便箋小町

藤 光一

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神隠し編

19異界漂流にはおまかせを

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 ノイズが入り乱れる彼女の言葉からは、思いもよらない一言だった。
社長曰く、どうやら僕は異界へと向かっているらしい。行き先は自分の家の最寄駅ではなく、異界。
そうか、異界か。・・・なんだ、異界って。そんなの漫画かライトノベルでしか聞いた事無いぞ。
僕の頭の中は、未だ混乱しているらしく整理が中々追いつかないでいる。
それでも無慈悲に刻々と時間は進み、異界とやらへどんどん進み出している。
僕の居た現実世界とでも云えば良いのか、元居たところからどんどん遠のいて行っているのだろう。
だからこそ、僕は社長に問いかけた。

「異界って。そんな・・・、どこのライトノベルですか?」

「勘違いしているようだから、言わせてもらうぞ。流行りの異世界冒険譚のような所では無い。
君が今、起こしている事象はどちらかと云うと“神隠し”に極めて近いのだよ。」

 神隠し・・・。聞いた事がある。と言っても漫画で見た事ある程度の知識だが。
人間がある日忽然と消え失せる現象。失踪や行方不明とはまた違う現象もあるらしい。
それは、“元からその者が存在していなかった”と強制的に意識を変換されてしまう事。
消えた者の記憶や思い出も無い為、存在と云う事象そのものをバッサリと抉り抜かれた状態だ。
けど、それは神が住まう謂わば神域である山や森で起こるのが殆どな事から、神隠しと称される。
勿論、里や町など人口の規模に関わらず、なんの前触れも無く人が居なくなる事例だってあるようだ。
それが今僕が乗っている電車の中で、現実世界から離れかけているのか。一体、いつからだ。
電車に乗ってからか、駅のホーム、改札を潜る時、会社から出た時か。
いずれかの事象が重なって、異界送りの切符をいつの間にか手にしてしまったようだ。やれやれだ。
こんな時に、何を呑気な事を言っているんだと思うだろう。だが、こうでも言わないと。
それが他人事でもあるように一度捉えないと冷静さを取り戻せないんだ。そう、こう云う時こそだ。
俯瞰になれ。俯瞰的に物事を、今起きている事を見つめ直せ。

「垂くん、落ち着いて状況を説明出来るか?」

 何度目かの瞬きの間を置き、改めて僕は周りを見渡す。
どちらに視線をずらしても、ここが異常である事に変わりはない。

「はい、外は暗くて何も見えないです。電車に乗って走っていると云うよりは、空を飛んでるみたいです。
中に乗客は何人かいますけど、どれも普通では無くマネキンのように固まってますね。
電光掲示板には、駅名だけが蟲食いのようにくり抜かれてます。」

 僕は目に映った状況を出来るだけ細かく伝えた。
「成程。」と短い言葉で返し、彼女は顎に手を当てながら何かを分析しているようだった。

「その電光掲示板、いや君の視界に映るその文字達は本当に君が慣れ親しんだ日本語か?」

「そんな馬鹿な、だってほら、ちゃんと読めて・・・、あ。」

 社長に指摘されて、漸く気付かされた。
遠目で見れば確かに普段良く見かける日本語。けれど、その形状は絶妙に何処か違う。
数字、アルファベット、様々な文字をバラバラに砕き、それらしい文字の形になるよう合体させている。
まるでツギハギに形どられたパズルのようだ。その文字に気付かされ、ゾワりと追い討ちを掛けてきた。
彼女の言葉には、「何を言っているのか。」と常識という先入観に麻痺していたのだが。
改めて気付かされると、その衝撃的な事柄は驚かされる。

