れ、それは暫く止まる事は無かった。
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