「して、垂くん。そちらは今、何時になっているかな。」

 今度は、時間の確認を社長は聞いてきた。
何の為の確認かはわからなかったが、僕はスマホの画面に表示された時計を確認した。

「いやいや、そんな海外じゃないんですから。今は・・・、あぁ、そうですねえ。
丁度分かりやすいですね、深夜一時ピッタリですよ。」

「そうか・・・。生憎だがな、こちらは深夜の二時半だ。
やはり、そちらとは時間の流れが滅茶苦茶になっているようだな。」

 いよいよ異界へと没入している事が、冗談ではもう済まされなくなってしまった瞬間でもあった。
僕の思いとは裏腹に、ことごとく照らし合わせたい事象は捻じ曲げられる。
同じ国にいる筈なのに、一時間半も時刻がズレている。今こうやって電話で会話をしていると云うのに。
まるで国際通話をしているような感覚で、そういえば僅かながらの音の遅延を感じる。
一時間半の時差だと中国で一時間当たりだから、それくらい離れているのだろうか。
加えて、社長はもう一つ確認したいと付け足した。

「君のスマホで車内の様子を撮ってくれないか。」

「は、はい、分かりました。」

 と、言い残し一度社長との通話を切った。
直ぐ様、スマホのカメラアプリを起動し撮影画面へと切り替わる。
スマホの画面上に映る映像は、至って良好。残りのバッテリーが危ういがまだ大丈夫そうだ。
僕は、外の景色と他の乗客が映る一枚、そして電光掲示板の計三枚の写真を収めた。
撮った写真は間髪入れずに社長へと一斉送信。
今更だが、異界へと踏み込んでいるというのに携帯の電波こそは繋がっているらしい。
携帯の基地局は、どうなっているんだ。益々、訳が分からない。
これでは誰かに指摘されたり言われない限りは、異界に迷い込んだなんて気付かないではないか。

 ブブブ・・・。

 再びスマホが振動する。社長からの電話の合図だ。
すぐに電話に出た僕は、社長の第一声を待った。

「垂くん、写真ご苦労だったな。して、簡易的な鑑定結果だが・・・。
君が神隠しによる異界漂流は間違いなさそうだ。」

「どういう事です?」

 僕は恐る恐る、彼女へ聞いた。
僕が撮った写真すらも異変が生じているとでも云うのだろうか。

「君が送ってくれた写真は三枚のようだが。どれも真っ赤な写真だったよ。
とても電車内とは一眼では判断出来んだろうな。そう、赤よりもずっと黒く濃い。
その色以外、他は何も映されていなかった。赤以外、何もだ。」

 返ってきた答えは、恐らく鑑定以前に明白な内容だったのだろう。
写真を送って直ぐ様に折り返しが来たのだから、その異常さは一目で判断出来るレベルだったのだろう。

「そ、そんな!だって送る前に確認しましたよ!」

 事実とは異なる内容に、僕はつい声を荒げてしまった。
送った写真の全ては同じ写真では無く、それぞれ違うアングルで撮影したものだ。
車窓、座席、電光掲示板。いずれも赤く染められ、映し出された物が何とも形容し難い写真へと変わったのか。
異界へと進み続けるこの電車が狂わせているのだと云うのだろうか。
これでは、目視の確認を照合させる事が出来ない。だが、まぁそうだな。
今、こうして電話が出来るだけ幾許かはマシなのだろう。苦味はあるが、僕はそう思った。

「わかっているさ。むしろこの現象は、異界では良くある事だ。」

 彼女の見解は、予想通り僕と意見はほぼほぼ一致していた。
やはり、この異界へと向かう際の障害壁が妨げているせいなのだろう。
それでも少し気にかけてしまうのは、彼女が言った「異界では良くある事」というワード。
社長の口振りから、異界の存在を知っている。それだけで無くその起こり得る事象さえも。
と、言う事はここから脱出する手立てがあるかも知れない。そんな希望だってある。
いや、せめてそれくらいの希望は持ったって良いじゃないか。
それに社長は、最初に云っていた。今すぐここから逃げ出せ、と。つまり脱出出来る機会はあると云う事。
ただ、一筋縄で行かないから神隠しは起こる。存在を忘れ去られ、巻き込まれた者は無い者とする。
大体、なんだ神隠しって。神様の気まぐれなのか暇潰しかは知らないが、せめてやるなら昼にして欲しいな。
連勤中の帰宅時なんて、馬鹿みたいなタイミングでやりやがって。
いつか神とやらに会ったら、文句言ってやる。
そんな愚痴を心の底で詠唱する中、スマホのスピーカーからブッツリと切るように社長からの一言が入る。

「ではまず、駅に着いたら、その電車から降りてくれ。
それまでの間だが、他の乗客や駅員に話しかけたりしては駄目だ。」

 コホンとわざとらしい咳払いを溢した後に、彼女は僕に次の行動を指示してくれた。
けれど、それは意外にも直ぐに逃げる訳でなく“駅に着くまで待つ”という指示だった。
てっきり何かしらの手段を用いて、この電車から脱出するのだとばかり思っていた。
それだけでは無く、彼女は乗客たちにもコンタクトしてはならないとまで云っていた。
話しかけるだけでもデメリットが生まれてしまう程、不味いのだろうか。
NPCに話しかける事が物語を進める上で、情報集めにもなり先に進むのがRPGの鉄則ではあるが。
そんな常套句とは真逆な行動で、あくまで僕一人で解決をしなければならないのか。
だから、僕は反論とはまた違うが聞き返した。まずは一つ目だ。

「え、今すぐここから出た方が良いんじゃないんですか?」

「無能力の君が、高速で走る電車から出られると思うかい?」

 全くと言って良い程のド正論だった。
確かに電車が走るスピードは、おおよそ六十~九十キロくらいだとは聞いた事がある。
社長達のように人間では無い者達なら、訳は無く跳び降りて脱出するのも問題無いだろう。
けれど、彼女の言う通りで僕の身体も能力も一般人だ。アスリート選手でも無いし、スタント経験も無い。
ましてや、この暗闇に囲まれ何処を走っているのかさえも判らない中で飛び降りるのは極めて危険だ。

「まぁ、木っ端微塵ですね・・・・。あの、あと乗客達とコンタクトを取ってはいけないのは?」

 仮に自分が勢い任せに飛び出し、その後の着地の事を想像していた。
高速で走る電車から飛び降りた時点で、その慣性に耐えきれず地面に着地できたとしても無事では無い。
文字通り着地時の反動で僕の身体を守る骨達は木っ端微塵だろう。
小学校の時に、簡単な護身術を習った程度の知識とスキルではとてもどうこう出来る代物ではないか。
想像するだけでもゾッとする。それならば、大人しくこの電車が停まるであろう駅に着くまでは待とう。
しかし、気になるのは他の者への接触についてだ。社長は、僕の質問に対し間髪入れずに答え始める。

「異界へと完全に引っ張られるぞ?」

「お口にチャックしておきます。」

 僕は一体この後、何度ゾッとすれば良いのだろうか。
一歩間違えれば、社長に聞かず勝手に行動していたのならば、きっと声をかけてしまったかも知れない。
僕は無意識に口元を指で摘み、ファスナーを閉じるように口を閉じた。

「恐らくではあるが、もう駅まではそう遠くない筈だ。」

 一間を置いた後に、社長は続けて話し始めた。
さもそれは、知っているかのように話す。そう、もう駅まではもう直ぐだ、と。
社長のオカルト好きは知ってはいるが、これは何かその類の事象なんだろうか。

「駅に着いたら、どうすれば良いんです?」

「音のしない方角へ進みたまえ。」

 彼女は、そう告げた。音のしない方に進めと。それが唯一の手がかりであり、脱出の手段。
音と云っても様々だ。何を頼りに危険だと判断して遠ざければ良いのか判らない。
だから、僕は聞いた。

「音・・・、ですか?」

「あぁ、人の声、太鼓の音、鈴の音。それらが聞こえてきたら、逆の方角を進むんだ。
暫く歩いていれば、道路や川にぶつかる筈さ。」

 確かにこの深夜の中で、それらの音は不自然だ。
だが、それが聞こえてくるのがこれから待ち受ける異界での出来事。
暗闇の中、何かを頼りに手繰り寄せたい気持ちを抑止しなければならない。
視界が塞がって、見知らぬ土地で彷徨う程だから不安は積もる。
そこに音がしたのならば、真っ先に縋りたいと云う悪魔のような囁きを振り払う必要がある。
これが本当に一人だったのならば、間違いなく僕は異界を永遠に彷徨っていたのかも知れない。


「え?社長は、ここがどの辺りとか見当がついているのですか?」

「そんなのは知らんさ。ただ、これはある都市伝説に纏わる話に酷似しているのだよ。
聞いた事くらいはあるのでは無いか?電車で寝ていたら、覚めた頃には見知らぬ世界に入ってしまった。
見知らぬ駅に彷徨い続ける話を。」

 都市伝説。そもそも僕は、オカルトものはあまり信じていなかった。
現代でいうところの七不思議のような噂話くらいにしか考えていなかった。
だから、社長が話すような内容は知らなかった。

「安心したまえ、垂くん。写真を送ってもらったのにはもう一つ理由があったのだよ。
君の写真データにはGPS機能も挿入されている。
これを板さんにでも解析させれば、君の大体の居場所も見当する事が出来るさ。」

 社長は、僕に安堵を与えるようにそう告げた。
確かに、板さんなら僕が送った写真から情報収集して場所を特定できるかも知れない。
元諜報員だもんな、最初は驚いたが前回の件を目の当たりしたのだから信頼は出来る。

「分かりました。無理せず、生きて帰ります・・・。」

「あぁ、それでは現地で合流しよう。」

 そこで社長との会話は途切れ、受話器からはツーツーッと無機質な音が連続して流れる。
スマホの電源は、既に五パーセントと残量が表記されていた。
僅かなバッテリー残量で、電池を模ったマークも赤く点滅し始めていた。
もう通話する事も数分と持たないのだろう。ここからは、僕一人で脱出しなければならない。
少し不安は募るところではあるが、そんな心の準備を与える間も無く事態は次の変化を見せ始める。

 音も無く走り出していた電車はゆっくりとスピードを緩め、そして停まりだす。
右手側に見える車窓からは、僅かに白く発光する電灯が照らしていた。
そこには人影が一切見えない無人駅のような寂れた風景が映し出されていた。
反対側の車窓は、やはり真っ暗で依然として何も映し出されておらず、揺れる草木すらも見えない。
プシュゥーっと溜まった空気を吐き出すように、扉が開き出す。
それでも座席から立ち上がる者も乗り入れる者も居ない。けれど、社長の指示だ。
まずはここから出ないといけない。僕は座席から立ち上がり、開き出した両扉へと向かう。
扉が開いた時からそうだったが、冷たく重たい空気が車内へと立ち込めているのが肌身を通して感じた。
ただ単純に寒いとはまた違う。様子を見るように弄り、全身を纏うような寒気があった。
やけに生温い風は、柳を撫でるようだ。電車を降りて、駅のホームへと踏み出す。
寂れた駅。ずっと整備されていないのか、そのコンクリート剥き出しのホームは穴だらけだ。
ホームに設置された看板は、所々経年劣化の為か茶色く酸化しており錆び付いた状態が目に映る。
けれどその看板には、本来書いてあるべきである駅名が記載されていない。
その前の駅名も、次の駅名も記載が無い。経年劣化によりインクが掠れて消えてしまった。
というよりは、初めから記載が無いの方が正しいのだろう。少なくとも僕には認識できなかった。
どうやら、この駅で降りた者は僕だけのようだ。風の音すらもしない無人の駅で、僕は一人佇む。
僅かに照らす電灯が唯一の救いにも見えていたのは、周りが黒暗暗で塞がれていたからだ。



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